第2話 過去


「覚えておられないのも無理はありません。だって、貴方はあの日、一部の記憶を失くしたのですから」

 シウォンのその言葉が朝の柔らかい空気に溶け込むように消えていく。

「どういうこと……?」

 セナのその問いにシウォンは何処か悲しげな顔をし、何かを思い出すように遠い目をし、晴れた朝の空を見上げた。


「私は、あの日、貴方が謎の集団の1人に襲われそうになっていた時、近くにいながら貴方を助けることさえできなかった。私は臆病です。怖くて、その場から逃げ出した」

「逃げ出した?」

「はい、貴方が私のことだけ忘れてしまったのも、私が貴方の側を離れなくてはいけなくなってしまったのも、あの日、見ているだけで助けようともせず、逃げ出した私への罰なのかもしれませんね」



 そう、あれは、七年前。

 セナが十歳の誕生日を迎えた日。


「今日は良い天気ですね〜」


 王都へとセナと共に来ていたシウォンは、セナの隣を同じペースで歩きながら、晴れた空を見上げ光を遮るように手をかざす。


「そうね……」


 元気なシウォンとは対照的で、明らかに落ち込んでいるセナの声が返ってくる。そんなセナを心配したシウォンはセナの俯きがちな顔をそっと覗き込むようにして伺う。


「どうしたんですか? セナ。元気ないですね」

「今日、ルソンは故郷の村から来る叔父と話したりするので、一緒に来れなかったじゃない。私、本当は、ルソンとシウォンと私の3人で王都に来たかったわ……」


 どうやらセナは、毎年の誕生日の日は共に王都へと来ていたルソンが来れなくなってしまったことを気にしているらしい。

 そんなセナを元気づける為、シウォンは優しい口調で自分の思いとセナのことを思っての言葉を発した。


「そうですね。私もセナとルソンの3人で王都に来たかった。でも、セナ。今日はセナの誕生日なんですから、気持ちを切り替えて、楽しみましょう……!!」

「そうね、そうよね!」

「はい! 来年のセナの誕生日の日は、3人で来ましょう」


 そう言ったシウォンにセナは笑顔で強く頷きシウォンの手を取った。


「ええ、じゃあ、シウォン、屋台の方、見て回るわよ」

「はいっ……!!」



「王都は相変わらず賑やかね」


 セナはそう言いシウォンと共に立ち止まり、王都の雰囲気を感じ取る。

 今日は春祭りの日であるせいか、王都はいつにも増して、活気づき、普段からいる商人に加え、多くの行商人や旅芸人が集まり、持ち寄った特産品を売る声や己の芸を披露し客が歓声を上げる声が入り混じっていた。


「そうですね。いつもより、活気づいているのは、セナの誕生日と日だからかもしれないですね」


 春祭りが行われる今日という日はセナの誕生日でもある。行商人や旅芸人は、今日が春祭りの日でありこの天蘭王国テンランオウコクの皇女であるセナの誕生日の日でもあるということなど、誰かから聞かない限り知り得ないことだろう。中には知っている人もいる訳だが。


「そうね。あ……!? シウォン、あそこにりんご飴の屋台があるわ。私、りんご飴、好きなのよね」

「本当ですね。りんご飴、美味しいですよね!」

「ええ、食べたいから買いに行くわよ。シウォン」

 

 セナはそう言いシウォンの手を取り、目的の場所へとシウォンと共に歩き始めた。

 そんなセナとシウォンの様子を少し離れた場所から見守っていた付き添い護衛を任されている二人の若き男女は、微笑ましげに思っていることを口にする。


「微笑ましいですね」


 緑髪のボブヘアーである女性の左隣に立つ茶髪の男がそう言うと、その言葉に同調するように茶髪の男の右隣に立っている女性は強く頷く。


「そうね、ああいう子供の無邪気な笑顔を見ていると日々の疲れとか色々な嫌なこととかも吹き飛ぶわね」

「わかります。癒されますよね」

「ええ、」


 セナとシウォンは先程、りんご飴が売っている屋台で買った赤色の丸い形のりんご飴を屋台の近くにあった木製で作られた茶色い長椅子に腰掛けながら美味しそうに頬張っていた。


「りんご飴、美味しいわね」


 毎年、春祭りの日、王都に来ると必ずと言っていいほど買っているりんご飴。確実に好きな食べ物に入りつつある。

 美味しそうにりんご飴を頬張るセナを横目に見ながら、シウォンはセナと同じようにりんご飴を口に運ぶ。


「ですね! 美味しいです」



「あー、美味しそうにりんご飴を頬張っている様子も愛らしいですね」

 

 イリスは今現在、心の中で思っていることと同じ思いを口にし、癒されると呟く。

 そんなイリスの言葉を聞き隣に立っている同期であり、セナとシウォンの護衛を自分と同じように任されているリヴィアは強く激しく同意する。


「そうね、わかるわ。私達があの子達の護衛を任されて良かったわ。これで、また、明日から頑張れそうだもの」

「ですね〜」

「ん? あれは……!?」


 少し離れているが、前方から歩いてくる人達の中に、異様な殺気と怪しい動きをしている数人の者達をリヴィアは見つける。

 人混みの中、周囲をキョロキョロと見回しながら、何かをさがしているように見受けられたが……


「どうしました?」


 イリスはリヴィアの険しい顔つきに気付きそう問いかける。


「前方から、怪しい動きをしている散らばった集団がこちらに向かって来るわ。イリス、貴方はなるべくあの子達の近くに居てあげてちょうだい。私は後方から様子を見るわ」

「了解致しました。何かあったら合図を送りますね」

「ええ、わかったわ」


 護衛同士でしか分からない合図。イリスとリヴィアは同期であり、共にタッグを組みながらこれまで駆け抜けてきた。だからこそ、信頼と信用が2人の間にはある訳で。頼り頼られ支え合う。そんな関係性でもあるのだ。

 リヴィアは遠くなっていくイリスの背中を見送りながらそっと呟く。


「それにしても、凄くわかりやすい殺気ね。集団だけれど、あえて散らばっている。キョロキョロ辺りを見回して、誰かを探している……? えっ……? まさか……!?

 リヴィアは何かを察してその場から走り出す。


「さて、これでいつでも出て行けますよ。あの2人の身に何もないことを願いますが...」


 イリスのそんな思いとは裏腹に良くない事が起こり始めようとしていた。



「例の娘を発見しました」


 堅いの良い男がそう言うと腕を組みながら細身の男は目の前にいる堅いの良い男に鋭い視線を向けきつい口調で言う。


「ご苦労、それで何処にいる?」

「あそこの(りんご飴)が売られている屋台の隣にある路地の長椅子に座っていました」


 細身の男の鋭い視線に怯むことなく淡々と報告の言葉を告げる。堅いの良い男は細身のいかつい顔をした男の手下でもあり、組織の中でのリーダー格である細身の男の補佐でもあった。


「そうか。じゃあ、作戦通りにやるぞ」

「はい。了解です」



(彼らが探しているのは、セナ姫様だ。そして、多分...)


 リヴィアは王都で賑やかさと行き交う人々を掻き分けて先にセナとシウォンの近くまで行ったイリスがいるであろう場所まで、走りながら「良くないことが怒りませんように」と心の中で願った。



「そうだわ。ルソンの分のりんご飴も買おうかしら...?」


 残り半分となったりんご飴を長椅子に座りながら、食べているセナは青白く晴れた空を見上げてそう呟く。そんなセナはふと何かを思い出したかのように立ち上がり独り言のように言葉にした。


「そうだわ。ルソンの分のりんご飴も買おうかしら……」

「そうですね。何か一つ手土産があった方がルソンも喜ぶかもしれませんね」


 セナにとってルソンはシウォンと同じくらい大切な存在である。そしてシウォンにとってもルソンは幼なじみでもあり、護衛としても人としてもとても魅力的に思え憧れる。そんな存在でもあった。


「私、もう、食べ終わるので、セナの代わりに買って来ましょうか?」

 

 まだりんご飴を頬張っているセナを横目に見てシウォンは気遣いの言葉を投げかける。


「あ……! ありがとう。じゃあ、お願いするわ」

「はい!」


 セナにそう礼を言われ頼まれたシウォンは明るく返答をし、長椅子からそっと立ち上がる。


「ルソン、今頃、どうしているかしら……? 久しぶりに叔父と会うって嬉しそうにしていたけれど」


 ルソンの分のりんご飴を買いにシウォンが立ち去ってから少し経った頃、見知らぬ男がセナに話しかけてきた。


「お嬢さん、可愛いね。りんご飴、好きなの?」


 唐突にセナにそう言い近寄り話しかけてきた男にセナは警戒心を抱きながらも返事を返す。


「……りんご飴は好きよ」

「そうか。じゃあ、お兄さんがもっといっぱい買ってあげるよ」

「りんご飴……沢山……?」

「ああ、沢山さ」

 

 まだ幼いセナだが、王国の皇女という立ち位置にいるセナにはわかる。こういう風に言ってくるような人はろくな人間じゃないと。


「……それは、凄く嬉しいけれど、ごめんなさい。私、今、人が戻って来るのを待っている最中なの。あと、今、食べ終わった分で足りているから遠慮しておくわ」


 セナはりんご飴がついていた白い棒を男に見せた。しかし、そんなセナを見て男は先程の口調から打って変わった乱暴な口調に一変する。


「……っち、そうかよ。じゃあ、仕方ないな。少し大人しくしていれば、痛くはしないから。動くなよ」


 男は乱暴にセナの腕を強く掴み、セナの口を強引に塞いだ。そして着ていた上着のポケットから小さめの折りたたみナイフを取り出しセナの細い首に突きつける。


「んん……ん……だ……れか……」


 男に口を塞がれたセナは懸命に抵抗を試みるが、弱い子供の力では到底叶うはずがなくて。


「手荒なことはあまりしたくないんだが、ここは少し道から外れている路地だ。だからな、助けを呼んでも届かないぞ。それに今日は春祭りだからな。王都の賑やかさで助けを呼ぶ声はかき消される」


 男の大きな手がセナの意識を遠のかせる。それでも、セナは必死に抵抗し、助けが来てくれることを願って、必死に声を発しようとする。


「んん……くる……し、だれ……か……」


(セナッ……!?)


 ルソンの分のりんご飴を買ったシウォンがセナの元まで戻って来るが知らない男がセナの口を塞ぎ、ナイフを首に突きつけているのを目撃してしまう。

 私は、あの時、怖くてセナを助けようと行動を起こすことも出来なかった。そして、あの場から逃げ出した。


「ん……?あれは、シウォン!? あれ、セナ姫様がいない……も……もしかして……!?」

 

 セナがいるであろう路地近くから走り出てきたシウォンをイリスは遠目に見つける。しかし、はっと我に返り、勢いよくその場から立ち上がり走り出す。


「た……す……けて……だれ……か……」

 

 意識が朦朧とする中、セナは懸命に助けを求める声を発する。徐々に意識が遠のき始めてきた時、遠くから近付いてくる足音にセナは聞き覚えを感じた。


「セナ姫様……!! そこの者、今すぐ彼女を離せ!!」


 聞き慣れた男の声が、左側の路地の出口付近で聞こえた。怒りを露わにした男の声で、セナの口を塞ぎ、首に小型のナイフを突きつけていた男は鋭い視線をセナの護衛として付き添っていたイリスに向ける。


「誰だ? お前?」

「俺は、彼女の護衛だ」

「そうか、やはりこの娘はこの王国の皇女。セナ姫……」

「イリ……ス……?」


 涙目になりながらもセナはイリスの名を弱々しげに言う。


「ふっ…… はは、ははは!! 彼女を離して欲しいのなら、力ずくで奪い取ってみろ」


 男の甲高い笑い声が、春の心地良い空気に乗り、路地裏に響き渡った。


「そう言うのなら、もう遠慮はしない」


 イリスは怒りに満ちた瞳を男に向け、男の元までゆっくりと歩み寄る。しかし、男の仲間と思われる複数人の男達が反対方向の路地から姿を現した為、足をそっと止め呟く。


「そうきたか……」

「五分以内にここまで来れたら、この娘を解放してやる」


 男の余裕な笑みと上から目線な言葉にイリスは甘くみるなよと心の中で吐き捨てる。


「この人数なら、俺、1人で十分だ」


 走り出すイリスの足音と反対方向の路地からやって来る男達の足音がリズム良く交じり合い。キィン、キィン、と剣と剣同士がぶつかり合う金属音がその場に響く。

 流石は護衛の中で、トップ10に入るぐらいの強者である。華麗な剣捌きで次々に襲いかかってくる男達を爽快感を覚えるような速さで倒していく。セナはそんなイリスの姿を間近で見ながら目を逸らさずに最後まで見届けようという思いでひたすらにイリスの姿を追った。

 あっという間に男達を倒したイリスは、セナの口を手で塞ぎ、首にナイフを突き付けていた男の胸元に剣を突き付ける。


「悪いが、この娘を利用することが、こっちの目的だ。ぐっはっ……」


 そう言う男の胸元を容赦なく器用にセナに当たらぬ様、イリスは切り付けた。男の切られた

胸元から大量の血が衣服に赤く染まっていく。やがて、力尽きたようにその場に倒れ込み、最後の言葉をイリスに投げかけた。


「くっ……私をここで殺しても……この娘は助けられない」


 男の息の根が止まったのを確認し、イリスはセナの小さな体をそっと抱きしめる。


「セナ姫さま……!! ご無事で良かったです」

「イリス……こ……怖かったぁ……」


 自分の胸で泣きじゃくるセナを見て、イリスは助けられてよかったと安堵し、セナの背中をそっと優しく撫でた。そして、落ち着いてきたセナの体をそっと離し、危害が加えられていないかを確認する。


「セナ姫様。男の仲間がまだ近くにいるかもしれません。一旦、この場から離れましょう」

「そうね」

「歩けますか……?」


 イリスの心配そうな問いにセナは、まだ震えが治まらない両足に力を入れる。


「何とか、大丈夫よ」

「イリス……!! セナ姫様、無事でしたか……?」


 先程と変わらない賑やな声や音が王都の通りに響いているそんな中、リヴィアの通った声がセナとイリスの耳に届く。

 ここまで走って来たからなのか、リヴィアの息は上がっていた。


「大丈夫よ……!!」


 セナはそんなリヴィアを安心させる為に、そう伝えた。


「良かった……あれ、シウォン様は、何処に居るのかしら?」

「シウォンなら、私の代わりにルソンにあげる分のりんご飴を買いに行ったきりよ」

「でも、俺、先程、シウォン様が路地近くから

走り去って行くのを見かけましたよ」


 イリスのその言葉に、リヴィアはほっと胸を撫で下ろす。


「そうなのね……」

「立ち話もなんだし、ひとまず歩きながら話しましょうか?」

「そうですね」


 リヴィア、イリス、セナ達は王都の賑やかさに溶け込む様に歩き始めた。

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