こわばった、ボクの両の手のひら


ジェイド=ヴァレンティア 14歳

とある権力者のひとり娘にして

傍若無人、悪逆非道の若き悪女


彼女は早くに母親を亡くし

父親に一人で育てられた。


冷酷冷徹で情け容赦がない

その歳にして既に68人を殺し

他人を恐怖で支配する術を持ち


武芸百般に秀でており

幼いながら大人の男を打倒する

裁縫や踊り、歌、絵画の才能もあり


また、それと同じくらい

カリスマも持っていたと言う


彼女の言葉は甘い蜜のようであり

砂漠に彷徨う物に差し出される水のよう

人々はついうっかり、誘い込まれ

抜け出せない地獄の釜に足を踏み入れる。


拷問趣味、暴力思考、狂った倫理観

しかし決して理性が無い訳ではなく

むしろ知的で、論理的だとも言う


そのせいか人々は皆

`噂で聞いたより良い奴だ`

という感想を抱くのだと言うが


どうやらそれも

計算づくの事らしい。


その瞳は夜闇の様に深く

その四肢は血にまみれている


表も裏も真っ黒に染まっていて

彼女は紛うことなき悪人である


誰しも口を揃えてこう言う


`あの女はいずれ

巨悪に大成するだろう`と


知略では叶わず

暴力では上を行かれる


あらゆる人物にとって

非常に邪魔な存在でありながら

この歳まで生きてこれたのは

権力者である親が怖いからだ。


もし何かを仕掛けて失敗でもしよう物なら

いや、もし仮に上手くいったとしても

その後が怖くて、誰も手出しが出来ない。


ハンナから聞いた

この体の本来の持ち主の話は

実に驚愕に値する内容だった。


悪い人間だとか

筆舌に尽くし難いだとか

とてもそんなモノでは無かった。


生まれながらの悪

未だ幼生の身でありながら既に

充分過ぎるほどの才覚を発露させ


自由に、そして自在に

己の欲のまま行動して


それを止める

いや止められる人間もおらず

14年間好きに生きていたと言うが


その結果として彼女は

あの様にして殺されたのだろう

暗い部屋でただ1人、血の海に浮かび

孤独に、誰に看取られる事もないまま。


「……なるほどね」


「いえ……その……お嬢様?

何か……思い出されましたか?」


ボクは考える

彼女から聞いた限りでは

ジェイドは賢い人間だった


勢力圏を広げて手下を募り

好き放題していたのは自分を守る為だ


権力者の娘という肩書きは

無防備で背負うにはあまりにリスクが高い

それ故に彼女は多少の芝居も交えて


`やがて巨悪に大成する自分`

というモノを構成していったのだろう


もちろん天性の

悪人としての気質もあるだろうが

話で聞く通りの才覚に溢れて

論理的で理知的な人物であれば


もう少し穏やかに

目を付けられないように

抑えて行動するはずだ。


だが、聞いた限りでは

どうもそんな様子がない。


ならばこれは

意図的であると考えるべきだ


もしそんな事も分からない

ただの馬鹿マヌケお嬢様だったなら

この歳まで生きていられたはずがない

寿命は、もっと早くに来ていたはずだ。


わざと演出していたのだ

本来の自分よりも一歩踏み込んだ悪を


と、なれば


完全な外部から彼女

つまりボクを手に掛けるのは

相当難易度が高いと見ていい


にも関わらずジェイドは殺された

じゃあこれは内部の者の犯行だ

味方に裏切られて彼女は死んだのだ。


武芸百般に秀でていて

幼くして大人を打倒出来るのなら

仮に不意を打たれて刺されたとしても


防ぐか、最低でも犯人を返り討ちにし

あの部屋に転がしていても不思議はない。


それが無いって事はつまり

完璧に油断していたという事であり


傷が背中にあったってことは

その隙を付けるだけ信頼されていた

近しい人物という事になる。


……なるほどね


壁にかかった時計が

カチ、カチ、と秒針を刻む。


それに答えるように

ボクの左腕から伸びた管に

点滴の雫がポタ、ポタと落ちる。


ベッドのシーツは柔らかく

それでいて妙な冷たさを携えており

どうにも居心地が良いとは言えなかった。


長らく


そういった沈黙が続き

ボクは、不意に口を開いた。


「——ハンナ」


「はい、如何なさいましたか」


「キミはこんなボクに対して

とても良くしてくれているね」


「……はい、それはもちろん

わたくしはお嬢様のお世話係ですから」


「傷が痛む、相当深く刺されたみたいだ

凶器とかは何なのかな、見つかった?」


「……申し訳ございません

わたくしは、その、何も——」


「そういえばキミ、ボクを見た時に

まるで幽霊でも見た様な顔をしたよね」


ハンナの言葉を遮って

ボクはおもむろに話題を変えた。


「あんなに血だらけなお嬢様を見て

わたくし少々、気が動転してしまいまして」


連続した会話のように

当たり前にボクの話に答えるハンナは

まるで、その時の光景を思い出して

怯えているように見えた。


「なるほどね……」


「お嬢様……?」


彼女が部屋に入ってきた時

ボクは確かに血を流していたけれど

それは背中の傷から滲み出たものであり


立ち位置と角度から考えて

ボクの傷は彼女から見えなかった


にも関わらず彼女は

部屋の状況と血まみれのベッド

そして離れた所に立っているボクを見て


気が動転したまま

即座に起きた事を推理し

的確な行動を取ったことになる。


それに


いくら生前のジェイド=ヴァレンティアに

カリスマ的な魅力があったからと言って


ここまで慕われるほど

ボクは彼女に何かしたのだろうか?

一方的な献身だったのでなないか?


それこそ、つい

気を許してしまうほどの


彼女はボクの傍を離れようとしない


事故のショックで

記憶がおかしいと分かってからも

ずっとボクの面倒を見てくれている。


だったら


それならば


ボクが殺された時に、なぜ

近くに居なかったのだろうか?


たまたま離れていた

もちろんその可能性もあるが

ボクは彼女の口からその事を聞いてない。


ハンナの性格から考えれば

`私が目を離してしまったばかりに`

と、泣きながら謝罪してもおかしくない。


だと言うのに彼女は

自分が傍に居なかった理由を話さず

また、罪悪感を抱いているフシも無い。


まるで無かった事のように

嫌な事から目を逸らす子供のように

触れるべき話題から距離を取っている。


その証拠に


事件の事を訪ねようとすると

`わたくしは分かりません`と言って

話題を逸らそうとしてくる。


「……ボクの傍から離れないのは

心配だから、なんだろう?ハンナ」


「……いったい何の話を……」


彼女は


既に死体になったボクを見つけて

悲鳴をあげて第一発見者となる筈が

医者を呼ぶ羽目になってしまった


さぞや焦っただろう

何せ生きていたんだから

自分の犯行と知る一番の人間がね


でもソイツはどういう訳か

自分を見ても反応を示さなかった

だからキミは咄嗟に頭を回したのだが

ある間違いを犯してしまった。


ハンナはボクに駆け寄るでもなく

真っ先に医者を呼びに行った


状況判断が的確すぎたんだよ

あの速さは、ボクが刺された事を

そして傷の深さを知っている者のそれだ


キミの居た角度からは

ボクの背中の傷は見えなかった


服も、あの段階であれば

正面の方はそれほど血が着いてなかった


にも関わらずキミは、一瞬にして

ボクの置かれている状況を看破した



物証は無いし

決して不可能ではないけれど

それにしては納得のいかない部分が多い


ボクを刺したのは彼女だ

あるいは犯人の協力者の線か

とにかく敵であることは

ほぼ確定したと見ていいだろう。


だとすれば、黒幕はボクの父親だね

娘の力が強大になり過ぎて邪魔になったんだ


わざわざ怨恨による殺人に見えるように

整えられた現場が、それを証明している。


彼女が、ボクを後ろから刺したなら

あの荒れた部屋は辻褄が合わなくなる


ハンナを見る限りは

怪我をした様子もないので


やはりあの争った形跡は、後から

意図的に作られた物ということになる。


そんな偽装工作をする目的はふたつ

真犯人から疑いの目を逸らすのと


ひとり娘を惨殺された

可哀想な父親として同情される

という二重の逃げ道を得る為だろう。


いくら傑物とはいえ

ジェイドはまだ幼かった

父親には流石に警戒が薄くなる


そこを突かれたのだ

そう考えると全てが繋がる。


盲点と言うべきか

ジェイドは見事に急所を突かれた

信頼するふたりの人物に裏切られ

その短い生涯に幕を引いたのだ。


ハンナは恐らく初めから父の手先だ

そして、嘘をつくのが非常に上手い


危うく騙される所だった

自分が手を掛けた相手に対して

こうも親しく接するだなんて


あんなに血が出るぐらい

深く傷を負わせるだなんて


数十年間、面倒を見てきた相手を

確実に殺し切る一撃を食らわせるなど

普通の人間には不可能だ。


彼女は最初から

ボクに付けられた監視の目

かつ始末機構だったのだろう。


彼女を世話係に任命したのは

何せ、他ならぬ父なのだと言う


嘘が上手く、殺人に躊躇がない

まともな人間であるものか

見た目とその性格からはとても

人畜無害な様にしか見えないけれど


その実

文字通りの背中刺す刃であった


見かけ上のものと

本性は必ずしも一致しない

1種の自己暗示にも似た手法で己をも騙し

全く別の人格を作り上げる事は、可能だ。


ハンナはボクを殺し損なった

しかし、もう手を出せないだろう


独断で動く事は出来ないはずだ

それはボクが、今もこうして

生きていられる事からも明らかだ。


「く……っ!ハンナ……すまない

少し起き上がりたいんだ、力を貸してくれ」


「……!はい、分かりました!」


ボクに密着するようにして

体を支えてくれるハンナ


相変わらず包み込むような

それでいて優しいモノを感じる

そこに嘘は無いのだろう。


ただボクは、この時

確信を持ってしまった。


心の


もっとずっと深い所から

自分のモノではない強烈な憎しみが


憎悪が、ゆらゆらと揺れる鬼火のように

真っ青に燃え盛り、この身を焦がしていく


その割に頭はスッキリしていて

気持ちも、別段乱れてはいない


だがボクの心はまるで

そこだけが別人になったように


身に覚えのない感情が

身体の内側から溢れ出してきた。


そうか、なのか


ジェイド=ヴァレンティア

やはり、キミを殺したのは


……この女なんだね?


その時


まるでボクの問に答えるように

青く燃える復讐心の炎が、より一層大きく

天にも届く勢いで、その火力を増したのだ。


「ハンナ」


「はい、お嬢様なんでございましょう?」


ボクは彼女の耳元で囁いた。









「——この裏切り者め」


「ッ!?」


彼女が


恐怖と驚愕の表情を浮かべ

ボクから離れようとするよりも


ボクの両腕がハンナの首に巻き付き

ゴキッという嫌な音を響かせる方が早かった


途端、糸の切れた人形のように

ボクの方に、もたれかかってくる彼女の体


目はキョロキョロと忙しなく

口は何かを伝えようと必死に動く


ボクはそんな彼女の

ガラ空きの首に両手を掛けて

目を見ながら、ゆっくりと締め上げていく


「ァ……ァ、ッ……ア……ッ」


微かに空気が漏れる音

彼女目は何かを訴えかけてくるが

ボクの手に込められた力は緩まない。


ひとすじの涙が流れた

頬を濡らす小川が出来上がる

しかしその川は血の川である


彼女の目を見ながら

ボクは、ひと言ひと言区切るように

今際の際にしっかり届くように


こう言った。


「あの世に行くがいい」


彼女の体が一瞬硬直し

背中が反り返ったかと思うと


途端に力が抜け

それっきり何も言わなくなった。


……念のため


もう少し首を締めておこう

確実に殺し切らなくてはならない。


そして全てが終わったあとで

力を入れ過ぎて強ばった両の手のひらが

何やら妙に、ボクの印象に残るのだった。

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