第二十八話 絶望の象徴と悪態男
街を襲撃した黒龍は、逃げ惑う人間たちを見て、当然の罰だと言わんばかりに鼻を鳴らした。
『まったく、下等な猿どもが』
人類はここ数百年の間にスキルという力が進化して、突如、食物連鎖の頂点に食い込んできた。
それでもその脅威は集団の力であり、単独では最強に程遠いが、彼は人類が生存圏を広げて幅を利かせているのが、とにかく気に入らなかった。
『地を這い、無様に逃げ惑うのがお似合いだな』
黒龍は最強の種族に生まれたことを、誇りに思っている。龍種の一員として、思い上がり調子に乗った猿――愚かな人類など、滅ぼしてしまいたいとも思っている。
だからか、眼下で広がる光景にはひどく満足気だ。守備隊の攻撃が飛んできても、彼はまるで意に介さずに
『クハハハハ! なんだこれは、豆鉄砲か!』
最強の名は伊達ではない。数百の魔法攻撃が降り注いでなお、彼は少しの
人間の放つ魔法や守城兵器は全て、頑強な鱗と、生まれながらにして持つ魔法防御力で防がれており、文字通り痛くも痒くもなかった。
『勇者とやらには近づくなと言われたが、こんな者たちの何を恐れろというのか』
彼はまだ100歳ほどであり、長命なドラゴンの中では若手だ。血気盛んな年頃でもあるため、勢いに任せて勇者まで打ち滅ぼしてしまおうか。などと、血を滾らせていた。
『まあいい、人類など駆逐してくれる』
一度上空へ羽ばたいた黒龍は、西の区画にある、一際大きな建物を目掛けて飛んでいく。
守備隊はこの動きに対応できておらず、無人の空を悠々と翔けた龍はすぐに、時計塔まで到達した。
そして建築物を破壊すべく、ブレスを放とうとした瞬間――彼の顔面をめがけて槍が飛ぶ。
「行くぜ、オラぁ!!」
『む、我の鱗に……傷が?』
ニコラスが投擲した槍は高速回転をしながら飛来し、首筋の鱗を数枚傷付けた。
重量のある大型の槍を、規格品よりも鋭利になった穂先で抉るのだから、相当な威力を発揮している。
しかしもちろん、鱗の下にダメージなど通ってはいなかった。
『くだらんな』
羽虫がまとわりついて、鬱陶しい程度のことだ。ドラゴンは屋根や
しかしここに配置されたニコラスとは、一体どんな人物か。
「ダメ元だったが、意外と痛かったみたいだな、おい」
『……は?』
「あーあー情けねぇなぁ。堂々と登場して即、建物の陰に隠れるとか……その図体は飾りかよ?」
彼はいつでも捻くれたことを言う、へそ曲がりの男だ。右に出る者がいないほど口が悪く、無礼さと天邪鬼ぶりにも定評がある。
「へいへいどうした、ビビッてんのか? ほら、喋れるなら何とか言ってみろよ生臭い爬虫類が。無駄に太った図体とセットで、その小っちゃい脳みそまで展示品か?」
要するに彼は悪態のプロであるため、どのような窮地であっても、どんな角度からであっても罵詈雑言を捻り出せた。
むしろ慣れが無ければ、この絶望の権化のような化け物を、挑発できるはずがない。
『小賢しいぞ、下等生物が!』
対する黒龍は、力と恐怖の象徴とも言える存在であるため、嘲笑されたことなど初めてだ。
ましてや煽られた経験などあるはずがなく、矢継ぎ早に浴びせられた言葉の数々には、すぐに我慢が利かなくなった。
『そこまで死に急ぐのなら、望み通りに全身の骨を踏み砕いてくれるわ!!』
鱗はすぐに再生するものであり、人間で言えば爪先が少し欠けた程度の被害だ。
それでも掠り傷を付けられた上に、害獣と見ている人類から小馬鹿にされた黒龍は、メインターゲットを時計塔からニコラスに変更した。
「うおっ、おっかねぇ! あとは頼むぜ!」
「ああ、やってみよう」
ニコラスを目掛けて突進してくるドラゴンに対し、間に割り込んだマクシミリアンは、背負っていたスパイク付きの大盾を構えて備えた。
盾の下方に付いた杭を地面に突き刺して、半身で低姿勢になった彼は、常時受けているスキルの恩恵に加えて補助の技を発動する。
「スキル発動――不動要塞!」
重戦士は防御系の技を得意としているが、彼が発動したのは真骨頂とも言える、「動けなくなる代わりに防御力と重さを数倍に引き上げる」技だ。
踏み砕くと予告されたため、彼は対物防御のみに集中して上方を向いた。
「来い、や、オラァァアアアアッ!!」
『愚か者がッ! その程度の児戯で止められるものか!!』
彼らに期待されている役割は、ドラゴンの攻撃を受け止めて、一瞬でも動きを止めることだ。
しかし黒龍からすれば、勝負になると思われていること。それ自体が侮辱だった。
真正面から挑まれたことも侮りと捉えて、彼はマクシミリアンの備えなどお構いなしに、怒りのままの体当たりを敢行した。
「ぐ、おお……おぁあああああッ!?」
「ちょ、うげっ!?」
巨体と激突したマクシミリアンは、両足で石畳を削りながら後方へ押し出されていき、最後には彼を盾にしていたニコラスごと、吹き飛ばされて宙を舞った。
彼らの鎧と盾が空中でバラバラに砕け散り、致命傷とは言えないまでも、行動不能になる程度のダメージを負って地面を転がる。
「ぐはッ――! こ、れは……厳しいな、流石に」
「ただの体当たりで、この威力かよ。まーじで、やってられねぇ……」
直撃したマクシミリアンは言うまでもなく深手を負ったが、彼という緩衝材を挟んでもなお、ニコラスの方が重傷だ。
しかし黒龍はただ前進しただけであり、自慢の武器である爪もブレスも使ってはいない。それで半死半生になっているのだから、戦果を確認した彼は愉快そうに顔を歪めた。
『眼前の光景に絶望したまま、そこで焼け死ぬがよいわ』
黒龍はニコラスを火葬すべく、ごく低空で滞空しながらブレスの用意を始めるが――予備動作に入る直前に――何かがおかしいと気付いた。
「やれやれ、このレベルの相手はまだ無理か」
「あーはいはい……お強いこって、まったく。こんなのに挑もうとする気が知れねぇ」
戦闘不能になるほどの傷を負い、装備も破損して絶体絶命だ。
だというのに、眼下の人間は恐怖や焦りを感じさせず、呆れたように笑っているのだから、訝しむのも当然だった。
「この結果は予想できただろうに、なんだって何も言わずに乗ったんだ?」
「それは……なぁ」
意地悪そうに笑ったマクシミリアンの手前、ニコラスはバツが悪そうな顔をして頭を振ると、明後日の方を向きながら答える。
「まあ、アイツさ、昔から嘘は言わないだろ。他がどれだけダメでも、そこは信用してる」
テオドールは意味も無い嘘を言わない。それだけを信じて彼は囮を引き受けた。
長年積み上げた信頼があったからこそ、彼は無謀な作戦に付き合っていた。
「何とかなるって言うなら、その通りなんだろうさ」
「そうだな。違いない」
黒龍には目の前で繰り広げられた会話の意味が分からず、いきなり日常会話を始めた意図も分からない。
しかし彼にとってみれば、死に際のゴブリンが最後の別れをしているのと変わらない光景だ。
細かいことは考えずに焼き尽くそうとしたが、それよりも早く、背後から声が響く。
「二人とも、お疲れ様。少し準備に手間取ったけど、もういいよ」
「それじゃあ、そこから何をするのか、見せてもらおうじゃないの」
一拍遅れて黒龍も振り返ったが、小鳥に変身して接近したテオドールは、既に背中に取り付いていた。
黒龍が予想よりも完璧に挑発に引っかかっていたため、攻撃の準備は完全に終わっている。
「うーん、念のために避難した方がいいかな。暴れられると困るから」
「……見たら分かるだろうが。ろくに動けねぇって」
左腕だけを《10%勇者》に変身させた彼は、ドラゴンの背に力強くしがみついている。
変身したのは指先のみであり、振り落とされないための、最低限の強化だ。
「コントロールはできないから、日頃の行いに賭けるしかないよ。巻き込まれないことを祈ってね」
「そうかい、そいつは不得意分野だ。今から半分諦めておくとするか」
勇者のスキルまでは再現できないため、生身のウィリアムが持つ6割の力で剣を突き立てても、数秒以内に致命傷まで追い込むことは難しい。
勇者の力だけで撃破できないと見たテオドールは、自分にできるベストな戦法で挑むつもりでいた。
要するに、彼は《規格外》の力で龍を討とうとしている。
「……さて、それじゃあドラゴンスレイヤーの称号、貰っていこうかな!」
『な、なんだこいつは。待て、何をするつもりだ!?』
テオドールがスキルを発動する際には、物品が生産されると共に発光する。これは任意に光量を変更できるものだ。
そして制御をしなければ、注いだコストに比例して光が激しくなる性質がある。
そのため、掲げられた彼の左手は――未だかつてないほどの光量で、輝きを放ち始めた。
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