第34話
軟膏を傷に塗り終わり、ため息をつく。どれくらいしっかり塗ればいいのか聞いていなかったのを少しだけ後悔する。王族とはいえ、私も一人の女性です。あまり身体に大きな傷跡を残したくないと言うのは分かっていただけると思います。
城で普段着ているものは違いますが、今の活動用のドレスは肌がよく見えるデザインで、胸の傷は見えないにしろ、横腹まで届いているのはどうやっても隠せない。
包帯を巻いて隠すのも考えていますが………どちらにしろ、見栄えは悪いですよね。顔に出来なかっただけマシと考えましょう。
そばにあった包帯を巻いていく。その後ドレスを着直して、立ち上がる。それにしても………シオンさんがいてくれて、本当に良かったと改めて思います。傷の手当が出来る者が軍にいない以上、もし彼がいなければ、私はもう戦いに参加できなかった………もしくは、命を落としていた可能性もあります。
「………本当に、お礼はどうしましょう」
彼の恩に返せるようなお礼など、中々思い浮かびません。彼が具体的に欲しい物を言ってくれれば、何であろうと用意するのですが………多分、彼は何も求めないでしょうね。『権能』であるという事から分かっていましたが、彼は本当に偉大な人だと思います。魔法の腕、錬金術師としての能力、『権能』の名に恥じぬ叡智。
この世界でごく一握りしか会得している人のいない医学にまで秀でており、薬学にも精通している。先日と今日の会議で少しだけ思いましたが、兵学にも理解があるように思えました。
特に、医術を会得していると言うのは、この世界でとても価値のある能力だ。その技術があるだけで、食うに困ることはないと言われる程需要が大きいのです。街に定住している医者が一人でもいれば、それだけで町としては大きなアドバンテージがあります。怪我をする人や、病気を患う方は珍しくないですから。
そして、それだけ稼げる職業の方は、わざわざ戦地に来る必要が無い。ですから、シオンさんの存在はとても助かるのです。
「私が差し出せるものなんて………」
思えば、私は何を持っているんでしょう。確かに、王位継承第一候補と言われ、相応の財産も持っています。しかし、彼はそれを受け取る気はない。となれば、それ以外となりますが………私は今まで王位を継承するための勉強や、鍛錬ばかり。報酬という形以外でお礼をするなど、経験がありません。彼が喜びそうなプレゼントも考えましたが………彼が喜ぶものって何でしょう?
「………」
第三王女ともあろう私が、こんなことで悩む姿は、さぞ滑稽でしょうね。そんなことでしばらく悩んでいた私でしたが、ふとテントの外から声が掛かる。
「セレスティア様、今よろしいでしょうか?」
その声はあまり聞きたくなかった声。あの日のパーティーで私の怒りを買ったにも拘らず、当然のように今回の戦争で真っ先に援軍に駆け付けた貴族の青年。それだけなら良いのだが、戦争中だというのに隙あらばアプローチを仕掛けてくるのは変わらず。シオンさんが来た日も、真っ先に敵意を向けていた。
私がシオンさんと友人であるという事が気に入らないのでしょう。その理由だって分かっているつもりです。
「………なんでしょうか?」
「テントの中へ入ってもよろしいですか?」
「………どうぞ」
正直断りたかったが、理由が思い浮かばない。仕切りがあるため、顔を見なくてもいいのが救いでしょう。私の態度から分かっている人も多いが、私はこの男が嫌いだ。
典型的な傲慢な貴族で、平民に対して高圧的で、偉ぶった態度を取っている。私はそういう貴族が嫌いだ。彼が優秀なのは認める。
彼はリドカル公爵家の次期当主であり、所有している騎士は強者揃いであることで有名だ。領地も広く、一族全員が平民を見下す態度をしている割に、圧政を敷いている訳でもない。可不可なく広い領地を治めている彼らは、間違いなく貴族の中でも優秀であると言える。
貴族としての義務と、私的な態度を混同しないのは評価できる。しかし、素がこれでは好きになることは出来ない。
一度だけ、彼のアプローチを明確に断ったことがある。しかし、それでもなお折れない彼はとてもしつこ………諦めが悪いと言えるのでしょうね。
「何か用でしょうか?」
「いえ、少々心配になりまして」
「あぁ………怪我は心配ありません。彼のおかげで、既に運動をしても問題ないくらいにはなっていますので」
「それもですが、そうではなく………」
そうではない?それ以外に、何か心配されるようなことなどない気がするのですが。
「あの男に何かされませんでしたか?昨日はこのテントに居座っており、私は反論したのですが………看病をするのには、医学を学んだ者が適任だとカレジャス様がおっしゃり、彼を追い出すことが出来なかったのです。いくらあなたの友人であると言っても、彼は田舎の非国民です。セレスティア様の無防備な姿に、邪な事を考えてもおかしくは………」
「………何もされていませんよ。シオンさんはそんなことをする方ではありません。あなたが彼を嫌う理由も分かっているつもりですが、言い掛かりは止めてください」
「理由が分かっているのであれば、何故私を受け入れてくれないのですか?私は公爵家次期当主です。彼などより、ずっとあなたの隣に相応しいはずですが」
この男は何なのだろうか。前提として、私はシオンさんとそういう関係ではない。彼がいるから、あなたを受け入れない訳ではないのですが。
ふと、ルアンの言葉で………シオンさんが私の隣で、共に人生を歩んでいく姿を想像してしまう。少なくとも、この男が私と人生を共にするよりは、ずっと幸せな人生にはなるだろう。でも、その事とルアンを嫌っている理由は全く別だ。
「私は彼とそんな関係ではありません。あなたを受け入れないのは、私があなたと共に人生を歩みたくないからです」
「何故ですか!?私は………」
「地位や名誉など何の意味もありません。弁えなさい」
私にとって、彼がどの家の次期当主であるかなど関係ありません。優秀な人材は、既にこの国には沢山存在します。婚約者でなくとも良いと言うのが実情です。そうなれば、私が婚約者を選ぶ基準は一つしかない。
「はっきり言います。私はあなたが嫌いです」
「なっ………」
拒絶の言葉。前は断っただけでしたが、今回は更にはっきりと言う。こうでも言わなければ、きっと彼は理解してくれないだろう。
「私が嫌い………?私が、あなたに何かしたことがありますか?私は常にあなたのために………」
「いい加減してください。その理由も分からないのであれば、もう話は終わりです。下がってください」
「………っ」
一瞬だけ、仕切りの奥から小さく動揺の声が。血迷って襲ってくる可能性を考えて、近くに置いていた剣に手を掛ける。まだしっかりと握ったわけではないが、いつでも剣を振るえるように。
しかし、私の雰囲気が変わったのが分かったのか、それ以上は何もなく、ゆっくりとテントを去っていく音が聞こえた。完全に彼の気配が消えて、私はため息を付く。
「………はぁ」
いくら負けるはずがないと分かっていても、実際にそういう雰囲気になれば緊張感は走る。無駄な疲れを増やしてしまった。そして、恐らくですが………彼は、この陣営から撤退する可能性もあるでしょう。それも仕方のない事かもしれません。
彼の騎士は優秀です。戦争でも、かなりの戦果を挙げていたのは否定しませんが………もちろん、彼らがいなくなるのは我が軍にとってはかなりの痛手になります。
それも含めて、今度またシオンさんに相談するべきでしょう。それに、今回の会議で出た話題の中に、彼が私たちの援軍を防衛すると言うのがありました。それについても、姉上の援軍がしばらく来ないのを確認してからになりますが、恐らくは近々実行に移ると思います。
そうなれば、彼がいなくとも多少埋め合わせは出来るはずです。優秀な者ほど驕る者が多いのは、人として仕方のない事なのかもしれません。そう思えば、品行方正で誠実な方だと噂のグラン様を婚約者として選んだ姉上は慧眼だったのでしょう。私も出来ればそのような方が良かったのですが。
「………少しは、シオンさんを見習ってほしい物です」
ですが、一番に思い浮かぶのは彼。恐らく、優秀さで言えばこの国の中でも右に出る者はいないでしょう。『権能』に並ぶ逸材など聞いた事が無いし、彼は五人の知恵を受け継いでいるのだ。個人として数えるのであれば、『権能』一人一人よりも優秀だという事。はっきり言って、人間で超えることはほぼ不可能。
そうであるにも関わらず、彼は自らの能力を誇示しない。それどころか、自分の立場を客観的に見極め、相応の態度を選ぶ謙虚さを持っている。自分の能力に自信を持ちつつも、彼は自分が一人の人間に過ぎないという事を理解している。
どうすれば、そのような崇高な精神を持つことが出来るのだろうか。彼がその気になれば、この国を滅ぼす事さえ可能です。何故断言が出来るのか?そもそも、『権能』の五人の伝説の中に、そういった言い伝えがあるからです。『権能の使者』である天竜ニルヴァーナと、彼らの偉大なる魔法は七日間で一国を破滅に追いやった。という一文があります。
無論、彼らがいたずらにそんなことをしたわけではありません。そもそも、戦いを仕掛けたのはその国でしたから。しかし、そんな伝説を打ち立てた後、『権能』の五人は俗世から姿を消しました。
きっと、自分たちが争いの火種になると理解したのでしょう。だから、シオンさんも私達に素性を隠していた。
「………駄目ですね。彼の事ばかり考えています」
昨日からこの調子だ。それがあまり良くない事だという自覚はあるが、あれだけ色々あれば仕方のない事だという事で納得させる。
一度ため息を付いて、仕切りから出る。まだやるべきことはあります。考え事は後にしましょう。
僕は会議が終わった後、ニルヴァーナで敵陣を偵察していた。詳しく言えば、援軍が来ていないかの調査だけど。
「全く姿が見えないね。流石に一つくらいは動いてそうな物なんだけど」
「………私たちが怖いんじゃない?」
「僕らがこんなことをしてるなんて事を知ってるとは思えないけどね。生き残りはいないはずだし」
「………生き残りはいなくても、出来る人は限られるよ」
「………確かにね」
その通りすぎる。一夜にして数十の援軍が全て全滅何て、普通じゃ考えられない。移動速度という点から考えてもね。絶対に空を移動しなければいけない速度。つまり、ニルヴァーナを従えてる僕しかいないってことだ。
「………これでもう出てこないようになってくれれば、僕としては仕事が減るんだけどね」
「………戦争なんて、どうでもいいけど」
「僕だって争いそのものには興味が無いよ。出来るなら人殺しなんてしたくないしね。けど、戦わないといけない理由があるなら、そうも言ってられないだけだ」
「………分かってる。私の故郷とは、違うから」
フラウの故郷では、既に争いの理由が摩耗してしまっているからね。彼女からすれば、戦争をしている状況そのものがあまり好ましくないのは分かっている。
「まぁね。けど、争っていることに変わりはない。でも………絶対に分かり合えないってこともないと僕は思っている。彼女たちはどちらも国の事を思っている。やり方は違えど、きっと根本は同じはずだからね」
「………仲直り、出来るって事?」
「多分ね。彼女たちは家族なんだし」
「………」
そういうと、少しだけフラウの顔が伏せられる。もしかしたら、禁句だったかな。彼女の家について詳しく聞いた事はない。ちょっとだけなら聞いたけど………
「………私の親は、私の事なんて気にも留めなかった。ずっと戦争の事ばかりで、愛情なんて感じたこともない。そんな家族でも、分かりあえるの?」
「………どうだろうね。確かに、それぞれで事情は違うかもしれない。君が戦争を嫌ったように、君の両親は戦争の事しか頭になかった。価値観の相違は、大きなすれ違いを呼ぶことがある。そう言った人と分かりあうのは、とても難しいことだ」
「………分かってる。でも、もういいの。今の私は………あなたといれて、幸せだから」
「………そうかい。それは嬉しいよ」
僕はフラウの頭を撫でる。ここ最近、やけに大人しいというか、少しだけ元気がなかったのはこのことだったのかもしれない。
「僕も、君がうちに来てくれてとても充実した日々を送れているよ。僕らはもう家族なんだ。君が僕に色々尽くそうと頑張ってくれるように、僕も君に幸せな日々を送ってほしい。だから、遠慮なく頼りたいときは頼って、言いたいことがあるなら言うんだよ」
「………うん、ありがとう」
フラウがそういって、頭を撫でていた手を取る。僕の手を握って、小さく笑った。
「………あったかいね」
「あはは。そうだね」
そういう彼女の顔は、とても幸せそうだった。彼女がもっと笑えるように、冷たかった17年分の寂しさを埋めて上げれたら。
そんな風に思ってしまう僕は、間違っていないと自信を持って言える。
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