第2話 雪とサボテン
だれが望んだかホワイト・クリスマス。歩きにくいったらありゃしない。
マンションの周りを三周ほどしたところで体が温まってきた。意を決して入り口に向かう。私は招かれた客だぞ、道を開けろ。
* * *
「
「いらっしゃーい。いま開けるね」
九重マリは暖かそうなモコモコしたやつを着ていた。
「今日は、お招きいただきありがたく……」
「かしこまっちゃって変なの。てか、なんで制服?」
「……コスプレです」
本当は虎の子のおしゃれ服を着て家を出たけど、道路に踏み出したとたんに雪ですっころんでドロドロになったから制服に着替えてきたとは口が裂けても言えなかった。
「よくわかんないけど、あがって」
「おじゃまします」
靴を脱ぎながら、違和感を覚えた。靴が少ない。マンション前でぐるぐるしていた私は若干遅れ気味に来たのに、他の客はまだ来ていないのだろうか。
「準備するからちょっとまっててね」
寝室に通された。やはり他には誰も居なかった。陽キャは時間にルーズなのだろうか。そんな気がする。陽キャに時間の概念なさそう。
私は九重マリの寝室はピンクピンクしたファンシー全開のぬいぐるみ部屋だろうと想像していたが、べつにそんなことはなかった。自分のキラキラ女子高生イメージの貧弱さを実感した。
白を基調とした家具、窓際には小さな観葉植物が並び、タイムリープできそうなラベンダーの香りが漂っていた。
部屋の中央にローテーブル。その上に置かれたガスコンロと土鍋だけが部屋の調和を乱している。
(ほんとにやるんだ……)
九重マリから誕生日会の詳細を知らされた時、私はからかわれているのだと思った。
「闇鍋やりたいんだよね。誕プレとかいらないから闇鍋にいれたい食材をもってきてね」
わからないわからない。なにもわからない。正解がわからない。九重マリの考えていることがわからない。
私は恐れおののいた。ただでさえ誕生日会での立ち回りがわからないのに、闇鍋をしようとか。未知のイベントに未知のイベントを掛け合わせた謎の儀式が開かれようとしている。
逃げ出せばよかったのに臆病な自尊心と尊大な羞恥心と一握りの好奇心がそれを許さなかった。闇鍋ってどんな感じなんだろう。陽キャは闇鍋になにを入れるんだろう。ペンギンとかかな?
そんなこんなでうっかり闇鍋会場に足を踏み入れてしまった私だった。
私は土鍋の底を穴があくほど見つめながら待った。ほんとに穴があいて闇鍋会が中止になればいい。
もちろんそんなことはなく、部屋の主が帰ってきた。
「おまたせ」
九重マリは布を被せたお盆を持って戻ってきた。闇鍋に投入する具材がのっているのだろう。せめて食べ物であることを望む。
「食材持ってついてきて。キッチンで準備してもらうね」
「もう始めるの? 他の人は?」
「なんかみんな来られなくなったって」
逃げた!?
陽キャが尻尾をまいて逃げる闇鍋会。私は生きて帰れるだろうか。
* * *
「じゃ、はじめよっか! チナミちゃんがなに持ってきたか楽しみだな〜」
「お、お手柔らかに」
土鍋を挟んで学校一の人気者と対峙することになった私。なぜこんなことになったのか、神のみぞ知る。
「じゃ、電気消すね」
照明が消え、土鍋から這い出す火がゆらゆらと揺れる。
(地獄の釜だ……)
ぼとぼと九重マリが具材を投入していく。彼女の口元が照らされてにっこり笑っているのがわかった。
「ほら、チナミちゃんも」
促されるまま、私は持参した食材を鍋に入れる。つい別れの言葉を呟いてしまう。
「さよならジェームス……」
「え、なに?」
お姉ちゃんが大学の卒業旅行でメキシコに行ったときに買ってきたサボテン。それがジェームスである。3日で育児放棄した姉にかわり、私がジェームスを育ててきた。
陽キャたちとの闇鍋会で渡り合うにはこれくらいの
頬を涙がつたった。愛サボテンとの別れに、つい涙が……いや、別にそこまでジェームスを愛していなかった。ウケ狙いで家のベランダから引っこ抜いてきたのだから。
(なんか……目がしみる……?)
この涙は感情の高まりによるものではない。外的な刺激への反射だ。
「九重さん、なんか燃えてない? 煙が……」
「あ、ごめんね? ちょっとしみるよね」
闇に浮かぶ唇は変わらず笑みを浮かべている。アクシデントではないらしい。
どこからか煙が漂ってきて涙がとまらない。青いガスの火がぼやけて見える。
「なんなのこのにおい……」
鼻をつくにおい。酸っぱいような甘いような。
「特製のお香だよ」
暗闇に声が響く。
「クミンターメリックコリアンダーカルダモンフェンネルシナモンナツメグ」
なにかの呪文だろうか。頭がぼやけて、頭蓋骨に響くような、それでいて耳元で囁かれているような、声が聞こえる。
「チナミちゃんはカレー嫌いなんだよね」
「……きらい」
「かわいそうに」
意識が朦朧とする。
「なんで? カレーが嫌いなんてよくないよ」
「……よくない?」
そんなの人の勝手だ。そう言いたいのに舌がまわらない。
「普通じゃないよ」
「普通じゃ……ない」
私はオウム返しすることしかできなくなっていた。言いたいことが言えない。頭がまわらない。
「嫌なんだよね。クラスに仲良くない人がいるの。私って常に人気者だから」
闇に浮かぶ口元から笑みが消える。
「普通ならカレー作ってにおい嗅がせるだけでみんな私のこと好きになってくれるのに」
そんな馬鹿な話があるだろうか。
「まあ別にカレーじゃなくてもいいんだけどさ。私がカレー好きっていうのと、カレーが嫌いな人はあんまりいないって理由でカレーでやってたってだけ」
立ち上がって逃げたいのに足に力が入らない。
「なんなの……あんた」
「なんなのっていわれてもね。……まあ魔女的な?」
「ま、魔女?」
「ママやおばあちゃんは蔑称だーとか言って、魔女って呼ばれるの嫌がるけど、私は別になんとも思わないんだよね。魔女っ子マリちゃんです」
火が強くなって魔女の顔を照らす。
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