第四十五話 課題と再会
テオドールが改めて傷を確認すると、患者の傷は深い。
喉元には致命傷となり得る切り傷があり、手足の骨もところどころが折れていた。
「小指が千切れかけているけど、壊死していないのはレビィのお陰かな」
この悲惨な状態から回復できるかは未知数だが、治療の手立てがないなら自分がやるしかない。
治療に踏み切ったテオドールはまず、患者の右手から光を当てた。
手と手が触れた瞬間。彼の掌は更に青白く輝き、放射状の光が手と手の接地面から迸る。
「……!」
「じっとしていて、大丈夫だから」
結論から言うと実験は成功だ。手の甲まで走っていた裂傷が消えていき、指も元通りの位置に戻り始めた。
風呂の栓を抜いたように力が流出していくテオドールは、絶望的な虚無感に襲われているが、しかし入念にカスタマイズしただけあり効果は絶大だ。
「はい、じゃあそのまま二の腕まで伸ばしていこうか」
「え? 回数制限を付けてあるよ?」
「1回は1回さ。どこまで保つかも試してみよう」
本当に回数制限が発動しているかは不明だが、魔法を切るまでは1回だ。
その理論を基にして、回復魔法を発動させたまま腕を登らせていく。
全ての包帯を解く時間までは無さそうだと判断して、差し当たりの目標は右手から喉元までの完全治療だ。
患者の腕を両手の掌で包みながら、テオドールは丁寧に治療していく。しかし時間にはまだ余裕があると見て、ウィリアムは一度で済ませるように指示した。
「さあ背中に手を回して、肩甲骨を経由して首元まで!」
「了解」
このカスタマイズは対象に触れていないと使えないため、手を離した瞬間に効果が消える可能性が高い。
しかし発動機会が月に一度ならば、怪我を抱えたまま来月まで待たせることになる。
だから一筆書きのように、手を離さないまま身体中を一周させることになった。
「……! ……っ!」
「あ、ちょっと、どうして暴れるのさ!?」
しかし両手から腕、肩口、喉と順番に触れていこうとすれば――肩口に手を回した瞬間――患者は大きく首を振って拒絶の意思を見せた。
しかしここまでやった以上、喉までは治さねばならない。コミュニケーションを取るにも満足な食事を取るにも、首元だけは治療しておきたかったからだ。
「構うことはない、やってしまえテオ君!」
「もちろんやるよ」
「……!?」
テオドールは首を治したついでに、患者の顔面を両手で押さえた。
腕が自由になった分だけ抵抗が激しくなったが、怪我人は黙って治療されてほしいとだけ思いながら、彼は問答無用で続ける。
しかし包帯の上から顔面を撫でまわして、そのまま胴体まで戻すと、どうして途中で治療を拒み始めたのかはすぐに分かった。
「あ、女性だったのか――」
「まな板で悪かったわね!」
「痛っぁ!?」
元気になった彼女からげんこつを食らったが、今さら止めるわけにはいかない。
効果が続いているのだから、テオドールは腹や腰も丁寧に治療していった。
「これは医療行為、これは医療行為……」
しかし彼が女性に触れたことなど、人生で数えるほどだ。
煩悩を振り払うために一心不乱で回復魔法を発動させて、太ももから足首までの全部位をきっちりと治し上げた。
柔らかい二の足を、両手で掴んでいる時にはどうにかなりそうだったが、そう時間はかからずに治療は終わりを告げる。
「よし、回復終わり! お疲れ様!」
無遠慮に撫でてしまった気まずさもあり、テオドールは即座に患者から離れた。
後半はハイペースだったため、包帯の下が無傷に戻ったかまでは要確認だ。しかしでき得る限りの処置はできただろうと、彼は胸を撫で下ろす。
「……確認する」
「こちらへどうぞ」
レベッカとラフィーナが傷の確認に入り、男性陣は部屋を出た。
そしていそいそと扉の前に立ったウィリアムは、早速テオドールに所感を尋ねる。
「で、どうだいテオ君?」
「成功みたいだね。一度離れると、再発動はできないみたいだ」
テオドールは自分の掌を見るが、再びハイ・ヒーリングを発動させようとしても変化は起こらず、うんともすんとも言わない。
回数制限を設ける代わりに威力を底上げすること。この試みは成功しており、これは魔法系の技能全般に使える技になる。
「ヴァネッサちゃんをコピーして
「凄いや、攻撃手段がどんどん増えていく」
元々のスキルが万能なため、これまでは魔法系の技に頼ることが少なかった。そもそも魔法に関連したスキル持ちでない彼には、習得難度の高さから、積極性はそれほどなかったのだ。
しかし今では《火魔法》や《魔法使い》などのスキルをカスタマイズして、一時的にでも身に着けることができる。
新技術の獲得を機に現実的な手札として認識できるようになり、戦力向上の一助になるのならばと、一転して貪欲になっていた。
「魔法の威力が10分の1になる代わりに、習得速度が3倍になる《魔法使い》スキルとかも作っていきたいな」
「ああ、うん。まあいいと思うよ」
《規格外》で作成したスキルを付与している最中は習得速度が上がり、スキルを外しても補助が無くなるだけで、覚えた技術そのものは使えるままだ。
つまり強化中に魔法を覚えれば、スキルを外して多少威力が下がったとしても、素の状態で使える魔法が増えていくという目論見だった。
「スキル抜きでも、劣化箇所を増やせば実用レベルになる。威力は上げられるし消費も少ないか、これはいいことを覚えたな」
例えばレベッカの《聖騎士》と、回復魔法を同時に発動すれば消耗が激しい。許容量を超えて戦闘不能になる可能性もある。
しかし回復魔法を単品で使うなら、このやり方を流用して何とでもなるだろう。
滅多に使わない攻撃用の魔法を、今回と同じ条件でストックしていけば切り札にもできる。
「でもまあ本題はそこじゃなくてだね」
「え?」
「女の子の身体を撫で回した、思春期男子の気持ちを聞いているんだな僕は」
使いどころは選ぶが、新しい戦い方を覚えたのだ。テオドールはまた一つ強くなったと実感していたが、ウィリアムのにやけた表情で現実に引き戻された。
「本当に性格悪いね」
「レビィのようなことを言わないでおくれよ」
「……まあノーコメントで」
人が前向きな気持ちでいたというのに、師の口から出てきたものはセクハラだ。
親戚のおじさんのような顔をしているウィリアムから目を逸らして、テオドールは今後の展望に思いを馳せた。
「魔法を習得する度に、一部をストックしておくのがいいかな?」
「真面目な話をすると、そうだねぇ。でも滅多に使えない技を溜めていくなら、似た魔法での練習をできるようにした方がいいと思う」
元々不得手なものを戦力に組み込むのなら、練習は必要だ。
ファイア・ボールをストックするなら、ウォーター・ボールで毎日練習できるようにしておけ。つまりはそういうことだ。
ここはウィリアムの言う通りだと頷いた辺りで、ヴァネッサが彼らを呼びにきた。
「確認終わったわよ。もう傷は無いみたい」
「それは良かった」
「良かった……んだけどね、まあいいわ」
引っかかることを言うヴァネッサに続いて部屋に戻れば、包帯を全部解いた包帯の人物がいた。
これから何と呼ぼうかと逡巡したテオドールは、振り向いた彼女の顔に――とても見覚えがある。
「……久しぶり」
「えっ」
そこにいたのは幼馴染の一人で、依頼中に死んだと聞かされていたシャーロットだ。
最後に見た時よりも髪が短くなっただけで、間違いなく本人だった。
「ええと、うおう」
死んでいたはずの人間が、元気に目の前に立っているのだからそれは驚く。しかし奇妙な唸り声を上げたテオドールの肩に手を置いて、ウィリアムは大笑いしていた。
「あっはっは、死んでいたはずの人間が生きていたってのはお約束だよねぇ! 感動の再会をした気分はどうだい? んん?」
「……えっと」
つまり彼の発言内容は、「幼馴染にセクハラをした気分はどうだ」というふうに変換できる。
依然としてねっとりとした煽りを入れる勇者は置いておき、シャーロットは軽く手を振りながら、テオドールと向かい合った。
「治療、ありがとね」
「ああ、うん」
レベッカとウィリアムがどこで拾ってきたのかは謎だが、無事に生きているというのなら、テオドールとしてはひとまず安心だ。
半死半生ではあったものの、無事に治ったのだから素直に再会を喜んだ。
しかし突然再会したので、何をどう話せばいいかは分からないままだ。
詳しい事情から聞こうか。それともトラウマに深く触れない方がいいのか。テオドールには考えがまとまらなかった。
そうこうしているうちに、シャーロットが先に口を開く。
「それはそれとして」
「ん?」
新たに得た力で、幼馴染を死の淵から救った。そう捉えれば幸福な使い道だ。
しかしこれでハッピーエンドかと言えば――そうでもない。
「テオ。私の身体を、随分と丁寧に治療してくれたわね」
「あー……」
凹凸の少ない身体から、男性だと思って治療を始めたので、胸やら腰やら足やらを気安く触ってしまった。
しかもそれを口に出したのだから、怒っているかどうかなど、問うだけ愚かだった。
「いや、あれは治療だからね? 疚しい気持ちは……」
「このっ――変態ッ!!」
「うげえっ!?」
誤解を解こうと思い近づいたテオドールは、シャーロットからのアッパーカットで、思い切り顎を跳ね上げられる。
怒りのポイントは無遠慮に触れたことよりも、女性と気づかなかったことの方だった。
そして彼女の所持スキルは《魔法使い》だが、冒険者をやっているだけあり、拳の威力はそれなりだ。
テオドールの視界がぐるりと回り、途端に平衡感覚を失う。
「お、おお」
いくら筋肉をつけても
これもまた新たな知見であり、大きな収穫だ。
「次に、活かせる……」
という場違いな思いを抱きながら、彼は意識を失った。
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