第39話

 私の目の前でロッカは地面に倒れる。その強固な装甲は落ちて来た巨大な剣によって容易く貫かれ、その背中に突き刺さっていた。地面まで貫通し、動くことが出来ないが、死んだわけではない。

 ロッカはその状態でも顔を私に向け、ゆっくりと手を伸ばしてくる。


「………」

「ロッ………カ」


 私もゆっくりと手を伸ばす。しかし、私の背後からロッカに怖気づき後ずさっていた騎士達が再び私の腕を掴んだ。


「………もう、いいよ」

「………」


 ロッカの腕が地面に倒れる。その瞬間、私の瞳の奥に赤い光が灯り、首から掛けていたペンダントが割れた。









 私はあの鉄塊が地に完全に伏せたのを見届ける。だが、その瞬間。あの魔族の少女の纏う魔力に変化が起こった。だが、魔力を感じ取ることが出来る者は、その道に精通する者に限られる。騎士達はそれを感じ取ることが出来ず、無理やり少女を連れて行こうとしていた。


「おい、ま―――」


 私が一度彼らを制止しようとした時だった。少女の足元から暗闇が広がる。そして、その広がった暗闇に周囲の兵士達は水に落ちるように消えていく。全ての魔力反応どころか、その残滓すら残っていない。完全に消滅しているのだ。

 代わりに、私にははっきりと認識していた。暗闇に兵士達が落ちるとともに、暗闇の奥底で巨大な魔力反応が増大していくのを。そして、その魔力が増大していくにつれ、空はあれだけの快晴が一気に暗雲に閉じられていく。

 この異常を目の当たりにした周囲の兵士達は一気に恐怖に襲われ始める。なおも増大を続ける魔力。私は思わぬ事態に眉間に皺を寄せる。


「………ふん。二度も与えたチャンスを踏みにじるか」


 私は周囲に浮かぶ光剣を少女へ向ける。あの少女は暗闇の上で、足元に波紋を広げながら立っている。あの少女の周囲は何故か薄暗いような気がした。だが、その場から一歩も動かず、俯いたまま暗闇の上に浮かぶ鉄塊を見つめていた。

 私は二本の光剣を少女へと発射した。とはいえ、この場で殺すのは惜しい。魔族というシグリア大陸以外にはおらず、人間とは少々異なった性質を持つ魔法。この少女自身の特異性は、私の導きにより、磨かれることで天に届く至高の力となるだろう。急所を敢えて外して狙い、高速で少女へと迫る二本の光剣。


「オォォォォォォ!!!!」

「なに!?」


 その瞬間だった。暗闇の底から地を揺るがすおどろおどろしい雄たけびが響く。暗闇から這い上がって来るかのように低く、潜在的な危機感を沸き立たせるその声と共に、広がっている暗闇から溢れた瘴気が剣を呑み込む。

 その瘴気に飲まれた光剣は一瞬で朽ち果て消滅する。いや、それは寧ろ魔力を啜っていると言った方が正しいかもしれない。私の魔力すらも食らった存在は、更にその力を増していく。明らかに普通ではなかった。


「フラウ………さん?」


 後方で起き上がったセレスティアが唖然と少女を呼ぶ。だが、少女は一切の反応を示さなかった。


「………仕方がない。セレスティアだけでも仕留めるのだ」

「し、しかし、あの暗闇は………」

「避けて通れば良いだろう。必要以上に怖がるな」


 私の指示を受けて、暗闇を避けてセレスティアに迫ろうとする兵士。だが、その瞬間だった。空中から、突如巨大な何かが五つ落下してくる。

 それはセレスティアに迫ろうとした兵士達を潰し、それをみた私はため息を付く。


「やれやれ………時間稼ぎに過ぎないとは分かっていたが、こうも早かったとは」

「………」


 積み重ねられた我が竜騎士団のワイバーンの死体。そのうえで、一人の青年が立っていた。その瞬間、俯いていた少女が初めて反応を見せた。ゆっくりと青年を見る。


「………シオ、ン」

「………フラウ、ごめんね」


 青年は死体から降り、暗闇の上を歩いていく。一歩進むたびに波紋が広がり、青年は途中で倒れている鉄塊を見る。


「ロッカ、お疲れ様。良くフラウを守ってくれたね。後でちゃんと治してあげるから」

「………」


 そう言って、青年は少女の前に立つ。周囲に小さくあの咆哮が響くが、青年は気に留めていない。かく言う私は動くことは出来ない。今攻撃したところで、再びあの瘴気の餌食となるだけであり、そもそも私の脳裏には撤退の二文字が浮かんでいた。

 『権能』が来てしまえば、もはや私の計画など意味をなさない。予定では後十分ほど足止めを行えているはずだったのだが、彼はやはり規格外だ。そんな男が来てしまった以上は正々堂々と正面から戦う必要はない。恐らくだが、私達を追撃するとも思えなかったからだ。

 青年と少女は、私には聞こえないものの少しだけ言葉を交わしていた。そして、次の瞬間だった。


「っ!?」


 腹部と左足に走る激痛。その痛みから、何をされたかなどすぐに理解できた。あぁ、まさか………私が認識することも不可能だとは思わなかった。私は思わず苦い笑みを浮かべる。


「はは………意趣返しと言ったところか。私が認識できない攻撃など初めてだ」

「………」


 薄緑に光る青年の右手。私を見るその目は酷く冷ややかで、私は彼の逆鱗に触れてしまったのだと理解した。


「シオンさん………!」

「セレスティア、遅くなったね。それで、聞きたいことがあるんだ。もし君が許してくれるなら………僕はこいつらをこの場で殺すけど」


 そう告げた青年の瞳が緑に光る。やはりそう上手くはいかない物だ。


「撤退だ」

「え?い、いやしかし………」

「早くしろ!」


 私がそう言って、本陣のある方へと走り出す。他の騎士や兵士達もそれに続くが、それと同時に後方から悲鳴が聞こえる。迫る膨大な魔力の塊が、私の命を狙っていることを理解した。


「くっ………!」


 振り返って障壁を展開し、全力で魔力を込める。そして、目の前には巨大な火球が迫っていた。障壁と火球がぶつかる。その瞬間、一瞬で音を立てて破壊された私の障壁。今まで一度も破壊されたことのない絶対の壁は、彼のたった一撃によって破壊された。

 だが、障壁とぶつかったことによって火球も消滅した。なんとか命拾いしたが、このままでは………そう思った瞬間、青年と私の間に複数の火球が落ちて来た。


「グラン様!お逃げください!」

「ここは我らが!」


 戻ってきていた五人の竜騎士が、私に叫ぶ。このまま死ぬわけにはいかない。私は兵士達を連れて、その場を全力で去るのだった。









「………逃がしたか」


 僕は煙が晴れた先を見て呟く。言葉こそ冷静さを保っているものの、内心は言葉で言い表せないほどの憤怒に染まっていた。僕は飛び去って行く竜騎士たちを見ていた。せめて、彼らだけでも殺しておくべきかな。

 そんな風に思って、僕は白色の光を纏った右手を竜騎士たちに向けた。


「………」


 けど、何もせずに右手を降ろす。フラウが作り出していた暗闇が徐々に縮小を始めた。僕はフラウの方を見て、フラウも焦点の合わない目で僕を見ていたけど、不意にその体が傾く。


「っ、フラウ!!」


 すぐにその体を支え、名前を叫ぶ。すると、フラウは僕の方を見て、少しだけ笑みを浮かべた。


「………遅い、よ」

「………そうだね。ごめん」

「………また、治してくれる?」

「当たり前だよ。何度だって君を助けるさ。だから、今はゆっくりと休むんだ」

「………うん」


 そういって、フラウは意識を手放した。僕はまだやるべきことがある。完全に暗闇が消失して、セレスティアが駆け寄って来た。


「シオンさん!フラウさんは………!」

「大丈夫。気を失っただけだよ。幸い、傷も急所ではないみたいだ。勿論、ちゃんと治療をしないといけないけどね。ちょっと頼めるかい?」


 そういって、フラウを一度セレスティアに預ける。そして、僕は倒れているロッカに近付いた。その背中に突き刺さっている巨大な剣に手を伸ばす。そして、それに触れた瞬間剣は錆びて朽ち果てていく。

 僕はそのまま右手に緑色の光を纏う。そして、ロッカの肩に触れた。


「………ロッカ。本当にありがとう。君は僕の自慢の助手だよ」

「………!」


 ロッカがゆっくりと右手を僕に向けて、グッドサインをした。全く、こんな時にまで………僕はゆっくりと頷いて、生命力を流し込んだ。徐々に安定してくるロッカの生命反応と、それに伴ってロッカはゆっくりと立ち上がった。


「ふぅ………コアにまで損傷が無くて助かったよ。後でちゃんと修復するけど、今はちょっと待っててくれ」

「!」


 頷くロッカはまるで今まで通りと言った様子だ。その胴体には大きな風穴が空いているけど、中は完全な空洞だ。そして、僕は再びセレスティアとフラウの下に歩く。


「色々と話したいことはあるんだけど、後でいいかな。この子の治療を先にしたいんだ」

「もちろんです。その………助けてくださり、ありがとうございました」

「気にしないで。それに………助けに来たというには、少し遅すぎたしね」

「まだ私がいて、フラウさんだって生きています。遅すぎたなんてことはないですよ」

「………そうだね。それじゃあ、また後でね」


 僕はそう言って、降下してきたニルヴァーナに光となって入っていく。ロッカも一緒に来て、僕はすぐに治療の準備を進めた。

 ロッカが心配そうにフラウを見ていたから、大丈夫だよ、と言って安心させる。彼女の治療は二回目だし、今回は多少傷は深いとは言え化膿まではしていない。きっと大丈夫………いや、絶対に大丈夫にしてみせる。僕はその覚悟を持って、彼女の治療にあたるのだった。







 数十分後。僕はため息を付く。


「ふぅ………やっぱり、急所は外れてたみたいだね。何はともあれ………君が無事で本当に良かった」


 そういって、僕は未だに眠る彼女の頬を撫でる。僕が最初からあの竜騎士たちを殺すつもりで反撃していれば、きっと彼女はこんな傷を受けずに済んだだろう。

 僕の中の怒りは、彼女たちを傷つけたグランへの怒りだけではない。僕自身が、戦争のためになんて言ってこの子を危険にさらしたことを許せなかった。何より、今回の件は完全に僕の落ち度だ。

 僕と彼らの実力差は歴然。その気になればいつでも踏みつぶせる存在なのだから、大した警戒なんて必要ないと心のどこかで思ってしまっていたんだろう。それがこんな事態を招く事になってしまった。


「あとは、君の傷も治さないとね」

「!」


 

 僕は立ち上がってロッカに近付き、穴の周辺へ右手を当てる。右手が黄金の光を纏った瞬間、ロッカの胴体に空いた穴はゆっくりと修復されていく。数分程経てば、完全に消えていた。


「調子はどうだい?」

「!」


 バッチリとグッドサインをするロッカ。その様子からはつい先ほどまでの弱っていた姿など一切なかった。

 その時、彼女が小さくうなされる。僕は振り返って彼女にゆっくりと近付いた。


「………シ、オン」

「………僕はここにいるよ」


 僕はゆっくりと右手を掴んだ。少しずつ声は小さくなっていって、数十秒もすれば穏やかな寝息を立てていた。

 僕は彼女をこんな目に合わせた彼を許すつもりはない。そして、もう一つ分かったことがある。確かに、これは彼女の戦争だ。でも、それと同時に僕も彼らと戦う明確な理由が出来た。

 これから行うのは、戦争への援軍なんかじゃなく………個人の報復だ。


「………」


 けど、今は。彼女とロッカ。そして、セレスティア達が無事だったことを喜ぼう。僕はしばらくの間、彼女の右手を握り続けていた。











「ん………」


 私はゆっくりと目を開ける。すると、それに気付いたシオンが振り向く。荷物が並んでいるところにいたから、多分整理でもしてたんだろう。


「起きたかい?気分はどう?」

「………痛みは、ない」

「そっか。それは良かったよ」

「………こっちに、きて」


 私がそういうと、シオンは立ち上がってゆっくりと近付いてくる。そして、私の近くに屈むと、声を掛けてくる。


「どうしたんだい?」

「………ずっと、待ってた」

「………そうだね。本当に待たせたね」

「………うん」


 床に敷かれた布の上に寝転がったまま、私はゆっくりと右手を伸ばす。彼は、その右手をしっかりと握ってくれた。


「………温かい」

「はは。それは良かったよ」

「………傷跡、残したくない。あの薬、また塗ってほしい」

「うん。でも、まずはしっかりと傷口が閉じてからだよ」

「………ありがとう。きっと来てくれるって信じてた」


 そういうと、彼は意表を突かれたみたいな顔をする。そして、少しだけ困ったように笑みを浮かべた。


「あはは………全く。君は優しいんだね………うん。どういたしまして。そして、僕からもありがとう。君が無事でいてくれて、本当に良かった」


 彼はそう言って、私の右手を握る力を増した。その手に伝わる温度は、本当に暖かくて。多分、これが愛されるってことなのかな。

 私が故郷で得ることが出来なかったこの温かさを、少しでも長く感じていたかった。出来るなら、このままずっと。

 私はそんな願いを込めて、彼の手を強く握り返した。




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