第50話

 全身に駆け巡る激痛。周囲の空気はまるで火山のように熱され、息をするだけで苦しさを覚える。それでも、私はまだ立っていた。


「はぁ………はぁ………」

「へぇ………耐えきったのね」


 姉上が意外そうに呟く。しかし、その言葉に称賛の含みはない。寧ろ、だからどうしたのかと言いたげな様子だ。


「セレスティア、その満身創痍の身体で何が出来ると言うのかしら?大人しく諦めなさい。そのしぶとさに免じて、今なら―――」

「くどいですよ………姉上」

「………そう。じゃあ………」


 姉上が杖に黒炎を纏う。それと共に周辺に黒い火球を展開し、私を睨みつけてくる。


「終わりよ」

「っ!」


 全ての火球が発射されるのを見て、私は悲鳴を上げる体に鞭打ち、無理やりその場を横へ跳んで避ける。そのまま地を蹴り、続けて発射される火球を全て避けていく。ただでさえ息が苦しい中の激しい運動に、肺の中の空気が全て無くなったかのような錯覚を受ける。それでも、私は負けるわけにはいかない。

 絶望的な状況なのは百も承知です。でも、諦めることは許されない。私の理想を信じ、身を尽くした者達のため、私を信じ背中を押してくれた友のため、理想を追い求める私自身のために。


「はっ!」


 地面を蹴って一気に姉上と距離を縮める。迫る火球の間を潜り抜け、切り払い、炎で相殺する。姉上が接近戦の心得があると言っても、剣術を鍛えていた私に一歩劣るのは間違いない。兄上の剣術も学び、私の勝機はそこしかないはずです。

 すぐに剣の間合いに入り、横薙ぎに振るう。当然、それだけでは弾かれるが、切り返した刃ですぐに猛攻を開始する。

 右から切り払い、弾かれればすぐに回転し反対から斬る。それでも駄目なら上から斬り下ろし、下から斬り上げる。止むことなない炎を纏った連撃を繰り出していく。

 姉上の魔法が規格外の攻撃力を誇ることは理解している。故に、魔法を使用する隙を与えない程の攻撃で押し切れば………


「くっ………往生際が悪いのよ!」


 姉上が杖を地面に叩きつけると同時に私の斬撃を止める。その瞬間、地面に亀裂が走る。私はすぐに後方へ跳ぶと、その瞬間に姉上の周囲の大地が爆発を起こす。着地と同時に地面を滑りながら回転し、勢いをつけたまま剣を振り払う。

 炎の斬撃が爆発とぶつかり、更に激しい爆発を起こす。私は大きく立ち上った黒煙の中へと走る。そして、黒煙の中に見えた姉上の姿。距離は既に私の間合い。


「なっ!?」

「はぁっ!!」


 突如現れた私に驚き、目を見開く姉上。全力の踏み込みと共に、私は炎を纏わせた剣を振るう。姉上は咄嗟に杖を構え、私の剣を受ける。しかし、私の全力の踏み込みで振るわれた剣をそう簡単に受け止めれるはずもなく、一瞬で私は押し切り姉上の身体を防御ごと吹き飛ばす。


「っ………!?」


 姉上は驚愕の表情を浮かべるが、地面に杖を突き無理やり勢いを殺す。その隙を見逃さず、すぐに追撃を構え、駆け出す。その瞬間だった。


「黒炎よ………」

「しまっ―――」


 地面に突き立てられた杖に黒炎が灯る。私は目を見開いて、自らの過ちを後悔するが遅かった。放たれた漆黒の劫火は私を包み込み、あらゆる情報を遮断したのだった。







 全身の痛みという感覚すらも理解できず、死を直観する中で………私は、未だに諦められずにいた。


(………負けたくない)


 薄れゆく意識の中で、手に持った剣が脈動したように感じた。


(………諦められない)


 剣の脈動が強くなる。それと同時に、不意に周囲の熱が和らいだ気がした。そう、まだ意識がある。まだ思考が出来る。まだ………身体は動く。

 剣を強く握りしめる。私の決意はまだ死んでいない。だから………


「剣よ………私の声に応えて………!」


 目を閉じて、小さく呟く。その言葉を発したとき、私の身体に力が流れ込んでくる。暖かく、激しい炎のようなその力。周囲の温度など、まるで生温く感じる程の激情が溢れる。

 瞬間、視界が一気に開ける。私を包み込んでいた黒炎は全て消し飛び、吹き荒れる烈火は私を包み込む。剣は陽炎を纏い、真なる炎を作り上げる。


「っ………なんで………どうしてあなたはそうも往生際が悪いのよ!!!」


 姉上は杖を私に向けて黒炎を収束させて放つ。私は目を閉じたまま剣で薙ぎ払い、大きな爆発が起こる。

 どうして、なんて決まっている。私は業火を纏い、爆炎の中を突き破って空へと駆ける。天へと昇った私が纏う炎は形を変えていく。私は大きな炎の翼を広げる。

 剣が纏う炎は激しくなっていく。目を閉じたまま、両手で握った剣をゆっくりと掲げていく。


「この理想は………」


 天を貫くように掲げられた剣。私は青く輝く瞳を開く。あの日見た笑顔、大きな背中。全てが美しく見えたこの国の理想の姿は………


「諦める事なんて、出来ないから!!!」


 剣が輝かしい光を放つ。天に掛かる暗雲を吹き飛ばし、差し込む光すらも上回る炎の煌めき。日輪の如き炎は、私の道を照らす。

 地上へと炎を纏って急降下する。剣を構え、最後の決着をつけるために。


「私だって………諦めれるわけないじゃないっ!!」


 姉上は黒い火球を作り出す。それは今までとは比にならない程に巨大で、数件の民家ならば纏めて呑み込んでしまうほど。姉上の全力に、私も全力を以て応えなければならない。


「深炎よ!万象を焼き尽くしなさい!!!」

「日輪!我が道を切り開け!!」


 迫る巨大な火球。私は剣を横に振り被り、急降下しながら大きく振り払った。

 閃光が走る。瞬間、その太陽と見紛う巨大な黒き火球は一刀のもとに分断される。私は切り裂かれた火球の間を進み、剣を両手で振り上げる。


「っ!!!」


 姉上は杖を構え、障壁を展開して私の剣を受ける。激突した瞬間に巨大な衝撃波が辺りに広がる。最後の魔力を振り絞った決死の盾。私の限界を超えた魔力では、これを打ち破れなければ敗北する。

 なら、簡単な事だった。私は全ての魔力を込め、全霊を掛ける。


「はあああああああああああっ!!!!」

「ぐっ!?」


 姉上が呻く。その瞬間、障壁に亀裂が走る。その亀裂は徐々に大きさを増し、それに反比例して私が纏う炎は膨大になっていく。


「私は、勝って見せる!!!」


 その瞬間だった。障壁は戦場に響き渡る程の音を立てて割れる。そして、周囲を巨大な爆発が包み込んだ。











 遠くで、大きな火炎が見えた。直前の空に見えたまるで太陽のような輝きは、俺からは見えないというのに何なのか理解できた。

 それは近くで寝かせられているオネストも同じだったようだ。治癒薬を飲ませて安静にさせているからか、既に顔色は良い。深すぎる傷という訳でもなかった事と、オネスト自身鍛えているためにそう簡単に衰弱したりしないだろう。

 もしものことがあれば、シオンさんに助けてもらえればいい。


「………決着が、付いたようですね」

「そのようだな」


 少しの悔しさを含んだ呟きに相槌を打つ。俺はオネストの傍からゆっくりと立ち上がり、息を吐く。


「………お前はどうする」

「………どう、とは?」

「決着を見に行くか?どの道、お前は相手の大将の一人だ。揃って処遇を決めた方が何かと便利だろう」


 そういうと、オネストはしばらく目を閉じる。美しく中性的な顔立ちは、それだけでも様になっていたが………


「行きます」

「そうか」


 オネストは立ち上がる。傷は既に塞がっているようだった。俺が歩き出そうとすると、オネストは腰に下げた剣を鞘に納めたまま外し、俺に差し出してきた。


「これを、持っていてください」

「………あぁ」


 全く、真面目な奴だ。その頑固さは………一体誰に似たんだろうな。











 目の前で膝を付く、満身創痍の姉上。私は剣を突きつけて立っていた。


「姉上、私の勝ちです」

「………えぇ、そうね」


 ゆっくりと姉上が顔を上げる。その顔は笑っていた。


「………見ない間に、あなたは大きくなっていたのね。見た目だけじゃなく、あなたの決意も」

「………」

「命乞いをする気はないわ。あなたなら………この国を背負うことが出来る。その先に何が待っていても………あなたは、立ち止まらないわよね?」

「当たり前です」


 私が答えると、姉上は目を閉じて満足げに頷く。


「さぁ………この戦いを終わらせなさい」

「………はい」


 私は剣を両手で振り上げる。この戦いを、終わらせるために。姉上の首を見て、目を閉じた時………ふと、声が聞こえた気がした。


『まだ、君たちは分かりあえる』


 そんな声は、私が剣を降ろすのに十分だった。構えを解く。いつまでも来ない終わりに、姉上がゆっくりと顔を上げた。


「………何を、しているのかしら」

「戦いの終結が、相手の死だなんて誰が決めたんですか?」

「………は?」


 私は手を差し出す。姉上の目を真っ直ぐに見つめ、言葉を続ける。


「貴女には、生きてもらいます。今更私を好きになってほしいとは言いません。でも………私は、貴女を嫌う事なんてできなかった。敗北の罰は、勝者である私が決める権利があります」

「………甘いのね」


 小さく呟かれたその声は震えていた。私はそれに微笑みを返す。


「そんなの、分かっていた事じゃないですか。前にも言われましたよ、あの時に」

「えぇ………そうだったわね。その甘さは………きっと、あの人譲りね」


 姉上がそういって、私に手を伸ばしてくる。様々な困難はあったが、この戦いの結末はこれで終わった。











 姉上の胸から、剣が突き出してくる。私の顔に跳ねた血が付着する。脳が、理解を拒んだ。


「………え?」

「あ………がっ」


 剣は消失する。崩れてくる姉上の身体。私は、反射的にその体を支える。


「姉上っっっ!!!」

「かっ………ふ」


 姉上の口から血が流れてくる。貫かれた胸からとめどなく血が溢れる。


「困るよ。勝手に負けてもらっては」

「あなたは………!」


 そういって、木々の間から姿を現した男。グランは心底呆れたように、姉上を見ていた。姉上も睨むように目線だけをグランに移す。だが、グランは右手で一人の人間を掴んで持ち上げていた。

 そして、それを私のもとへ投げ捨てる。


「ぐっ………」

「お兄様!?」


 ボロボロのシュティレお兄様だった。グランは赤いオーラを両手に纏い、今まで会ったことのあるグランとは全く別人なのではないかと………


「あなた………誰ですか」

「私は私さ。天の導きが多くの者に示されるよう、彼女には期待していたのだが………負けてしまっては意味がない」

「最初から………王位を狙って………」

「当り前さ。それ以外で君たちに近付く貴族がいると思っているのかな?」


 当然のように言い放つグラン。ゆっくりとこちらへと近付いてくる。


「セレス、ティア………逃げるんだ」

「お兄様!で、でも………あなた達が………!」


 お兄様と姉上を置いて逃げろなどと、そんな酷な事を言うのだろうか。そうしているうちに、グランはすぐそこにいた。


「まぁ、王位を継ぐのが女性であれば何でもいい。君が王位を継ぐのであれば、それでも構わない」

「ぐっ!?」


 首を掴まれる。既に魔力も体力も使い果たした私では、まともな抵抗すら出来ない。


「ただし、私を婿として取るのであれば、だが」

「い、いやに決まって………!」

「知っているさ」


 そう言った瞬間、首を掴んだ右手に虹色の光が纏う。それと同時に、私の中に何かが入って来た。それが何かは分からなかったが、明らかに私という人間そのものを変えようとする何かだと言うのは分かった。

 頭の中で這いずり回るような感覚と、徐々にぼやけていく意識。私は………この男と………


「その手を放せ!痴れ者め!!」


 その瞬間、中性的な怒号が響き、烈火と共に振るわれた剣。グランは咄嗟に私の手を離し、障壁を展開する。私は重力に従って投げ出された。


「爆炎!吹き飛ばせ!」


 激しい爆発が起こり、グランを障壁ごと吹き飛ばす。私の前に立つのは純白の鎧に身を包んだ女性。


「お姉………様?」

「話は後だ!今は姉上を!」

「っ!」


 私はすぐに姉上の息を確認する。既に意識はなかったが、まだ息はある。


「ちっ………また邪魔者か」

「貴様………何をしているのか分かっているのか!?」

「もちろんだ。使えない王族など、死んで当然だろう」

「っ!」


 お姉様が飛び出そうとする。その瞬間、それを制止する声が。


「待て、オネスト。一人じゃ危険だ」

「………兄上」

「………共に行くぞ」


 お姉様が頷く。それを見て、グランはため息を付く。


「はぁ………つまらん。もう良いだろう。そろそろ………」


 グランの身体が光に包まれていく。そして、次に起こる変化に、私たちは唖然と言葉を失うのだった。





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