第41話

 全員の治療が終わった時。とっくに太陽など沈み、辺りは夜闇に包まれていた。テントの中はマジックアイテムのランプが照らしていた。一応、僕は夜目が利くというか、そもそも空の目のおかげで大して明るさなんて関係ないんだけど。

 取り敢えず、治療を行った者は全員救えたと思う。けど、何人かは既に手遅れだった。これに関しては………まぁ、僕が悪いわけではないのだけど、少しだけ申し訳ないとは思う。

 手遅れだったというのは死んでいたという事ではない。けど、最早治療をした程度では助からないほどの傷を負っている者もいる。ハウラが医者だったとはいえ、どんな傷でも治せる神の如き名医だったわけではない。そもそも『権能』は人と関わることが無いのだから、医学に関しても一つの知識と技術として会得していただけであり、本職ではない。

 一応、どんな傷だろうと生きている限りは完全に治癒させるっていう秘術はあるけど………そこそこ大掛かりな儀式が必要になるし、とてもここで出来る様な物じゃない。魔法陣を作る程度なら容易いけど、儀式に必要な供物が厄介だ。

 いくら何でも、竜の心臓や神獣の眼球なんて持ってきてないし、今から確保するのも不可能だし。


「………悪いね」


 僕は息を引き取った男を看取って、立ち上がる。遺体の処理は僕がする仕事じゃない。別に汚れ仕事だからとかいう事ではなく、犠牲者が出た場合も所定の手続きが必要になるからだ。テントをでた所にいる騎士に伝えておけばいいだろう。

 僕はテントをでると、テントの入り口に立っていた騎士が僕を見る。


「シオン様、お疲れ様です………どうでしたか?」

「殆どは治療できたよ。ただ………どうしても全員を救うことは出来なかった。この紙に治療が出来た者と、救えなかった者を纏めているから確認しておいてくれ」

「………ありがとうございます」

「いや………寧ろ悪いね。全員を助けることが出来なくて」

「シオン様が謝ることではありません。全員でなくとも、多くの同胞を救ってくれたのは事実です」


 そう言った騎士に、僕は苦笑いを返す。僕だって、自分が悪い訳じゃないのは分かっている。なんとなく全員を救うのは不可能だと理解していたけど、僕とて鬼や悪魔ではない。目の前で救えたかもしれない命を救えなかったことは、とても悔やまれることだ。


「僕は休むよ。君を無理をしないようにね」

「はい。お疲れ様でした」


 僕は少し歩いて空を見上げる。程なくしてニルヴァーナが下りてきて、僕はいつものようにニルヴァーナの中に入る。中に戻ると、すぐにロッカが手を振って来る。フラウはまだ眠っていて、静かに寝息を立てていた。

 僕はあまり音を立てないようにいつものように壁に寄りかかって座り、目を閉じる。流石に数時間も治療をするのは疲れた。色々と心労があった自覚もあるし、早めに休もう。

 今日の襲撃があったうえで、明日もまた襲撃が起こるとは考えにくい。けど、相手は油断ならない。警戒をしておくに越したことはないし、明日は少し早く起きた方がいいかな。











 朝。恐らく日が昇り始めたばかりだと思われる時間に、私は目を覚ます。戦争中は常にこの時間に起きています。それに、今日はまだ残っている後始末がありますからね。私は起き上がって、着ていたネグリジェを脱いでいく。勿論、つい昨日に襲撃があって、これからも常に警戒を続けないといけないことは分かっています。ですが、休む時間が少ない私たちにとって、睡眠とは唯一心身を休息することが出来る行動であり、出来れば少しでも質の良い睡眠を取るのは重要な事です。

 戦場に慣れた戦士ならば、例え鎧を着ていても十分な睡眠を取ることが出来るそうですが、私はどこまでいっても王女。いくら戦いの心得があるとはいえ、そんな訓練までは行っていませんし、絶対に負けるわけにはいかない以上はこの戦いで訓練をすると言う余裕もありません。

 ネグリジェを脱ぎ、近くに置いていたシオンさんから貰った軟膏を手に取る。戦士にとって、戦場で受けた傷は誇りであるというのは聞いた事があります。ですが、戦士である以前に私は一人の女性なので、傷跡を残したくないのは自明の理だと思います。


「………まだ、強くならないといけませんね」


 この傷は、恐らくですが戦争の決着がつく間には消えないでしょう。戦場に立つ身としての勘ですが、既にこの戦いは折り返しを過ぎています。決着がつくまで、残り一週間もないはずです。それがどちらの勝利なのか。それは最後まで分かりませんが、この戦いが終わるまでこの傷は、私への戒めにもなるでしょう。

 戦場では、弱さこそが悪です。人間社会では様々な個性や違いがあり、必ずしも強くなければならない訳ではありません。ですが、一度武器を手に取り戦地へと出たのであれば、そこは実力のみが生死を分かつ世界。

 姉上の婚約者であるグラン様があれほどの実力を持った方だと言うのは初めて知りました。しかし、私は彼を越えなければこの戦いに勝つことは出来ません。このような傷を作らないために………すなわち、二度と負けないように。私は強くならねばなりません。

 軟膏を胸の傷に軟膏を塗っている時に気が付いた。そういえば、シオンさんに適量を聞いていませんでしたね。そのような時間が無かったのは分かっているのですが。

 昨日と同じ程度塗って、私は着替えていく。私が身支度をしている時、テントの外から声が掛けられた。


「セレスティア様、今よろしいでしょうか?」

「………身支度をしています。急ぎの用ですか?」

「いえ。昨晩、シオンさんが負傷者の手当をした件の報告書を纏めたので、確認をお願いしたく………」

「分かりました、少し待っていてください。すぐに支度をしますので」


 私はそう言って身支度の手を急ぐ。シオンさんは何やら心配していたようですが、私とて着替えをしている際に、同じテント内へ異性を入れることはありません。私は彼を信頼しているからこそ、ああやって私が無防備な状況でもテントへと入れることが出来るのです。

 勿論、今回報告を持って来た騎士は私の私兵です。自らの私兵よりも、友人であるシオンさんを信頼していると言うのは少し問題があるかもしれませんが、仕方のない事でもあります。私は今まで武芸の鍛錬は行っていましたが、実際に戦争に出たことはありませんでした。つまり、殆ど顔を合わせる事自体が初めての者も多いのです。

 そのような方々と、私の友人………いえ、盟友である彼との関係に差があるのは当然のことだとも言えます。無論、私のために戦ってくれている同志ですから、信頼をしていないという事ではありません。しかし、プライベートは別という事です。

 私は着替えを済ませ、最後に長い髪を結う。そして、そのまま仕切りを超えてテントの外へと向かう。


「お待たせしました」

「いえ、そんなことは。こちらが報告書です」


 そういって、騎士の男が渡してきた報告書。そこには助かった方と、そうはいかなかった方々の名簿が。私は一通り目を通すと、少しの間目を閉じた。


「………はい、ありがとうございます。戻って大丈夫ですよ」

「はっ………」


 騎士は一礼してから去っていく。私自身、全員が助かるなどという幻想は抱いていませんでした。寧ろ、この絶望的な状況から半数以上を救えたのは幸運と言えます。ですが、それでも一人一人の命は軽くはありません。今までも少なくはない犠牲が出ていますが、その度に犠牲者の名簿を見るたびに、慣れない痛みが走るような感覚がしています。


「………シオンさんには、後で声を掛けておきましょう」


 この結果を一番痛烈に感じているのはきっとシオンさんでしょう。彼は命の尊さについて、誰よりも深い考えを持っている方です。救えたかもしれない命を、目の前で消えていくところを見た彼は私以上に重く受け取っていると思ったからです。

 彼は『権能』であっても神ではない。それに近しい力を持っているのは否定しませんが、命の存続を自由に操るなど到底不可能な事。これから先、彼の研究の末に辿り着く境地なのかもしれませんが、少なくとも今は出来ないのであれば仕方がない事です。

 恐らく、私が彼を心配しなくとも彼は自力でこの事を割り切ることは出来るでしょう。ですが、私はそれでも黙っておくという選択肢はありません。

 ほんの少しでも、彼の心の負担を軽減出来たら。私は他人を慰めるのが得意ではありませんが、少なくとも気持ちを伝えることくらいは出来ます。

 そんなことを考えていた時、再び他の騎士が声を掛けてくる。確か、次の伝令の任を任せた者だったはずです。


「セレスティア様!伝令の件なのですが………」

「えぇ、すぐに確認しましょう。早ければ今日のうちに発ってもらいますよ」

「承知しております。しかし………本当に、私がニルヴァーナに乗るのですか?」

「それは分かりません。天竜ニルヴァーナは『権能』には絶対の忠誠を誓っていますが、そうではない人間には無関心だと聞いた事がありますから………」


 騎士の男から書類を受け取り、私は目を通しながら答える。フラウさんは当然ながら『権能』ではないですが、彼女は殆ど彼の家族と言っても過言ではないでしょうし、そうなればニルヴァーナも彼女の事を認めざるを得ないでしょう。ロッカさんはそもそもシオンさんの使い魔のような存在ですし。

 ですが、私たちは違います。私は彼の友に過ぎず、ましてや目の前にいる騎士など彼と一切の関わりが無かったはずです。そのような人間を自身の中へ乗せて飛んでくれるのか。それは私には分かりかねますが、彼の言う事であれば聞いてくれるのでは、という漠然な期待を抱いています。家族同然とは言え、フラウさんだって乗れているのだから尚更。


「………家族、ですか」

「はい?」

「あ、いえ。なんでもありません」


 私はふと姉上達の事を思い出す。幼いころは、二人共とても優しく、私も姉として慕っていました。ですが、姉上が私を嫌いだしたのは………私が王位継承第一候補と呼ばれるようになり始めてからでした。オネストお姉様も、それと時を同じくして私を嫌い始めた。ですが、オネストお姉様は………それよりも前から、態度には殆ど表さなかったものの、心のどこかで少しだけ私を避けていた気がします。

 私だって分かっているのです。姉上は、私が王位継承第一候補と言われていた姉上の座を奪ってしまった事へ。そして、オネストお姉様は………母上の命と、お兄様達の関心を奪った私を憎んでいるのだと。

 無論、母上の命を直接奪ったわけではありません。ですが、そう思われても仕方がない事ではあるのです。その時から、少しだけ私に対する負の感情はあったのでしょう。そこから、お兄様達の関心まで奪った私を許せなかったのだと思います。

 そして、姉上とは一度だけ話し合いをしたことがあります。互いの理想について。当然のように話は嚙み合わず、互いに深い溝を作っただけに終わりました。

 家族の愛を知らない訳ではありません。お父さまは王として、そして父として私を当たり前に愛してくれましたし、お兄様達もとても可愛がってくださいました。

 そして………私は未だに、姉上達が私と笑っていた頃の事を忘れることが出来ていません。いくら理想が違い、憎まれていたとしても………血を分けた姉妹なのです。


「………」

「………セレスティア様?」

「っ………すみません。少し、今後の事を考えていました」


 あの頃みたいに、幸せに笑い合う事はもう出来ないのだろう。そう思ってしまうと、私は言い表せない痛みが胸を刺す。あの時オネストお姉様から受けた傷が痛みだしたような気がした。

 昔とは既に何もかもが違う。私は王位継承第一候補と呼ばれ、お父さまの期待を受けた私は王位を継ぐことを決心しました。勝った者のみが、この先の未来を手に入れる。

 姉上達が勝てば王位は姉上が継ぎ、この国は昔のように鮮烈で輝かしい成長を遂げる猛き国へとなるでしょう。姉上は既に婚約者も決まっていますし、幸せな未来が待っていることは決まっている。

 私が勝てば王位は私が継ぎ、私は国を導き、民を守る強固な国を相続させ、民の生活と当たり前の幸せを守る者として立つことになるでしょう。言わずもがな、婚約者などはまだ決まっていませんが………出来れば、幸せな家庭を持ちたいものですね。

 私は書類を騎士へと返して、言葉を続ける。


「シオンさんの到着を待ってからこれからの事は決めます。怪我人の中には数日で動ける者もいるそうですから、こちらから攻め入るのは待った方がいいでしょう。その間に、私たちは援軍を呼ばねばならないのですから。ニルヴァーナへの搭乗が不可能だったとしても、護衛だけは可能だと思いますので、どちらにせよ出来るだけ早く行動するに越したことはありません」

「そうですね………しかし、不満がある訳ではないのですが、我々はシオン様を良いように使い過ぎでは?彼が自ら望んでセレスティア様の友軍としてここにいることは存じていますが、流石に活躍が大きすぎるかと………」

「………分かっています。彼のは公式の報酬とは違う、友としての謝礼を考えていますからご心配なく。そもそも、他の貴族の方に気を使ってこのような体制を取らざるを得ないことそのものを心配するべきですよ」

「………まぁ」


 騎士は言葉を濁す。彼からすれば、貴族を侮辱するような言葉を言う訳にはいかないのでしょう。とは言え、何も思っていない訳ではないようですが。

 この戦争で最前線に立って戦っている騎士や兵士からすれば、勝つ事こそが重要であり、優秀な味方をわざわざ制限して参加させることに納得できない者も多い。シオンさんがその気になれば、彼らの本陣を一瞬で焼き払う事だって可能という事は、シオンさんを制限なしに使うことが出来れば余計な手間を掛けさせる必要もないという事です。

 まぁ、これが戦争だという物ですから仕方がないところはあります。それでも少し面倒だと思わざるを得ませんが。そもそも、彼らの魂胆が分かっている以上はどうしてもため息を付きたくなるものです。


「とにかく、私の一存で決めることは出来ません。そろそろ降りてくるでしょうし、少し待ちます。その間に私は他の仕事を処理してくるので」

「はっ。それでは、失礼します」


 そういって一礼して去っていく騎士の男。そもそも、彼の力を頼りすぎてはいけないと言っても、既に彼はこの陣営の中心人物となっていますが。

 例え見返りが無いとしても、私のためだと言って当たり前に手を差し伸べる彼。この戦争で、彼の高い能力を当てにして、散々と仕事を押し付けてしまっても彼は文句を言いません。寧ろ、君のためだと一切の悪意や他意もなく告げる彼は、どのようにすればそんな精神性を持つことが出来るのでしょうか。

 『権能』だから?いや、そんなことは絶対にない。彼は『権能』でありながら、あの五人とは全く違う。彼の優しさと温もりは、彼だけが持つものだろう。

 もし彼のような貴族が他にいれば………


「………私だって、色々と悩む必要はなかったのでしょうね」




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