第57話
僕が頭を悩ませたのが分かったのだろう。取り繕うようにステラは弁解していた。曰く、王女とは言うものの、そもそもアストライアでは王家が権力を持たないらしい。
全ての実権を握るのは奇跡を束ねる奇跡、『天権』を持つ大主教らしい。聞いた所、一声で万人を従わせる力があるのだとか。そんな傍から見れば危険極まりない体制に反して、アストライア内では不思議と大主教に対して疑念や不満を持つ者はいないらしい。ステラ自身、大主教に対して特に負の感情を抱いたことはないと言うけど………ステラの奇跡も彼の判決によって簡単に奪われてしまったそうだし、そうでもなくても疑念も不満も抱かせずに人を従わせる能力と言うだけでも相当危険だ。
まぁ、僕が気にすることではないのかもしれないけどね。王女と言うのも元であり、今はただの追放者だから気にしなくていいとのことだ。あんな地下空間に一週間以上暮らしていれば、そりゃそうなるだろうけどさ。
僕はフラウの所に戻った後、彼女の傷跡に薬を塗っていた。服の形状の都合から、どうしても大きく捲ってしまうから、傍から見ると勘違いされかねない光景だとは思っている。着替えてほしいと言っても、嫌がるからどうしようもないんだけど。
「終わったよ」
「………ん、ありがと」
そう言ってベッドに寝転んでいた態勢から起き上がるフラウ。軽く服を整えると、僕を見る。
「………あの人は?」
「しばらく家で面倒を見ようと思ってるよ。なかなかあの周辺は危険でね」
「………そう」
「やっぱり不満かい?」
「………別に」
そう言うけど、明らかに不満気な声で返してくる。人見知りがあるのは分かるけど、彼女にはああ言ってしまった手前、今更出て行って欲しいなんて言えるはずもないし、僕だって言いたくない。
すると、フラウがベッドに座ったまま僕の手を握った。突然どうしたのかと思った時、ゆっくりと口を開いた。
「………構ってくれる時間が減ったら、嫌だ」
「ふふっ………分かったよ」
思いのほか、可愛い不満に笑みが浮かぶ。まぁ、そのお願いは今は難しいかもしれない。彼女の存在に関係なく、あの怪物の脅威は無視できない物だ。
調査を進めない選択肢はないし、魔法が効かない以上はフラウを連れていくことも出来ない。まぁ、でも………次こそは、ちゃんと時間通りに帰ってこないとね。
僕はその後、フラウとステラに挨拶してもらった。一応、彼女に対して特に嫌なイメージがあるわけではないみたいで、素直に言葉を返していた。
昼頃にはすっかり打ち解けて………というか、ステラがフラウを大層気に入ったらしく、まるで妹に構いたがりの姉のようになっていた。ステラ自身が僕より見た目同い年か、少し低いくらいの小柄な少女なために、妹が増えたような………いや、どうだろう。
昼食はフラウが作ってくれて、ステラは初めて食べるフラウの料理にとても驚いていた。勿論、美味しいという意味で。案外仲良くなれそうで良かったと一安心して、僕は再び調査に向かうことにした。
フラウは当然付いてきたがったけど、今回はそれが出来ない理由が二つある。さっきも言った通り、奴らには魔法が効かない。フラウの唯一の自衛手段である魔法が効かないとなると、流石に危険だ。
もう一つは、ステラの事だ。ここには多くはないとは言え、お客さんが来ることがある。その際、ステラが出迎えたら色々と混乱を招くと思っていた。有翼族なんて見たことが無い人が殆どだろうし、流石にここを訪ねてくる人が彼女を攫うとは考えにくいけど、無駄な混乱は避けたい。
下手をすれば、彼女が僕の家に忍び込んだ不審者のような扱いを受けてしまうかもしれないしね。そのためには、フラウが対応に当たってほしいと思っていた。
何とか納得してもらって、今日は絶対に早く帰ってくると約束をしてから家を出た。ニルヴァーナに乗せてもらい、昨日の森の付近に来た僕は、同じ場所付近に下ろしてもらう。
「………さて、今回こそはもう少し手掛かりを見つけないとね」
昨日は結局あの怪物たちの特性だけしか分からなかった。それでも十分な収穫だけど、核心に迫るにはまだまだ遠い。本当に死体だけが変貌するのかも怪しい。
たまたま村人達が攻撃を受けて即死してしまっただけであり、生きながらえていればいつか変貌してしまう可能性も………
「あれ、昨日は………」
そう言えば、昨日の夜。ステラを助けた場所では、複数の黒い根に貫かれた男たちがいた。何故ここまで忘れていたのか、自分でも馬鹿だと思う。多分、多少なりとも昨日の件で募った苛立ちが視野を狭めていたのかもしれない。
僕は黙って昨日の場所まで歩き出した。多分だけど、男たちは戻って来ていないはずだ。そのまま森をぐるりと回って、昨日の平原に来た。しかし、そこには昨日の馬車が残っているだけで、死体などは一切存在しなかった。
その後僕は森に入って数時間歩き回ったが、結局あの怪物の影もない。代わりと言うべきか、昨日は一切見なかったはずの魔物や動物たちが姿を現すようになっていた。
もしかしたら、あの怪物たちはこの森にいないのではないか。そんな予感が頭を過ぎる。夕方も近くなり、最後にあの村を見て行こうと思った。
「………ん?」
森を抜け、あの村が見えてくる。大半が焼き払われ残っていないが、確かにまだ村として残っていはいる。だと言うのに、遠目から見ただけで何かが違うと確信があった。僕はそのまま村に近付いていく。その原因はすぐに分かった。
「………」
地面に張り巡らされている黒い根。いや………表面が水っぽく光を反射するところを見ると、何らかの触手、または粘液にも見える。
その触手は脈動しており、地面だけでなく遠目に見える無事だった建物にすら絡みついていた。しかし、特に気になったのはその根が流している物だった。脈動と共に流れていくそれは、生命とはまた違う命の情報。人の記憶や遺伝子に刻まれた情報などがその根を通して何処かへ流れていた。
そして、その人々の記憶や情報が誰のものなのか予想をすることは難しくない。しかし、新たな疑問が生まれる。何故、そして何処へこんなものを運んでいるのだろうか。
気になると言えば間違いないし、その先に僕の探し求めてる答えがあるのかもしれない。
「………」
しかし、僕はここの調査をするのは後回しにしようと決めた。何もかもが分からない相手の陣地に踏み込むことが、どれほど危険な事かを考えれば妥当な判断だと思う。もう少し彼らについて調べた後、適切な準備を整えた後でここの調査を始めよう。今日は時間もないし、ここで引き返すことにした。
僕はここを少し離れた後、ニルヴァーナに乗って家に戻りつつ、このことをステラに話すべきか考えていた。ショックは大きいだろうが、何も知らないでいるのも辛いとは思う。
取り敢えず、彼女の精神状態を確認しながら話す時を見計らう方がいいだろう。今の彼女は色々と積み重なりすぎて、これ以上辛い話をするのは少しだけ憚れた。とは言え、いつまでも黙っている訳にはいかないけど。
なんとか日が落ち切る前に家に帰ることが出来た。
「あら、おかえりなさい」
「ただいま。フラウは部屋かな?」
「うん、あなたがいない間とても寂しそうだった。仲が良いんだね」
「そうじゃないと、この生活が続かなかっただろうしね………誰か来たりは?」
「村の人が一人来てたみたい。詳しい話は知らないけど………」
「なるほどね」
明日は村に行く予定が出来たね。彼女が良ければだけど、ステラの紹介もしておきたい。このまま彼女をこの家で存在を隠すように暮らしてもらうのは、ちょっと面倒くさい。
僕はそのまま二階へ行くと、フラウの部屋をノックする。
「戻ったよ」
「………おかえり」
中から小さく声が聞こえた。しかし、その声は何となく抑えめと言うか、いつもより元気が無いように思えてしまった。
「大丈夫かい?具合が悪いとか………」
「………違う。大丈夫」
「そうかい?何かあったら言うんだよ」
「………ご飯、ちょっと遅れても良い?」
「良いよ。無理はしないでね」
まぁ、何かあったら自分で言うとは思う。もし熱があって隠してるようならすぐに分かるし、そもそも医者としての知識がある僕に体調不良を隠す理由が無いと思うし。
彼女だって女の子だし、気分が乗らない日だってあるだろう。そう思うことにして、僕は一階に戻っていく。
階段を降り、ソファーに座って寛いでいるステラに声を掛ける。
「明日麓の村に行こうと思ってるんだけど、君はどうする?」
「………村に?」
そう言った彼女は少しだけ迷っているようだった。やはり、あの村の事が思い出されるのだろう。
「余所者には結構厳しいけど、僕はそこそこ慕われててね。連れだと言えば悪いようにはされないと思うけど」
「………ちょっとだけ考えさせて。まだ、踏み切りが付いてないの」
「強制はしないよ。ゆっくり考えると良い」
僕はそのままソファーに座る。資料でも読んで時間を潰そうかと思ったけど、ふと気になったことを聞いてみようと思った。
「………そう言えば、大主教ってどんな人なんだい?」
「え?………うーん………私が直接会ったのは裁判の時だけだからあんまり知らないの。外にも殆どそういう話は出ないから………でも、妻を多く娶ってる話は有名よ」
「へぇ、一夫多妻なんだね」
「うん。でも、殆どその制度は大主教様だけが使ってるみたい」
苦笑しながら答えるステラに、僕の中で大主教のイメージがワンランク落ちた気がする。まさか女好きとか言う話が出てきたら、完全に僕の中での評価が崩れ去る。
ちなみに、この世界での結婚の制度は国によってまちまちだ。フォレニア王国は一夫一妻だったと聞いている。どっちが多いとか言うのまでは知らないけどね。あくまでも少し記憶にあるだけの情報だし。
「アストライアではどんな暮らしをしてたんだい?」
「基本的には何もすることはないの。仕事って言うような仕事もないし、王族は象徴として存在するだけだから」
「………少しだけ話は聞いたけど、本当に退屈そうだね」
「えぇ。危険という危険もないんだけど………」
まぁ、僕ならすぐに逃げ出すような環境ってことだね。そこで数千年も暮らすなんて想像もできない。正直、彼女が今何歳なのかも気になったけど、僕の常識内では女性に年齢を聞くのは失礼になるという認識だ。
見た目から判断することは不可能だし、まぁ少なくとも僕の十倍以上は生きているのかな、と思う事にする。
不思議な物で、この世界では年齢による精神の成熟度は見た目に引っ張られる傾向がある。フラウが若干内面が幼いのも、これがあるから………いや、あの子は性格が大きいかもしれない。
まぁ、いくら実年齢が数百歳でも見た目が十代の少女なら精神面もそれに近いという事だ。実際、今ステラと話している感じは、歳の違う女の子と話しているという気分にはならない。
「でも、空から見る景色はとても綺麗なの。人間たちの営みが一望出来て、それが唯一の楽しみになってたから」
「へぇ………まぁ、確かに絶景と言うには相応しいだろうね」
ほんの少しだけ明るくなった声色に、僕は相槌を打つ。一度見てみたい気もしなくはないけど、わざわざ有翼族に会ってまで行きたいかと言われると首を振る。
彼女を見ているとそうは思えないかもしれないけど、基本的に有翼族は他種族からすれば本当に性格が悪い。というか、話が通じない。
気まぐれに滅びるべきだと思えば、『奇跡』の力を使って村を一つ消し去ったという話があるくらいだ。正直な話、僕が大嫌いな部類の種族だと言って良い。
だからこそ、僕は最初は彼女をとても警戒していた。その結果が今なんだけど。
「私の事ばかり話していたらつまらないでしょう?あなたの事も聞かせて?」
「いいけど………まぁ、何から話そうかな」
そうして、しばらくの間ステラとの雑談を楽しんでいた。朝に比べてもより明るくなっていて、やっぱり時間と言うのは偉大だとも思ってしまう。
勿論、環境が変わったと言うのもあるかもしれない。色々なしがらみから遠く離れた場所だからこそ、一時でもあの村で起こった様々な出来事を考えなくて済むこともあるだろうから。
そうして話していると、二階からフラウが降りて来た。僕の目には特に彼女から発熱は見えなかったし、体調的にも特に悪いようには見えなかった。本当にただ気分が下がっていただけなんだろう。
「………遅れてごめん。今から作るね」
「大丈夫だよ。いつもありがとう」
「………うん」
少しだけ微笑んだフラウは、とても嬉しそうだった。あの怪物が何処へ行ったのか。それは分からないけど、もし移動を続けているのだとしたら、その被害はどんどん広がってしまう。いつかはこの付近にまで来るときがあるかもしれない。
そんな未来を回避するためにも、僕は出来るだけ早く、そして確実にこの件を進めないといけない。もし必要になったら、アズレイン辺りに相談して一時的に助手を雇ってみるのもありかもしれない。
何となくだけど、僕一人では手が足りない気がしていたのだ。特に、捜索面では今の所僕だけがあの広い森を歩き回っているだけだ。そりゃ効率も悪い。
あの村の事もあるし………まぁ、結局新たな問題は次々と起こってしまうという事だね。ふと、グランが言っていた「天」と言うのが何かと思った。
前から気になっていたけど、もしかすれば「天」とは『天権』のこと………いや、有り得ないか。
「………そう言えば、『天権』って生物を全く別の生き物に変異させるような能力何てないよね?」
「聞いたことないかな………人を従わせる力と、奇跡の与奪を決定する力を持ってるとは聞いてるけど………」
「だよね」
それでも十分だけどね。まぁ、流石にこじつけが過ぎたとは思った。じゃあ彼の言う「天」とは何だったのだろうか。勿論、天と言うだけあって高い所にあるんだろうけど………本当に分からないことだらけだね。
ここまで僕がはっきりと分からない事だらけの出来事は初めてかもしれない。全然ワクワクしないけど。
これがもう少し面白い未知だったらどれほど良かったか。そう思いながら、僕は再び思考を回していくのだった。
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