EP2

「次はあなたの番ですよ木取さん。当時のことを、覚えている限りでも教えていただけませんか」


「【稲名嘉山荘連続殺人事件】は、さっきも言った通り今から20年前の事件だ。その日も土砂降りで、ここから数十キロ離れた【稲名嘉山荘】に泊まった5名の男女が何者かに殺害された。名前は……えーと、」


「稲葉、草野、桜井、野田、甲本」ニノが割って入った。


「ああ、そうだったな」思わず目を見開いてしまったが、一瞬の狼狽えに留めた。前もってどこまで調べがついているのかを改めて訊きたかったが、話の脱線を恐れて触れないでおこう。

「5人は大学のクラスメイトで、夏休みにレジャーで来ていたという遺族の証言が残っていたはずだ」

「発生当時のことは覚えていますか?」

「翌朝、鍵を返す時間になっても現れず、電話も繋がらない事を不審に思った管理人が直接山荘に出向いたところで事件が発覚……だったかな」

「ああ、あの熊みたいな管理人……。今もお元気でしょうか」

「ちょうど先月に心臓発作で亡くなっちまったよ。葬儀にも出向いた」

「先月なら、たぶんまだターミナルに……」

「ターミナル?」

「あ、いえ、なんでもありません。続けてください」しまった、といわんばかりに焦りを見せ、かぶりをふるニノの姿は、一見、平凡な少女そのものだ。生まれる前に起きた筈の事件に当事者のように詳しいことを除けば。


「現場には何者かが山荘の屋根裏から侵入した形跡があってだな」


 記憶の映像を一時停止し、休憩がてらビールを改めて口に含んだが、あまり冷えていなかったので不快感を覚えた。しかし、そのほうがかえって会話に集中することができた。記憶を掘り返しながらその情景を言語化しつつ会話を続けることは、老いた脳にとって簡単なものではない。酔いが回ると俯瞰的な話し方が困難になる。


 当時の映像を掘り返し、彼女に改めて説明することで、あの時に見落としていた部分を見出すことができるのではないだろうか。そう考えてもいるのだ。だからこそニノの戯言につき合う気概も残っているのだ。


 小さく息を吐いた後で、映像の再生ボタンを押した。

「警察は他殺という線で調べていたんだが」

「そこからが問題だったわけですね」

「ああ」思わず手に力みが入り、ベコ、とビール缶に圧力が加わると、真っ平だったその表面に陰影が落ちる。「悔しいが見事な手際だったんだ。犯人は指紋や髪の毛、皮脂にいたるまで、手掛かりになるものは何一つ残さなかったんだ」

「それだけじゃなかった」

「5人とも首元を強い力で絞められた窒息死のような状態なんだが、そのすべてに【吸盤の跡】があった。タコの形のな」

「ふむ」

「タコが5人を殺した? そんなバカな話があるか。犯人が捜査をかく乱するために行った工作だろう。念のためにその吸盤と合致しそうなタコの種類を探したのだが、合致するものがなかった。ミズダコの大きさのギネス記録でも9メートルが限界だ」

「たしか、15メートルくらいの大きさでしたよね。そのタコ」

「推定だとな。だがそんなタコいるわけがない。いるなら神話だけだ」


「それにおもしろい話なんだが……」


 ああ、そうだ、このお話にはが存在する。一介の猟奇殺人事件を、誰かが曲解し、脚色し、どこかの伝承に昇華させてしまったかのような奇怪な展開が。ニノに対してだけではない。信じてもらえるとは期待していない展開を私も何度となく口にしてきた。


「現場検証の結果、仮に本当にタコの足が5人を殺したとするなら、同時に10本動かさないと不可能な犯行だったんだ。一人あたり2本の足が巻きついていたが、5人はほぼ同時刻に殺されていて、それぞれが別々の部屋にいた」

「タコが5体いたという線は?」

「現場はなぜか海水で水浸しだったんだが、その分量から見た時に【タコがいたであろう場所】はエントランスの一か所だけだったんだ。つまり、タコは一つの場所に突如として現れ、それぞれ2本ずつの触手を被害者の場所に伸ばして、ほぼ同時刻に殺害したというわけだ」

「そのお話の何が面白いんですか?」

「わからんのか。タコの足は8本だ。足が10本あるのはイカだよ」

「うーん、面白さがわかりません」

「まぁ、皮肉めいた表現ってことにしておいてくれ。……にしても、本当に詳しいんだな」

「犯人ですもの」

「……。他にも不可解な点があった。シロザケやホタテ、海藻類が周辺に散乱していたんだ。まるで海の一部を切り取って放ったみたいだったんだ。山荘でだぞ? 私も現場に出向いたがよく覚えているよ」

「そこなんですよねぇ……」ニノが小声で零すが、それを聞かなかったことにして続けた。

「で、俺たちの捜索もむなしく、これといった進展もないまま時間だけが過ぎてしまったという訳だ。凶器がタコだったのかイカだったのかさえハッキリしないままな」

「容疑者の目星はつかなかったのですか?」

「ああ、全くだ。その晩の間に【稲名嘉山荘】へ近づいた者は誰一人としてリストアップされなかった。俺はひっそりと山荘の管理人が怪しいと思っていたがな。今思えば悪いことをした」

「でもむやみに逮捕しなかったのは英断ですよ」

「君が犯人だから、か?」

「いかにも」

「以上をもって、俺たちが不甲斐ないまま捜査は打ち切り。その現場の異質さから、吸盤とその山荘が施設内で9番目に建てられた場所にかけて【きゅうばんのせいで迷宮入りだ】と関係者から呼ばれたってわけだな」缶ビールを飲み干す。「俺からは以上だ。じゃあ、次はニノの話を聞かせてくれ」


そこでニノが少しだけ身を乗り出すと、慎重そうに声を潜めた。「木取さん。私、当時アルバイトをしておりまして」

「240歳当時か」

「ええ。死神のアルバイトを」

「死神のアルバイト」

 冥界から来たのだと自称するのだ。この程度の内容に都度とっかかっていれば、円滑な会話を妨げてしまう。今だけは「現実社会なら」という色眼鏡を外して彼女の言葉に耳を傾け、寛容でいなければならない。


「本職の人たちとは違って成果払いなので、あまり安定した収入は望めなかったのですが。それなりに楽しいバイトでした」

「もうツッコまないからな」

「結構です」ニノが続ける。「私はその日、【稲名嘉山荘に宿泊した5名全員を、事故死に見立てて殺すように】という指示書どおりに現地へ赴いていました」

「バカな」自然と笑みがこぼれた。反論の文章が頭の中でタイプされていくのと、口が動くのはほぼ同時だった。「事件発生時、あそこへ近づいた部外者は誰もいなかったはずだ」

 管理人にも嫌がられるほど訊きなおしたし、自身も口にするのが嫌になるほど訊き返した。

 呆れるほどに確認し、精査を重ね、検証を経てから結論づけられた確固たるポイントだ。あの晩、山荘に近づいた者はいない。


「それは、誰もいなかったのではなく、誰が入ったのかを最後まで立証できなかった、ということですよね? 進入した形跡は見つけたのですから」

「見つけた、といってもな。あれは裏口のカギが壊れていたからそう仮説が立てられているだけで、以前から壊れていたかもしれないし、犯人が壊したものだとも断定ができなかったんだ」私は頷いた。「いっただろう。現場には第三者を示唆する手がかりが何も残っていなかったんだ。当時の最先端技術は全て導入したが、その上でなんだ。じゃないと、あの事件は説明ができない」


「まぁ、木取さんたちが足取りを掴めないのには訳がありまして。会社から支給されるちょっと特殊な機材を使いました。科学の範疇ではないです」



 事件があまりにも奇怪で、それでいて犯罪の立証が不可能であっただけのことはある。重ねてきた情報や捜査の根底からを覆すような発言の登場に対し、私は恐怖に似た感情が心の底で顔を覗かせている。この会話の入り口ではむしろ「楽しそう」という感情が勝っていたのに対して、今は、隠していたはずの赤点を取ったテスト用紙を親に見つけられてしまったような、そんな気持ちに近い。


 もしも、ニノの語ることが真実であるのなら。

 理解しかねるが、幼子の想像力というものには頭が下がる。問題は、どこまでが信じるに値するのだろうか。

 一方で、当時の私なら、考証の余地すらないと彼女の発言を一蹴していたことに違いない。それが、今になってどこか恐ろしく思えたのだ。


「死神を派遣する会社なんてものがあるのか。……どこに」

「グーグ〇マップで現世以外の住所検索ってできましたっけ」

「ああわかった、なんでもない。続けてくれ」

「そうですか」ニノがコップを傾けると、窓の外を一度見遣ってから視線をこちらに向け直した。雨はまだ降りやまない。「話を戻しますが、死神のバイトというのは人口の調整が主な仕事です。具体的には、仕組まれた事故を引き起こすこと。人間の言葉を借りるなら運命や天寿というものでしょうね」

 指先を泳がせて意味もない数字や図形を空に描く様子は、霊妙不可思議な物語の指揮棒をふるう者にも、わらべうたの歌詞を思い出す子供にも見えた。

 私と同じく、当時の仕事の記憶を引き出しているのだろう。私と同じであるのならば。



「それを指示書通りに執行します。何でも使います。偶然の確率を操作しますし、力学を捻じ曲げるときもあります」

「楽しそうだな」

「未解決事件として処理される殺人事件の半分くらいは私たち死神の【ヘマ】です。事故死に見せかけることに失敗しただけなのです」

「ほう。そりゃいい」

「そりゃいい? 殊勝な反応ですね」

「誰かが悪意を持って他人を殺した事実が存在することに比べりゃ、その方が100倍マシだよ」

「そういうところはしっかり刑事しますね」

「刑事だったからな」

「むぅ」ニノが不服そうに頬を膨らませた。


 口寂しくなって懐から紙煙草を取り出しながら、元死神に視線を送らないように努めた。私が刑事だった時のクセであったが、これは私の中で仕事術へと昇華させていた。話を遮ることで間を作る。数秒でもいい。時間を稼ぎ、これまでの情報をしばし整理するのだ。そのさなかで、ともに頭を抱える捜査第一課の面々や、多種多様な反応を示した遺族、最後まで協力的だった山荘の管理人の顔などが同時に映像の中をよぎり、不快感を覚えたところでオイルの少ないライターに火が灯った。 


「じゃあなんだ? その理屈によれば、【稲名嘉山荘連続殺人事件】はニノのヘマによるものだったという訳か?」

「そういうことになります。ここからはその前提のもとでお話を聞いてください」

「わかった」了承と共に白い煙を換気扇に吹きつけた。

「私がやろうとしたのは、食事に毒を混ぜて事故を装うつもりだったんです。山荘の冷凍庫に備え付けのシーフードミックスが冷凍されているという情報があったので、そこに毒物を注入しようとしたいのです。人の技術では検出できない毒ですので、シーフードミックスに、人を死に至らす、何か良くない成分がたまたま混ざってしまったという状態を作り出せるかもと考えました」

「なんでシーフードミックスに目をつけたんだ?」

「夏休みの大学生の手元にシーフードミックスがあったら、必ずパエリアが錬成されるからです。いうなれば大学生サークル版の白雪姫です。毒リンゴの代わりに毒シーフードミックス」

「ひどい偏見だな」

「ただ、そういう袋に入ってるシーフードミックスって、封がされてるじゃないですか」

「まぁ市販品だろうしな」

「備え付けの筈のシーフードミックスが最初から開封してあるとさすがに妙に思われるでしょうし、持ち込んだ注射の針では冷凍されたシーフードに針が通りません。そこで私は、冷蔵庫に入っていたシーフードミックスを廃棄して、毒入りシーフードミックスを自作しようと決めました」


 ”特殊な装置”とやら使用して自身の気配や痕跡を完全に消したニノが、冷蔵庫の中のシーフードミックスに毒を仕込もうとした姿を想像する。しかし計画通りに物事が進まないことを悟ると、悩んだ末に頭に豆電球を光らせるところまでも詳細にイメージした。


「大胆なことだ」

「でも、妙案だとも思ったんです。管理人さんは自分が備えたのはこれではないと証明ができますし、大学生のうちの誰かが自分で持ち込んだシーフードミックスのせいで起きた事故死に仕立てることができるかもと。事実、その発想自体は完璧だったと思います。ラップやタッパーなどの小道具もありましたしね。状況を仕立て上げるには可能でした」

「まぁ……そういうものか?」

「ただ、ここからが問題でした。そうなるとまずは海産物を調達する必要がありますね。今から海に向かっていたら夜が明けてしまいますし。私は山荘の本棚にあった【神話大全】からクラーケンについての挿絵があるページを探しました。クラーケンって書籍によっていろんな姿で描かれるのですが、私が見たのはタコとイカの特徴を足して2で割った感じでした」

 これまで何とかして思考が追いついてたニノの寓話に対して、いよいよキャンバスは沈黙してしまった。かろうじて、壊れたように、断片的に浮かぶ画像。神話大全。クラーケン。船をも巻き込むような巨大な吸盤。

 映写機が壊れてしまった。いや、違う。配給された情報に私の想像力が追いついていないのだ。


「挿し絵は私の手のひらくらいの大きさだったので、何匹かまとめて召喚したらシーフードミックス一食分くらい作れるかなと考えたのですけど、出力サイズを間違えてしまいまして。思っていたより大きい状態で召喚しちゃったんですね。さらにレイヤーと透過設定も間違えてしまいまして、挿絵の内容がまるごとエントランスに召喚されてしまったというわけです」

「ちょっと待ってくれ」

「はい」

「召喚ってなんだ? さすがに理解が追いつかんぞ」

「3Dプリンターみたいなもの、とでも思ってください。全然違いますけど」

「……頭痛がしてきた」

「で、そこからはだいたい想像通りです。クラーケンが巨大な足を延ばして睡眠中だった5人を襲い、私はやむを得ず最低限クラーケンの処理だけをしてその場を去った、というわけです。身の危険を感じたので壊したカギを修復することを忘れていたことも含めて私の【ヘマ】だということです」

「以上が、ことの顛末だと?」

「はい。それで、言いましたよね【きゅうばんのせいで迷宮入りだ】と。私の仕事ぶりが本部に報告されて、同じく【きゅうばんのせいで迷宮入りだ】とからかわれましたね。参照した神話大全がちょうど第9版だったんですよ」



 そこでニノもウイスキーのホットミルク割りを飲み干し、ぷは、と小さく息を吐いた。目を数秒ほど瞑らせると改めて私に向き直す。そして、瞳を震わせながら、優曇華の花待ち得たる心地、といわんばかりのトーンで続けた。


「だからさっき、キントリーさんが【まるで海の一部を切り取って放ったみたいだ】と言った時、ちょっと嬉しかったんですよね。ドラマで探偵に追い詰められる凶悪犯もこんな感情になるんでしょうか」

 私の感情もおもんばかってほしいものだ。すでに彼女のお話を否定する理由も肯定する意味も思い当たらない。しかし、提示された物語の感想は求められている。それだけは確かだ。

 衰えた感性と語彙から唯一私が絞り出せるものは、汎用的な、ありきたりな否定の言葉だけだった。

「――そうはならんだろ」

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