第53話

「ニルヴァーナ、ここで降ろしてくれないかな」


 曇っている空。雲の下を飛行するニルヴァーナの中で、僕はニルヴァーナへ指示をする。ここにいるのは僕一人。

 あの後、僕は個人で調査へ乗り出すことにした。最初はフラウも付いてきたがったけど、流石に危険すぎるために却下して、ロッカに預けてここへ来た。一応、ちゃんと怪物化への対策や、正確な危険度の認識が終わってからなら同行も検討するけど、あんまり気が進まない。


≪良いのですか?目的の場所は少し先ですよ≫

「件の生物が、グランの時のように僕らを認識しないとは限らないからね。出来るだけ悟られない方がいい」

≪分かりました。今から降下します≫


 そう言って、ニルヴァーナは地上へと高度を下げていく。ある程度下がったところで僕はいつものように光となって外へ出ると、そのまま右手を上にかざす。ニルヴァーナは空中で緑の光となると、僕の手の中へ収束する。

 石へと戻ったニルヴァーナを懐へ入れ、そのまま歩く。僕の歩く先には壮大な森がある。フォレニア王国から歩いて一日程の場所にある『精霊の森』と呼ばれる原始的な森だ。

 鬱蒼とした木々と、様々な動物や魔物。その森の広さや、生息する生物の危険度から、毎年冒険者が足を踏み入れては帰って来なくなった報告が絶えないらしい。

 ちなみに、精霊の森と言われているものの実際に精霊を見たという人はいないらしい。その森の雄大さと原始的な姿から、この森には精霊が住まうと昔から言い伝えられているのだとか。


「さて………鬼が出るか蛇が出るか。収穫があればいいんだけどね」


 そしてあの森が、最もあの異形の怪物が発見されたという報告が上がっている場所でもある。そして森に最も近い村こそがアズレインから聞いた襲撃を受けて壊滅した村であり、今日はそっちの様子も見に行きたいと思っていた。

 僕はニルヴァーナがいるし、一応テントも持ってきているから野営をしても問題はない。こんな危険地帯で野営をする勇気があればだけど。後、長期間帰らなければ帰らなかった分だけフラウが不機嫌になりそうだ。一人で村にも行けるから、食料で困ることはないだろうけど………まぁ、早く帰るに越したことはないね。









 森に入った僕は、噂で予想していた以上に鬱蒼としていた森を進んでいた。足場は木々の根っこが飛び出していたり、まばらに石が落ちていたりでかなり悪い。これくらい苦にするような身体じゃないけど、何となく面倒だと感じてしまうのは仕方のない事だろう。


「………静かだね」


 既に森に入って数十分。これだけ自然に満ちた森だと言うのに、辺りはかなりの静けさだった。辛うじて鳥のさえずりや虫の音は聞こえてくるものの、それも何故か控えめな気がしていた。

 というより、森全体が活気が無いと言うべきだと思う。僕の目に映る生命力や、その他のものにおかしな点がある訳じゃないんだけど、何故かそんな雰囲気を感じていた。この曇っている空模様のせいだろうか。

 二時間程歩いてみたけど、結局何もなかったし、何もいなかった。


「………」


 これが、寧ろ平和だと言う人がどれほどいるのだろうか。毎年帰ってこない者が続出するという大自然を体現した森で、まともな生物を見ていないのだ。昆虫や鳥などの小さな生物はたまに見かけるけど、鹿や猪、その他一切の魔物の影すらない。それどころか、何一つとして痕跡も残っていない。


「………駄目か。村を先に見に行こうかな」


 僕はそのまま進んでいた方向を変えて歩く。一応地図は貰っているし、ちゃんと覚えているから問題はない。森の中でも大体の距離は把握しているし、そもそも僕は風の流れを見ることで地形をある程度把握することも出来る。

 迷うことなく森を進んでいた。その途中でいくつか珍しい植物を採取したりしながら。こんな時にするべきことかと言われると違うのかもしれないけど、そもそもお目当てがいないのだから仕方ない。時間は有意義に使うべきだよ。

 流石に精霊の森と言われるだけあって、僕の住んでいる周囲にある森ではまず見ないような植物が多く群生していた。これでまた、研究が進むと嬉しいんだけどね。

 そんな風に歩いて数十分。森を抜ける。僕の視線の先には、そう遠くない距離に件の村が見えた。僕は次こそ寄り道をせずに村へと向かうのだった。







 村に着くと、やはり誰一人としていない静寂に包みこまれていた。調査に来た騎士辺りが居ても不思議じゃないと思ってたんだけど。

 民家のドアは乱暴に破壊され、窓も粉々になっている。大きな爪痕や、地面に付着した血痕がここでの惨劇を生々しく表していた。

 しばらく村を進みながら民家や店などをのぞき込んだりしていたが、何かの手掛かりはおろか死体すら見つからない。その割には物品の類は散らかったりしているだけで、盗まれているような様子はなかった。


「………盗賊、という訳でもないみたいだね」


 この村の壊滅が、奇妙な生物の発見と関連付けて捏造された話だとも思ったんだけど、死体が消えていて物品に手を付けないのは普通に考えたら有り得ないだろう。

 しばらく歩いていると、露店が見えた。床に敷かれた布の上にある品物は散らばっているだけで、やっぱり手が付けられていないように思えた。

 けど、その中に少しおかしなものがあった。それは明らかに品物ではなく………


「………戦った、のかな」


 それは真っ黒な物体。朽ち果てた木の根のようなそれは、まるで痩せこけた人の腕のように絡みついていた。自然物には思えない。

 僕はしゃがんでそれを見る。けど、手が届かない程度の距離を置いていた。触るのは危険だからやめておいた方がいいと判断したからだ。怪物に変わる条件は分からないけど、物理的な接触だけで反応してしまったら困る。

 断面を見た所、やはり何らかの道具………特に刃物で切断されたように、綺麗な断面になっていた。

 しばらくそれを眺めていた時、視界の端で何かが動いた気がして顔を上げる。前方に立っている姿見。そこには、僕の背後で腕を振り上げる異形の人型が。


「っ!?」


 すぐにしゃがんだまま地面を蹴って横へ跳ぶ。そのまま転がって右手を付いて体を起こし、相手の姿をしっかりと見る。

 真っ黒な根の絡みついたような異形。翼などはなく、グランより人型に近い二足歩行。ただし、その腕は二対四本だったが。顔はやはり鼻や目などはなく暗い闇が大きく広がっているだけだった。


「顕現せよ。メイアの権能」


 僕は右手を地面に付けたまま黄金の光を纏わせる。それと同時に僕の後方から三本の鎖が飛び出して来る。一直線にその怪物へと鋭い切っ先を向けながら突き進む。


「■■■■■■!」


 怪物が叫び声を上げる。その瞬間、地面から突き出してきたのは数本の真っ黒な根。それが触手のように伸び、鎖が突き刺さって止められる。しかし、そのまま黒い根は地面から伸び続け、尖った根の先端を僕に向けると、高速で発射される。

 立ち上がった僕は後方へ跳び退く。地面に着地した瞬間にもう一度後方へ跳ぶと、僕の着地した場所から無数の根が飛び出してきた。


「顕現せよ―――」


 空中で右手に赤い光を纏わせた瞬間、地面から伸びてきていた根がそのまま僕へと飛んでくる。炎を放とうとしたのを止め、左手に真炎の剣を作る。


「っ………!」


 剣を薙ぎ払う。巨大な火炎の斬撃が迫る根を両断し、燃やし尽くす。しかし、すぐに違う方向から再び伸びてくる漆黒の根。右手に黄金の光を纏わせて、引っ張るように振るう。


「顕現せよ、メイアの権能!」


 地面から高速で伸びて来た一本の鎖を右手で掴み、鎖で僕自身の身体を引っ張らせて地面へと急降下させる。地面に無理やり着地すると、すぐにその場を跳ぶ。僕が着地した場所に、追ってきていた根が何本も突き刺さり、土煙を巻き上げる。


「厄介な………!」


 家の上に着地し、思わず舌打ちをしそうになる。再び怪物が何かを叫び、伸びてくる無数の根。僕は右手に薄緑の光を纏わせ。振るう。


「顕現せよ。リードの権能」


 僕の周囲に風の刃が竜巻として形成され、迫る根を切り刻む。しかし、風刃の先に見える怪物の闇の中で、一瞬だけ何かが輝いた。


「っ………」


 すぐに黄金の光を纏わせた右手を振り上げる。僕と怪物の間に五枚の土壁が展開された瞬間だった。怪物の闇から放たれた熱線が、土壁を熱で穿ちながら僕に迫る。

 すぐにその場から跳ぶ。僕のいた場所を過ぎ去った熱線は、放つ熱によって直撃もしてない屋根を融解させていた。

 地面に着地すると、黄金の光を纏わせた右手を地面に付ける。


「顕現せよ。メイアの権能」


 怪物の周囲から無数の鎖が飛び出し、手足を拘束する。僕は左手に持った真炎の剣を、一本の槍へと変えて、投擲の構えを取る。


「焼き穿て………!」


 槍の放つ熱量と光が増す。地面は炎熱によって赤く熱され、周辺の温度を一気に上昇させる。


「■■■■■■!」


 黒い根がそれを阻むように僕へと迫って来るけど、それよりも早く最大まで熱量を増した炎の槍を全力で投げる。音速を超えて波動を放ちながら飛んだ炎槍は、周囲へと解き放たれた熱で迫る黒い根を融解させ、怪物へと直撃した。

 炎槍は大きな爆発を起こし、巨大な火炎が爆発地点の後方を家まで巻き込む。村の半分を包み込んだ大火炎。やりすぎなように見えるけど、僕もそれくらい余裕がなかったわけだ。


「ふぅ………」


 ここまで手こずるとは思っていたなかった。怪物の報告例はいくつか上がっているようだし、これが唯一の個体という訳じゃないだろう。

 その瞬間だった。炎の中で、閃光が走った。


「っ!?」


 すぐに僕は横へ跳ぶ。それと同時に放たれた熱線が地面を裂きながら僕のいた場所を通過し、薙ぎ払われた地面が大爆発を起こした。

 一つの民家の近くに着地すると同時に炎の中を見る。薄っすらと映る、異形の影。


「………」


 信じられない光景に、言葉すら出ない。ただ、受け止めるべき真実なのだろう。あれだけの攻撃を受けて、見える影には欠損一つ見えない。傷と言う傷を負っているのかすら分からない。炎に包まれているからか、僕を視認していないようで、それ以上は攻撃をしてこないが、何事もないかのように炎の外へとゆっくりと歩き出す。

 どうしようかと考えた瞬間、村の周囲………この村を囲うように、次々と叫び声が聞こえる。明らかに人の物ではなく、怪奇な甲高い叫び声。


「………」


 まずい。明らかに戦いの気配に寄せられてきたみたいだ。このまま囲まれてしまったら、流石に僕でも厳しいかもしれない。ニルヴァーナで逃げることも考えたけど、もし彼らがニルヴァーナを視認して、熱線を放たれてしまったら危険だ。

 どこかに身を隠すべきか。そう思った瞬間だった。僕の手が掴まれ、家の中へと引っ張られる。


「っっ!!」

「静かに」


 僕が咄嗟に魔法を使おうとした瞬間、透き通る少女の声が僕を制止する。驚いてそっちを見ると、薄い金髪と、同じように黄金の瞳。肩などが大きく出ているドレスのような白い装束に身を包んだ華奢な少女だった。何というか………どこかの神殿などにいた方が似つかわしいような服と言えばいいだろうか。

 けど、彼女は一目で人間ではないと理解できた。まるで人間とは思えない程美しく整った顔立ちに頭の左右から伸びる小さな金の羽と、背中から伸びる大きな黄金の翼。膝まで伸びる長い髪はまるで人間の髪質とは違い、ふわりと広がっていた。


「君は………」

「余裕が無いの。こっちへ来て」


 そのまま僕の手を引いて、家の中へと進む少女。すると、家の端にあった床の扉を開ける。開かれた扉の中には階段が続いていた。迷わず中へと手を握ったまま入ると、少女は扉を閉めて階段を進んでいく。

 広がる長い地下道。ほんの少しのカビ臭さが鼻をつく。真っ暗闇の中を、不意に灯りが照らした。少女は僕の手を握る手とは反対の手の上に、一つの光の球を作っていた。


「ごめんなさい。急に引っ張って」

「いや………助かったよ。丁度逃げ道を探していたからね」


 少女が振り向いて、申し訳なさそうな顔で謝る。僕は首を振って感謝を述べると、次に返って来たのは疑問の顔だった。


「あなたは何故この村に?この国の騎士ってようには見えないけど………」

「………それは君にも言えるけどね。君もこの村の住人じゃないだろう?」


 彼女の翼を見ながら言う。その装束を見た時から確信したけど、彼女は有翼族と言われる種族だと思う。彼らは天に浮かぶ群島アストライアに住まう、神の血を継ぐ天人だと自称して憚らない種族だ。

 生まれてくる子は全て端正な外見をしており、長寿として有名なエルフを上回る長い寿命。天を駆ける翼と、魔法とは違う『奇跡』と呼ばれる能力を持つとされる。

 他の種族の前に姿を現すことは滅多にない。何故なら、彼らは下界を不浄の地として忌み嫌っているからだ。そこに住まう生物も当然のように見下しており、唯一『権能』である五人のみ天の理を知った者として、彼らをアストライアに招待したという。

 まぁ、彼らはそれを断ったせいで、天人の顔に泥を塗ったとして敵対することになったようだけど。

 基本的には傲慢かつ尊大。自分達こそこの星で最も優れた種族であると断言する、地上の種族からすれば嫌われ者だ。


「………その話は後で。今はここを離れないと」


 しかし、彼女はそんな態度とは全く真逆だ。


「………分かった。取り敢えず、もう自分で歩けるよ」

「あ、ごめんなさい………」


 そう言って、彼女は手を離す。周囲には蝙蝠などが飛んでいて、どこかに繋がっていることは確かだった。

 ひんやりとした空気と、長く続く通路。闇に閉ざされているけど、僕は問題なく見ることが出来る。灯りがあっても困らないし、消していいという訳じゃないけど。


「出口に行くのかい?」

「少しだけ、時間を置いてからね。近くにいるかもしれないから」

「なるほどね………」

「通路の途中に部屋があるから、そこで少しだけ休まない?色々、お互いに聞きたいことがあるだろうし」


 彼女を信用しても良いのか。という疑問は今気にすることじゃない。どの道、彼女に悪意があるなら抵抗するだけだし、本当に悪意があるならわざわざ危険を冒してまで僕を助けはしないだろう。


「そうだね………じゃあお願いするよ」

「うん、付いて来て」


 そう言って歩き出す少女。僕よりも少し低い身長から、殆ど同い年か少し低い程度の外見。そう、あくまでも外見はだけど。彼女が有翼族だとすれば、見た目と年齢は絶対に違うはずだ。

 まぁ、この世界じゃ見た目と年齢が一致しない事なんて、人外ならざらにあることだ。

 灯りが照らした地下通路を歩いていく。追手は来ていないようだ。少しだけ安堵をしながら、彼女の後を付いていくのだった。




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