第2話 鈴鹿御前と迷宮

「まあ、あの時は鬼の角に触れられるのは家族かそれに類する者だけとは知らなかったんだけどね」


「今はもう知っておるじゃろ」


「そうだね」


 手を伸ばして、角を優しく撫でる。

 くすぐったそうな、だがもっと嬉しそうな表情を浮かべる鈴鹿。

 その間も『小通連しょうとうれん』が回り続け、ゴブリンの首が音も無く落ち続ける。


「あの時、おぬしがわしに鈴鹿御前などと大層な名を付けるものじゃから、因果に縛られてしまったではないか」


「……御前は付けなかったような気が」


 こちらのツッコミを華麗にスルーする鈴鹿。


「わしらは定まらぬ存在。零落れいらくして最早元は何か分からなくなっておる。じゃが、名付けによって存在は確定され、しかも古の武勇と美貌に優れた鬼女の名を頂いたとなると、同じ鬼としては因果に逆らうなど出来るわけなかろう?」


 鈴鹿御前。


 鈴鹿の山、今の三重県と滋賀県の県境近くに、古代には都を防ぐ重要な関所の一つである鈴鹿関があり、都から東国へ向かう交通の要衝であった。

 人の往来が多いために盗賊が跳梁跋扈ちょうりょうばっこし、いつしか鬼の住処と伝わり、都人みやこびとに恐れられていた地でもある。

 その地に住んでいた天女とも女盗賊とも鬼女とも言われたのが鈴鹿御前であり、『大通連だいとうれん』『小通連しょうとうれん』『顕明連けんみょうれん』の三振りからなる『三明剣さんみょうのつるぎ』を自在に扱い、時の征夷大将軍である坂上田村麻呂と夫婦になって、共に鬼神退治を行った。

 姿は17歳前後の絶世の美少女で、25歳の時に天命によって一度命を落とすが、田村麻呂が冥界へと乗り込んで大暴れの末に連れ帰って末永く幸せに暮らしたという。

 この伝説は田村麻呂が遠征を行った東国にも伝わり、新たな伝説へと変化して、その地の権力者が田村麻呂と鈴鹿御前の子孫と称することで民衆の支持を得ることができるほど広まっていた。


 だが、今の鈴鹿は伝説には似ても似つかないほど小さい。


 光の加減によって闇夜のような深いあおぐろ色にも、冬の凍てつく月に照らされた雪のような銀色にも、冬の雪雲のような青鈍あおにび色にも見える、真っ直ぐで長い髪と同じ色のぱっちりとした目、雪を欺くほど白く輝き、だが雪も融けるほどの熱情を秘めた肌に、西の空を染めた夕日のような茜色の唇が浮かび、伝説にある通りの目を見張るほどの美少女なのだが、精一杯背伸びをしても自分の腰まで届くか届かないか、せいぜい幼稚園児ぐらいの背丈しかない。

 だから、今着ている学院の指定制服も、一番小さいサイズを選んだのに、大きすぎてあちこち詰めたにもかかわらず、油断をすると手が袖に隠れてしまうほどだ。

 この制服はアラミド繊維を混ぜた耐熱、耐摩耗性、防刃性に優れつつも通気性も十分な材質を使用したココアブラウンのセーラー服に、チョコレート色の襟とスカートに白線が二本入っている。

 スカーフは白なので、それがココアに垂らしたミルクのようで、一部ではミルクココアと呼ばれているとか。

 因みに自分が着ている男性用は、軍服のようなコヨーテブラウン一色の詰襟で、しかも安全のためにボタンが一つもないタイプで女性用に比べると実に地味だ。

 だが、荒野や市街地、森林で迷彩効果を発揮し、薄暗い所でもそれほど目立たない、それこそ昔の忍者が着ていたのに近い色だとか。


 それはともかく、鈴鹿に話を戻すと象徴でもあるはずの『三明剣さんみょうのつるぎ』も持っているのは『小通連しょうとうれん』の写しの小剣だけだ。


 とてもとても今の姿では、真の鈴鹿御前には程遠い。


「じゃからぬし殿が『三明剣さんみょうのつるぎ』の全てを揃えて大きくしてくれるんじゃろ?」


 そうなのだ。


 名付けの上に角を触った責任を取って、沢山戦闘経験を積ませて強くして、霊的進化によって大きくすると約束させられた。

 そのためには伝わっている鈴鹿御前の伝説を模倣し、神話再現を行って世界法則に鈴鹿が伝説の存在と同じであると認識させる必要がある。


 とはいえ、鈴鹿御前には多数の物語があり、再現ルートも話によって異なるので、鈴鹿と自分が望む神話を再現させなければ。

 僕はハッピーエンド至上主義者なんだ。

 若くして死に別れとか絶対に認められない。

 伝説の田村麻呂のように、鈴鹿が冥府に連れて行かれたなら取り返しおおあばれに行くのだっていとわない。


 だが、それには鈴鹿だけではなく自分にも力が必要だ。

 実家に出没する巨大蜂や子牛ほどの兎を倒せば強くなれるかと思ったが、どれだけ倒しても鈴鹿は大きくならなかった。


「親父、鈴鹿を大きくするにはどうしたらいい!」


 『母さん』に相談したら、それは親父に聞きなさいと言われたので、仕方なく相談したら腕組みして悪い笑みを浮かべやがった。


「それには力が必要だ。力が欲しいか」


 クソ親父め、お約束のセリフ吐きやがって。

 一生に一度は言われてみたいセリフ、ベスト10で上位に来る奴じゃないか。

 中学生がこれで「いらない」とか言えるわけがないだろう。

 ここは即答、答えは一択だ。


「欲しい!」


「ならば、これに名前を書け」


 一枚の紙を渡された。

 くそっ、悪魔の契約書なのか?

 署名したら、どこに売り飛ばされるんだ?


 恐る恐る紙を覗き見る。


「入学願書?」


「ああ、お前がこれに名前を書けばすべては解決する。約束しよう、力とおん……」


 直後、母親たちと鈴鹿がいる部屋から、猛烈な殺気が飛んできた。

 そのまま、クソ親父は『母さん』と『お袋』にズルズルと引きずられて行く。


「あーーれーーーー」


 代わりに『ママ』が鈴鹿を連れてきて、目の前に座る。

 当たり前のように、膝の上に座る鈴鹿。


「ごめんねぇ、相変わらずあの人はいい加減で。でもねぇここに入れば、間違いなく強くなれるわ」


 真剣な顔で紙を指さす『ママ』。


「間違いなく?」


「そうよぉ、私もここであの人と出会ったんですもの」


 『ママ』が両手を頬に当ててくねくねしてる。

 あーはいはい、ラブラブですねえ。


「わしも一緒に行きたいのじゃ!」


「そうよねぇ、鈴鹿ちゃんも行きたいわよねえ」


「行けるのか?」


「ええ、あの人にちょっと骨を折って貰うだけよ」


「まさかそれは物理で……」


「そんな訳ないでしょ」


 目的が達せられるのならと思って名前を書くと、試験も何もなく、ここ泉開坂せんかいざか学院に放り込まれた。

 鈴鹿も一緒に。


 鈴鹿は家も家族も名前も無く、それどころか人間ですらない小鬼だ。

 だから当然戸籍なんかも無い。

 どうするのかと思ったら、『母さん』たちにたっぷりと絞られた親父が、電話一本で何とかした。 

 何とかなるんだ。

 電話で「校長の秘密が」とか「あれをバラされたくなければ」とか色々とヤバいセリフが聞こえたような気がしたが、多分気のせいだろう。

 色々と不安だが、絶対に聞いてはいけないと思う。


 電話でも分かったがクソ親父は過去にかなり学院でやらかしたらしく、面倒事にならないよう『母さん』の苗字を名乗れと言われた。


 なので、ここでは稲瀬清高と妹の稲瀬鈴鹿だ。


 鈴鹿に家と家族と名前、そして夢を与えることができた。

 後は「未来」を一緒に勝ち取るだけだ。


 だから、今は迷宮でゴブリンの首を刎ねている。


 主に鈴鹿が。

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