サバとカレー

菅沼九民

第1話 ぼっちとお誕生日会

 冬休み前日、年内最後の登校日。


 ホームルームも終わって、人がまばらになった教室で、私は本を読んでいた。


 教室に残っている他のクラスメイトたちは冬休みの遊びの相談で盛り上がっている。


(はやく帰れよ)


 私は自分のことは棚に上げて彼らを呪いつつ、本をめくった。むしろ彼らは正当な理由があって居残っているのであり、はやく帰るべきなのは私だ。


 今日のような日、つまり長期休暇前日の教室というのは、彼らのような「一軍」が別れを惜しむ場なのであって、二軍以下どころかカースト外の私の居場所などない。


 それでも私が針のむしろに座すように、冷たいイスに座って読書に勤しむのには一応理由がある。私は図書室で借りた本を延滞していた。


 別に学校の図書室の本を延滞したところで、しかられるわけでも、延滞金が発生するわけでもない。しかし延滞中の本を持って新年を迎えることは、今年の垢を持ち越すようでイヤだ。かといって読みかけで返却するのも、新年を迎えたときに忘れ物をしたような気分がしそうでイヤだ。なんとか読み切って返却して帰りたかった。


 だから私は教室の一番うしろに陣取って、本をめくっている。さも当然のように、平気な顔をして、活字を追っている。 


 いつ、だれの家でクリスマスパーティーをするとか、年末に駅前のカラオケで裏紅白歌合戦をするとか、新年に校舎に忍び込んで屋上で花火大会をするとか、周りで話しているけれど、別に全然楽しそうだとか思わないし、うらやましいとも思わないし、混ぜてほしいとか微塵も思っていない。


 決して居心地が悪いなんて思わない。自席さいこー。やっぱり図書室で読めばよかったとか思ってない、意外と残りページが多かったとか思ってない、指で残りページ数を測ったりとかしていない。


 私は私の役割を果たしているのだ。そう、一軍の彼らの議論が白熱しすぎないように、釘をさす役割。


 彼らはなんでもかんでもその場のノリで決める。しかし私が教室に居座っていたらどうだろうか。


 私が聞いているぞ、というプレッシャーが、彼らの残り少ない理性を保ち、せいぜい悪さといえば校舎に忍び込むくらいに抑えている。


 もし私がここに居なければ、彼らの計画は昭和のヤンキーレベルまで退行し、新年早々担任の家に乗り込んで飼い猫を猫質にお年玉を要求するくらいのことはやりかねない。私こそたった一人の治安維持部隊なのだ。


 ……鬱陶しいなあ、帰れよ私。


 折れそうになる心を励ましつつ、推理小説を読み進め、残りページが小指の爪半分くらいまで来た頃、やっと一軍連中の会合が解散した。


 勝った。強いやつが居残るのではなく、居残っているやつが強いのだ。


 これで心置きなく密室殺人事件の解決編を読むことができる。私は屋敷のメイドあたりが怪しいと思っているのだが、果たして……。


「チナミちゃん、なに読んでるの?」


 スパァン!!


 突然声をかけられた湖南こなみチナミこと私により物理法則を超越する速度で閉じられたハードカバーは核融合を起こし小さな太陽となって周囲の陽キャを焼き尽くしましたとさ、めでたしめでたし、さようなら。


「これは本です。それでは良いお年を……」


 ニューホライズンの最初と真ん中ちょい後ろから引っ張ってきたみたいなセリフを吐きながら立ち去ろうとしたが腕を捕まれた。


「待ってよ!」


 私は陽キャパワー(物理)によりなすすべなく引き戻された。 

 

「それ図書室の本?」

「そうですけど……」

「へー、今どき図書室で本借りる人なんているんだあ」


 どの時代にも普遍的に存在すると思っていたが、もしかして図書室で本を借りる高校生って異端なのだろうか。確かに言われてみれば私以外が図書室で本を借りているところを見たことがない。そんな、まさかそんなことって……。


「おーい、チナミちゃん?」


 もしかして私って変な子? バカな、私は学校の施設を正しく利用しているだけなのに。私は普通、私は真っ当。


「ねえ、聞こえてる?」

「あ、はい」


 肩を揺らされて私は正気に戻った。いや、常に私は正気だが、私はまとも。


 そう、ここで初めて私は話しかけてきた相手をまともに見た。


「なんですか、九重ここのえさん」

「やだなあ、マリでいいっていつも言ってるじゃん」


 九重ここのえマリ。いつもというほどには話したことのない一軍の女子。


 一年生の二学期に転校してきて一瞬でカーストの頂点にたった特定外来陽キャだ。


 文武両道容姿端麗完璧超人と見せかけてちょっと抜けているところがかわいいとかいう、強化型完璧超人。


 九重マリのかわいいエピソードその1。家庭科の調理実習で肉じゃがを作ったら何故かカレーができていた。


 九重マリのかわいいエピソードその2。林間学校でカレーを作ったとき勝手に激辛カレーにした。でも美味しかったらしく(私以外には)許された。


 九重マリのかわいいエピソードその3。いつもお昼はカレーパン。午後はカレーのにおいがする。


 エトセトラエトセトラ。


 以上のようなかわいいエピソード(なぜかカレー関係限定)により彼女は男女問わず人気を集め、私以外の全クラスメイトから愛される存在だった。


 私は彼女が嫌いだ。なぜなら私はカレーが嫌いだから。


 カレーが好きで毎日カレーパンを食べている彼女が嫌いだ。カレーのにおいがするから。


「でね、24日なんだけど、どうかな?」

「えっと、なにが?」

「もーチナミちゃんって話全然聞いてないね」


 人の話はよく聞く方だ。小学校の通信簿にもよく書かれていた。だが九重マリだけは別だ。彼女を見るといつもカレーのことを考えてしまう。


 まずは何度もいうがにおい。もっと女子高生らしい香りを振りまいたらどうか。


 それと髪。クォーターだか、ハーフだか、外国の血が入っているという明るい髪色はカレーを思わせる。


 頭の先から足の先まで全身カレーのカレー人間じゃないのか。どうかしてる。大嫌いだ。


「24日にお誕生日会するからチナミちゃんも来て」


 お誕生日会? 24日ということはクリスマス? もしかしたら九重マリはキリストのお誕生日会をしようとでも言うのだろうか。やけに馴れ馴れしいな。


 よくある勘違いだがクリスマスはキリストの誕生日ではない。あくまでクリスマスはキリストの誕生を祝う日として公会議で定められた記念日に過ぎない。


「すみません。私の家、曹洞宗なので」

「え、どういうこと?」

「禅の理念とクリスマスはどうも合わないというか……」

「クリスマス? そんなの関係ないよ?」


 クリスマスは関係ない? ということは九重マリの誕生日会? じゃあ宗教上の理由で断るのは無理か。


「もしかして私、九重マリさんのお誕生日会に呼ばれてます?」

「そうだよ」

「なぜ?」


 なぜ私が呼ばれるのか。そもそもお誕生日会ってなに。小学生がやるやつ? 私はやったことも呼ばれたこともないけど。私が呼ばれないだけでお誕生日会というのはどの時代どの世代にも普遍的に存在するものなの?


「ほら、私って学校の大抵の人とは仲良くなれたんだけどチナミちゃんとはまだあんまり喋れてなかったからさ。仲良くしたいと思って」


 しれっと人類みな兄弟みたいなことを口にする九重マリ。というか誕生日会ってそういう場所なの? やるとしても仲良しグループでやるものでは?


「だめかな?」


 両手をがっちり握られる。カレーパンを握った手で私にさわるな。カレーがうつる!!


「ま、まあ」

「ほんと!?ありがとー!!」


 え、私、了承した? まあの一言に了承の意込めてた? ありもしない意志を汲み取られなかった?


「じゃあ、詳しいことはまた連絡するね! バイバイ!」


 呆然とする私を残し、九重マリは教室を出ていった。


 私は気を取り直して、取り直すにはあまりにも遥か彼方に吹き飛んでしまった気を取り直して、本を開いた。


 私の身に起きたことを反芻する。お誕生日会に呼ばれた、学校一の陽キャの。おそらく精鋭陽キャが集うであろう会合に。


(あ、死んだ)


 自らの身にふりかかった突然の苦難。背中をダラダラと汗がつたった。


「チナミちゃん! ライン教えて!!」


 ヒュンッ!!


 突然戻ってきた九重マリに驚いた私により打ち上げられた図書室の本は第三宇宙速度を突破して夜空に瞬く星座になりましたとさ、めでたしめでたし。

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