第6話 パパの投稿

<a月x日>

 私という人間が、私の築いた家庭に対してあるべき姿を考えた時に、望ましいあり方というのは、やはり私が添え物として置かれていることだろうと思う。


  かつて私が強く望んだ美しい家庭は、今私の棲まう家にはっきりと存在している。そしてそれは、ほとんど母と娘の二者によって形成されていると言って良いだろう。異分子たる私は、この美しい母娘の関係性を壊さぬよう、ひっそりと生きるべきであろう。ようよう手に入れたこの美しい世界を、命ある限り見続けるためには。


<b月y日>

 先日、読者の方から質問をいただいた。先生はなぜ、難しい境遇で育った人物を数多く書いてきたのかと。立ち止まって考えてみると、私自身何らかの確固たる意図を持って書いてきたという意識はなかった。けれども、今ようやくこの二十年余りを総括してみると、過去を弱毒化するとともに、自らの思考を明らかにする練習として創作活動の場を利用してきたからだ、と思い至った。


 私の作品には、暗い過去を持った人たちが登場する。彼らが背負う過去は一人一人異なるし、無論私の実体験ばかりでない。フィクションとしての過去を書き重ねるうちに、私自身の過去もまた、何やらそれらの一つに過ぎないような心持ちがしてくるのだった。かつて私の身に起きた色々なことは、一度文章にしてしまえば、既にどこかで読んだような、つまらない筋書きに過ぎない、と読み手が感じるかもしれなかった。

 けれどもそれはそれで結構なことのように思えた。私の身に起きた壮絶な体験は全てお話の中の出来事であって、私自身とは切り離された世界の、何番煎じにもなったお話だ。自身にそう刷り込むことで、直視すべき何かから目を逸らして生き延びることができると私は考えてきたのであろう。あるいはまた、幼少の頃からの環境のせいで自らの思考を停止せざるを得なかった私にとって、自力でものを考えそれを明瞭にする場として、無意識に利用してきたという解釈も成り立つ。


<c月z日>

 半年ぶりの投稿。皆様お久しぶりです。お陰さまで新刊を出すことができました。

 エゴサしていると「初期の作品に比べ、プラスの感情が描かれるようになってて嬉しい」というレビューが目に留まった。実はプライベートでも、最近そう言われるようになったところだった。作品にまでそう言及されたことに、私自身驚いている。

 さりとてそれは、果たして真に私自身の自発的感情の発露と言えるだろうか? テンプレが分かったから、その通りに振る舞うようになった。それは果たして自分の心の動きであったと言えるだろうか?


 こんなことがあった。半年ほど前、現在の妻にあたる人と交際を始めた時のことだ。マッチングアプリなるもので出会いその合理性に私は感嘆したものだが、それはさておき、付き合いたての頃、彼女にこう言われた。「この前、髪切ったんだ」と。髪を切ったという事実を広めたいだけではなく、某かの返答を私に期待して発せられた発言であることは当時の私にさえ明らかであった。率直に聞いたところ、彼女曰くこの場合求められていたのは「綺麗だね」「似合うよ」などといった返答であって、私が第一に持った「抵抗係数Cdが小さそう」「後で解析してみよう」などではなかった。

……という話を大学時代の友人にしたところ、彼らは私の気持ちを理解しつつも、より世間一般に適応できるよう、私はテンプレ的なリアクションを身につけるべきかもしれない、と言った。

 恐らくは、それらの社会的様式美は我らには理解できない者であろう、と先輩は言った。そこに意味を見出すことは難しく、あくまで我らがこの世を生き延びるために取るべき行動の集まりに過ぎない、とも言った。

「そうすると、私がそれら様式美を完全に理解できる日は来なさそうですから、予め脳内にプログラムを組んでおくのが良さそうですね」

 私はそう答えた。

「そうだね。さっきの君の例だと、相手が髪を切ってきたら自動的に『かわいいね』とコメントするよう、君の脳みそをアップデートしておくと良いだろう。そこに君自身の意思がないとしても」

 そんなものだろうか、と思った。けれど他のやり方で人間らしく生きていく術を思いつかなかった私は、そのように生きることにした。


<d月v日>

 久しぶりの投稿。今日、結婚した。我ながら感動すると同時に、自分で良いのだろうか、とも思う。優しい妻、優しい義両親、良好な親子関係……土竜には地上は眩しすぎる。


<e月w日>

 ご無沙汰してます。前回の投稿から一年半くらい。娘が生まれ、バタバタしていた。妻の腕で眠る娘を観ていて、聖家族という表現がぴったりだなぁと思った。こんな感情は、私の脳内のどこにもプログラムされていなかった。この美しい母娘を守らなければと思った。だからこそ、私という人間は関わるべきでないことも分かった。私は添え物。旦那なのにツマである。しょうもな。不思議と笑ってしまった。


 彼ら美しい家族のなされることは私には理解し得ないように思われる。論理的に説明されれば理屈を理解することはできるかもしれないが、同じ動作を私が滑らかにできるようには思われない。かつて「その髪型も似合うね」と言った時のように。どうあがいても、彼らの一員とはなり得ないし、それが彼らの幸福につながるとは思われない。私もまた、私の実の家族と同種の人間なのだ。普通の人とはなり得ない。だからこそ、添え物となることが、この美しい母娘をこの先も失わないための最善の方法なのだ。子ども時代の私が手に入れることのできなかった美しい家族像が、今ここにようやく実現されているのだから。

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