第三十二話 ガールズトーク



「ふぅ、いいお湯だわ」

「長旅で疲れた身体に、沁みますねぇ……」

「旅の間で不便に思ったことは、湯浴みくらいだからねー……」


 その日の晩、ヴァネッサとドラ子は宿の浴場に赴いた。

 貸し切りの湯船に浸かった彼女らは、心地よさそうに溜息を吐く。


「こんな生活が続くなら、実家への未練も消えるわ……」

「立場がありますし、ずっとは無理ですよ?」

「分かっているわよ。そのうち帰るわ、そのうち」


 満足そうな顔でリラックスするヴァネッサに対し、ドラ子は少し不安げな顔をしていた。


 何せ彼女の知己である勇者と聖騎士は、似たようなことを言いながら、数年に一度しか帰宅していない有様だからだ。


「本当に大丈夫ですか?」

「大丈夫大丈夫」

「……そもそもお風呂があるところなんて、結構な高級宿だけですからね?」


 目の前の友人が旅にハマり、同じ道を辿らないことを祈りつつ、ドラ子は湯船の湯を掬って自分の顔にかけた。

 そして一方のヴァネッサも、先立つものを考えて現実的に思案する。


「一々泊まるには路銀が足りないか。冒険者として稼げば……いや、収入のほとんどを家賃に使うのは……」


 箱入り娘の彼女とて、屋敷から抜け出て遊ぶくらいのことはしており、金銭感覚と一般常識も身に着いている。


 勝手気ままな逃亡生活を長く続けたいなら、節約するところは節約しなければならないとは、きちんと理解しているのだ。

 さりとて生活水準を下げたとすれば、後々は苦痛に感じてくるだろう。


 のんびりと悩んでいたヴァネッサだが、やがて名案を思い付いたとばかりに、彼女は手を打つ。


「そうだわ。依頼のあともテオ君にくっ付いていけばいいのよ。うん、何も難しいことじゃない」

「ええ、まあ、テオさんなら気前よく出してくれるでしょうけど」


 貴族に恩を売っておき、後々利用しようという魂胆が見えるなら彼女も遠慮したはずだ。


 しかしテオドールが考えているのは、「太っ腹なところを見せた方が大物っぽい」という、ただそれだけのことだ。


「でもそうすると、貢がせるような形になりますね」

「うん? まあそうかしら」


 人のために金を使うこと。それ自体に悦びを感じるタチなので、お願いすれば特段の疑問も持たずに、いくらでも快く出すだろう。


 そんな未来が訪れることは、ドラ子が未来視のスキルを発動するまでもなく、すぐに見当がついた。


「いい男はいい女に金を使うものだ……とか言っておけば、何も気にしなそう」

「……確かに、コロっといきそうな気はします」


 これでヴァネッサも、自分の見た目には結構な自信がある。綺麗系の顔をしており、卑下しなくていい程度には美少女なのだ。


 旅の途中でも手入れは欠かしておらず、髪や肌も綺麗なまま維持していた。


「英雄の横には美女が付き物じゃない? ってのが殺し文句ね」

「それさえ言えば交渉要らずで、本当に実現しそうなのが怖いんですよ」


 彼にとって金銭的な負担など、あって無いようなものなのだ。多少の援助で周囲からの視線が変わるならば、テオドールは財布の紐を緩めるどころか金庫を解放する。


 テオドールが精神的に満足して、ヴァネッサが物質的に充足するため、一応は両者に得があるプランだ。

 湯上りにでも提案してみようと心に決めて、彼女は言う。


「あとはメンタルの勝負ね。私がそのヒモ生活に気まずくなって、根を上げるまでにどれだけ貯められるかが問題よ」


 社交界に慣れた貴族の娘が、少しばかり本気で落としにかかれば容易いことだ。

 テオドールはせっせと貢ぐことになるのだろうな、と、ドラ子は遠い目をしていた。


「嫌気が差したテオさんから、途中で打ち切られるという可能性は?」

「性格上ないと思う」

「ですよねぇ」


 テオドールとは、おだてて褒めれば何でもやってくれる、承認欲求の権化ごんげなのだ。


 お人よしの雰囲気がある上に、かなり単純な性格をしていることは、この旅の中で彼女たちも気づいていた。


「まあ、あまりお金を使わせるのは悪いしね。ほどほどに援助してもらえれば助かるなぁってくらいよ。彼からすれば、飼い猫みたいなものってことで」


 地元から出たことがないヴァネッサは、初めての遠出に心を躍らせている。


 新しい景色や経験に触れる中で、楽しくなってしまった彼女は、この旅をできるだけ長旅にしようと画策するようになったのだ。


 必要とあればアクセサリー扱いしていい代わりに、日々の生活全てを保証してもらおう。

 家出の長期化を狙う彼女からすると、これがもっとも安上がりな戦法だった。


「うーん……。子爵令嬢としてのプライドは無いんですか?」

「楽に暮らせるごろにゃん・・・・・生活を捨てて、敢えて苦難の道を行く意味がないわ」


 彼女は幼少期から、庶民の暮らしぶりにどっぷり漬かっている。同年代の友人も大半が平民なので、彼女からすれば貴族のプライドにそれほどこだわっていなかった。


 それに加えてテオドールは、短時間でも疑似的に勇者と同等になれる、人類最高峰の力を持っているのだ。

 身の安全を考えても生活を考慮しても、彼の横にいるのがベストだとヴァネッサは確信していた。


「お目が高い」

「あ、レベッカ様。……執事の人はどうしたの?」

「ぼこった」


 浴場に現れたレベッカはさらっと、短く返答したが、執事についてはボコボコにして撃退したという意味だ。


 まあ、深く触れることはないと頭を切り換えて、髪を洗うレベッカの姿を横から眺めていたヴァネッサは、やがて小声でドラ子に耳打ちする。


「テオ君には本命がいるっぽいし、深入りはしないから安心して」

「は、はぁ……」


 賑やかし担当と割り切れば、それほど悪いことにはならないだろう。

 ヴァネッサはそう片づけてから、肩までたっぷりお湯に浸かった。


 しかし多方に問題があると考えたドラ子は、解決策を探して暫し悩む。そしてふと、彼女は前々から思っていた疑問をレベッカにぶつけた。


「レビィは、テオさんのことが好きなんですか?」

「……黙秘する」

「否定しない時点で、語るに落ちていますが」

「……」


 ドラ子の話は、髪を洗い流すのに忙しくて聞こえませんでした。そう言わんばかりに、レベッカは桶で水場から豪快に水を汲み上げて、ばっしゃばっしゃと頭から被り続けた。


 そんなことをしても無駄なのにと、呆れたのはヴァネッサも一緒だ。


「ご覧の通り、まだまだ時間が掛かりそうなので、側室なら目はあると思いますよ」

「え、い、いや。私はちょっといい暮らしをさせてほしいだけで、別にテオ君とお付き合いとか、結婚とかまでは考えてないのよ?」


 恋愛感情すら持っていなかったヴァネッサは、本当に生活の保障をしてもらえるだけで良かった。

 だがドラ子は、先ほどの発言を引き合いに出して、とぼけた顔をする。


「なんでしたら、今なら全然勝てると思いますし……ごろにゃん・・・・・とは、そういう行為のことですよね?」


 口さがない者、酒場の酔客が「にゃんにゃん」という暗号を使うことがある。


 そしてその隠喩を使う時に男女がどうなって、どうなるのかを、いい年をしたヴァネッサは当然のこと知っているのだ。


 現場を想像した彼女の顔は、みるみるうちに赤くなっていった。


「い、いやいやいや! 違う! 私だって淑女なんだから!」

「でも、結構いいカラダしてる」

「それはやらしい身体って意味かしら!?」


 これくらいからかっておけば、ヴァネッサの無茶を牽制しつつ、煮え切らないレベッカの後押しもできたと見ていいだろう。

 眼前の光景に満足して、ドラ子は微笑んだ。


「まあこれで……ん?」


 追加で飛んできたセクハラ発言に抗議すべく、立ち上がったヴァネッサの肢体をよくよく見てみると、彼女もレベッカより控えめながらプロポーションはいい。


 両サイドの女性陣と、自分の身体を交互に見つめたドラ子は、げんなりとした顔をした。


「いえ、私は、まだ。ずっと成長期ですからね」


 ドラ子はドラゴンの血を引いているが故に長命であり、身体の成長や発育も40歳前後で、ようやく人間の成人と同程度になる。


 彼女たちの人生が折り返しになった頃に、初めて同年代と見られるだろう。

 しかし早熟な種族を羨んだところで、どうしようもないのだ。


 当分は格差を感じるはずだと凹みつつ、口から泡をぶくぶくさせながら、ドラ子は浴槽に顔を沈めた。


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