第三十三話 いずれにせよドラ子



 翌朝の早朝。彼らは預けた馬車を出庫させて、日帰りで出発することにした。


「じゃあ行ってくるから、何かあれば宿の人を呼んでね」

「……」


 テオドールはベッドに横たわる包帯の人物に声を掛けてから、宿の階段を下りていく。

 相変わらず返事はないが、仕草からコミュニケーションは取れるようになっていた。


「慣れれば慣れるものだな……」

「何かあったの?」

「いや、何でもないよ」

「では早く出発しましょう。一国も早く」


 彼らは急かされるままに、北東へ延びる街道から王都を出発する。

 目的地はドラ子の故郷である龍人の里だ。


 途中の脇道を西方面に逸れて、王都の真北の方角を目指して進むこと数時間。彼らは順調に、隣街とでも言うべき里の、外苑部にまで到着した。


「やっと、やっと帰って来ました! これでドラ子呼びからはおさらばです!」

「あ、ああ」


 ふんすふんすと鼻息も荒く、ドラ子は拳を握りしめていた。


 初対面の時に見せた楚々とした雰囲気などどこかに消え失せているが、それだけあだ名に不満があったということだ。


「悪いことをしたかな」

「大丈夫、ドラ子はドラ子。それは変わらないから」


 感慨もなく答えたレベッカは、御者の席からぼーっと山の先を見つめている。


 視線の先には岩肌が目立つ山が見えるが、上空ではワイバーンたちが飛び交っていた。


「あれは郵便に使っているんだっけ?」

「そう。送達はかなり早い」

「僕の地元では人伝手か、荷馬車に預けるしかなかったから、随分と開明的に感じるよ」


 この里は、森と山を切り開いた場所にある。そして遥か北まで続く山脈の中腹には例に漏れず、岩肌をくり抜いて作った大きな屋敷も見えた。


「異国情緒というか、自然と調和した街並みね」

「それはそうですよ。人間は人口・・の2割もいませんから」

「へ? それはどういう――」


 ヴァネッサが目を丸くした次の瞬間、ボロ衣を纏ったスケルトンが数体、草むらの茂みからガサっと飛び出してきた。

 手には上等な武器を持ち、防具も一級品だ。


 歴戦の進化個体である可能性も考慮しつつ、テオドールは真っ先に立ち上がった。


「アンデッドか! 僕の規格外浄化を見せてやる!」

「こ、こんな街の近くに出るの!?」


 テオドールとヴァネッサは即座に戦闘態勢を取ったが――しかし地元民であるレベッカとドラ子は、一団に向けて朗らかに手を振っていた。


「あちらは街道警備隊の方々ですよ」

「ん。今日も元気」

「え?」


 レベッカとドラ子が、「お役目ご苦労」と言わんばかりに敬礼すると、スケルトンたちからも敬礼が返ってきた。


 何事もないように状況が流れて行ったが、数秒の硬直から立ち直ったテオドールらは、動じない2人に強めの確認を入れる。


「警備隊のなんだ!?」

「いや、もう人間辞めているわよね!?」


 馬車を見送るガイコツたちが一列に並んだ様は、奇妙な光景だ。

 しかしこの辺りではこれが自然な風景なので、レベッカは淡々と言う。


「出てきた魔物は、全員仕事中だと思って」

「見分け方は?」

「野良は絶滅しているから、基本的に見分けは要らない」


 今までの道は魔物のような人間たちが守護していたが、この先は魔物が警備を担当している。

 そう説明されたところですぐには受け入れられず、初見の2人は警戒の声を上げ続けた。


「ワーウルフが出たわよ!」

「あれは大工さん」

「あの熊は住民なの!? 人間をおやつ感覚で捕食しそうだけど!」

「農家さんですね。あの方は養蜂家です」


 危険な魔物の数々が友好的に接してくる様を見て、馬車を曳く馬すら戸惑っていたが、レベッカは一向に構わず前進させていく。


「だっ、大丈夫なの? これ、囲まれてない?」

「ひぃぃぃいい! や、やだっ! おうち帰るっ!」


 テオドールとヴァネッサはカルチャーギャップに戸惑い、視線を右往左往させるばかりだった。

 彼らは身を寄せ合って慄いているが、逃げた方がいいというのが共通見解だ。


「これは、撤退の準備もしておかないと」

「お願いね。高いところは怖いけど、ここよりは安全だろうから」


 周囲の状況からして、どんどん深みにはまっている気がしてならなかった。

 そんな折、ドラ子が呟いて曰く――


「オロオロしてばかりいると、小物のように見えませんか?」


 言われてみればそうであると、テオドールは心から納得した。突然の事態に慌てふためくのは、大抵が取るに足らない下っ端なのだ。


「そうだよヴァネッサ。もっとこう、余裕を見せていこうよ」

「ちょっ! テオ君、裏切ったわね!?」


 むしろ不敵に笑うくらいの心構えが必要だろう思い、彼はどっしり胡坐をかく。


「やれやれ、ヴァネッサのそういうところは可愛いと思うけど、もっと慎みと落ち着きを持つべきかな」

「……殴るわよ?」


 自分が戸惑っていたことを無かったことにしたい。そんな意図で急に大物風を吹かせてきたテオドールに対して、ヴァネッサは拳を握り、怒りに身を震わせていた。


 振り返ったレベッカは何とも言えない視線を向けたが、テオドールは構わずに口笛を吹いて誤魔化していく。


 そうこうしているうちに街に入り、山道をガタゴト揺られていくこと更に十数分。


「屋敷だと思っていたけど、近くで見たら神殿みたいだね」

「そ、そうね。守衛さんは相変わらずスケルトンだけど」


 大神殿のような門構えの手前には駐車スペースがあり、誘導のアンデッドが待機していた。


 しかしテオドールは既に、「自分は大物」という自己暗示にかかっているため、悠々と右手を挙げて挨拶をする始末だった。


「出迎え、ご苦労様」


 物言いたげなヴァネッサを脇に置き、馬車を停めた彼らは早速、社の内部に向かう。


「壁一面に壁画、天井にも彫刻か……ここって文化遺産だったりするの?」

「いえ、単に私の実家です」

「随分といい家に住んでいたんだね」


 テオドールはドラ子の実家を野生動物の巣か、炭焼き小屋のようなものと想像していたため、宗教の総本山と見紛うばかりの建物が出てきて、やはり戸惑った。


「い、いやでも、龍人の里というくらいだから、ドラゴンでも出てくるのかと思ったよ」

『なんじゃあ、うぬらは……』

「……本当に出てきたじゃないか」


 鎌首を上げたドラゴンがぬっと姿を現した瞬間に、テオドールは気が遠くなった。

 彼が先日倒した黒龍よりも圧倒的に格上だと、すぐに分かったからだ。


 サファイアブルーの鱗をしたドラゴンは、突然の来客を前に圧倒的な威圧感を漂わせていた。


『客の予定はなかったはずだが、侵入者か?』

「マザー。ただ今戻りました」

『む? おお、ラフィーナか。よく帰ってきた』


 しかしドラ子の姿を認めると敵対心が氷解して、場の圧力が一気に二段階ほど下がった。

 それでも命の危機は継続しているのだから、テオドールは取り急ぎヴァネッサと密談する。


「ねえ、どうする?」

「逃げるか祈るか、選びましょう」

「逃走は無理そうだから、最期のお祈りが建設的かな」


 彼らが諦め半分かつ、いつでも逃げ出せる体勢に入っている傍らで、ドラ子は暢気に紹介を始めた。

 彼女は掌で青龍を指して言う。


「紹介しますね。こちらはマザー、偉大なる蒼き古龍グランド・ブルードラゴンと呼ばれる方です」


 長命であるが故に知識や見識が深く、戦闘と魔法の技術を極めたような生命体だ。ドラゴンの中でも最上位に君臨し、ウィリアム級の猛者でなければ対抗できない大物でもある。


「こ、古龍?」


 到着してから振り回されっぱなしのテオドールは混乱していたが、納得の威圧感と迫り来る圧力に――これを倒したら伝説になれるという――欲が混じり合い始めた。


 戦闘という選択肢が突如復活したが、しかし話は通じるので、ここは一旦静観だ。


 後で挑戦してみようかと葛藤する彼の前で、マザーと呼ばれた古龍は、ドラ子に頭を寄せて言う。


『道中、危ないことはなかったか?』

「誘拐されかけましたが、この方々に助けていただきました」

『そうか……そして、レベッカも一緒に帰ってきたか』

「ぶい」


 レベッカと古龍は知り合いであり、親戚の叔母さんの家に遊びに来たような気楽さでいた。

 だったら先に言えよと言いたげなテオドールたちを無視して、状況は進む。


『さて、試練を越えたのなら、もう封印は要るまいな』

「で、では」

『ああ。今後は里の外でも自由にするといい』


 うずうずしたようなドラ子に向かい、古龍は幾重もの魔法をかけた。

 彼女の頭上には次々と魔法陣が出現して、砕けて割れていく。


「ぷはっ! これでようやく名乗れます! 私の本当の名を!」


 水中でずっと息を止めていたような反応を見せたドラ子は、非常に晴れやかな顔をしていた。


 封印中は息苦しかったのか、それとも不本意なあだ名から解放されるという喜びからか、テオドールには判断がつかなかったが、何にせよいい笑顔だ。


「……でも名前はさっき聞いたけど、どうしよう」

「……知らないフリをするのが大人の対応よ」


 出会い頭に古龍が名前を呼んでいたので、ネタバレを食らってはいるが、はしゃぐドラ子の手前何も言えずに、彼らは勿体つけた名乗りを待った。


 咳払いをして、意気揚々と宣言された彼女の名は――


「私の名は、ラフィーナです。ラフィーナ・フォン・ドラゴニアです! もうドラ子とは呼ばせません!」


 そう宣言をして、両手を胸の前で合わせ強く拳を握りしめたドラ子。


 ちっちゃい子が頑張っているようで、ヴァネッサからすると非常に微笑ましいが、しかしテオドールはあることに気づいた。


「いや、あの、いずれにせよドラ子では?」

「え?」


 ドラゴニアという姓から、容易にドラ子というあだ名が付けられると思った彼は――何気なくその考えを口に出してしまった。


 レベッカがうんうんと頷くところを見て、ドラ子の動きはフリーズする。


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