第4話 一般の生徒たち

「転移事故だと!」


 新入生を迷宮の中に引率してきた新任の副担任が、青い顔で告げてきた。

 小柄で気が弱そうに見えるが、当然ながら学院うちの卒業生で初心者用迷宮ここ程度ならナイフ一本で鼻歌を歌いながら単独クリアできるぐらいの腕はある。

 むしろそうでなければ採用されない。

 基本的に教師は、在学中に特級とは言わないが上級迷宮中層攻略レベルのパーティーメンバーであるのが必須であり、新入生の担任ともなれば、一人で中級迷宮の深層まで潜って遭難した生徒を救出するレベルが求められる。

 でなければ、レベル0の迷宮とはいえ、30名もの生徒を引率できない。

 迷宮門ゲートをくぐった時は間違いなく30人の生徒がいたのだ。

 しかし、今は28人しかいない。

 上級迷宮での転移事故はまれに起きるが、こんな初心者用ではまず発生しない。

 そのはずだ。

 だが、最後に門をくぐった副担任が何度数えても2人足りない。


「どうしましょうか」


 不安そうな表情を浮かべる副担任に、敢えて強い言葉で返す。


「……起きたものは仕方ない、予定通り授業を行う」


「でも!」


「ここは初心者用だ、個人防壁ヒットポイントが無くなれば自動で門へと転送される。それに中にいるなら我々が進んだ方が見つけられる可能性は大きい。ならば、普通に授業を進めるべきだろう」


「……はい」


 副担任が不満そうだが、ここはそういう所だ。

 入学時に生徒たちが署名した書類には、学内で何があっても自己責任と(小さく)書かれていて、外の世界の常識は通用しない。


 今は生徒たちを引率して、迷宮とは何かを認識させる時間だ。


 入学したばかりの生徒たちは全員ただの一般人でしかない。

 多少体を鍛えていても、迷宮でモンスターを倒して迷宮力けいけんちを吸収しないと、肉体と精神の強化は行われない。

 ここはしょせんレベル0のチュートリアル用迷宮、最下層まで行っても出てくるのはゴブリンやホブゴブリン程度で、一番強いボスでも格闘技をやっている大人ぐらいの強さしかない。

 入り口辺りに出てくる雑魚なら、多少の腕自慢なら初心者が単独で倒すのも決して不可能じゃない。

 少なくとも、今いる全員が倒せるように育て上げるのが、この学院と我々教師の役目だ。

 多少運が悪くても各人の生命力の鎧である個人防壁、いつしかゲームに例えてヒットポイントと呼ばれるようになったが、それがモンスターの攻撃によって減少し、ゼロになった時点で迷宮門へと飛ばされる。

 ゼロになっても肉体的に損傷は無い。

 生命力の消耗によって多少衰弱するが、一晩寝れば治る程度だ。

 転移事故に巻き込まれた生徒は多少気の毒ではあるが、今は授業を進めるべきだろう。


「よし、小さなトラブルはあったが大きな問題はない。見ろ、ゴブリンが来るぞ」


 副担任の緊迫した様子にざわつく生徒たちを安心させるために、わざとらしく笑みを浮かべ、うすぼんやりとした明りに照らされている通路の一本を指差す。

 指差した先には、貧弱な体に腰蓑だけを纏い、手には粗末なこん棒を持ったゴブリンが一体いた。

 本当にモンスターが出るのだと知ってざわめきが起きる。

 

「誰か戦ってみたい者はいるか?」


 顔を見合わせる生徒たち。

 小学生低学年ぐらいの背丈に貧弱な体で、ゲームでは序盤の雑魚でしかないゴブリンが相手であり、ゲーム気分の生徒が楽勝そうな雰囲気を出している。

 数人がおずおずと手を上げる中、髪を金色に染めたツンツン頭で制服の前を開けた、喧嘩慣れしてそうなガタイのいい生徒が肩を揺すりながら他の生徒を掻き分けて出てくる。


「よし、そこのお前、やってみろ」


 やる気十分なツンツンプリン頭を指差すと、そいつはニヤニヤ笑いながら学院が貸し与えた60cmほどの警棒で肩を叩きながらゴブリンに近付いた。


 ツンプリ頭にようやく気が付いたゴブリンが、勢いよくこん棒を振りかざして駆け寄ってくる。


「ハッ、隙だらけなんだよ!」


 こん棒を振り下ろす前に、ツンプリ頭がゴブリンの喉元に警棒を突き入れた。


「グゲッ」


 喉にクリーンヒットを受けたゴブリンが咳込む。

 モンスターは迷宮の魔力から生まれているとはいえ、生物的な器官が模倣されており、生物型モンスターでは生物と同じ弱点を持っている。

 ゆえに呼吸器官を攻撃されると、一瞬動けなくなってしまう。


「何でぇ、何でぇ、この程度かよ!」


 動きが止まってうずくまったゴブリンを、ツンプリ頭が滅多打ちにして、次いでヤクザキックをわき腹に入れる。

 水袋を蹴るような鈍い音が響く。

 あれではダメだ、攻撃に全く力が乗っていない。

 その上、最初から舐めてかかっているので、注意力が散漫だ。

 喉元の一発は良かったがその後がまずい。

 モンスターにも個人防壁ヒットポイントはあるのに、全然減っていない。


「グギャッ!」


「何っ、てめぇ!」


 ほら見ろ。


 うずくまったゴブリンがこん棒を地面すれすれに横薙ぎにして、ツンプリ頭の足を刈り取る。

 転びはしないがたたらを踏んだところに、下からこん棒を突き上げる。


「ぐっ!」


 綺麗に鳩尾に一撃が入って、完全に形勢逆転した。

 今度は逆にツンプリ頭がうずくまり、ゴブリンが大上段にこん棒を振りかざし、頭を狙う。

 

「ヤバいッス!」


 手を挙げていた生徒の一人、ツンプリ頭の舎弟っぽいチンピラ感溢れる反り込みがキツイ眉無しが駆け寄り、横から警棒を突き入れる。

 だが軽く躱された上に勢い余って通り過ぎ、がら空きとなった背中を殴られて警棒を取り落とした。 


 ツンプリ頭がその間に何とか立ち上がるが、壁を背にしたゴブリンがこん棒を向けると前に出られない。

 眉無しも警棒を拾おうとするが、そのたびにこん棒が目の前を通り過ぎて手が出せない。


「ンだよ、雑魚じゃねぇのかよ!」


「雑魚だが、お前たちも今は同じぐらいの雑魚だと分かったか?」


 ツンプリ頭が叫ぶのに、冷たく言い返す。


「ナニィ!」


「それだけの元気があれば大丈夫そうだな。副担任、手を貸してやれ」


「あ、はい」


 指示に従って静かに前に出た副担任が、警棒でゴブリンのこん棒を軽く振り払う。

 そのまま流れるようにさして力の入っていないような動きで首筋に警棒を叩き込み、横に捻って顎を殴り、返す刀で反対側のこめかみを打ち払い、同時に脛に蹴りを入れる。

 白目を剥いて動きが止まった所に、首の後ろに僅かな掛け声とともに強打を入れる。

 こん棒が床に硬い音を立てて落ちて、一瞬後、ゆらっと糸が切れたように倒れると、粒子になって消滅した。

 極めて小さな魔石が落ちるかすかな音が、静まり返った迷宮に響く。


「おおー--」


 生徒たちの感嘆の声が迷宮に響く。

 魔石を拾い上げて見せる。

 これこそが迷宮に潜る目的であり、集めるのが今後の目標であると理解させるために。


「先生、それで幾らですか!」


 魔石を学校が買い取ると話したので、弾んだ声が上がる。


「これか、10ポイントだな」


「それってどの位ですか?」


「1ポイントは1円相当だ」


 失望の声が上がるので、ニヤッと笑う。


「奥に行けば行くほど高くなる。上級生になると一回で数百万ポイントを稼ぐのもいるし、俺も100万ポイントの魔石を手に入れたぞ」


 息を吞む生徒たち。

 さっきのツンプリ頭と眉無しが不貞腐れているのが見えたので、声を掛ける。


「お前、最初の攻撃は良かったぞ。あのまま気を抜かなければ倒せたんじゃないか?」


「何が違うッスか?」


「一撃一撃に気を籠めるんだ。どれ、俺がやってみせよう」


 小剣を持ったゴブリンを見かけたので、軽く模範演技を見せようと前に出る。

 ゴブリンもこちらに気が付いて駆け寄ってくる。

 大上段からの大振りの攻撃を足を半分だけ引いて軽く躱し、分かりやすいように短く息を吐いて目の前を通り過ぎた手首を殴りつけ、剣を取り落とした所に掛け声と共に手首のスナップだけで頭に左右から一撃ずつ加えると、立ち尽くしたまま粒子になった。


「…………」


 さっきあれだけ攻撃しても倒せなかったどころか反撃を受けたツンプリ頭が、呆然としている。


「分かったか?」


「分かんねぇ」


「ま、レベルを上げればお前達でもこの程度は楽にできるようになる。いや、なるためにここに来たんだろう?」


「ホントにできんのか?」


「ああ、副担任を見ただろう? 彼女もここの卒業生だ」


 弱そうに見えた副担任があっさりとゴブリンを倒したのを思い出したのか、沈黙するツンプリ頭。

 他の生徒たちも目を輝かせている。

 一部には考え込んでいる者もいるが、大体反応は例年通りだ。

 喧嘩慣れした奴か武道をやっている奴が調子に乗って失敗して、弱そうな副担任が軽く倒す。

 体の大きさや腕っぷしではなく、技術とコツさえ掴めば誰でもモンスターを倒せると思わせる。

 まれに最初から倒せる奴もいるが、その場合は素人でも倒せるんだと誘導すればいい。

 一見怖そうに見える迷宮だが、ちゃんと授業さえ受けて頑張れば何とかなると。

 大多数の生徒はゲーム感覚でゴブリンを倒し、先の迷宮へ進んでいくだろう。

 一部は人型と戦うのに抵抗があったり、生理的に戦うのが苦手だったりしてドロップアウトするかもしれないが、その時は別な進路に誘導すればいいだけだ。


 転移事故はあったが、それ以外は例年通り。

 この後の流れも例年通りだろう。


 そうであってくれ。

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