第54話

 しばらく彼女の後を付いていくと、道中に合った木の扉に入っていった。中には小さな細い廊下があって、左右に二つずつ扉があった。手前にある右側の扉に入ると、この薄暗い地下通路にある部屋にしては、案外生活感のある空間が広がっていた。

 ソファーやカーペット、大きな机と並べられた椅子。恐らくマジックアイテムであろう暖炉。リビングと言えばかなり充実した家具が揃っていた。


「ここに座ってて。飲み物を持って来るから」

「あぁ………悪いね」


 気を使わなくていい、と言おうとする前に奥へ向かってしまいタイミングを失う。彼女が指したソファーに座って、暖炉の火を見ていた。

 酸素を使って燃焼するのではなく、魔力を基にして燃焼しているために燃焼ガスを発生させない。暖炉などを作れない地下空間などではとても重宝するだろう。

 しばらくすると、少女が戻って来た。手には二つのカップが持たれている。


「ごめんなさい。コーヒーしかなかったんだけど………」

「大丈夫だよ。ありがとう」

「うん、どういたしまして」


 そう言って少女は隣に座る。まずは自己紹介からした方が良いだろう。もちろん、助けてもらった以上は僕からするのが筋だ。


「改めて、助けてくれてありがとう。僕はシオン。錬金術師だ」

「ううん、気にしないで。私の名前はステラ。よろしくね、『権能』の錬金術師さん」


 その言葉と共に、静寂が走る。僕は驚くでもなく、無言で彼女の目を見ていた。決して穏やかではない沈黙だった。

 『権能』と有翼族は、過去のしがらみから敵対したのは説明したとおりだ。やっぱり、彼女についてきたのは早計だったかな。そう思ったのと、彼女がおかしそうに笑みをこぼすのは同時だった。


「ふふっ、おかしな顔。そんなに緊張しないで。私は『権能』を嫌ってないから」

「………一つ聞きたいんだけど、君は有翼族だよね?」

「えぇ、見ての通り」


 翼を小さくはためかせて当然のように答えるけど、僕は少しだけ困惑していた。有翼族と言うのは僕らが定義する種族名で、彼らは自身を天人だと呼ぶ。


「次は私が質問するね。なんであの村に?もしかして、人がいなくなったのを見て、金目の物でも盗りに来たの?」

「………仮にも『権能』である僕が、そんなことをすると思うかい?」

「ううん、全然」

「………」


 いまいちペースの掴めない子だ。何となく理解したけど、彼女はもう僕があそこにいた理由なんて予想がついてるんだろう。つまり、これは会話そのものに意味を見出しているんだと思う。

 今までが余計な探り合いや形式的な会話を省く人とばかり話していたから、少しだけこういうタイプの人と話すのが苦手になっているように思えた。


「あの怪物について調査しに来ただけだよ。僕の知識にはないし、かなり危険な生物みたいだからね」

「やっぱり。それで、何か分かったの?」

「いや………そもそも、僕だってあの交戦が初めてだからね。実際の生態については、もっと詳しく調べないと分からないよ」

「………なら、私が見た話で良ければ、聞く?」


 僕はステラを見る。あどけなさを残した端正な顔は、先ほどまでとは違いほんの少しだけ悲痛を含んでいたと思う。

 多分、見たくない物を見てしまったのだと予想は出来た。けど、これ以上奴らの犠牲者を出さないためにも僕は知らなくてはならない。


「頼むよ。詳しい話までは聞かないから」

「うん………まずはね」


 そうして、ステラはぽつりと話し始める。彼女が見たのは、この街が襲われてしまった一部始終だった。

 あの怪物が群れを成し、この村を襲った事。ほんの数人だけが、この地下通路を使って命からがら逃げだしたこと。そして………奴らに殺されてしまった死体が、同じような怪物へと変貌してしまう光景。

 つまり、死体は消えたのではなかったということだ。あまりに凄惨な話にほんの少しだけ胸の中に靄が掛かる。


「なるほどね………悪いね、あまり思い出したくなかっただろうに」

「気にしないで。でも、代わりに約束して?絶対に、あの怪物たちを止めて見せるって」

「それはもちろんだけど………そもそも、君はなぜこんなところにいるんだい?有翼族は浮遊群島に住んでるんじゃないのかい?」


 有翼族である彼女が、人間の死にそこまで悲しむ理由が分からなかった。僕が彼女に質問した時、そもそもあまり明るくなかった彼女の表情に影が差す。


「………それは………話すと長くなるけど………」

「話したくないなら無理にとは言わないよ。個人の事情だしね」

「………聞いてくれる?」

「話してくれるなら聞くよ」


 そう言うと、彼女は一度息を吸った。正直、有翼族の暮らしや体制って言うのは良く知らないから、あんまり予想は出来ない。


「そう………まずはね。私はそもそも、天人の誇りって言うのに興味が無かったの。地上を不浄の大地だと言って、アストライアで何千年も変わらない日々を過ごすだけ………とても退屈だった私にとって、浮島から見下ろす人間たちの営みだけが楽しみだったの」

「………なるほどね」


 ここで、ほんの少しだけ予想が出来てきた。彼女が他の有翼族から見れば異端であると言うのは、多分間違いないだろう。大方フラウと同じように逃げ出してきたのかな。


「でもね。ある時、私は少しだけ………ほんの少しだけ出来心で、人の生活を体験してみたいと思ってしまったの。だから、地上に降りた私は奇跡で見た目を変えた後、この村で道に迷った人間を装って、一緒に暮らすことにしたの」

「………ふむ」

「最初は、ほんの出来心だったんだけど………少しずつ、居心地が良くなって。気づいたら五年も経ってた。けど、人間に姿を変えても私の寿命は変わらないし、周期的に移動を続ける浮遊群島が離れてしまうから、村の皆に別れを告げて、アストライアに戻ったの」


 ここで、やっと僕は確信を得る。僕が合点がいった顔をしたのを見たのか、彼女が小さく笑みを浮かべる。


「予想は、出来たみたいね。アストライアに戻った私は拘束されて、裁判にかけられた。不浄の大地で生きた私は穢れた者として、大主教様に『奇跡』の力を剥奪されて、二度とアストライアの地を踏むことを禁じられた………馬鹿な話でしょう?」

「………さぁね。それは君が決める事だよ」

「うん………その後、私は村に戻ったの。素性を隠さず、有翼族としての姿で。それでも、村の人たちは私を受け入れてくれた。もしもの時に身を隠せるように、地下通路に繋がってる家を用意してもらって、本当に嬉しかった」

「………」


 ほんの少しだけ、僕が世話になっている村の事を思い出した。最初こそ大変だったけど、今は僕を慕ってくれている。もちろん、色々と事情は異なるんだろうけど………本来嫌われ者である有翼族を差別せず、当然のように受け入れた村人達はとても人情に満ちた人たちだったんだろう。


「………私も、最初はこの村が襲われたときに戦ったの。でも、必死で身に付けた魔法が一切効かなくて………仲の良かった人に無理やり引っ張られて、この地下通路に逃げたの。その後は………」

「人前に姿を見せれない君は、街にも逃げれないからここで暮らしてたってことかな」


 ステラは無言で頷く。話を聞いた限り、やっぱりあの怪物には魔法が効かないらしい。けど、切断された腕はあった。つまり、物理攻撃は有効なんだろう。それが知れただけでも大きな進捗だ。

 彼女の身の上に関しては………まぁ、しょうがないところはある。有翼族が住まうアストライアは浮遊群島の名の通り、空を常に航行していて、更に結界を張っているために『奇跡』の力が無ければ見ることも入ることも出来ないとされる。

 人前に姿を表せば、様々なリスクが彼女を襲うだろう。質の悪い研究者たちに掴まれば実験体に。希少性に目を付けた奴隷商が、彼女に隷属の魔法を掛けて高く売り飛ばす。欲深い貴族や、金持ちなど。

 希少な物は金になると言うのは当たり前で、この世界では人も例外じゃない。天使と言われれば納得する外見と、そもそも有翼族だという価値は普通の人間からすればかなり高いからね。


「………最近までは、こっそりと食料を持ってきてくれた人がいたの。でも………」

「………」

「心配になって、少しだけ外を探してみたの。でも、この地下通路の出入り口にあったのは、食料の入ったバッグと血の跡」


 何というか………こう言ってはあれだけど、本当に巡り合わせが悪いのだと思う。それと同時に、奴らさえいなければ、あの村にあった温かい奇跡は失われなかったのだと思うと、怒りが湧いてくる。

 善行を積もうが、悪行を重ねようが。関係なく死ぬときは死ぬし、災難に見舞われる時はある。しかし、こうも理不尽な仕打ちを受ける必要はあったのだろうか。


「………そっか。色々と話させて申し訳ないね」

「ううん………聞いてくれてありがとう。一人で抱えるのは、少しだけ辛かったから」

「まぁ、何の救いにもならないかもしれないけど………あの怪物たちは、絶対にどうにかするよ。あれが本来存在する普通の生物だとは思えないしね」


 僕が感じた事だけど、あれは本来存在して良い生物ではないのだろう。いや………生物なのかもわからないけど。グランの言った天と言うのが何かは分からないけど、きっとそこに答えがあるはずだ。

 知らなければならない。この悲劇を二度と繰り返さないためにも。


「僕は行くよ。コーヒー、美味しかったよ」

「あ、待って………今、多分夜だよ」

「問題ないよ。夜目は聞くし、移動手段はあるからね」

「そうじゃなくて………あの怪物、夜になると行動が活発になるの。帰るのは、ここで一夜を明かした後の方がいいと思うけど………」

「あー………」


 ほんの少しだけ考える。頭にあるのは二つ。まず一つは、彼らに勝てるかどうかの話だ。物理攻撃が有効だと言う仮説は立った。でも、仮説は仮説だ。もし囲まれてしまったような絶体絶命の状態でそれが間違っていたら、僕はもうどうしようもない。

 もう一つはフラウの事。出来るだけ早く帰ると言ってしまった手前、初日から日をまたいで帰ってくると言うのは結構後が怖い。

 とはいえ………もし僕がここで焦った結果帰れなくなってしまった時、彼女はどんな顔をするのだろうか。それを考えると、危険は冒せない。


「そうだね………じゃあ、申し訳ないけど頼めるかな。彼らについて、もう少し確信を持った対策を練ってからじゃないと、色々と危ないみたいだからね」

「うん、そうしてくれると嬉しいかな。折角のお客さんなんだし、しっかりとおもてなしをしないとね」


 そう言って微笑を浮かべたステラは、先ほどの暗い顔とは一転して、まるで天使のような笑みだった。けど………あんな話を聞いてしまった後だからだろうか。その笑顔の裏に、どうしようもない悲しみがあったように見えた。

 まぁ、元来薄幸な人と言うのはどうしてもいると思うけど。彼女の場合、これ以上ない程の幸運に恵まれた後で、それらを全て無に帰すような惨劇が襲ってきたことが、どうしようもない不幸だったのだろう。

 彼女の問題はかなりデリケートだ。気安く他人に話せるような事ではないし、かといって他人の介入が無ければ彼女が生きるのは難しい。今まで空の上で狩りの心得なども知らずに生きて来た少女が、いきなり一人で生きろと言われても無理な話だ。

 これから彼女がどうするのかは分からないけど、出来ればこれ以上の不幸が彼女を襲わないように願うのだった。



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