第19話 三階層・虫迷宮

 階段を下ると、今までのひんやりした階層からいきなり熱帯になった。


「うわ、暑っ!」


「外に出たのかや?」


「密林っぽいね」


「鈴鹿知っておるぞ、じゃんぐーとか言うやつじゃろ?」


 ドヤ顔を浮かべる鈴鹿。

 苦笑しつつ、訂正する。


「ジャングルだね」


「うむ、そのじゃんぐるぞ」


 今までの薄暗く狭苦しい迷宮から一転して、光に溢れて開けた場所に出た。


 開けているといっても、周囲には沢山の木が生えていて、先の見通しが利かない。

 シダっぽい葉が広がった植物がみっしりと密生し、木には無数のツタが絡まって幹を締め上げている。

 遠くから滝のような大量の水が落ちる音が響き、木々が風でガサガサとした音を立てている。


 だが、鳥の声も獣の声も聞こえない。


「ぬし殿、ここには何が出るのだ?」


「虫だって」


「蜂だったら面倒じゃのう」


 眉をしかめる鈴鹿、直後耳に手を当てて前の方を睨む。


「む、何か聞こえる」


 視線の方向を見るが、何も見えない。


「上じゃ!」


 ハッとして見上げると、肘から先ぐらいの長さの棒状の物体が浮かんでいる。

 罠から入手した棒手裏剣を取り出して投げ付けると、棒の先端に突き刺さり、地面に落ちてきた。


「ふっ!」


 鈴鹿が素早く接近してメイスで叩き潰して悲鳴を上げる。


「うぬーー汁が飛んだのじゃ~」


 潰れた何かは粒子となって消えて、後にはゴブリンよりも小さいような魔石だけが転がっていた。

 タオルで鈴鹿を拭こうと取り出したが、既に飛んだ汁自体も消えていた。

 どうやら、潰したのは細長い胴体とほとんど透明の翅を持った羽虫だったらしい。


 あっけなさと虫汁に不満げな鈴鹿。


「これではまた小通連しょうとうれんが使えぬの」


「魔石も小さいし、経験にもならなそうだ」


 棒手裏剣もどこかに行ってしまったし、この階層もさっさと抜けた方が良さそうだ。

 幸い地図によれば、道はそれほど複雑ではない。

 

 その後も何度か羽虫を見かけたが、息を潜めて静かに移動すればこちらを襲ってくることはないみたいで、警戒しつつ先を急ぐ。


「しかし暑いのう」


 鈴鹿の額に光る汗をタオルでぬぐって、ペットボトルの水を飲ませる。

 こちらも既に学生服の前を開けて、首にタオルを掛けている。

 幾ら通気性が良くても、恐らく30度以上あるこの階層では冬服はつらい。

 それに日差しも強いので、このままでは日に焼けてしまう。


「仕方ない、マジカルお色直しなのじゃ!」


 まじかるメイスを可愛く振る鈴鹿、つま先立ちをしてその場でくるくると回ると、リボンがたなびいて、ミルクココアな制服が一瞬で立烏帽子に薄水色の水干と紅の袴姿へと変化する。


「おおおーーー」


 さっきは十分に見られなかった早着替え術だが、今度はしっかりと目に焼き付け、思わず拍手をする。


「どやっ、まじかるぷりてぃー鈴鹿ちゃん、推して参るのじゃ!」


 さっきと名前が変わったのは、ご愛敬だろうか。

 まあ単に鈴鹿の普段の戦闘着だけど、間違いなく学生服よりは涼しいはずだ。


「『ママ』に教えて貰ったのじゃ~」


 どこでこんなやり方を覚えたのか聞いたら、驚きの展開。


 そう言えば『ママ』、年甲斐もなく自称魔法少女でしたね。

 まあ、両親全員年相応に見えないほど若々しく、特に『ママ』はまだ十代後半にしか見えないのは確かなんだけど。

 たまに買い物に出ると、お姉さんですかなんて聞かれるのも珍しくはない。

 鈴鹿と歩いていても姉妹扱いされるぐらいだし。


 『母さん』は落ち着いた感じがあるので、二十代半ばぐらいに見えて、『母さん』は日に焼けた肌とがっちりでメリハリのあるアスリート体型から年齢不詳な所がある。

 少なくとも、三人とも記憶にある限り年を取った感じは全然無い。


 クソ親父?

 あれはどうでもいい。


 それはともかく、こっちは早着替えなんて便利なやり方を覚えてないし、着替えたってジャージしかないから、学生服の上着だけ脱いでTシャツ姿になる。

 簡易防具になっている学生服が無いのはちょっと不安だが、未だに攻撃らしい攻撃を受けていないし、まあ何とかなるだろう。

 

 しかしこの階層は全身甲冑とかだったら辛いだろうな。

 さっさと先に行くに限る。


「待て!」


 一歩踏み出した瞬間、鈴鹿から鋭い制止の声が飛んだ。

 足を宙に浮かべたまま止まると、足を降ろす予定だった場所で何かが弾けた。


「今のは……」


「ゲコッ」


「蛙じゃ!」


 道の先に何か岩の塊っぽい茶色の物体が転がっている。

 だが、そこから長い鞭のような物が素早く飛来して、鈴鹿のまじかるメイスで払い飛ばされる。

 うちに出た蜂と同じぐらいの、つまり大型犬ほどもありそうな平たい茶色の物体が蛙なのだろう。

 よく見ると、ぎょろりとした目がこっちを見ているのが分かる。


「舞え小通連しょうとうれん!」


 鈴鹿の小通連しょうとうれんが蛙に向かって飛ぶが、頭上に到達する直前、蛙も飛んだ。


「何っ!」


 空を切った小通連しょうとうれんが鈴鹿の手元に戻り、蛙は離れた場所に着地、こちらの様子を伺っている。


「こやつ、なかなかやる!」


 離れた場所からまた舌を飛ばしてくる蛙。


 素早さと機動性は今までのモンスターとはけた違いだが、魔法を使うわけでも火を噴くわけでもない。

 届かないなら、届かないなりに戦い方はある。


 マジックバッグから剣を取り出して投げ付けた。


「ゲココッ」


 効果が無いのが分かっているのか、馬鹿にしたように大げさにジャンプして避ける蛙。


「踊れ小通連しょうとうれん!」


 その瞬間、鈴鹿がもう一度小通連しょうとうれんを飛ばす。


「ゲコーーー!」


 空中では避けようがない。

 ジャンプの頂点を狙って鈴鹿が小通連しょうとうれんを飛ばすと、サンドバッグを殴ったような鈍い音がして複数の物体が地面に落下した。

 投げた剣を拾い上げて、急いで駆け寄る。


「泥?」


 そこにあったのは幾つかの泥の塊だった。

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