第30話 胃袋を掴まれる


「雑賀さん」


 ヒョコッと病室の外から顔を覗かせるのは悩みのタネである愛咲結衣菜である。



「お見舞いに来てやったぞ。感謝して下さい」


 三日連続で結衣菜はお見舞いに来ていた。

 来る度に恋人の妄想を膨らませて『これをしたい』『あれをしたい』と永遠に喋っていた。

 どうやら結衣菜の中で俺は生きる糧を見出した人物として憧れの存在となっていた。そんな俺には自分の全てを捧げる覚悟でいる様子だった。

 普段なら有難いのだが、今の俺にとってはどうも重いものでしかなかった。


「体調はどうですか?」


「あぁ、おかげさまで順調だよ」


「ちゃんと食べていますか? 何だかゲッソリしていますよ?」


「いや、病院食が合わなくてな。味が薄いし、パンチが足りない。食べても余計に腹が減るんだよな」


 食事のせいで正直早く退院したい。だが、傷が癒えるまでは退院が出来ないという奥歯に骨が刺さったようなもどかしさがあった。


「ふふふっ。そんな雑賀さんの不安が聞こえて来たので今日は素晴らしいものを持って来たんですよ」


「素晴らしいもの?」


 そういうと結衣菜はカバンからタッパーを取り出して中身を開いた。

 卵焼き、ウインナー、アスパラベーコンなど色とりどりの弁当だった。


「そ、それは……」


「雑賀さんのために作って来ました。食べて下さい」


「い、いいのか?」


「はい。看護師さんには内緒ですよ」


「いただきます」


 食に飢えていた俺は普通の食事が有り難く思えた。

 何も考えずに五分もしないうちに完食していた。


「どうでした?」


「凄く美味しかったよ。ありがとう」


「いやーん。そんなに美味しそうに食べてくれたら興奮しちゃうじゃないですか」


 しまった。夢中で完食してしまったが、これは逆効果ではないだろうか。

 これでまた俺に対する好感度を上げたに違いない。


「私、料理は結構するんですよ。意外と女子力高いでしょ?」


「うん。そうだね」


「今度、出来立てを食べて欲しいので家に来てくれませんか?」


「うん。そのうちね」


「やったー。約束ですよ」


 この子、社交辞令が通じないのかもしれない。

 俺の言葉はそのまま鵜呑みにされてしまう。

 だからと言って最初から否定する勇気もない俺はヘタレなのかもしれない。


「雑賀さん。退院はいつですか?」


「えっと、四日後だったかな?」


「じゃ、退院祝いに私の家に招待します。美味しいものを食べさせてあげますから」


「いや、でも悪いし。いいよ。そこまでしなくても」


「遠慮しないで下さい。きっと満足させますから」


「うーん」


 断りたいところだが、断った時の反応を考えると断り辛い。

 大泣きさせたら元も子もない。


「雑賀さんって好きな食べ物はなんですか?」


「肉や揚げ物系ならなんでも」


「なら唐揚げを作ります。好きですよね? 唐揚げ」


「まぁ、好きだけど」


「じゃ決まりです。雑賀さんの胃袋をガッツリ掴んであげますから覚悟していて下さいね」


「そ、それは楽しみだな。ははは」


 雰囲気に飲まされているのか、どうも断りづらい空気が続く。


「そうだ。雑賀さんに一つ報告があります」


「報告?」


「雑賀さんに助けられる前の私は腐っていました。不登校で虐められていたし、勉強やスポーツも苦手なダメ人間です。オマケに稼ぐ手段は自分の身体を使うことしか手段がなかった。本当に人生の負け組です。だけど、雑賀さんに助けられたことで自分に自信が着きました。今では学校に行きますし、授業だって今までの分を取り戻そうと必死になりました。真っ当に生きているんです。私、変わりたいんです。腐っていた自分から普通の人間に。だから私が変わる姿を近くで見ていて下さい」


「あぁ、それは構わないが……」


「ありがとうございます。約束ですからね」


 自信が付いたように結衣菜はビシッと俺に人差し指を向けた。


「じゃ、私は帰りますから退院祝い楽しみにして下さいね。それじゃまた」


 結衣菜は自信に溢れた顔で病室を出た。


「前向きになってくれるのは結構なのだか、俺の負担は消えない。いや、むしろ増している気がする」


 最後まで強く否定できなかった俺は結衣菜の推しを打ち崩せずにいた。

 退院したらビシッと言ってやる。

 俺には心に決めている彼女がいるのだと。

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