第五話 クズ野菜屋と変人
それから1週間後。先週までなら冒険の支度をしている時間になっても、テオドールは家の中にいた。
彼は薄暗い一戸建ての中で、ひたすら野菜を生産し続けている。
「このスキルも、生産系の上位スキルって考えれば当たりだよね」
多少形が悪いとはいえ、毎日野菜を出荷できるのだ。
元手も無料なので、まず間違いなく食いっぱぐれることはない。
日常の些細なことで使い続けた規格外の力は、3年間という歳月を経て、使用の上限がかなり伸びていた。
新米冒険者のうちは魔力切れを起こし、具合が悪くなることもあったが、今では木箱の10個や20個に野菜を詰めるくらいは余裕だ。
彼はその気になれば、100個は積み上げられそうな気さえしている。
「これ以上生産すると捨てることになるし、持ち運べないから意味がないけど」
規格外品の野菜を安値で売る。それが新しい生活指針だ。
規格外品のため少し荷台の大きいリヤカーに、色落ちした規格外の木箱を積んで、今日もこれから市場に向かう。
現地で生産した方が手間は少ないが、無駄に目立つのは好ましくないと考えて、彼は売物を家で作ることにしていた。
「あ、シャツにほつれがある」
序盤の金策には便利だった。その程度の評価で切られてしまったが、唱えるだけで何でも手に入るのだ。
戦闘に関して言えば外れだが、一般的には十分過ぎるほど当たりスキルと言えた。
「最初に作った日を思い浮かべて……《規格外》」
テオドールには2カ月に一度ほどのペースで、服を再生産するルーティーンがある。新品だった頃のシャツを思い浮かべた瞬間、彼の手元には、ばさりとシャツが降ってきた。
ただし元になった品――今着ている服――は長袖だが、生産された方は七分丈になっている。
ともあれ新品の服を手にして玄関に戻った彼は、いそいそと着替え直した。
「暖かくなってきたし、これでいいか。そう言えば靴も汚れてきたから、《規格外》しておこう」
革靴を作った日のことを思い返して、力を発動する。
それだけで新品が手に入るのだから、やはり便利な能力だ。
やたらと靴紐が長いところ以外は完璧な靴に履き替えて、彼は再び玄関を出た。
「これも、古くなったシャツも、後で捨てなきゃね」
無限に作れるとは言え、ゴミを増やせばそれだけ処理の手間がかかるので、必要なものを必要な分だけ用意するのが吉。それが彼の生活の知恵だ。
この力を使っていて困ることがあるとすれば、生み出した品物の後処理だけだった。
「一人でいる時間が長くなると、どうにも独り言の回数が増えるな……」
元から内向的だった性格に、磨きがかかっているかもしれない。
そんなことを考えつつ、彼は市場に向かった。
◇
大通りでは毎日、朝市が開かれる。店主は商売系のスキル持ちばかりだが、別に必須というわけではなく、許可と場所代だけ払えば誰でも出店可能だ。
それなりに大きい市場には、今日も陽が昇らないうちから人が集まっていた。
「ねえテオちゃん。少しばかり、オマケしてくれないかしらねぇ」
本日1人目の来客は、隣の町内に住んでいる老婆だ。
出会い頭の挨拶と共に価格交渉が行われ、老婆の瞳が妖しく光る。
対するテオドールには会話の途中から、急にオマケしておきたい気分が沸き上がってきたため、即座に交渉が成功した。
「会話の最中に交渉系のスキルを仕掛けないでください。……ほら、2割増しです」
こんな風に、相手がただの主婦と言っても侮れない。
一般的に買い物客が10人いれば、その内2人くらいは何らかのスキルを使ってくるからだ。
「ひぇひぇ、ありがとねぇ」
「……いえいえ」
しかし一般的には2割弱の客がスキルを使ってくるとして――彼の店に限って言えば――買い物に関連したスキルを持つ客の割合は、半数を超えている。
次の買い物客は近所の若奥様だが、彼女もまた値切りの力を持っていた。
「あったあった、テオくんのお店!」
「はい、いらっしゃいませー」
テオドールが市場に露店を出した初日には、交渉系のスキルを持った客からの交渉により、あっさり7割引に持ち込まれたという事件があった。
主婦のネットワークは怖いもので、テオドールが商売系のスキルを持っていないことは既に知られている。
そのため彼の八百屋は、今やスキル持ちの人間から狙い撃ちにされていた。
「お姉さん、もうちょっとお野菜が安いと助かるんだけどなぁ――《値切り》! ね、沢山買うからさ! 《値切り》!」
価格交渉が有利に運びやすいだけで、スキル持ちが相手でも交渉はできる。
だがテオドール本人の話術が乏しく、押しにもとことん弱かった。
むしろ対人関係が苦手な彼は、店を出した時点で最初からある程度諦めていた。
「普通に値切ってください! ああもう、半額でどうですか!」
「いやぁ、テオくんのところは安くて助かるわぁ」
そもそも普通は商売系のスキルを持った人間に売却を頼むので、ここまで露骨な値下げ交渉などできない。
精々1割も引ければいいところだが、彼の店では様々な要因から、とにかく値引き幅が大きかった。
「まあ、これでも十分すぎるほど儲かるし、元がタダだからいいんだけどさ」
生産に使う魔力は時間経過で勝手に回復するため、いくら値引いてもテオドールに損は無い。
とは言えあまりに廉価販売をすれば、農家や他の八百屋が困るのだ。
だから彼が許しても、向かいの露店で正規品の野菜を売っている店主は許さなかった。
「諦めんなよテオの坊主! 最悪でも3割くらいにしとけ!」
「ぶー。じゃあ間を取って4割引でいいよ」
かくして商売敵から保護されて、お客さんから容赦のない攻撃を受ける八百屋が誕生したわけだが、周囲の店主は「これでよく店を出そうと思ったな」と呆れていた。
「はぁ……坊主、もう委託販売にしたらどうだ?」
「いえ、もう少し頑張ってみます」
もちろんテオドールとしても委託は考えたが、家に来た商人に品物を渡すだけの生活では、本格的な引きこもりになってしまうのだ。
自ら売り子をやりたがっているのは、社会との繋がりを求めた故でもあった。
「……何やってんだろうな、僕」
現状を見るに、野菜を育てる土地が要らず水も肥料も要らない。木箱を始めとした備品も無料で用意できるのだから、お金の貯まり方はすこぶるよかった。
E級冒険者だった頃と同程度には稼げているが、働く時間は3分の1だ。
単純に考えれば、以前の3倍は
だが、幼少期に思い描いた未来とかけ離れた現状に、溜息を吐きたくなる瞬間はしばしばあった。
「でも命の危険は無いし、仕事も午前で終わりなんだ。これが僕の天職なのかもしれないな、うん」
冒険者風の恰好をした人が往来を通る度に、彼の胸には
だが、何不自由なく暮らしていけるのは、恵まれたことだと自覚もしていた。
「しかし、クズ野菜屋のテオドールか……。嫌な二つ名だ」
安定した生活を手に入れたのだから、これ以上を望むのは贅沢。
そんな風に無理矢理自分を納得させて、彼は頭を振る。
「よし、気分を変えに、ちょっと釣りにでもいこうか」
用意した野菜は完売したので、今日は店じまいでいいだろう。
そう考えて手早く店を畳むと、彼は近場にある湖に向かった。
◇
「いい天気だなぁ……」
彼は何も考えず、春の陽光を浴びながら釣り糸を垂らす。
釣具店で売っている最大サイズを超えた、規格外品の大きな
そんな意気込みとは裏腹に、ぼうっとしながら座り続けていた。
「……」
「……」
少し離れた位置で女性が釣りをしているが、それ以外には誰もいない。
彼女もテオドールも全く口を開かないので、静かなものだ。
しかし黙って30分ほど糸を垂らしてみるも、一向に釣れる気配はない。
そしてふと、何となく女性の方を見たタイミングで、テオドールはどこかに違和感を覚えた。
「あ、エサが」
女性の釣り竿には餌も針もついていない。
彼女はただの糸を、湖の中に放り込んでいた。
「……僕よりも先に来てたよね?」
恐らく1時間くらいは
どうにも気になった彼は、おずおずと声を掛けてみた。
「あの、釣れますか?」
「いや、まったく」
「そうですか」
黙って湖の先を見据える女性は、端的に言えば美女だ。
身長は高めで、スタイルも非常に良い。腰まで伸びたボリュームのある銀髪を、風になびかせる様は絵になっている。
「王都の舞台で主演女優をしています」
そう言われて信じられる程度にはルックスがいいものの、行為は変人そのものだ。お近づきになってはいけない雰囲気があると、彼は判断した。
しかし距離を取るために、急に場所を変えるのも気まずい。仕方なしに黙って釣りを続けていると、今度は女性の方から彼に話し掛けてきた。
「釣れる?」
「釣れませんねぇ」
「そう……」
大物狙いの疑似餌を使っているテオドールと、何もついていない糸を垂らす女性。
その後は会話も無く、魚は釣れないまま、ただ無為に時間が過ぎていった。
そして互いに一匹も釣れないまま、日暮れを迎える。
「釣れた?」
「
「私の方は、釣れた」
「……エサも付けずにどうやって」
よくよく見れば魚を入れるカゴすら持っておらず、竿を手放せば手ぶらだ。
テオドールが困惑しているうちにも、彼女はスタスタと、彼に向けて歩いてきた。
「ええと、空手みたいですが、何が釣れたんです?」
「多分、
そう言うなり女性は、テオドールに人差し指を突き付けた。
そのままずずいと顔を近づけた彼女には、無表情ながらも妙な迫力があった。
「ついて来て。こっち」
「えっ、いや」
これまた押しに弱いテオドールは、突拍子もなく強引な誘いに対して、知らず知らずのうちに首肯していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます