第56話

 家に戻った僕は、ステラを連れてきたことに疑問を浮かべていたロッカに軽く説明をした後、彼女を二階の空いている寝室に案内した。

 軽く返事をしたりするだけで、大した言葉は返ってこなかったけど、そもそもあまり期待していなかったからしょうがないとも思って、僕もそのまま自室へ戻ってベッドに横になる。今後彼女がどういう決断をするにしろ、あの怪物をもう少し詳しく研究して対策を練らない事にはあそこへ送り返すのは憚れる。

 ただ駆逐するだけで良いのなら、僕は喜んでやるだろう。それこそ、森や山を一つ消し飛ばせと言われてでも。しかし、グランがあの怪物に変貌するとともに現れ始めた怪物たち。これが、未知の発生方法が存在するのには間違いない。その根本を知らない限り、彼らが再び現れた際にまたその周辺を焼き払うのか。

 そんな事が出来るはずもない。敵を完全に抹殺するのであれば、まずは敵を知らなければならない。僕は、明日の調査の予定をほんの少しだけ頭に思い浮かべ、そのまま意識を眠りに落とすのだった。











「………シオン!」

「っ!?」


 突然、僕の名前が呼ばれて飛び起きる。閉まったカーテンの隙間からは朝日が差し込んでいる。そして僕のベッドの上に四つん這いになり、体を揺すって名前を呼んだのはフラウだった。不機嫌そうに僕を見ているフラウに、僕は一気に思考が回り、色々と心当たりが出てくる。


「………あの人、誰」

「あー………」


 そう、完全に失念していた。フラウの事を忘れていたわけじゃないけど、起きた後で説明すればいいだろうと思っていたのだ。しかし、ステラが僕より早く起きる可能性を考慮していなかった。

 フラウはここ最近はいつも朝食を作ってくれているため、この子が僕より早く起きるのは分かり切っていた事でだ。そして、フラウの事はステラにも話していない。多分、互いに驚かせてしまっただろう。


「………まさか、昨日帰ってこなかったと思ったら、女の子を連れ帰って来るなんて」

「それはちょっと誤解………いや間違いじゃないんだけど、そういう意味じゃなくてね………?」

「………ふん」


 不機嫌そうに鼻を鳴らし、そっぽを向くフラウ。ここから黙って出て行かないだけまだ本気ではないのは分かるけど、正直今回の件は完全に僕が悪いから何も言えない。


「………何かあったのは、あの人の顔を見たら分かるけど」

「まぁ………うん」

「………でも、一言あっても良かった。それに、早く戻るって言ってたのに」

「分かってる。本当に申し訳ない」


 出来るだけ早く戻ると言っておきながら、いきなり一晩帰ってこなかったうえに、全く知らない有翼族の女性を連れて帰って来たのだ。文句を言いたくなる気持ちも分かるし、僕はそれに謝ることしかできない。

 僕が謝ると、フラウは未だに少し不機嫌そうにそっぽを向きながら、目線だけをこちらに向けてくる。しばらく黙って僕を見ていたけど、やはり少し不機嫌そうな声で口を開いた。


「………傷跡、残ったら責任取って」

「あぁ………分かったよ」


 この子の足とお腹の傷はまだ消えきっていない。致命傷ではなかったとはいえ、深い傷であった事には間違いなかったからだ。とは言え、一日塗り忘れたからと言って特に問題が出るはずはないんだけど。ここでわざわざそんなことを言うと、更に機嫌を損ねかねないから大人しく頷いておく。

 万が一にも残ってしまった時は、あんまりしたくはないけど皮膚を移植する程度なら簡単にできる。手術跡をあの薬で消せば、ちゃんと傷跡は全て消えるはずだし。ちょっと大げさな気もするけど、望むのであれば仕方がないとしか言えない。


「………なら、いい」

「悪いね。僕はちょっと彼女と話があるから、君もベッドから降りて」

「………あなたの朝ごはん、もうあの人が作ってた。私はパンで済ませたから、話が終わったら戻って来て」

「あぁ………パンだけで大丈夫だったかい?」

「………大丈夫」


 そう答えて、フラウはベッドに座る。動く気がない事を悟って苦笑いをして、僕はベッドから立つ。まぁ、ステラも知らない子がいる前で色々と話すのは気まずいだろう。

 この子なりの気遣いなんだろうと思い、僕はそのまま部屋を出る。そのまま廊下を渡って階段を下りていくと、いい匂いがしてくる。

 階段を下りる足音に気付いたのか、ソファーに座っていたステラがこちらを見る。


「あ、おはよう………」

「うん、おはよう」

「その………あなたの妹を、驚かせちゃったみたいで………」

「いや、妹じゃないよ」

「………え?」


 ステラが目を丸くする。この間違いも珍しくなくなってきたし、特に気にしない。僕としては、実質妹みたいなものだし。


「まぁ、あんまり変わらないけど………あの子は魔族だからね」

「あ………そうなんだ」


 それだけで、あの子が訳ありだと気付いたらしい。本来、シグリア大陸にしかいない魔族が遠く離れた大陸の内陸側にいるんだから、あの大陸での事情を知っている人ならすぐに分かるだろうし。

 実際、魔族側は基本的にないけど、シグリア大陸の人間が戦火を逃れるために大陸を渡って来るのは珍しくないらしいからね。


「………朝ごはんを用意してみたんだ」

「うん、聞いてるよ。ありがとう」

「口に合えばいいんだけど………」


 少し不安そうにステラが呟くけど、この匂いから不味いとは考えずらい。僕は食卓へ歩きながら、ロッカに手を振る。彼も軽く手を振り返してきて、そのまま席に着く。

 並べられていた料理は、シチューやパンなどの西洋的な朝食だった。僕が食べ始めると、ステラもゆっくりとソファーを立って、僕の反対側に座る。少し不安そうな顔を見て、僕は小さく笑顔を浮かべる。


「美味しいよ」

「良かった。人に料理を振る舞う事って、あんまりなかったから」


 彼女が少しだけ安堵の顔を浮かべる。まだ完全に立ち直った様子はないけど、一夜明けてほんの少しだけ緊張が抜けたのか、昨日程は暗い雰囲気を纏っていなかった。


「………少しはマシになったかい?」

「えぇ、久しぶりにふかふかのベッドで寝れたから」


 そう言って微笑むステラ。あそこに置かれていた家具は、緊急用の名に違わず最低品質の物だった。暖炉だけはマジックアイテムで贅沢品だったとは言え、ソファーは少し硬く、ベッドも狭い、硬いとなかなかの物だった。

 勿論、昨日の僕はあそこに泊めてもらっていた側だから、文句なんて言う訳はないけど。あそこで少なくとも一週間以上暮らしていた彼女からしたら、多少思うところはあったのだろう。


「あはは。それは良かったね」

「それと………昨日はごめんなさい。あなたのためって言いながら、巻き込むような形になってしまって」

「いや、寧ろ君が助かって良かったよ。あのまま帰っていたら、僕は何も知らずに君がいなくなったことに疑問も抱かなかっただろうし」

「………本当にありがとう。それに、あの人たちの事も助けてくれて………」


 そう言った彼女の目に淀みはなかった。自分があんな目にあったというのに、彼女は今もなお彼らの心配をしていたのだ。そのことに、僕は呆れたように小さくため息を付く。


「全く。君も甘いね」

「………あんな事があっても、私にとっては大切な人たちだから。勿論、奴隷になったりするのは嫌だけど………心の奥で、あの人たちを助けられるならって思ってたの」

「それは間違いだ。という権利は僕にはないのかもしれない。けど、君が思っている以上に奴隷って言うのは生易しいものじゃないよ。買い手によっては、君の持つ尊厳なんて全て奪われてしまう。彼らのために、君がそんな道を選ぶ必要はない」

「………そうよね。うん、分かってるの。でも………」


 人間と言うのは、どこまでも自分のために他人を蹴落とす者もいれば、他人のために自分をどこまでも犠牲に出来る者もいる。彼女は後者だったと言うだけだろう。しかし、僕はどちらの考えが正しいとも思わない。

 それを強制することは、勿論出来ないけど。少なくとも、幸せに生きる権利を他人に左右されるべきではない。


「まぁ、その辺も追々考えると良いよ。今結論を出す必要はないしね………ところで、どうするかは決めたかい?」

「え………あ、ごめんなさい………」

「いや、いいんだ。それに、僕もあの森から彼らがいなくなるまでは、あそこに居させるのは心配だからね」


 あの生物の知能がどの程度かは知らないけど、もし馬車の通った道を辿る程度の知能があった場合、彼女はかなり危険な状態になる。

 心配しすぎというか、杞憂だと蹴れる話でもない。グランは自身の知性や意識を残したまま変貌したわけだし。死体とは言え、人間が変化した場合は人間程度の知能を備えていてもおかしくはない。

 まず、『真理の炎』が効かないというイレギュラーが発生しているのだ。何があっても不思議じゃない。


「取り敢えず、君が良ければあの怪物たちが付近からいなくなるまでここにいて欲しいと思ってる」

「………うん、私も、それがいい。今戻ったら………色々考えちゃいそうだから」


 そう言った彼女は、少しだけ暗い顔をする。それを見て、話題をすぐに進めるべきだと判断した。


「なるほどね………じゃあ、しばらくはよろしく頼むよ。後、僕の同居人だけど………」

「昨日紹介してもらったロッカさんと………あの子?」

「うん。フラウって言うんだ。口数は少ないけど、いい子だから仲良くしてあげて欲しい。後………機嫌を損ねたくないなら、子ども扱いはしない方がいい」


 僕が苦笑を浮かべると、彼女は納得した顔をする。あぁ、そっちで勘違いしてしまったかな。


「そっか………あの子は魔族だものね」

「ちなみに、あの子は十七歳だよ」

「え、若い!?………う、うん………?見た目より………上?」


 ステラが混乱したように声を上げ、表情が驚愕に染まる。今までになかった反応に、思わず笑ってしまった。


「ふふっ………まぁ、驚くのも仕方ないよ。とは言っても、僕は彼女を妹として扱ってるんだけど」

「自分から爆弾に火を付けに行くの………?」

「そこまでじゃないさ。ちょっと不機嫌になるだけで」

「十分止めた方がいいと思うけど………」

「いや………無理だね」


 僕がそう返すと、ステラは困惑の表情を浮かべたけど、今までそうしてきたのに、いきなり無理だよ。


「これでも一ヶ月以上こんな感じで過ごしてきたからね。今更だよ」

「そうなんだ………」

「さて、と。料理、美味しかったよ」


 僕が立ち上がると、ステラも一緒に立ち上がる。美味しかったという言葉に少しだけ嬉しそうな表情を浮かべて頷いた。


「うん。お世話になってる間は、私が作るよ」

「それはあの子と相談してほしいかな。自分が料理を作れなくて、ちょっと拗ねてたんだ」


 その瞬間、ステラがハッとした顔をする。それと同時に、申し訳なさそうな顔をして


「ごめんなさい………そういう関係だとは思ってなくて………」

「断じて違うよ?さっき妹みたいなものって言ったばかりだけど」

「冗談よ。ちゃんと話し合うから心配しないで」


 心臓に悪い冗談はやめて欲しい。割りと焦った。アズレインは明らかにからかってると分かる態度をしていたからいいけど、彼女は本気でそう思っているように見えてしまうから余計に。


「全く………家主に対して、いきなり容赦がないね」

「遠慮した方がいい?」

「いや………まぁ、特には。ここにいる間は遠慮なく過ごしてもらって構わないよ。短い間になるかもしれないけど、よろしくね」

「うん、ありがとう。こちらこそ、よろしくお願いします」


 そう言って頭を下げるステラは、とても礼儀正しく美しい仕草だった。その動作を見て、少しだけ不安が過ぎった。


「………もしかしてだけど君、有翼族の中で偉い立場に居たりしなかったかい?」

「………一応、王女って立場だったけど………」

「………」


 悩みの種が増えた瞬間だった。


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