EP3


     ◆



 各部署の捜査関係者は、皆、持ち合わせるだけの専門知識や経験を活かして健闘している。そこに疑いはない。

 捜査はかわらず継続しているが、解決の糸口は一向に掴めないままであった。考えを巡らせば巡らせるほどに、可能性の芽を摘むたびに、また違った側面から新たな不可思議の芽が吹く。死体に残された巨大な吸盤の跡。散乱する海産物。なぜか海水で水浸しの山荘。

 完全犯罪と呼ぶにはあまりにも奇抜で稚拙な全容だが、それを否定することができないのだから認めざるを得なくなりつつある。


 雨上がりの路面を午前の太陽が焦がし、アスファルトから湿り気のある匂いがのぼる。山荘の裏口から面した渓流の合間を縫って、ヤマセミが一滴ずつ垂れる雨粒のように短い単音で鳴いていた。

 針葉樹の材料と釘で組まれただけの無骨な山荘を見上げながら、どうしたものか、と私はパトカーに背を預けていた。


「どうだい刑事さん。進捗の具合は」背後から現れた管理人が、缶コーヒーを片手に私の隣に立つ。事件から一週間以上が経過するが、彼の飄々とした態度は事件発生時からなんら変わらない。捜査には協力的な対応を見せてくれているだけ感謝するべきなのだろうが、内心では彼がクロである可能性も十分にありえると考えていた。

 というよりも、やはりあの晩に山荘に近づく可能性という単位で考えた時、消去法で目が行くのは彼だけだ。冷蔵庫に手足が生えたかのように大柄ま男で、一般成人相手なら素手でも十分に殺害できるバイタリティは秘められている。

 シャツからはみ出る腕は毛深く、木々の間から飛び出てきたら熊なのか人なのか、判断がつかないかもしれない。


「ハッキリ言うが、今回はかなりの【完成度】だ。……お手上げに近い」そんな手の内を見透かされることを嫌い、彼になるべく視線をやらないよう努めながら応えた。

「だろうな」管理人が缶コーヒーのプルタブをあける。「こんな事件、死神の手際でもなけりゃ不可能だよ」



「――死神、ねぇ」バカなことはやめてくれ。それで説明がつくのなら、警察機関は必要ないじゃないか。

「仮にそうだとしても、あまりにもどうしてこんなに手の込んだことをするんだ? 死神ってのは殺人を楽しむものなのか?」

「いくらでも言いようはあるだろ」言いよう、と評している時点で彼も信じてはいない現れだが指摘はしない。


「例えば……死神にとって彼らの処刑が首尾よくいかなくて、やむを得ずクラーケンの力を借りたとか」

「そんな馬鹿げた話、聞くにも値しないね」

「俺たちの常識にゃ及ばない範疇さ。じゃないと説明がつかんのだろう?」


 管理人はただ話し相手が欲しかっただけなのだろう、その際、たまたま近くにいた私が捕まっただけのことだ。説明がつかないことを説明できるように調査を進めていく事、それこそが捜査第一課の使命なのだから。私は居心地が悪くなり、背を預けていたパトカーから離れて、現場内部へと足を進め始めた。

 あんたに構う時間はない、という意思表示も兼ねていた。


「この事件が未解決のまま終わっちまって、俺もアンタもあっちの世界で会うことになったら、その死神とやらに訊いてみたらいいさ」



     ◆



「どうします? 私を逮捕でもしますか?」

 ニノは挑発的に両腕を開き頭を傾けた。

 その問答については考える必要もないが、考える素振りだけを見せて私は返した。

「無理だろうな。最初に言ったとおりだが、発生日時と君の年とで整合性がとれないという理屈が世間じゃ何よりも強力だ。君がどれだけ犯人だと自称しても誰も信じてくれないだろう」


「もっとも、逮捕されたところで逃げる手段はいくらでもあるんですけどね。……でもなんというか、複雑な気分です。こんな見立てなばかりに」

 

 懐から二本目の煙草を取り出し、飴を頬張るに口にさしこむと、ニノが眉をひそめた。

「あまりタバコを吸っては体に毒ですよ」

「女房にも同じこと言われたっけな」

 着火。

「まぁその、なんだ。真実を知ったところで口外しないし、誰も信じちゃくれねえよ」

 安い煙が灰を満たし、白状とも、心情とも、どうでもよさともいえる感情を同時に吐き出した。やがてそれは空中に雲散し、換気扇へと吸い込まれていく。回るファンはミキサーにも思え、様々な感情が混ざり合い、融解し、ペーストになって名状しがたい物へかわる。「だが、退屈しのぎにはなったぜ。ありがとうな」


「それはどうも」

「あの山荘の管理人に冥途の土産ができたってもんだ。もっとも、【バカにしてんのか】ってはったおされそうだがな」

「あ、そのことなんですけど」ニノが指をさした。

「その管理人の方、去年に亡くなられたとさっきお伺いしましたが」

「そうだが」

「もしかしたらまだ次の輪廻には向かっていないかもしれないので、連絡とれると思いますよ。死んでから数年以内の人間は、ターミナルというところに待機させられるのです」

「本当か? ……いや、ここまできたら疑うのも億劫だ。それはありがたいね、とでも言おうか」



「ちょっと電話してみましょうか、あ、でも、夜だから寝てしまっているかもしれませんね」

「その必要はない」

「なぜです?」

 私は答えない。お前、楽しんでいるだろう? と言いかけた言葉を飲み込んだ。


「雨も上がったことだし家まで送ってやろう。外で待ってるといい。車を出す」

「さっきビール飲んでましたよね」

「これで悪事の秘密はお相子様ってことさ」


「――そうですか。それがいいですね。秘密のまま終わらせてしまいましょう。あなたも、私も」


 ニノが小さく呟いたが、私は聞こえないふりをして車のキーを手に取る。言葉の意味については、私が一番わかっていたからだ。これはきっと、あの晩と同じ、指示書通りではない彼女の仕事ぶり・・・・・・・・・・・・・・・・なのだろう。あの時はアルバイトだったが、つまり今は「本職」という訳だ。

 恐らく彼女は、今夜も【ヘマ】をこいている。

 「事件の答え合わせとして」ではなく「死神として」ここに訪れていることを、私に悟られているのだから。そうだろう。死神の家が現世のマップに映る訳もあるまい。


 悪事を秘密にしよう、と約束を交わしたが、これが守られることはない。私の悪事は翌朝には知れ渡ることになる。そして悲しまれもしない。特に、被害者家族達にとっては。



 管理人に無事再会できた時の一言目はすでに決めていた。

「朗報だ。今から死神に訊きに行く手間が省けたぞ」


~終~

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三文神話 閂 向谷 @nukekannnuki

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