我が身捧げさせていただきます。
記憶には無くても
この体はやるべき事を覚えていた
足運びのやり方、武器の握り方
注視するべき場所と、罠を潰す方法
まるで湯水のように湧き出る
あとから、あとから、絶え間なく
その時々に必要な技能が
岩の隙間から溢れ出る水のように
ボク自身には記憶がなくても
あとから湧き上がってくるのだ。
まるで体内器官のように
初めから備わっていた体の一部のように
並み居る技巧を自由自在に扱えるのだ。
姿勢を低くして
這うように移動する
木々の合間を縫って進み
草影に隠れて機会を伺う
視線の向きを察知して
死角を突いて前に進む
そうやって徐々に
奴らとの距離を縮めていく
グルーニアスは離れた所に居る
彼は彼で
個別のルートを取っている
標的との距離が近くなったので
二手に分かれて動いているのだ。
蛇、例えるなら蛇だ
地面と背景に紛れる
着替えたばかりの服に土が着くが
今はそんな事気にしていられない。
暗い森では虫がリンリンと鳴き
木の葉やら月明かりやらが
舞い落ちたり降り注いだりしていて
香るものと言えば
土の香りと、僅かな花の匂い
それらが妙に鼻をくすぐってくる。
手のひらは真っ黒で
小石が引っ付いている
ザリ、ザリ、という
不用心な足音が響いて聞こえてきた
刺客たちはボクの接近に気が付いてない
警戒がゼロという訳ではないが
不足していると言わざるを得ない
さて、ここで選択を迫られた
彼らを排除するのか
それともやり過ごすのか
隠密を考えるならば
接触しない方が良いに決まってる
殺せば足が着く、出来れば戦いたくない。
願わくばこのまま
誰にも見つからず通り過ぎくれたなら
スムーズに事を運べるのだが……
「——おい、気が緩んでるぞ貴様ら
陣形を整えろ、武器を構えておけ
こういう時間が一番あぶねえんだよ
俺ん師匠が言ってたからな」
やはり、そう上手くは行かないか
その男の言葉を機に刺客の連中は
これまでと比べ物にならない程
洗練かつ卓越された動きを見せ初め
通り抜けられる隙間など
何処にも見当たらなくなってしまった。
仕掛けるのが遅かった
ここに至るまでの歩みが遅かった
もし怪我をしていなければ
もう少し早く歩けたはずだから
切り抜けられただろうが
……やるしかないね。
指の腹で短剣の持ち手をなぞる
掴みやすいように工夫されている
小指から順に握りこんでいく
脱力を効かせて、緩く優しく
決して力まないようにする。
先陣を切って
見通しの悪い草むらや
木の影を確認している敵をやり過ごし
陣形の奥へ奥へと入り込んでいく
一瞬の隙を突いては前へ進む
という行為を繰り返す。
やがて、敵のひとりが
ちょうど死角に踏み入った
ボクはその隙を見逃さなかった
速やかに起き上がって、踏み込んで
首の太い血管を巻き込むようにして
手にした短剣を、喉に抉りこんだ。
「——ッ!?」
声をあげられる前に
手で口を覆い、包み込んだ。
そのまま木の影へと移動し
視線から完全に外れてから
喉笛を掻き切った。
横一文字の傷口から泡が吹く
ブクブクと沸き立つ真っ赤な血の泡
声帯を失い声が出せない
呼吸も出来なければ生き残る望みもない
溢れ出る血流
それは衣服を濡らし
ボクの手を赤く染めあげる。
体が痙攣している
このまま放置すれば
物音を立ててしまうだろう。
ボクは男の顔を挟むように持ち
勢いを付けて思いっきり曲げた。
それっきり男は
ピクリとも動かなくなったが
ボクはちっとも満足していなかった。
……手際が悪すぎる
もっと上手くやれたはずだ
なるほど、こうなるのか
身体の使い方は覚えているし
必要な技能も備わっているが
絶対的に経験が足りない
結果だけで過程が存在しない
土台を理解する事も無いまま
高みに立ってしまっているので
下の景色が見えないのだ。
積み重ねてきた経験が
そこに至るまでの数多の努力が
欠け落ちて、取り戻せないのだ。
だから今みたいな事が起きる
ボクはジェイド=ヴァレンティアの肉体に
未だ馴染めていない、振り回されている。
基礎スペックの高さを
完璧に持て余している。
それは怪我があるからとか
そんな理由なんかでは無い
生き物としての年輪が足りていない。
倒した男の服で血を拭って
木の影から再び周囲を伺う
その時、道筋が見えた
ボクは指し示された光の通り
次なる標的の元へ近付いていき
再び
背後から口を覆い
片膝の裏を蹴りつけて引き寄せ
何度も何度も
滅多刺しという表現が似合うほど
男の首に突き立て続けた。
攻撃を仕掛けてから
敵が動かなくなるまでは
さっきよりも全然早かった。
次の行動を起こすのも迅速で
すぐさま姿勢を整えて
周囲の警戒に移行しようとして
——マズイッ!
視界がゆっくりになる
全ての物の動きが遅くなり
集中力が増大され、引き伸びていく。
この目で捉えたのは
右を向いていた男が
首を動かし
左を向こうとしている瞬間
つまり、ボクの方を見るって事だ……!
間に合わない!
もう間に合わない!
自分でそのことは一番よく分かる
今からじゃなんの行動も起こせない
ただ遅く見えるのは意識だけの話であり
実際に対応できるかは全くの別問題なんだ
ますい、油断した、敵を殺すことに
つい意識を削がれてしまったんだ!
何たる失敗だ、このままじゃあ
存在がバレてしま——
ぐちゃぐちゃになる頭とは裏腹に
ボクの身体は既に動いていた。
その事をまだ
自分自身も分かっていないが
ボクは駆け出していたのだ!
その男の方に、ではなく
むしろ全くの逆方向
早く、流れていく景色
視線の先に居るのは別の敵
まだこちらに気付いていない
比較的手出しが容易な浮いた駒!
ボクはそいつに手をかけ
素早く引き込み刃物を突き立てて
これまで2回繰り返したうちのどれよりも
上手く、そして素早く、敵を殺しきった。
続いて覚悟をした
この後耳に届くであろう声
`敵襲!`という怒号に対して
即座に戦闘態勢を整え
これから始まるはずの乱闘に備え
武器を構え直したが……しかし、
いつまで経っても
思い描いた様な展開は起きなかった
何故なら、声をあげるはずの人間が
既に
この世に居なかったからだ。
「……あぁ、そういう事か」
ここでボクは初めて
自分の行動の、その意味を
そして、予想した事態が
一向に起きなかった理由を
この目で見て、理解したのだ。
ボクが見たのは
さっきまで敵が立っていたはずの場所に
グルーニアス=トーキンが
敵のぐったりとした体を抱えて
草陰に隠れている光景だったのだから。
うっかり失念していたけど
そうだ、ボクには味方が居たんだ
こういった場合には彼が
手助けをしてくれる事を
この身体は知っていたのだ。
……どうもダメだな、ボクは
達者なのは頭の回転だけか?
実績が伴わければそれは
ただの絵空事に成り下がってしまう
体の動かし方を、学ばなければなるまい
頭の中だけで簡潔させるのではなく
三次元的な成長が今後の課題だね
敵は、まだまだ残っている
ボクが成長する為の糧となってもらおうか。
✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱
走り、隠れて、伏せて這って
敵の裏側や側面に回り込み
一瞬の隙を突いて仕留める。
離れた所にいるグルーニアスと
目線を交してタイミングを合わせ
ボクの位置からは
撃破が難しい敵を倒して貰う
あるいはボクが陽動し
視線を向けさせて死角を作り
グルーニアスを先に進ませる
もちろん、その逆も然りだ。
他にも
1人だけではどうしても
排除しきれない複数の敵を
ボクと彼で同時に抹殺したりと
最初のザマからは到底
想像もつかない連携を
ボクらは取っていた。
考え過ぎてはダメなのだ
本能を前面に押し出す必要があるのだ
しかし、思考を停止してはいけない
そこの微妙な調節が
戦う上では大切なんだ。
冷静に闘志を燃やせ
あらゆる動きを予測しろ
迷いはかなぐり捨ててしまえ。
やがてボクは
刺客の最後の一人を、この手で始末し
此度の戦闘を終わらせるのだった。
「もう居ないかな」
「——お嬢様、お嬢様!
ご無事ですか!?傷は大丈夫ですか!?」
「……それよりもグルーニアス
これからする質問に正直に答えてくれ」
「へ、へぇ……なんでしょうか?」
「今回の先頭において
ボクのダメだった所を言ってくれ
全てだ
キミの目から見た欠点、失敗全て
その理由も含めた全部を言うんだ」
「なっ……と、突然何を……」
「言わないと殺してやるよ」
「そ、そうか……
じゃあまず最初に、どうしても
これだけは言わせてもらいます」
「なにかな」
「確かに、ダメな点はあったさ
最初の方は、沢山あったんだ
……でも、途中からはそれが
全部一気に改善されていった
物の見事に、ひとつひとつ順に
驚くべき速度で成長していった
俺……いや私は、正直その
いえ、お嬢様が常識外れなのは
今に始まった事ではありませんが
私は、えぇ、とても奇妙です
大変に奇妙で御座います、お嬢様
まるで赤子が次の瞬間に
シワシワの老人になったかのような
そんな、有り得ない成長を
私は目の当たりにしました
指摘出来ることなど
なにひとつありはしません
いえ、より正確に言うならば
私が指導出来そうな事などは
一切、残されておりません!
全てご自身で
改善なさいました
見事ですお嬢様
常人には不可能で御座います
私程度では益になりそうなことは
……とても、申し上げられません」
そう告げる彼の言葉は
非常に苦しみの中から絞り出された物で
ボクの希望に答えられない自分自身に
心底嫌気が差している、という顔だった。
「情けない限りでございます」
「正直に答えてくれたんだろう?
なら、何も悪い事は無いさ
もし現状に納得がいかないなら
更なる研鑽を重ねるがいい
いつかまたキミには
今日と同じ事を尋ねるとするよ
その時は、答えを出せると良いね」
貸してもらった短剣を返しながら
ボクは、彼に向かってそう言った
差し出された黒塗りの短剣
呆然とそれを眺めるグルーニアス
頭が徐々に垂れていき
ゆっくりと手が伸びてくる
やがてそれは
ボクの持った短剣へ到達し
カタカタと震える手で捕まえた。
そして`お嬢様`と
ただ一言だけ言葉が漏れて
ボクは見上げて視線を合わせた。
「ご、ご期待にっ!添えるよう
私の持てる、誠心誠意を尽くし……
いいえ、我が身捧げさせて頂きます
お嬢様は、私共のお嬢様であります
守り抜きます、役に立ちます
必ずご期待に答えて見せます
このグルーニアス=トーキンは
日々、その事を心に留めて参ります
……すみません、上手く言えません」
「うんうん、安心するといい
自分で言うのも何だけど
ボクはコレでも頭が良いんだ
キミの言いたいことは
ちゃんと理解してやるさ
我が頼れる部下
グルーニアス=トーキン
改めて言わせてもらおう
ボクを助けに来てくれてありがとう
今後も、道中をよろしく頼むよ」
「——命に替えても」
暗闇の、血にまみれた森の中でボクは
この世界で、最初の味方を手に入れた
今は亡きジェイド=ヴァレンティア
キミの積んできた得を目の当たりにした
たしかにキミという奴は
悪人だったかもしれないけれど
ボクは、キミの身体と
築き上げてきた人脈に
何度も助けられているんだ。
「さあ、行こうか」
「はい——」
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