第2話 入学――②
その男はとても魔法使いというメルヘンな存在には見えなかった。
いや、この世界において魔法使いというのは歴とした職業、なんなら国から(莫大な)お給料がもらえる国家公務員ですらあるため、メルヘンである必要など全くもってないのだが――それでも、この男が実は魔法使いなんですと紹介されて、へえそうなんですかとあっさり納得することが出来る者も少ないだろう。
今の時代では、というかこの世界では、ローブにとんがり帽子にゼンマイのような長杖という絵に描いたようなオールドスタイルの魔法使いもだいぶ少なくなってきたと聞くが、それにしても――その男の恰好は魔法使い離れしていた。
男が身に付いていたのはまさかのスーツだった。
ホストのような煌びやかなそれではなく、ネクタイも靴も真っ黒な喪服ようなスーツ。それも何週間も着用し続けているかのようによれよれだ。
窪んでいるかのように深い隈、肌はまるで死人のように白い。
髪も白髪まじりのボサボサな有様で、年齢はそれほどいっていないように見えるのに、今にも倒れ込んでしまいそうに見えるほど不健康な感じだった。お前の葬式帰りかと言いたくなる。
だが、それでも――その窪んだ隈の上でぎらぎらと輝く蒼色の瞳だけは、まるで輝くように美しく、突き刺すように鋭かった。
「――ようやく準備が整ったようだな。お前らが着席して静かになるまで五分も掛かりました」
教師が生徒に言うムカつく台詞ランキングがあったらトップ3間違いなしの小言をジャブのように繰り出してから――その男は名乗った。
「俺の名前は
怪崎と名乗った男は、俺ら新入生を見上げる教壇の前から。
「俺の時間を、無駄にするな」
俺たち全員を――見下すように、言う。
「お前たちは、入学式の最後に何と指示を受けた? 各寮の講堂へと移動し、やって来る担当教師からガイダンスを受けろと言われた筈だ。つまり、俺がここに来た時点で、お前たちはこうして着席して静粛にしている状態でいるべきだった。違うか?」
つまり、お前らが準備を整えるまで、こうして突っ立ていることになった俺の五分間は、全く不要な時間だった――と、怪崎先生は言う。
まぁ、突然現れた正体不明の男に戸惑っていたというのもあっただろうが、確かにたかが席に着くだけのことで五分は掛かり過ぎだな。
座席表が決められているわけではないこの状況で、互いに(無駄に)警戒し合って距離を取り合っていたいくつもの島々が、やはり(無駄に)牽制し合ってなかなか席に着かなかったからなのだが――そういった行為こそが時間の無駄だと怪崎先生は吐き捨てているわけだ。
しかし、この魔法学校に入学するような厳選された卵たちは、そういった正論を真正面から受け入れられるようなガキ共ばかりじゃない。
「だったら先生。アンタがこうして俺らにダラダラと説教しているこの時間も無駄なんじゃないっすかねぇ?」
最前列に座ったひとりの男子生徒が、長机に足を乗っけながら言う。
まぁ、十二才の生意気盛りなお年頃だ。
それもこうして
そんな奴が、アーサー・クロウリーならばまだしも、見たことも聞いたこともない、唐突に現れただけの大人に、上から目線で正論を叩き付けられて面白いわけがないよな。
だが――それは悪手だと思うぞ、名も知らぬ同級生。
こうして相対して分からないのか? この胡散臭い不健康そうな大人が――どれだけヤバい
「――その通りだ。ヴァーグナー新入生」
お前のその行動と同じくな――と、怪崎先生が冷たく呟くと共に。
足を上げているヴァーグナーの懐から、火の手が上がった。
「っ!! う、うわぁぁっ!!?」
一瞬にして混乱に陥る講堂内。
彼の近くにいた生徒たちは一斉に距離を取って、ヴァーグナーも慌てながら燃えている己の上着を急いで脱ぎ捨て、放り投げた。
その際に判明した、彼の上着から飛び出した出火元は、一本の
「大方、俺のことを挑発して魔法を使わせ、そのスクロールで記録するつもりだったのだろうが――俺は既に言った筈だぞ。浮かれた時間は終わりだとな」
いつの間にか、怪崎先生は長机の上に立ち、ヴァーグナーを見下ろしていた。
そこにはいきなり生徒を燃やそうとしたことに何の感情も抱いていないような、
「――お前の言う通り、無駄な時間だった。だがこれが、お前らがこれから少しでも俺に無駄な時間を遣わせない為の、意義ある先行投資となったことを祈る」
怪崎先生の言葉に、新入生たちは何も返さない。
燃やされかけた張本人であるヴァーグナーすらも口を噤んでいる。
確かに、これで怪崎先生に対して一々余計なことを言う奴はいなくなったことだろう。何の警告もなくいきなり生徒を燃やそうとするヤバい大人に、おちゃらけたことを言うような勇者はここにはいない筈だ。
これは勇者ではなく――魔法使いの物語なのだから。
「席に戻れ。業務を続ける」
再び小さな旋毛風が講堂内に発生する。
すると、いつの間にか怪崎先生は教壇の前に戻っており――彼の一睨みで、ヴァーグナーから距離を取っていた生徒たちも自分の席へと戻った。
ヴァーグナー少年もまた、表情を屈辱に歪めながらも姿勢を直していた。……あれはちゃんと懲りてるのかなぁー。まぁ、どうでもいいが。俺には関係のないフラグだ。
「まず初めに俺に与えられた仕事は、どうやら何も知らないお前たちに、
つまりは、この
ようやく学校らしくなっていたな。
どうやらやっと始まるようだ――魔法学校が。
俺は思わず笑みを浮かべながら、怪崎先生の御言葉を拝聴する。
◆ ◆ ◆
怪崎先生は、そのすらりとした長身の背中を丸めながら、黒板に
「
いや、嘘ではない。
より正確に言うなら、
全ての学生が同じ授業を受けながら最初の三年間を過ごす初等学校――通称『
スクールのカリキュラムを無事にクリアすると、新たに三つの学校への進級資格を得ることになる。
「より実用的な魔法技能を学ぶ『
魔法を使う技術をより極めることを目指す――
魔法で戦う技術をより極めることを目指す――
魔法を扱う技術をより極めることを目指す――
基礎コースを終えた後、俺たちはそれぞれ志す『将来』に向けて、より実践的な学びを得られる学び舎へと進学することを目指すことになる。
しかし、初めの三年間は、三百人の新入生全員が共通のカリキュラムを受けなければならない。
それなのに何故、俺たちは現時点で、既に三つの寮に振り分けられているのか。
「疑問に思っているな。三年後には三つのコースに改めて振り分けられるのに、どうせ初めの三年間は同じカリキュラムを受けるのに、なぜ現時点で三つの寮に振り分けられているのかと」
俺の心中を見抜いたかのように、怪崎先生は黒板から俺たちの方へと向き直って言う。
「無論、理由は山ほどある。が、その全てを説明するのはかったるい。だから簡潔に言おう」
お前たちを競わせる為だ――と、怪崎先生は黒板に白墨を叩き付ける行為と説明を再開した。
「アカデミーは、ただ淡々とお前たちがカリキュラムを消化するだけの学び舎ではない。お前たちを超一流の魔法使いとする為、常に様々な試みを実施している」
その中の一つが『ポイント制度』だと、怪崎先生は言う。
最初の三年間を過ごす『スクール』において、生徒たちは三年間かけて『ポイント』と呼ばれるものを稼いでいくことになると。
「ポイントは、スクールで過ごす
怪崎先生は、黒板に大きく、三つの寮の名前を書きながら言った。
「『
そうなのか。単純にカッコいいと思って付けたのかと思ってた。厨二ぽいとか思ってごめんなさい。
怪崎先生はこんな俺の心中は読み取れなかったのか、あるいはスルーしたのか、一切構わずに「お前たちが個々人で集めたポイントは寮別にも集計される。そして、年間を通じて最も多くのポイントを集めた寮には、その証に寮杯と呼ばれる
1000万ポイント。
唐突に現れたそんな数字に戸惑う俺たちに、怪崎先生は顔だけ振り返って言った。
「何も知らないお前たちには、これがどれほどの数字なのかは理解出来ないだろうが、これはとんでもない数字だ。寮杯を得ただけで、得られなかった二つの寮の全ての生徒を上回れるくらいのな」
そう言われても、まだ何の実感も湧かない。
1ポイントを稼ぐのがどれだけ難しいのも分からないし――そもそも、ポイントを集めてどんないいことがあるのかも分からないのだから。
「疑問に思っているな。そもそもポイントを集めて一体どうするのかと」
偶にピンポイントで心を読むのやめてくれませんかね。
無論、良いことは山ほどある。が、その全てを説明するのはダルくてたまらない。だから簡潔に言おうと、まるでコピペのような台詞の後に、怪崎先生は明かした。
あっさりと、世界中の魔法使いの誰もが絶句するような特典の情報を。
「毎年、各学年で最もポイントを多く獲得した『首席生徒』は――『アーサー・グリフィス・クロウリーの工房』へと招待される」
瞬間――講堂は静まり返った。
その特典の、その報酬の意味が分からない者など――分からない魔法使いなど、この世には存在しない。
世界中の魔法使いが憧れる、世界中の魔法情報が集結する――
各国から他国の魔法情報を引き抜こうと
世界一の魔法使い。
世界で最も魔法を極めた、魔法という概念そのものとされる存在。
アーサー・グリフィス・クロウリー。
そんな男の『工房』に行けるチャンスがあると知って、それを目指さない者もまた――存在しないだろう。
俺も――そうだ。
思わず全身に鳥肌が立った。拳に力が入った。唇がぶるぶると震え出す。
クロウリーの工房への招待券。
噂程度には聞いていたが――その都市伝説が真実だったことに、感動を隠しきれない。
超一流の魔法使いを目指させる餌として、目の前にぶら下げる
徐々に衝撃を己の体に浸透させて、現実へと戻って来た生徒たちに、怪崎先生は淡々と言う。
「かの世界一の魔法使いの『工房』へと招待されるのは、毎年それぞれの学年で首席生徒となった計三名のみだ。歴代の首席たちの中でも突出したポイントを搔き集めた者は、かの伝説の存在から御手製
怪崎先生の言葉に、講堂中の新入生が再び色めき出す。
アーサー・クロウリーの魔法道具。
入学試験として世界中に配布された『水晶』も、正しくその一つだ。
全世界の選ばれし子供たちへと配布されて、合格者をこの『
魔法が常識となったこんな世界においてさえも、常識外とされるような逸品だった。
そんなものが、手に入るかもしれない。自分の物になるかもしれない。
あんなものを持ち帰ることが出来たなら――と、そんな風に瞳をぎらつかせる新入生に。
文字通り――目の色を変えた、新入生たちに。
「つまり、
現実を突き付けるように、怪崎先生は冷淡に言う。
楽しい話はここまでにして――ここからは怖い話をしよう、と。
淡々と、冷やすように、言う。
「大人としてお前らに教えられる第一のことは――世の中に美味いだけの話など存在しないということだ」
だん、と。
怪崎先生が振り返り、教壇に手を付いて言った、その言葉と共に。
燃えるように興奮していた子供たちに、冷水をぶっかけられたような――静寂が襲った。
「世界一の魔法使いの工房への招待券をちらつかせるのは――超一流の魔法使いを育成させる為だ」
怪崎先生は俺たちに――大人は、子供に、当たり前のことを言う。
美味い話には、それに相応しい理由がある。
大金を得る為には、それに相当するだけの――リスクを乗り越えなければならないと。
「お前たちがずっと夢見ていたように、この
だが、世界中のどんな権力者が、その黄金を求めても、誰もそれを手に入れることが出来ない――何故なら。
「この
だからこそ、
世界一の魔法使いであるアーサー・クロウリーが世界の外へ――外の世界へと手を伸ばすのは、唯一、この新入生募集のタイミングだけなのだから。
故に、各国はこの魔法学校に一人でも多くの子供を送り込もうと国を挙げて躍起になる。
入学させた子供をスパイとして暗躍させて、少しでも己が国へ世界一の魔法情報を持ち帰ってくるよう、使命を託す。
だが、その極秘任務のハードルもまた、あるいは入学以上に難関だ。
何故なら、魔法世界は、魔法学校は、入るだけでなく、出ることもまた容易ではないから。
どこにも扉がない異世界――それが、世界の何処でもない異世界。
アーサー・クロウリーが創造した『
「魔法学校に一度入学したら最後、自由に外の世界へ出ることは叶わない。君たちがここから解放される時は二つに一つ」
今更ながらに息を吞む生徒に、俺は本当に今更だなと鼻を鳴らす。
俺たち新入生が、こうして寮生活を強制されているのは、それが理由でもあった筈だろうと。
もう俺たちは、気軽に自宅に帰ることは出来ない身だ。手軽に祖国に戻ることも許されない身の上だ。
朝から晩まで魔法漬けの日々を、六年間送ることがばっちし義務付けられている。
もし、六年間耐えることが出来なかったら。
卒業ではなく、退学になってしまったら――そうなったらその時点で、家にも、国にも、帰ることは出来る。
だが――そうなった、暁には。
「お前たちは――魔法と、魔力の、全てをこの魔法世界へ献上することになる」
それは――正しく、神隠し。
何処か異世界へ飛ばされ、時間を忘れて彷徨い、戻って来た時には、その間の全ての記憶を失っている。
全ての魔法を、あらゆる魔力を、奪われた状態で。
魔法という夢から覚めて、何もない――
「……………」
もはや、希望に目を輝かせていたきらきらの新入生など何処にもいなかった。
目の前の男と同じくらい、顔を青くしている子供たちに向かって――喪服のような男はお経を読むように言う。
「毎度のことだ。三百人の新入生は、次の年には半分の百五十人になる。そして、三年へと進級する頃には五十人になり、『スクール』を卒業することが出来るのは、一学年でおよそ十人ほどだ。それぞれの専門コースへと進み、六年間の学校生活を終えて、外の世界へと帰還できるのは――ひとりでも残っていたら豊作の当たり年だ」
お前たちも知っているだろうと、怪崎先生は言う。
そうだ。知っている。知っているに決まっている。
この
卒業生をたったひとり抱えるだけで、その国は他国に対して巨大なアドバンテージを有することになる。
だからこそ、魔法使いは国家戦力とされ――世界は魔法に支配されているのだ。
当然、その存在は世界中に認知され、魔法使いからは憧憬の、一般人からは畏怖の存在として崇められている。
だからこそ――知っている。
魔法学校の卒業生とは、長い長い魔法学校の歴史の中でも――世界中から搔き集めてもたったの百人程度しか存在しないことを。
毎年三百人も入学しているのに、卒業できるのはひとりいるかいないか。
それはつまり、残りの二九九人は、あるいは三百人全員が、己の魔法の全てを失って、元の世界へ放り出されているということになる。
その遥かなる高みに至れなった者たちは――この世界においては魔法使いとすら認められない。
魔法使いが魔法を失うということは――己の全てを失うということ。
それは最早、死んでいるのと同じだろう。
殺されるのと、同じなのだ。
「憧れの世界に足を踏み入れてはしゃぐのも分かるが――まずは自覚しろ。ここは
そして、まず最低でもひとり、明日の今頃にはここから消えている――と、怪崎先生は言った。
不吉極まる口調で、不穏極まる言葉を紡いだ。
思わずといった感じで、何処からか女生徒の声で「そ、それってどういうことですか……っ?」と、震える声が飛ぶ。
「既に述べただろう。魔法学校が求めるのは超一流の魔法使いだ。君たちを磨き上げる為に、この学校は常に様々な試みを実施していると。まさか教科書を読んで黒板を板書すれば、超一流の魔法使いになれるとでも思っていたのか」
魔法学校は、常に君たちに試練を与える。
明日、行われるのは、その記念すべき第一の試練だ。
怪崎先生はそう語りながら、己の掌の上に――金色の球を出現させた。
「今年の第一の試練――それは、『宝探し』だ。そのタイトル通り、君たちはこの宝を探すことになる。用意されている宝の数は、各色それぞれ、九九個」
制限時間内に手に入れられなかったものは――その時点で退学となる。
怪崎先生のその説明に、新入生たちは再び、衝撃に包まれる。
退学。
入学初日から飛び出したその単語に、誰もが絶句を余儀なくされる中。
死に逝く者を送るようなスーツを身に纏う男は、淡々と、死者のように冷たい口調で言う。
「精々、励むといい。明日、生き残ったら、その時に再びこう言ってやろう」
入学おめでとう。ここが、これが――魔法学校だ。
担当教師の冷たいエールに――俺は口元が歪むのを堪え切れなかった。
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