第2話
僕は目覚めた後、近くにあった服を着る。黒いシャツに、黒のズボン。その上から白く、動きやすい薄手のコートを着る。うん。それなりに様になっている。
僕はそのまま部屋を出る。一番にやるべきことは、決まっていた。僕が寝ていた部屋は二階にあり、廊下に出て階段へと向かう。廊下の長さから何となく予想が出来たけど、この家はかなり大きいみたいだ。一人で暮らすには、恐らくもったいないくらいに。
とはいえ、一人暮らしへの憧れはあった。自由気ままに、好きなことを、誰に咎められるでもなく出来る生活。自分でしないといけないことは増えるけど、掃除や料理、洗濯などの一通りの家事は自分でもできる。この広い家全てを一人で掃除するのは、少しだけ骨が折れそうだけど。
廊下の途中にはいくつかの部屋がある。でも、僕が用があるのはこの部屋じゃない。一階に降りた僕は、そのままくるっと曲がって階段の傍の廊下を進む。すると、見えてくるのは両開きの扉。
「ここが………」
扉を開く。そこは先ほどの寝室よりも少しだけ広く、部屋には本棚や、大きな炉。そして中央には巨大な台が。その上には奇妙な模様の掘られた壺や、何かをすりつぶすための鉄製の薬研、フラスコや試験管など。明らかに何かの実験をするための物だけど、他にも僕が知らない道具が沢山ある。でも、僕にはその全ての使い方を理解できた。
そこからの僕の行動は早かった。部屋の中にある扉を開ければ、見たこともないような色んな物体が棚にたくさん並べられている。鉱石、植物、液体の入った瓶。僕の中にある知識は、それら全てが分かる。まずは慣れる事から始めよう。
僕はとにかく、沢山の錬金術を試した。知らないはずの物質は、全て元から知っていたかのように理解できた。その本質や性質。僕は、貯蔵されていた素材を使って様々な物を錬成した。薬、宝石。他にも、ちょっとした小道具など。錬金術と言っても、本質は創造だ。そして、全ては元素と分子の結合。錬金術は、元素を自由に操り、変化させることで新たな物を生み出す。様々な知識を得ていた僕には、容易い事だった。
僕は錬金術を物にした後、良く近くの山や森へフィールドワークに出掛けるようになった。この世界には、僕のいた世界以上に沢山の命が住んでいた。そして、この世界は驚くほど純粋だ。人の科学や、発明に汚されていない、純白の世界。
空は澄み渡り、草木は何の制限もなく育ち、それを食べる生き物がいて、更にその生き物を食べる生き物がいる。まさに、大自然そのものだった。小川を流れる水は、そのまま飲めるほど綺麗な物だ。僕の体は人とは違うみたいだけど、水や食料は不可欠なのに変わりはない。これからここの水には世話になることだろう。
そして、僕の世界にはなかった脅威がこの世界にはあった。それが魔物だ。同じ生き物とは言え、魔法を使ったり、火を吐いたり。まぁ、予想はしていた事だ。サブカルチャーと言うのにはあまり触れてこなかった僕だけど、一応一般人程度には知っているつもりだ。モンスターや魔物といった、ゲームでお決まりの敵も。
けど、案外僕はそういった生物と敵対することに抵抗を覚えなかった。元々、死生観には独特な考え方をしていた僕だ。命を奪い、奪われると言うのは生命として当然のやり取りであり、その円環によって世界は成り立っているからだ。勿論、人を殺してはいけないという、当たり前の価値観は持ち合わせている。けど、襲ってくる魔物にまで容赦は出来ない。
「ふぅ………これも研究のためだね」
僕の体は、向こうの世界の僕とは大違いの高い身体能力を誇っていた。身長が低いし、筋肉も付いてなかったから意外だったね。
一蹴りで数メートルの木の上に跳び乗れるほどの脚力。数百キロはあるだろう巨大な岩を、軽くとは言わないものの持ち上げることが出来る腕力。その場で錬金術を使い、大地を作り変えて想像した一本の剣と、僕の身体能力があれば殆どの魔物は脅威にもならなかった。取るに足らない、記す価値もないだろう。
けど、唯一記す価値があるなら。魔物と言うのは、普通の生物の肉体とは全く異なる性質を持っているという事だ。彼らの体の一部は、素材として錬金術にも使われてきた。彼らの知識は、そう教えてくれた。
僕は丘に戻って、幾度となく研究を繰り返した。フィールドワークの一端で、丘から降りることもあった。実は、この丘の近くは村があったみたいで。山と山に挟まれた、それなりに大きな村。
僕はすぐに興味を持った。生命とは、必ず他者との関わりによって成り立つものだ。魂の根本には、自分以外と言うのは切っても切り離せない物だと僕は考えている。人との交流は、僕にとってきっと良い刺激になるだろうし、もしかすれば新たなインスピレーションを与えてくれるかもしれないと思ったのだ。
「あのお兄ちゃん、誰………?」
「ちょっと、目を合わせちゃだめよ!」
「国からの使いとか、商人という訳でもなさそうだな。さっさと出て行ってくれ」
けど、少し予想はしていたけど。村の人たちは僕を余所者として受け入れる事はなかった。まぁ、僕が彼らの立場になれば、僕でも………いや、僕なら警戒することもなく受け入れただろうな。でも、何度も拒絶されながらも僕は足繫く村へと通った。たまに石を投げられることもあったけど、ひどいな。僕は罪人なんかじゃないのに。
たまに差し入れや、ちょっとした土産物なんかを持って行ったりしながら一ヶ月ほど通っていたある日、その村を病魔が襲った。僕が三日ぶりにその村を訪れると、何時ものように僕を追い出そうとする男たちがいなかった。代わりに、疲れ果てたような、絶望したような村人が数人歩いているだけだった。
僕はすぐに何があったのかを聞いた。病魔で村が全滅すると思っていた村人は、僕に話しても変わらないだろうと思ったのか、それとも病の話を聞いた僕はすぐに村を出て行くだろうと考えたのか、素直に話してくれた。
結論を言うと、その症状から予想できた病魔は僕の知識にあった物だった。とある寄生虫によって発症するその病は、元々稀な病気であることもあってかあまり治療法は作られていなかったみたいだ。唯一の方法は、特効薬。けど、それを作ることが出来る人間は、この村にいないだろう。僕はすぐに行動した。
家に戻って、錬金室に籠る。僕と彼らの溝は深いけど、彼らを見殺しにするという選択肢はなかった。
特効薬を作って再び街を訪れたとき、外を出歩く人間は一人もいなかった。まさか全滅したわけではないだろう。確かに致死率は高い病だけど、進行は早くないはずだ。一週間以内に特効薬を飲めば助かる。僕は村の奥にあった、大きな家の戸を叩く。
出て来たのは村の村長だった。幸い、感染はしていないようだ。村長は僕の顔を見ると戸を閉めようとしたけど、僕が手に持った大きな箱に入った瓶を見て動きを止める。特効薬だと言うのが分かったんだろう。村長は態度を一変して、頭を地に擦りつけんばかりの勢いで薬を譲ってくれるように頼んできた。
「今までの事は本当に済まなかった………!だが、今はこの病魔に村を侵され、国から来る使者も当分はこの村を訪れる事はない………主しか頼れる者はいないのだ………どうか、どうかその薬を分けてくれないだろうか………!」
元々そのつもりだったし、寧ろ毒を疑われるとばかり思っていた僕にとっては好都合だった。村長に薬を渡した後、僕は家に戻った。
その後は、研究が忙しかったりで一週間くらい村に行くことはなかったけど、ひと段落付いて村へと下ってみたとき、まるで一週間前が嘘だったかのように活気を取り戻していた。
さぁ、今日は誰が僕を追い出しに来るのか。そう思っていたら、僕を見た住民達が駆け寄ってくる。おや、今日は数が多いね。そんなに僕をみんなで殴りたいのかい。
そんな事を思った僕をよそに、村の人々は僕に頭を下げて感謝の言葉と、今までの事の謝罪を口にした。
「本当に悪かった!今までのあんたにやってきたことを思えば、このくらいで済まされることじゃないかもしれないが………」
「申し訳ねぇ………俺らに出来る事なら、何でもするよ。だから、これからよろしくってわけにはいかねぇか………?」
「あなたがいなければ、私達は皆死んでいました………今までの非礼、本当に申し訳ありません………」
「お兄ちゃん………ごめんなさい………」
あぁ、なんだ。子供まで来てたから、遂に僕は子供にまで殴られる存在になってしまったのかと思ったよ。元々怒っていたつもりはないし、寧ろ願ってもいなかったことなので、僕は笑顔で頷いた。
彼らの村は養蜂が盛んで、かなり質のいい蜂蜜を作ることで有名らしい。蜂蜜を求めた商人はもちろん、特に上質なものは国の使者が定期的に訪れて買っていき、王族の食卓にまで出されるそうだ。すごい。
僕は村を救ったお礼と、今までの謝罪を兼ねて蜂蜜を貰った。最上級という訳にはいかなかったみたいけど、それでもこの村で扱っている中ではかなり上質な物を、大きな瓶で五つ。多分、一人で使い切るのはかなり時間が掛かるだろう。
少し舐めてみたけど、思わず表情がほころんでしまうくらいには美味しかった。多分、自然と笑顔になってたかもしれない。僕は食レポとかを見たことが無いから上手く言い表せないけど、口の中に広がる甘さは、僕が今まで食べて来た蜂蜜とは比べ物にならないようなものだった。
村との交流が出来ても、僕は研変わらずに研究を続けた。少し遠出してみたり、ちょっとした洞窟に入って鉱石を採取したり。戦いも、それなりに慣れてきたと思う。僕は五大要素の火、水、地、風、空の魔法。そして、錬金術を使うことが出来た。
『権能』の五人によって創られた僕の魔力は、一般的な人間のそれとは乖離している。いくら使っても底なしと言える魔力は、僕の魔法をより強力な物にしていた。様々な魔法を覚え、その辺の魔物どころか、ちょっと強いくらいの魔物すらも軽く捻るように倒せるようになっていた。
僕の研究は進み、僕がこの世界に転生して三ヶ月くらい経ったころ。僕は、遂に一つの進歩を得る。
「完成だ………さぁ、立ち上がれ!」
家の傍の平原で僕の声に応えて立ち上がる、大きな影。それは、体が鋼鉄で出来た人形。所謂、ゴーレムと言う奴だ。でも、僕のゴーレムは普通のゴーレムとは違う。
生命の神秘を全て解き明かした訳じゃない。けど、その一端は間違いなく掴んだはずだ。このゴーレムには、僕が作った初めての命を吹き込んだ。多分、まだ未完成の生命と、魂。けど、その存在の証明は、間違いなく出来たはずだ。
本当なら、錬金術を使って人の肉体を生み出して、それに命を吹き込んだ方が研究としては価値があるはずだ。でも、僕が望んでいるのは人間の創造ではない。ゴーレムのブレインを脳に、コアを心臓に見立てて、作った彼は間違いなく人の代わりとしては十分だろう。僕は、新たな命を生み出したんだ。
更に二ヶ月が過ぎた頃。僕は既に村にも馴染み、通えば歓迎されるくらいになっていた。あまり表に出れない僕の代わりに、商人との取引を代行してくれたり、たまに蜂蜜を貰ったり。代わりに、僕は村人の誰かが怪我をしたり、病気になった時に治療をしていた。他にも、村を襲う魔物を討伐したり、錬金術で作った小道具を譲ったりと。
まぁまぁ良好な関係が続いていると思う。最初の一ヶ月はどうなることかと思ったけど。今では、たまに僕の家を直接訪れて頼みごとをする人もいる。
僕が作ったゴーレムには、ロッカという名を付けた。彼は人間のように感情を持っている。口が無い彼は、体全体で感情を表現していた。喜べば腕を全力で上げ、悲しければ体全体で項垂れ、気分がいい時は踊り出すこともあった。教えたことはないんだけどね。後、踊るなら外でしてくれ。
けど、そんなロッカとはいえ、ゴーレムであることに変わりはない。人並み以上の戦闘力を誇り、命を与えたロッカはまるでその鋼鉄の体を、人と変わらぬように自在に動かすことが出来た。
「………ふむ。やっぱり、銀は魔力の伝導率が高いみたいだ。それに、命を吹き込んだ時の変化も大きい………ただの鉱石が、霊的な性質を兼ね備えている理由はなんなんだろう」
気付けば、僕は僕自身の研究以外の事にも目を向けるようになっていた。僕の体は人間とは年の取り方が違う。遥かに人間よりも長生きな僕は、自分の研究だけで満足なんてできないだろう。
それに彼らとの約束もある。研究室に籠りっきりだった僕だったが、不意に扉が叩かれる。
「ん?ロッカかい?どうしたのかな」
そういって、扉を開く。そこには、やはりロッカがいた。ロッカは僕が出て来たのを見ると、玄関の方を指差す。お客さんかな?
玄関に近付くと、扉を叩く音。だが、まるでそれは殴りつけるとも言えるような音であり、扉の先からは子供の泣き声が聞こえて来た。僕はロッカと顔を見合わせる。
そして、僕がゆっくりと扉を開く。すると、そこには10歳にも満たないであろう子供が、顔を真っ赤に泣いていた。
僕は少し困惑したが、屈んで少年と目を合わせ、笑顔で話しかける。
「どうしたんだい?どこか怪我しちゃったのかな?」
「村が………!」
その言葉を聞いた時、僕の顔からは笑顔が消えたと思う。
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