第55話

 夜。ふと目を覚ます。隣にはステラが眠っていた。先に言っておくと、間違いがあった訳でもなければ、僕が勝手に潜り込んだ訳でもない。

 ベッドが一つしかないから、という事だった。二つの空き室は何も置いていないそうだ。リビングにあるソファーで眠ろうと思ったのだが、ステラがお客にそんなことをさせるわけにはいかないと言って譲らなかったのだ。必要以上に話を長引かせる必要もないし、特に意識している訳でもないので了承して一緒に寝ていたのだが………


「………」


 僕は周りを見渡す。基本的に、僕が目を覚ますのはある程度状況が決まっている。例えば、いつも起きる時間になった時。そして、嫌な気配を感じた時。人は必ず空気を纏う。殺気や敵意と言ったものは隠せるけど、纏う心は隠すことが出来ない。

 『空の目』を持つ僕にとって、そういった物を感じ取るのは容易いことだ。目を閉じていても、目に見えない物は映る。


「………」


 部屋の中には何もいない。しかし、気のせいだとは思えない。地下だから、時間間隔が狂っているという訳でもないと確信を持って言えた。

 肌を刺す緊張感。敵を目前にしたかのような感覚。確実に何かがいる。


「ステラ、起きて」

「ん………んん?」


 僕が小さな声で彼女の名を呼ぶと、ゆっくりと目を覚ます。けど、その瞬間に目を見開いて体を起こした。流石に気付いたみたいだ。


「………何か、いるの?」

「みたいだね。気配を隠してる様子はない………まさかね」


 僕はベッドから立ち上がって、地面から飛び出してきた短剣を左手に持つ。ステラも静かにベッドから立ち上がった。


「ここで待ってて。見てくる」

「私も………」

「危険だよ。僕は接近戦も出来るから、もしもの時を考えると一人の方がいい」


 言わずもがな、このタイミングでの侵入者。僕の頭にはあの怪物の姿が浮かんでいた。もしそうであれば、彼らに魔法は効かないだろう。しかし、物理的な接触を伴う攻撃ならダメージを与えうる確信があった。僕は剣術を学んでいないけど、あくまでも剣術は人と戦うための物だ。

 怪物と戦うのなら、剣さえ振るえればあまり関係はない。閉所だから長めの剣や槍などは使えないけど、短剣でも十分戦える。

 部屋を出る。狭い廊下には何もいない。壁に付けられた蠟燭の光だけがぼんやりと廊下を照らしていた。一つずつ部屋を見ていく。空き室の二つを見て、リビング。しかし、やはり妙な気配は存在するだけで、その姿は見えない。

 一応、通路の方も見てこようかな。そう思った僕は扉を開けて通路へと出た。やはりほんの少しのカビ臭さが鼻を突くが………


「………?」


 ここには、あの妙な気配が漂っていなかった。そのことに疑問を抱いた瞬間だった。


「………まさか、まだ中に?」


 僕は嫌な予感がして、再び中へと戻っていく。その時、僕は気付く。既に部屋の中にもあの気配が消えていた。不安に駆られるままに寝室に向かう。しかし………その間に彼女は部屋からいなくなっている。

 代わりに、ベッドの近くの壁に大きな穴が開いていた。それは爆弾やハンマーで無理やり破壊したようなものではなく、綺麗な円形。


「っ!」


 それを見た時、僕にはとある考えが過ぎった。しかし、それを確かめている時間はない。すぐに穴の中へと走り出す。その奥は、まるで最初から存在したかのような狭い通路になっている。


「顕現せよ、リードの権能………!」


 風を纏い、一瞬で加速する。狭い通路は一直線に上へと伸びていた。整えられた石造り。人工物であることは確かだった。

 長すぎる訳でもない通路を数秒で駆け抜け、そのまま地上へと出る。外はまだ暗く、小さな小屋に繋がっていた。しかし、家具などは一切用意されておらず、この通路の出入り口だけが存在していた。ドアは開け放たれ、外に出ると………


「………」


 馬車の進んだ後が続いている。僕はそれを見て、予想が確信に近いものになる。恐らくだけど、まだ遠くには行っていないはずだ。風を纏ったまま走り出す。

 すると、ほんの少し走ったところで平原に馬車が止まっているのが見えた。しかし………


「う、うわあああああ!?」

「く、来るな!来るなぁっ!!!」

「■■■■■■!」


 あの怪物に襲われているのが見えた。後輪があの黒い根に絡めとられ、動けていない。男たちは腰を抜かし、怪物が近付いてくるのを怯えながら見ていた。それだけでなく、いくつか地面から伸びている根に人が貫かれている。馬はこちらからは見えないが、前方に伸びている黒い根から、何となくどうなっているかは予想できた。

 貫かれている死体の中に、彼女のシルエットはない。それを見て、短剣を槍へと変化させる。ゆっくりと馬車へと近付く怪物に向けて走りながら構える。

 構えた槍に蒼雷を纏い、瞳に薄く光を灯す。その瞬間、蒼雷は緑雷へと変化する。


「君に名を与えよう!トニトルス!」


 急停止して走った勢いを全て乗せ、雷を纏わせた槍を全力で投擲する。雷鳴を轟かせながら放たれた閃光。


「―――」


 何かを発するよりも早く、雷光は怪物の上半身を打ち砕いた。空気を裂く衝撃は草木を揺らし、怪物を貫いた雷撃は止まることなく突き進み、そのまま遥か彼方へと消えていく。

 怪物の下半身だけが残って呆然と立っていたが、徐々にその肉体が朽ち果てていく。僕はそれを見てため息を付いた。

 生き残って腰を抜かしていた二人は、僕の方を見る。


「え………え?お前は………」

「………やぁ、初めまして。それで………君達が馬車に乗せているのは何かな」

「なっ………!?」


 その言葉を聞いた時、二人はすぐに立ち上がる。僕の目に映る感情は、焦燥、恐怖。その奥にあるほんの少しの後ろめたさを見て、僕は目を細める。

 もしこれが、彼女の身を案じた上で連れ出すという目的なら、何もいう事はなかったのだけど………嫌な方の予想が当たってしまったみたいだ。


「な、なんで………馬車の中身が気になるんだよ」

「実は、僕を助けてくれた恩人が急にいなくなってしまってね。部屋に大きな穴と、人工物の通路があるから追ってきたんだけど………その様子じゃ、わざわざ問い詰める必要もないみたいだ」

「っ………ほ、放っておいてくれ!これは俺達の問題だっ!!」

「そうだね。君達の問題だ。だからこそ、彼女を巻き込むのは許さないよ。大方、金が必要になっただけだろう」


 僕がそういうと、二人の男は目を見開いて黙る。僕が壁の向こうにある空間を気付けなかったのにも落ち度はある。『空の目』を起動しているときは、あらゆるものが見えてしまうから普段は停止している。

 もしあの部屋を『空の目』で一度でも見ていれば、すぐにでも気づけたと思うんだけど。あの空間が何であるか。最初からこんなことを予想していたとは思えない。単に脱出路として設けていた道なんだろう。


「仕方ないだろ………俺達だって、生きるためには………!」

「君たちの命の等価は他人の命じゃない。君達がやってることは、ただの賊と変わらないよ」

「っ、てめぇに何が分かるってんだっ!!」

「おい待て!」


 そう言って懐に持っていた短剣を抜き、僕へと向けて走って来る。目を細めて男を見据えながら、右手に黄金の光を纏わせる。


「顕現せよ。メイアの権能」


 僕が右手を振り上げると、空中から飛び出してきた鎖が男たちを拘束する。僕は地面に倒れた男たちを見た後、馬車へと近付いていく。

 中からは特に声は聞こえない。縄か猿轡でもさせられているんだろう。僕は馬車の扉を開く。


「………」


 中には、やっぱりステラが縛られていた。「商品」としての価値を落とさないためにか、特に怪我などはないようだったが、逃げ出したり自殺を図れないように全身を複雑に縛られ、口には猿轡がさせられていた。

 しかし、彼女は僕を見ることもなく涙を流していた。僕は無言で近付き、風の刃で縄を切っていく。その刃は彼女の肌を一切傷けることはなく、全ての縄を切り終え、付けられていた猿轡を外す。


「………」

「………」


 正直、なんて声を掛ければいいか分からなかった。大丈夫か、なんて今の彼女を見て聞けるはずもない。結果として、僕が選んだのは無言で馬車から降りて、外で地面に倒れている男たちに詳しいことを聞く事だった。


「弁明を聞きたい訳じゃないけど、何故こんなことをしたのか教えてくれるかな。大体予想は付いてるけど」

「っ………俺達だって………俺達だってこんなことをしたかった訳じゃない!だが………今まで辺鄙な村で暮らしてた俺らが、あんなでかい街で生きるなんて無理だったんだ………金もない、売り物もない。頑張って働こうとしても、やった事もない仕事ばかりだ。国からの支援で何とか住居は確保できたが、食い物や日用品まで譲ってくれるわけじゃない。金が無いと………俺の息子が………!」

「………」

「俺の家族だけじゃない………!何とか逃げ出せた奴らは全員飢えや病気で苦しい思いをしてる!ステラへの仕送りも無理になったから、動物の血を使って、もうこれ以上はここに来れないと………でも国に掛け合ってみても、今は忙しいの一点張りだ………!もう………こうするしかなかったんだよ………」

「………そうかい」


 正直、何となく分かってはいた。あの村から逃げた人たちの後が気にならなかった訳じゃない。元々、村と言うのは小さく独立した営みをしている事が多い。

 大半は村人間での物々交換が主なため、金銭という物が使われていない事だって珍しくない。僕が普段世話になっているあの村が特殊なだけで、本当なら商人が立ち寄るどころか客人が来ることすら殆どないし、仕事だって殆どは狩りや自分たちの生活に必要な物を作るくらい。

 大きな町で必要とされるような技術なんか殆どないと言って良いだろう。事情は分かっていたし、今の国の情勢を考えればこうなってしまうのも必然と言えた。


「なぁ………このまま見逃してくれよ………!俺達には家族がいるんだ………!」

「………命の等価は命ではない。君達が抱える物がなんであれ、彼女を引き渡すことは出来ない。君達が今苦しんでいるように、このまま彼女が商品として売られた後の事が分からないとは言わせないよ」

「けど、命は………!」

「なら、君達も同じように自分を商品として売ればどうだい。生きるだけなら可能なんだろう。その人生がどんなものになるかは知らないけど」

「っ………」


 つまりそういう事だ。生きると言うのは、死ななければ良いという訳じゃない。彼らは生きるためだと言うけど、本当に生きるだけなら自分たちが奴隷にでもなればいい。

 この世界で、奴隷は殺してはならないという決まりがある。最低限の衣食住を与え、命を落とすような過酷な労働をさせることも禁じられているはずだ。

 逆に言えば、そうでなければどんな扱いをしても良い。それがどういう意味か、わざわざ言う必要はないだろう。


「本当は分かっているはずだ。結局、君達がやっていることは自分たちの為に、他人を犠牲にしているに過ぎない」

「………」


 そう言うと、男は何も言わなくなる。もう一人の男も、黙って涙を流していた。別に、僕だって彼らの境遇を不憫に思わない訳じゃない。けど、その行動が間違っていただけだ。

 僕は、右手に白い光を纏わせる。そして、どこからともなく出現した小袋を彼らの前に投げ捨てる。それと同時に彼らの拘束が解ける。


「………?」

「君たちが望んでいた物だ。それを持って、早く街に戻ってくれ。ただ………彼女の事を誰かに漏らしたら、次こそ君達の悪事を騎士達に話させてもらうよ」

「なっ………!?」


 僕がそういうと、男たちが飛び起きる。投げ捨てられた小袋の中身を見て絶句する。


「あ、あんたは………」

「もう良いだろう。無駄な時間を過ごす暇があったら、こんな危険な場所から早く帰った方がいい」

「………本当に………すまなかった」


 そう呟いたのは、誰に向けてか。男たちは立ち上がると、そのまま街の方へ歩いていく。馬車を引く馬は首が折れており、もうこの馬車を動かすことは出来ないだろう。

 その時、馬車からステラが降りてくる。涙こそ止まっているものの、その顔は未だに悲観にくれていた。


「………助けてくれて、ありがとう」

「いや………怪我はないかい?」


 ステラは無言で頷く。それを見て、僕は再びどう声を掛けたものかと悩む。故郷を追われ、目の前で村が襲われ、最後には信じていた者達に裏切られ。

 ステラの身体が膝から崩れる。僕は一瞬だけ驚いたけど、そのまますすり泣く声が聞こえてきて、近付こうとした足を止める。


「………私は………これからどうしたらいいのかな………」

「………」


 僕は黙ったまま彼女に近付く。彼らは彼女を貶めるためにやったわけではないし、彼らには彼らの事情があったのは事実だ。しかし、どれだけ優しかった者でも追い詰められれば自分達ではない誰かを犠牲にしてでも助かろうとしてしまう。

 今回は彼らに代わりの金を用意したから去ったけど、もしまた彼らが同じような事になった時に同じことが起こらないとは限らない。


「………取り敢えず、一度うちに来ないかい?ここは危険だし、あそこに戻るにしても考える時間が欲しいと思うんだけど」

「………」


 彼女が頷いたのを見て、僕は懐から白い球体を取り出す。はっきりと分かったことが二つある。一つは、あの怪物には物理攻撃は有効だ。そして、生命力を纏わせた魔法も効くらしい。あの雷に関しては今まで使わなかっただけで、魔法研究自体はしていたのだから不思議な事じゃない。

 勿論、真理に至っていないとは言え、ただ命を宿して放つだけならば十分な攻撃力を持つ。炎や風だと周囲を巻き込みかねないし、水だと破壊力に欠けるから使ったと言うだけだ。

 ニルヴァーナの攻撃は、そのほとんどに生命力を宿している。彼らに見つかっても、十分対処は可能だと考えた。近くにいる様子はないし、今のうちに移動したい。

 僕はそのまま彼女を連れて、ニルヴァーナで家へと戻る。彼女はその間も終始無言で涙を流していたけど、僕は一度も声を掛けることが出来なかった。


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