第三十一話 屋根を駆ける少女



 旅をすること8日間。国境越えから道中まで含めて大きな問題は起こらずに、目的地である公国の首都が目視できる距離にきた。


「ようやく見えてきましたね。1年ぶりでしょうか」

「私も結構久しぶり」


 ドラ子は感慨深そうに到着を喜び、レベッカも心なしか明るい顔をしている。


 対照的に、包帯の人物は現在まで一切喋らず、定位置である馬車の右端から微動だにしていない。


 そしてその横ではヴァネッサがガタガタと震えていたが、御者の席に座るテオドールは、彼女を気遣うように声を掛けた。


「大丈夫だよヴァネッサ。ここには怖い魔物はいないから」

「でも、怖い警備隊はいるんでしょ!? 騙されないんだから!!」

「魔物よりも人間の方を怖がるんだもんなぁ」


 ここまでの長旅で、大なり小なり魔物との接敵はあった。しかしそれ以上の脅威を誇っていたのは、公国の街道警備隊だ。


 狂ったように笑いながら魔物を粛清していく集団に、何度も鉢合わせた結果。彼女はここが人外魔境の地とでも言わんばかりに、公務員を警戒するようになった。


「あれは人間じゃないわ。新種の魔物よ」

「いや、あの人たちだって仕事でやっているんだから」

「……どうかしら、趣味の延長に見えたけれど」


 目が血走り、高笑いを上げながら爆走する人相の悪い集団。しかもなかなかに統率が取れており、一個の生物のような動きで敵を食い散らかしていく姿は異様だった。


 お近づきになりたくない気持ちはテオドールにも分かるが、一方で彼は、あんな部隊に守られた街はそれなりに安全だとも思っている。


「近くの魔物は最高でB級下位まで。危険なものはいないから」

「そうですね。特に王都の周辺は治安がいいですよ?」


 久しぶりに故郷へ戻った高揚も相まって、公国出身組は朗らかに笑っていた。

 しかしこれもテオドールたちからすると、おかしな話ではある。


「B級下位の魔物って、4体くらいいれば村を滅ぼせるよね?」

「この辺の村人なら、戦闘スキル持ちがいなくても追い払える」

「やっぱり魔境じゃない。私お家に帰――れないけど、もう帰りたい」


 彼らの地元と比べて風土が違い過ぎるため、どちらかと言えばテオドールもヴァネッサ寄りの立場だ。

 重ね重ね気持ちは分かったが、しかしここまで来て引き返すわけにもいかない。


「まあ細かいことは、依頼が終わってから考えよう。あとどれぐらいで里に着くの?」

「首都からであれば、半日ほどですね」

「……そっかぁ」


 隠れ里だと思っていたテオドールは、首都の近場にあると知り多少落胆した。

 拍子抜けではあるが、まあ近くて困ることはないと、気を取り直して彼は言う。


「もう昼過ぎだから、今日はこのまま一泊しようか」

「そ、そうね、流石に宿は安心だろうし」


 油断していると、またどこかでショックを受けるのがお約束だ。

 しかしそれは言わぬが華かと思いつつ、彼は黙って馬車を進めた。


「門を潜ったら、ずっと真っ直ぐ」

「まずは馬車を預けましょうか」

「ん、それなら馴染みの商館がオススメ」


 テオドールはレベッカとドラ子の先導に従い、メインストリートを進んで幾らか経ったところにある、大き目の商会に馬車を停めた。


「じゃあ、手続きしてくる。ちょっと待ってて」

「お、おお、レベッカちゃん。元気してたか?」

「まあまあ」


 レベッカは知り合いのハゲた店主に声を掛けると、馬車を預け入れるための書類に必要事項を記入していくが、店主の世間話は殊更に長かった。


「……何か?」

「いやいや、何もねぇんだがよ。そういや隣の通りの靴屋の倅に、息子ができたとか」

「そう」


 書類を受理してからの処理にもやたらと時間がかかり、昼食を食べ終えられるほど時間が経ってもまだ、車庫入れは始まらなかった。


「……ちょっと怪しい」

「そ、そんなことはないさ。ほら、久しぶりに帰ってきたもんだから、おじさん嬉しくて」

「スキル発動」


 この様を見て、レベッカは常時発動しているスキルを、意識して強めに発動させる。


 彼女が持つ2つ目のスキルは《直感》だが、感覚を鋭敏にしてみると、彼女の脳裏には見事に嫌な予感が走った。


「……よし、逃げる」

「お、おい、待ってくれ! あと5分で済むから!」


 本来であれば、5分もあれば預け終わって店を出られる。


 いよいよ不穏さが漂ってきたところでようやく、執事服の青年が、息を切らせながら店に転がり込んできた。

 テオドールたちを押しのけて乱入した執事は、まず店主を一瞥する。


「足止め、ご苦労!」

「む、謀られた?」


 ハゲ頭の店主が通信用の魔道具を片手に、「ごめん」とジェスチャーをする横で、騙し討ちを受けたレベッカは不満そうな表情を浮かべた。


 一方で執事は、鬼気迫る表情で彼女に迫る。


「レ、レベッカ様、ようやくお戻りになりましたか。……ウィリアム様は?」

「まだ南の王国」


 執事はウィリアムがいないと聞き、分かりやすく肩を落とした。

 しかしすぐに気を取り直して、彼は話を続ける。


「では、レベッカ様だけでもお戻りになってください」

「嫌。今日は宿に泊まる」

「ワガママを言わずに、お願い致します」

「ん、拒否する」


 ヴァネッサからの前情報により、貴人だとは把握している。そのため実家から迎えが来たのだろうとは、テオドールにもすぐに理解できた。


「よくよく考えてみれば、年に一度しか戻ってこない冒険者の貴族って、聞いたことがないよね」

「それは……確かにそうね」


 ウィリアムに兄弟がいなければ、貴族家の当主か次期当主とは予想できる。そしてレベッカは一人っ子なので、二人の身に何かがあれば、お家断絶レベルの大問題だ。


 ならば使用人の態度が強硬になる理由にも、ある程度の察しはついた。


「絶対にお戻りいただきます」

「そのうち戻る」

「そのお言葉は、1年前にも聞きました!」


 何としてでも家に連れて帰りたい執事と、絶対に帰宅したくないとゴネるレベッカ。

 しばらく押し問答が続いていたが、どう見ても理は執事の方にある。


 ここで彼女がどうしたかと言えば――唐突に垂直跳びをして――上方に飛んだ。


「……散っ」


 埒が明かないと見たのか、それとも不利を悟ったのか。レベッカはその場で大ジャンプをすると、屋根の上を駆けて逃げていった。


「あっ、お待ちくださいレベッカ様ッ!」


 青年も謎の跳躍力を見せつけて、凄まじいハイスピードで追いかけっこを始めた二人の姿は、すぐに見えなくなった。

 取り残されたテオドールは、彼女らが去っていった方角を見ながら呆れたように呟く。


「屋根の上で追いかけっこをする貴族と従者の姿も、中々に非常識な光景だよね」

「テオさん、何か言いました?」

「いや、何でもない」


 テオドールは常識の重要性を学んだが、見たところ執事の青年はまともな感性を持っていたので、特に問題はないだろうと片づけた。


 道案内にしても、地元民のドラ子がいれば何とかなる。

 ここで問題があるとすれば、未だに口を開かない包帯の人物だけだった。


「あ、あのー。取り敢えず宿に向かいますけど、一緒に行きますよね?」

「……」


 テオドールからすると距離感が全くつかめず、やりづらいことこの上なくはあるが、小さく頷き返してきたことで同意の意思は見られた。


「じゃあ、行こうか。一番有名なホテルはどこ?」

「え? ええと、メインストリートにありますが……」

「ならそこにしよう」


 ドラ子の案内に従うまでもなく、歩けばすぐに5階建ての豪奢なホテルについた。

 ロビーを見るだけで高級宿と分かる、清潔感に溢れた建物だ。


「あの、テオ君? 私からの依頼料って覚えてる?」

「金貨15枚だね、覚えてるよ」


 テオドールは当然のこと、最もグレードが高い順から5部屋を選び、7日分予約したが、横で見ていたヴァネッサは複雑そうな顔をしながら尋ねる。


「この宿は、一泊いくら?」

「金貨15枚だね。金貨3枚を5人分で」


 ドラ子は着の身着のままであり、包帯の人物も手ぶらだ。


 ヴァネッサは咄嗟に持ち出せた路銀が少ないということで、テオドールとしては自分がまとめて支払うのは、当然のことという思考だった。


「国境を越えた護衛依頼の報酬と等価か。うん、いい宿だね」

「……何かがおかしいと思わない?」


 宿泊代1日分で、片道2週間の依頼金を全て吹き飛ばすなどと、金銭感覚がどうかしている。


 テオドールも途中で発言の意図に気づいたが、彼はスキルを使えば衣食が無料で済み、消耗品や装備品も丸々無料で補充できるのだ。


 高難度依頼のハシゴによって、金が貯まる一方だったこともあり、基本的には豪勢に使いたいと思っていた。


「僕は金銭なんかに興味はないよ。欲しいのは名声だけなんだ」

「その発言からして、名誉と一番遠いところにあると思うのだけれど」


 野菜商人をやっていた期間の貯金も手付かずで残っており、懐にはまだまだ余裕がある。

 成金のような面は目立つが、それはもう今さらだった。


「まあまあ、その気になれば規格外品の宝石でも売りに出して、また稼げばいいから」

「……そんなことをしたら、また狙われるわよ?」

「そしたらまた逃げるよ。捕まらないうちにね」


 貨幣を造れば偽造の罪で逮捕されるが、宝石や原石ならば法には触れない。


 しかし合法なはずなのに、犯罪者のようなことを言っているな。などと、益体もないことを考えながら、彼は手荷物を部屋に置きに行った。


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