綺麗さっぱり、思い切りよくだね
「——っ」
歩く度に傷が痛む
無理をすれば直ちに開くだろう
ボクはまた床に伏せる羽目になる。
それはごめんだ。
かと言って呑気にしていると
布団を被せて隠したとはいえ
ハンナの死体が見付かってしまう。
ボクはベッドに居ると思わせる為の
ほんの一時だけの時間稼ぎに過ぎないが
その違いが命運を分けるかもしれない。
出来る限りの工作はやるべきだ
たとえ、無意味に思えたとしても。
ボクは見覚えのない廊下を歩いている
当然この屋敷は自分の物では無いので
道などさっぱり分からない
`何となくこっちじゃないかな?`
という予感がする方向に進んでいるだけだ
しかし、その足取りは確かなものだった。
迷いなく
前へ右へ左へと向かう足
ノータイムで判断を下すボクの頭
いや、この場合は
身体と言うべきだろうか
さっきもコレと同じ感覚を味わった
全く身に覚えのない気持ち
なんの脈絡もなく湧いてくる考え
ハンナに抱いた
灼熱のマグマのような憎悪
突拍子が無いように思えて
その実、確信を突いているそれは
多分
ジェイド=ヴァレンティア本人
あるいは残された残留思念の様なモノ
だからボクは見知らぬ通路にありながら
心の赴くまま、進路を任せていた。
ボクはこの屋敷から出るつもりでいた
敵地の真っ只中で療養を決め込むには
あまりに情報が足りていない。
誰を信用していいのか
どこなら安全なのかを判断出来ない
情報を集めようにも
ボクはジェイド本人では無いので
誰と話すにしてもリスクが付きまとう。
体が万全ならば
そうするのも良かった
しかし、この大怪我を抱えていては
イザという時に取れる行動が限られてくる。
故に、ここには居られない
何処か一人になれる場所が欲しい
行方を晦ますなら今しかない
暗殺未遂を食らったとなれば
厳重な警備という名のもとに
体のいい監禁体制を整えられてしまう。
そうなれば逃げ出す事も
食事に手を付ける事もままならない
故に、あのまま部屋に残るのは論外だ。
ハンナを殺して
死体を処理せず残してきたのは
決別の意味も込められている。
それと警告にもなる
事の裏で糸を引いている者にとって
彼女が殺されボクが姿を消す状況は
`お前の全てを知っているぞ`
という牽制にもなってくれる。
ボクは速やかに逃げ出す必要がある
出来るだけ人の目を避けながら
迅速に屋敷の外へ逃げなくては。
自分の、呼吸の音が、嫌に響く
ボクは緊張していて、この場は静かで
視線やら足音やらに気を配る必要があり
心の中は決して穏やかとは行かない。
でも焦っちゃダメだ
心拍数を下げるんだ
深呼吸を忘れるな
背中の傷は舐めていい物じゃない
この状況で再び出血なんてされたら
ボクの計画は台無しになる
速やかに治療が必要となり
それを無視して進んでも
床の上に血の跡を残す羽目になる
拭き取っている時間もなければ
手で抑えて塞げる物でもない。
そうなればボクの負けだ
立場は余計に悪化してしまう
だから、ゆっくりと、落ち着いて
焦らずに足を動かさなくてはならない。
人の気配がすれば
ボクは扉の裏に隠れたり
通路の曲がり角から様子を伺ったり
そうやって3回ほどやり過ごし
数十秒が経った頃になって。
「……玄関だ、出口だ
やっぱりキミだったんだねジェイド
道案内ありがとう、助かったよ」
扉を潜り抜けたそこには
広い広い敷地があった。
整えられた庭
緑の芝生に風情のある花道
道の隅に生えた木々や差し込む陽光
こんな状況でなければ
是非この風景を楽しみたい所だった。
「くっ……痛みが増してきたね……!」
玄関の階段を一段一段降りて
目覚めてから初となる外に踏み出した
建物の床と違って、土の床は柔らかく
歩く者に恵みを与えてくれる様だった。
歩くと体が揺れる
ただでさえ血管の脈動に合わせて
鋭い痛みが走るというのに
更なる追い討ちが掛けられる。
ああ、いい気分だよ全く
こう無闇に痛め付けられると
`負けるもんか`って気持ちになるね。
死んでなんかやるもんか
必ず報いを受けさせてやる
真相を暴いて始末してやる。
生きる目的
達成したい夢を見付けなくてはな
それは明日に向かう為の活力となる。
欲望は命への執着を産み
やがて強い生命力となる
ああ、もう少しで庭の外だ
あそこに見える門を潜れば——
「……」
居る
門の向こう側に
誰かの気配を感じる。
逃げ出すことを読まれていた!?
初めからここまでが計画だった!?
……いや、いや
そうじゃないハズだ
違う落ち着け、頭を冷やせ
そもそもボクがこうして
生きているのが計算違いなんだ
生存が発覚してから治療を受けて
屋敷の外へと逃げ出すまでは
ほとんど時間が経っていない。
もし、既に情報が伝わっていて
迅速な対応が可能なのであれば
わざわざ外に刺客を配置しなくても
部屋の外や玄関にでも立たせておけば
それで済んだはずなんだ。
招集に応じてやってきた最中?
それでは隠れている事の説明が付かない
その人物の独断だろうか?
いや、それならばボクに対して
気配を察知させる訳が無い。
ジェイド=ヴァレンティアは
紛れもない強者として伝わっている
そんな初歩的なミスは犯さないだろう。
……ならば
可能性として最も高そうなのは——
ボクは門を潜り抜けた後で
この目で認識するよりも早く
そこに居るであろう人物に対して
「肩を貸してくれないかな」
そう言ってやるのだった
そして、視線を向けた先には
「——」
銀髪の壮年の男が
壁に張り付くように屈んだまま
ボクの姿を見て
固まっている光景があった。
「ま、まさか……おひとりで
脱出してこられるとは……」
筋骨隆々な背中に、荷物を背負った
質素な格好をしたその男を見た瞬間
ボクは妙な懐かしさを覚えた。
それで分かった
もう何度も味わった感覚だからね
気配の正体はやっぱり味方だったんだ。
「その荷物は着替えかな
治療品の類は入っているかい?」
「え、えぇ、完備しておりますが
お嬢様……その……なんと言いますか」
「いつもと違う、だろう?
そういう物と納得してくれたら
ボクとっても助かるんだけどね」
「ぼ……ああ、いや、すみません
ちょいと動揺しちまいまして……
でも、もう大丈夫です
私は頭が柔らかいのが売りなので
肩ですね、今お貸し致します……
あの
僭越ながらジェイドお嬢様
抱き抱えた方が早いのではと
差し出がましい提案を申し上げますが」
「じゃあ、お願い出来るかな」
「——!は、はい、只今……!」
失礼します、という断りを入れてから
ボクの事を抱き抱える壮年の男
その筋肉は見掛け倒しではなく
しっかりと実用に足る物らしい
子供と言えるほど子供でもない
14歳のボクの体を意図も簡単に
胸の前に抱えあげたのだから。
そういえば
白髪なのかと思ったけれど
どうやら染めているか地毛らしい
近くで見るとそれが分かりやすい。
歩く度に揺れると
やっぱり傷が痛いけれど
そのくらいなら我慢出来る
「……少し寝てもいいかな」
「そいつは構いませんが……」
「いやなに、寝てなくてね
キミの腕の中なら屋敷の寝床より
快適な睡眠を取れそうだと思ったんだ」
「——」
名前も知らない彼は
何やら言いたそうにしていたが
意識のシャッターが降りてきたので
大人しく眠る事にしたのだった……。
✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱
「——傷の状態は良い方です
応急処置が早かったおかげでしょう
感染症の心配は無さそうです
ただ、無理な動きをすれば
すぐにでもまた開くでしょう
……よく屋敷の外まで
ご自分で歩いて来られましたね
途中で倒れても不思議はありませんでした」
「うん、ありがとうね」
傷口への追加処置が終わり
痛みが引いたのでお礼を言った
すると
「いえ、救助が遅れてしまい
大変申し訳ありませんでした
弁解は致しません
全てが終わったあかつきには
指でも耳でもお好きなように……」
彼は物騒な事を口にしながら
地面に埋まる勢いで頭を下げたので
ボクはこれを利用することにした。
「では、お前に罰を課すとしよう
まず最初に、自分の名前を言った後で
`役立たずの恩知らずです`とつけ加え
続けて3回、自己紹介をするんだ
キミの失態はそれで不問としよう」
「ご慈悲、感謝致します
グルーニアス=トーキンは
役立たずの恩知らずです
グルーニアス=トーキンは——」
なるほど、彼の名前は
グルーニアス=トーキンと言うのか
大切な情報だ、覚えておくとしよう
「着替えってこれかい?
男の子のふくみたいだけど」
「性別であれ何であれ
変えるべきかと思いまして
お気に召さなければ再調達致しますが」
「うん?いや、大丈夫だよ
ちょっと気になっただけさ
……よいしょっと」
ボクは身に纏っていた服を
ポイ、ポイと脱ぎ捨てていった
肌触りが気に入らなかったんだよねコレ
「……」
頭を掻きながら視線を逸らし
気まずそうにするグルーニアス
「少しくらい良い思いをさせてやろう
という、このボクの粋な計らいさ
遠慮なく見ておくと良い
そして生涯の宝物とするんだね」
「……見たら目ん玉抉られる
トラップってヤツでしょう?」
「なら、頭なんて掻いてないで
目を瞑って後ろを向いたらどうかな?」
「目ェ離しちまうと、その隙に
何かありそうでおっかないんですわ」
「辛い立場だねぇ」
「聞き流しておきます」
着替え終わったので
ボクは自分服の調子を確かめて
糸など解れていないか気にしてみる。
うん、大丈夫そうだ
自分で言うのもなんだけど
とても良く似合っていると思う
ただ
男のフリをするのであれば
この髪の長さは相応しくないな
「キミ、刃物は持っているかい?」
「ベルトに仕込んであります
……どうぞ、お使い下さい」
シャキッという音がして
黒い刀身のナイフが飛び出した
それは光の反射を抑える加工がされており
持ち手の状態から
相当使い込まれた物である事が伺える。
ボクは髪を手で束ね
彼から貰った刃物を当てて
スパッ、と一気に切断した。
「お嬢様……!?」
「どうかな、変じゃない?」
「に、似合ってはおいでですが……
随分思い切った事をされるのですね」
切り離した髪の束を
固く結んでポケットにしまい込む
痕跡はなるべく少ない方がいい
屋敷から近い場所に
ボクの容姿のヒントになる証拠を
わざわざ残してやる事もあるまい
「顔はどうにもならないね
女の子っぽさは仕方ないか」
「まさか、削るだなんて
言い出すのはやめてくださいよ」
「おや、お望みかな?」
「お戯れを」
「さて、移動を再開しようか
ボクはすっかり元気になった」
「分かりました、ではまた
私が抱えさせていただきます」
「人目がないうちは
そうするのが良いだろうね
じゃあ頼むよ」
✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱
「——止まって!」
「っ……!」
ボクがグルーニアスに警告したのと
彼が自分の意思で足を止めたのとは
全くの同時であった。
ボクらは夜の森を進んでいた
人目を避けて街へ逃げ込むのであれば
このルートが3番目に安全だったからだ。
あえて1番は選ばなかった
逃走経路を読まれるのを恐れたのだ。
その途中で
ボクとグルーニアスは
同時に危険を察知した。
「……私にも見えました
木々の間に線が張られています」
「いいや、それだけじゃない
30メートル程先に生き物の気配がある」
「……降ろします」
ボクの言葉を聞いた彼は
ゆっくりとボクの事を降ろして
殺意が滲み出た形状の刃物を渡された。
軽く振ってみたり
逆手に持ち替えたりして
取り回しを確認する。
「刃物を振る程度であれば
傷が開く事はないと思われます」
「分かった」
恐らく逃げた事がバレたんだ
敵はボクらを探すために
広範囲に渡って捜索を
かけているに違いない
そうてなければこの短期間で
居場所を特定するのは不可能だ
向こうがこちらと同じように
気配に気付いた可能性もあるが
それはこの後
奴らがどう動くかで判断する
現状ではまだ察知されてないと思う。
勝利条件はふたつ
ひとつ
誰にも見られず包囲を突破する
ふたつ
この場にいる敵全員を始末する
最も重要なのは手段ではなく
ボクらの存在を露見させてはならない
外部の者に情報を流させてはならない
という所にある
確実性を取るなら
満たすべき勝利条件は前者だが
そう上手くも行かないだろう。
……十中八九戦いになる
果たしてボクはやれるのだろうか
この体で目覚めてから
一日も経過してないというのに
対人間の戦闘をこなせるだろうか?
ジェイド=ヴァレンティア本人は
武芸に秀でた人物だったらしいけれど
それがボクにも適応されるのか?
という疑問については甚だ疑問である。
……でも、まあ
やるっきゃないよね
ボクは彼の背中を1回叩き
行動開始の合図を送った。
ゆっくりと気配を殺しながら
この、静かな暗闇の森に忍ぶ
行く手に立ち塞がるのは刺客達と
張り巡らされた数々の罠
先の見えない恐怖なれど
この程度の事で挫けてはならない
——さあ、やろうか。
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