第33話

 僕はその後、セレスティアをテントまで送った。別に守るためとかでもなく、成り行きでそうなっただけだけど。僕らがテントに入ると、そのまま彼女は仕切りの奥に行き


「それじゃあ、僕は見回りをしてくるよ。一応敵の援軍の調査は終わらせてるけど、やっぱり既に噂になってるみたいでね。どこも様子見をしているみたいなんだ」

「そうですか………では、少しは猶予があるんですね」

「まぁ、もしまた援軍が来ていたら、僕が殲滅しに行くから変わらないと思うよ。君はゆっくりと休んで英気を養うんだ。その剣は本人のエネルギーの代わりに魔力を代償に傷を癒しているから、しっかり寝ないと戦いに支障が出てしまう」

「はい………あと、その」

「ん?」


 おや、他に何かあったかな。一応、話せることは殆ど話したと思ったんだけど。


「包帯は取っても大丈夫でしょうか?傷口がどうなっているか確認したいんですけど………」

「あぁ………うん。包帯を取る分には問題ないと思うよ。ただ………」


 そう言うと、彼女は仕切りの奥でドレスを脱ぎ始める。上下で分かれているというか、腹部が露出したデザインだから上半身だけだね。まぁ、女性なんだから自分の体に付いた傷跡は気になるだろう。年頃の女の子だしね。

 本当に年頃の女の子なら異性のいるテントで服を脱ぐなと言いたいけど、この辺りはもう放っておくことにした。包帯が取れていく音が聞こえて、小さくため息が聞こえた。


「………傷跡は、残っちゃってますね」

「それは仕方のない事だよ。深くはないとは言え、かなり大きく斬られていたからね。縫合糸は多分炎に燃やされたと思うけど、傷跡ばかりは再生能力の限界だ」


 彼女の傷は、右肩から左の横腹までを大きく斬られていた。かなり分かりやすく袈裟斬りを食らったみたいだけど、いくら致命傷じゃないとは言え、それなりの出血が起きる程度には傷があったんだから仕方ないとも言える。縫う時もその傷の浅さに反して結構時間が掛かったからね。

 とはいえ、別に傷跡を消せない訳じゃない。


「一応、僕が作った軟膏を置いておくよ。ちゃんと塗っていれば、傷跡はしっかり消えるはずだ」

「………ありがとうございます」


 フラウにも使っていた、傷跡を消すための軟膏。傷跡と言うのは表皮の下にある真皮まで傷が届いたか否かによって、傷跡が残るかが決まる。真皮まで損傷をしてしまった場合は正常な皮膚を作り出せないことに起因するんだ。

 細かい理由は興味がある人は知ってるだろうから省くけど、この状態になってしまえば前世の医学を以てしても完全に消すことは不可能となる。目立たなくすることは出来るけどね。

 前にも言ったけど、この世界の素材となるものは現代と比べても遥かに多い。手術などで出来る範囲は間違いなくあちらの世界に劣るけど、人体に作用する薬品と言った面では明らかに前世を上回っている。つまり、作ろうと思えば向こうの世界で不可能な効能を持つ薬品を作ることさえ可能だってことだ。


「なるべく時間を置いて一日二回。あまり偏りがないようにしっかりと塗るように。変に少ない場所があると、中途半端に傷が残ることがあるからね」

「………塗り残してしまった場合はどうなんですか?」

「傷の治りが遅くなるね。あと、効果が十分に表れなかった場合は中途半端に再生した皮膚のせいで、それ以上効果が出なくなってしまう可能性がある。正常な部分に塗っても問題はないから、深く考える必要はないよ」


 僕はそういって、近くのテーブルの上にバッグから取り出した軟膏を置く。


「それじゃあ、ゆっくり休んで。お休み」

「はい、おやすみなさい」


 そういって、僕はテントを出る。日中に十分寝たし、少しだけ見回りに参加しようと思っただけだ。

 まぁ、こんな時間に進軍してくるなんて考えにくいけど。警戒しておくに越したことはないし、相手の動向が妙だ。色々あるけど………まぁ、絶対に裏があるんだろう。

 それが何かは分からないけど、ちょっとだけ嫌な予感がした。僕は少しだけ考え込みながら、見回りの兵士に声を掛けて、そのまま見回りに参加するのだった。












 次の日。僕は目を覚ます。勿論、あの後一日中見回りに参加していたわけでもなく、適当な頃合いを見てニルヴァーナに戻った。

 一番に驚いたのが、僕が戻った時にフラウが起きていた事だ。既に寝ただろうと思ってたんだけど、僕を待っていたらしい。昨日と同じ壁際に毛布をかぶって縮こまっていたけど、僕が帰ってくると顔を上げてゆっくりと微笑んだ。夜更かしは駄目だよ、と言いたかったけど、その笑顔を見たらその気も無くなってしまった。ちょっとだけ頭を撫でて、彼女の横に座る。いつもなら抵抗するだけど、彼女は今日だけは大人しく頭を撫でさせてくれた。

 そして、フラウは僕が起きた時も未だに眠っており、幼い寝顔で僕に寄りかかっていた。身体を動かそうと思って気付いたけど、控えめに僕の服の袖を掴んでいた。


「………さて、どうしたものかな」


 僕は小さく呟く。袖を掴んでいる力は弱いし、彼女は小さい身体から分かるようにとても軽い。このまま僕は起きて移動することも出来るんだけど、何となく今のフラウを見ていると、そうするのも憚れる。

 それに気付いたロッカが小さく手を振って来る。僕も頷いて、袖の掴まれていない方の手を振り返す。仕方ないし、持って来た研究の資料を見返そうかな。

 僕はバッグに入れていたノートを取り出す。一応、作った資料はこれにまとめている。そのままノートを見返して、途中途中で新しい研究の題材を思いついたりしながら一時間程。フラウがゆっくりと目を覚ます。


「ん………ん?」

「おはよう。良い朝だね」

「………シオン?なんで、起きてるのに………」

「君が僕があんまり安心したように眠っていたから、ちょっとだけなら一緒にいても良いと思ってね。よく眠れたようで何よりだよ」

「………っ」


 目を丸くして、驚きと羞恥で頬に朱が指す。おや、そんな顔をすることもあるんだね。あんまりこの子は大きく表情を変えることが無いから、こんなに分かりやすく頬を染めるとは思っていなかったんだけど。


「………そ、う………その、ごめん………」

「謝らなくても大丈夫。君が普段僕に甘えることは少ないからね。これくらいなら可愛いものだよ」

「かっ………ん、その………ありがと」

「どういたしまして。さて、起きようか」

「………うん」


 フラウはゆっくりと僕の袖を放す。ほんの少しだけ名残惜しそうにしているのが分かって、思わず笑みが浮かんでしまう。最初はあんなだったのに、今はこんなに懐いてくれていることに喜びを感じていた。

 こうなってくると、本当にフラウが妹にしか見えなくなってくる。僕は彼女を溺愛している自覚があるけど、もしフラウが彼氏でも連れてきたらどうしようか………いや、別にいいや。少なくとも、ちゃんとした人なら問題ないかな。見るからに駄目そうな人は、ちょっと話し合いをさせてほしいけど。

 僕も立ち上がって、体を伸ばす。流石に昨日の今日だし、いくら傷が治ったとはいえセレスティアは怪我をしたばかりだ。進軍している訳じゃないだろう。ニルヴァーナに地上付近まで下がってもらって、最も近づいたタイミングで降ろしてもらう。第二拠点では、既に沢山の兵士や騎士が活動していた。といっても、見回りとかではなく武具の手入れだったり、素振りなどの訓練だったり。

 既にセレスティア達も会議用のテントにいるだろうしそっちに向かっていた。大きなテントの前に来ると、待機していた二人の騎士が声を掛けてくる。


「シオン様、おはようございます。到着次第中には通すように言われているので、どうぞお入りください」

「おはよう。じゃあ失礼するよ」


 僕らはそのままテントの中に入る。外での会話が聞こえていたのか、中にいた人たちは僕らの方を見ていた。セレスティアや、カレジャス。ここで話す機会は殆どないけど、シュティレや貴族たちなど。


「シオンさん、おはようございます。少し遅かったですね」

「別に急いでやることもないからね。英気を養うのも大切だよ」


 僕がそういうと、嫌みのように貴族が鼻を鳴らす。前とは違う貴族だね。


「ふん。呑気なものだな。それでも本当にセレスティア様の友か?」

「はい?」


 僕より先に声を上げたのはセレスティア。底冷えするような冷たい声に、一瞬だけ貴族の男が顔を引きつらせる。


「も、申し訳ございません………セレスティア様を侮辱するつもりでは………」

「私の事などどうでもいいのです。ですが、あなた達のシオンさんに対する態度は些か目に余ります。態度を改めることが出来ないのであれば、相応の処置を取ります」

「………肝に銘じておきます」


 男は僕を一瞬だけ睨み、それ以上は口を閉じる。まぁ、どうやっても嫌われるのは変わりないみたいだね。別に構わないけど。

 セレスティアは普段と同じ活動用のドレスだけど、覗く左の腹部には傷跡が見えていた。まぁ、そのうちちゃんと消えてくれることを願うよ。

 前と同じように色々と意見を交わしながら、今後の方針を決めていく。僕に刺さる敵意の視線は消えなかったけど、一々気にしたら負けだ。










 


 シオンさん達が来てから、数十分ほどで会議は終わった。と言うのも、シオンさんは自ら進んで意見を出してくれるので、滞ることが無かったのです。会議が終わった後は、自分のテントに戻って彼にもらった軟膏を塗っていた。念入りに傷跡に塗り込みながら、物思いに耽る。頭に思い浮かぶのは、当然シオンさんの事だった。

 彼に頼り切りだという自覚はあります。初めて会った時は、私の話を唯一理解してくれる家族以外の人。いえ、私の話を全て理解してくれるのは、シュティレお兄様だけかもしれませんね。でも、シュティレお兄様は研究の事ばかり考えているので、あまりそれ以外の会話をすることはありませんでした。

 その時から、彼はとても素晴らしい人なのだと思っていた。私と同じ年齢でありながら、あらゆることを経験したかのような達観した目線と、幅広い価値観。彼自身の穏やかさの中に、高い知性を感じる雰囲気は、まるで同い年だとは思えなかった。

 話していけば話していくほど、彼の事が分かって行って、それと共に徐々に………何というのでしょうね。彼というそこの知れない海の底に沈んでいく気がしていた。私では到底理解しきれないなんてことは、今まで生きていて初めてだった。けど、それを恐怖だと感じる事はない。寧ろ、その海そのものが私を守ってくれているかのように………私は安心感を覚えたのを記憶している。

 次に会ったのは、彼が帰って戦争が起こった後。劣勢を極め、既に追い詰められていた私。絶体絶命だと思ったその時、彼は助けに来てくれた。見返りなんて求めず、当然のように、友達のためだと。


「………なぜ、あなたは」


 そこで知った、彼の秘密。伝説の『権能』五人の知識と意思を継いだ、五つの『真理』を統べる者。その称号の偉大さを一瞬で理解することは出来なかった。

 理解していくとともに、浮かんだのは疑問。彼のような人が、私と友人でいて良いのだろうか。不安になって、彼に私の前からいなくならないか、と恥ずかしい事を聞いてしまった。でも、彼は笑う事もなく、友人である私の前からいなくならないと約束してくれた。

 少しずつ、私は既に浮上できないところまで沈んでしまったのを自覚した。あなたの優しさに、あなたの力に、あなたという存在そのものに安心感を覚えてしまう私は、もしかすれば弱いのかもしれない。

 今までは、強くなければいけなかったから強くあった。友達と言える存在もいなかった私は、弱さを見せる相手も、頼る相手もいなかった。でも、一度できてしまったら………私はこうも弱かったのかと思ってしまう。

 分かっている。これが、今までの事からくる反動であることも。それに、彼自身も気付いているみたいだ。でも、彼はそんな私に変わらず優しい笑みを向けるだけ。傷を治療してくれたのも、心が折れてしまった私を支えてくれたのも、私に新たな力をくれたのも。

 対価なんかのためじゃなく、全て私という一人の人間のためだ。何故、あなたはそんなに優しく出来るのだろうか。


「私は………あなたに何を返せるのでしょう」


 私は、彼に何を返せばいいのだろうか。ここまでの恩を受けた相手に何の対価もないなんて、本当なら有り得ないだろう。それでも、彼は何も求めない。私が個人的なお礼をしたいと言うのは承諾してくれたけど、きっと金銭の類は貰おうとしないだろう。私自身も、彼へのお礼にお金なんてものを使いたくはない。

 なら、私は………こう考えながらも、少しだけため息が出る。胸に薬を塗っていた手が止まってしまう。私は、既に返しきれないほどの恩を受けたというのに。









 まだ、彼に求めたいという気持ちがあるのはきっと我儘なのだろう。



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