凶兆の暗雲は天より高く

第52話

 あの戦いが終わって二週間後。僕らは家に戻ってからは今までと変わらない日常を過ごしていた。少しずつ変わってきたことと言えば、彼女が料理を作ってくれる事が多くなってきたことだ。

 朝に限らず、夕食も。僕が研究のために工房に籠ってる時は、必ずと言って良いくらい作って置いてくれてる。無理はしなくていいと言ってはみたけど、美味しいと言ってくれるのが嬉しいから、と返されてしまえば何も言えない。

 最早当たり前になったように階段を下りて、キッチンにいるフラウに声を掛ける。


「おはよう、今日も良い朝だね」

「あ………おはよう。丁度、朝食が出来たから座って」

「うん、ありがとうね」

「!」


 ロッカが手を振って来る。それに軽く手を振り返し、僕は椅子に座る。今日は午前中にアズレインが尋ねてくると、村人達から伝言を貰っている。結局一度も講師としてあの国を訪れてはいないし、そっちの話もしないとね………とはいえ、まだ先になるかもしれないけど。

 色々考えながら朝食を食べ終わり、僕は更を持って立ち上がる。


「ごちそうさま。今日もおいしかったよ」

「………うん、よかった」


 皿をキッチンに持って行って、そのまま洗っていく。いつもならすぐに支度をしてフィールドワークに行くか、工房に籠って研究をするんだけど………まぁ、フィールドワークは言わずもがな、研究にしても僕はちょっと集中しすぎてしまうきらいがある。

 特に出来る事が無いから、今のうちに出来る事をしておこうと思っただけだ。


「………私が洗ったのに」

「あはは。君にばかりさせるのも悪いからね。それに、今日は他に出来る事はないし」

「………ん」


 ここ最近では料理だけじゃなく、その他の家事まで率先してこなしてくれるようになっていた。元から凄くいい子なのは分かっていたけど、流石に申し訳ないからたまに自分で暇を見つけてやろうとしてはいるんだけど、こうやって少し不満気な様子を見せることが多々ある。

 こうやって、自分から自分の仕事を探そうとする姿は本当に純粋で可愛らしいのだけど、将来この純粋さが利用されるような形で仇とならないかすごく不安だ。もちろん、だからやめたほうがいいとは言えないのだけど。

 彼女も食べ終わり、自分の皿を持って来る。僕の隣で一緒に洗いだした彼女に声を掛ける。


「もうすっかりここの生活にも慣れたね」

「うん………ここが、好き」

「ふふ、そっか」


 照れくさそうに、ほんのりと頬を染めながら告げる姿に思わず笑顔がこぼれる。僕は自分の分を洗い終わった後、フラウの分も一緒に洗ってソファーに座った。僕はそのまま研究資料を取り出して読んでいた。

 彼女は最初こそ僕の隣で座って本を読んでいたけど、一時間程した頃には本を机に置いて、ソファーへ寝転がって眠っていた。クッションを枕にして穏やかな寝息を立てているのは良いのだけど、足を邪魔にならないように曲げて、こちらに向けるのは少しはしたないと思うんだけどね。

 僕は一度二階の空き室に行って、毛布を取って来る。この子は結構無防備な所があるから、少しだけ悩みの種だ。そこを差し引いても良い子であることには間違いないんだけど。

 そのままフラウに毛布を掛けて、もう一度ソファーに座って資料を読んでいた。それから二時間程すると、不意に扉がノックされた。


「お、来たね」


 僕は立ち上がり、そのまま扉に向かって戸を開く。その向こうには予想通りアズレインが立っていた。


「こんにちは、シオンさん。ご無沙汰しております」

「うん、こんにちは。しばらく忙しかったみたいだね」

「えぇ………まぁ、私たちはあまり関係はありませんが」

「なるほどね………中に入るかい?」

「いえ、こちらで大丈夫ですよ」


 そう言って、彼は懐から一枚の封筒を取り出す。ぱっと見は普通の封筒だったけど、よく見れば細かい模様などが入っていて少しだけ高貴さを感じられるものだった。


「それは?」

「セレスティア様からです。恐らく一週間後には今の忙しさも落ち着くようですから、次期国王決定を祝うパーティーを開くとのことで。その招待状を」

「………なるほど。正式に、次期国王はセレスティアで決まったわけだね」

「はい。セレスティア様があなたには絶対に来てほしいと仰っていましたよ」


 僕は封筒を受け取る。今はまだ会話をしているから内容は後で確認するとして、一週間後だったかな。


「ふむ………一週間後だね」

「えぇ、ご都合はいかがでしょうか?」

「問題ないよ。僕は殆ど研究をしているだけだからね。毎日予定なんてないようなものだ」

「では、確かに伝えましたよ。後、ヴァニタスの講師の件なのですが………」

「あぁ、うん」

「あちらも色々と体制が変わりつつあり、正直最も忙しい状態のようでして………いつ頃から開始できるかもまだ目途が立っていない状態です」


 おや、それは意外だね。とは言え、それも仕方がない事なのかもしれない。次期国王が決まったわけだし、大きな動きがあるのも当然だし。


「そっか。まぁ、別に今すぐ講師として授業したいという訳でもないから良いんだけどね」

「後は………そうですね、良ければそちらの近況を教えていただけると嬉しいのですが」

「ん?………あぁ、セレスティアからかな」

「その通りでございます」


 やっぱり。僕の個人的な事を気にするような相手は、セレスティアぐらいだろうし。結局、僕の答えはまだ決まっていない。断らないといけないのは分かっているけど、そう簡単な話でもない。

 案外臆病だと思うかもしれないけど、セレスティアの傷つく顔は見たくはない。


「そうだね………特に変わらず平和だよ。気ままに研究したり、フィールドワークに行ったり。フラウとロッカと過ごす日々を楽しませてもらってるかな」

「そうでしたか。フラウさんと仲良くやっているようで何よりです」

「そりゃね。可愛い妹だし」

「はは………はっきり断言しましたね」

「今は寝ているから大丈夫だよ。聞かれてたら拗ねちゃうんだけど」


 正直、今更あの子を僕とほぼ同い年の女の子として扱うのはちょっと難しい。最初はなんとか意識を変えようと頑張っていたけど、それは無理だと悟っていっそのこと開き直ることにした。とはいえ、彼女の前ではっきりと言うと拗ねるから、あまり声を大にしては言えないけどね。


「………色々と大変ですね」

「そうかな?あの子はああ見えて素直だし、最近は家事を率先してやってくれるから困ることはないよ。そういう意味では………家の中で自分がやることを見つける方が大変かもね」

「おや………素敵な家庭をお持ちですね」

「………言い方に含みがあるね」


 ちょっとだけ口角が上がったアズレインに、僕が呆れた目線を送る。からかっているのは分かっているけれど。

 アズレインは喉の奥でくつくつと笑い、僕に言葉を返す。


「いえいえ、そんなことはございません。やはり、家族と言うのは素晴らしいものですから」

「まぁ、そうだけど………そう言えば、君にはそういう相手がいるのかい?」

「えぇ、妻と娘が。仕事の都合上、長く会えない時もありますが………やはり、家族と過ごす時間が最も幸福を感じる時ですね」

「あぁ………やっぱりね」


 まぁ、意外だとは思わない。寧ろ、いないと言われた方が驚いたかもしれない。まぁ、ぱっと見明らかにモテそうな外見と、大人の余裕を兼ね備えた男だからね。

 そんな考えを読んだのか、アズレインが笑みを浮かべる。その笑みを見た時、何となく嫌な予感がした。


「おやおや、シオンさんも十分女性には好かれるのでは?」

「………一つ聞きたいんだけど、いいかな」

「なんでしょうか?」

「セレスティアと僕の関係について、何か聞いたりは?」

「………」


 アズレインの笑みが深くなる。それを見て、僕はため息を付いた。


「………なるほど。知ってるわけだ」

「えぇ、それはもちろん。ラザール様が意気揚々と言いふらしていましたから」

「………」


 なんて恐れしらずな。というか、デリカシーの欠片もないねあの騎士団長。何となくお調子者と言うか、そういうのが好きそうな雰囲気は出ていたけど、まさか王族の恋愛事情まで言いふらすとは思わなかった。


「既に国中で噂になっていますよ。祝福する者が殆どですが」

「いや、気が早いって。そもそも僕は………」

「えぇ、もちろん分かっていますよ。ですので、私からは何も言いません。しかし、期待が大きいことも覚えておくべきかと」

「………貴族に殺されないかな。あとカレジャスとかに」

「それはないでしょう。既にあなたの名はセレスティア様の盟友として、そして英雄として知れ渡っていますので」


 あれ、結局セレスティアに頼んでいた件は駄目だったのかな。と思ったけど………どうせ、あのスクープ好きの騎士団長様なんだろうね。本当に厄介………な………


「………もう一つ聞きたいんだけど」

「はい、なんでしょうか」

「………君は、僕が誰だか聞いたかな」


 その質問をした時、アズレインの眉が一瞬だけ動く。それを見て確信した。


「………なるほど。そっちも駄目みたいだね」

「えぇ、申し訳ありません。そちらに関しては情報の出所は定かではないのですが………」

「そっか………確かに、あそこには色んな騎士や兵士がいたからね。それも仕方ないか………」


 ラザールが言いふらした訳ではないみたいだ。失念していたけど、僕の称号を知っているのは彼らだけじゃなかったね。


「とはいえ、薄々予想はしていた者が多かったようです。『権能の使者』を使役し、人智を超えた魔法を使い、俗世から離れて研究を続けているという情報から、戦争以前から噂がありましたから」

「まぁ、それもそっか………なるほどね。期待が大きいって言うのはそういう意味なんだね」

「えぇ、そうなります。それに、あなたはただの『権能』ではなく、五つの真理を束ねる『権能』だと聞いていますので………」


 まぁ、知られてしまったならしょうがないね。それで面倒が増えなければいいんだけど。というか、今更ながらにこの話を言いふらされたセレスティアが心配になって来た。

 とはいえ、それを聞くのも怖いしもうこの話題は触れないことにしよう。何食わぬ顔でパーティーに参加すれば、一々突っかかって来る者もいないだろう。


「そう言えば、話が戻るんだけど………パーティーにはフラウとロッカも連れて行って良いのかい?」

「………フラウさんはともかく、ロッカさんは不味いかと」

「そっか。まぁ、予想通りだね」


 流石にパーティーの席にゴーレムがいるのはあまり良くないだろうしね。仕方ないけどロッカはお留守番かな。


「話は終わりかい?」

「えぇ、今の所預かった報告は以上です………それと最後に一つ、個人的な面白い話を持って来たのですが」

「………なにかな」


 絶対に裏があるんだろうけど、取り敢えず聞いてみる。けど、僕は次の言葉に目を見開く。


「実は、報告があったグラン様の変貌なのですが………似たような特徴を持つ生物の発見例が上がってきているのです」

「………え?」

「驚くのも無理はありません。しかし、戦争に全く関係のない者からも報告が上がっているようです。どれも巨体ではなく、形状も個体によって全く違うと記載されていましたが、身体が根が絡みついたような異形の姿をしていると言う点と、妙な言語を使うというのは共通しているのです」


 そんな馬鹿な。あんな生物が大量にいるのだとしたら、それは相当不味い。


「………なんで、それを僕へ公式な報告として渡さないんだい?」

「危険すぎるためですね。実は、もう一つ記載されている情報がありまして………」


 そう言って、懐から書類を取り出すアズレイン。僕へとそれを手渡し、内容を見る。


「………そんな」

「えぇ、私もこれを見た時は言葉を失いました」


 その書類には、一つの村が異形をした怪物の群れに襲撃を受けて壊滅。そして………そこにいた村人達も、殆どが怪物に成り果ててしまったと書かれていた。




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