見てるだけでも良かった筈が、どこでどうしてこうなった(カーネリアン)後編
結局、『彼女』の写し絵はそのまま僕の部屋に置かれることになった。
憂いの瞳で微笑む10歳の少女に四六時中ドキドキとしているなんて、誰にも知られたくない。
けれど、写し絵を引き出しに隠したり、『彼女』が見えないように裏返したりすると途端に寂しさが募る。
気がつけば、朝に晩にまず『彼女』に挨拶をするのが日課になっていた。
お父さまの言う求婚をするかは、一旦置いといて。
少しくらいは言葉を交わせないか、明るい笑顔を見せてはくれないか。そんなことばかり考えるようになってしまった。
10歳の女の子にこんなにドキドキするのは、僕はおかしくなってしまったのか不安になって城の下働きの子供を試しに見に行ったりもしたけれど、『頑張って働いてるな。母親の言いつけをよく守っているな』と微笑ましく思うだけで、『彼女』に感じるような胸の苦しくなるようなものは湧いてこなかった。
そして、いよいよ『彼女』に出会う千載一遇の日。
記念式典の当日。
母親が準備を何もしていないので不参加の可能性あり、と聞いていたので不安だったけれど、父親が整えた、と情報が入り胸を撫で下ろした。
未成年者用の午餐会会場である庭に現れた彼女は、まるで天使が舞い降りてきたかのように可憐だった。
写し絵で毎日みていたけれど、実物は比べ物にならないほど美しく愛らしい。
薄ピンクのドレスがふわりと風に舞い、紫水晶の瞳が煌めき、流れるような深い藍色の髪は波打つように背中に流れている。
『彼女』が現れた瞬間のざわめきはすぐに、兄たちが『彼女』を放置したことへの驚愕のざわめきに変わる。
当然だ。あんなに可愛らしい少女を他人の中に残すなんて。
1人きりになってしまった『彼女』は、しかし特に気にした様子もなくクルリと会場を見まわし、適当に食べたいだけ軽食を選ぶと席に着いて食事を始める。
不安そうな顔をしたり泣き出したりしないのを見て、ひっそりと安堵の息を吐く。
本当は早く挨拶をしたいし、一緒に食事をしたいし話をしてみたい。
けれど、おそらく他の国の使節団の子供も同じように『彼女』と接触するよう言い含められているはずだ。
そして、その中には『彼女』の意思を無視し自国へと連れて行こうとするものや、その言質を取ろうとする者も居る。
この国の人間は、『彼女』の兄たちも含めそれをしっかり理解しているのだろうか。
分かってないだろうな。でなければ、こんな場で1人にするわけがない。
兄の友人である王子や有力貴族の子供に倣い、この国の者は『彼女』に声をかけないどころか、そばに付いていることもしない。
使節団の子供たちは然りげ無く横目で様子を伺い、牽制し合い、接触のタイミングを探っている。
僕自身も、適当な人間と当たり障りなく『素晴らしいお庭ですね』だのとくだらない会話を繰り返しつつ様子を伺っている。
不自然にならないよう位置を調節し真正面に捉えられるようにしいると、食事を終えた『彼女』は立ち上がり花壇の花を眺めながら庭の奥へ、人気のない方に自分から進んで行ってしまう。
危機感がないにも程がある!!逸れ孤立したウサギを狙うのは狩りの常道だ。
ただ、これだけの人間に密かに注目されている『彼女』の後をノコノコ追うのはリスクが高い。だから誰もしないだけだ。
しかし幸いなことにあの先に何があるか僕は祖父に聞いて知っていて、隠された秘密の東屋、がある…らしい。
公爵位を継ぐ前に外交官をしていた祖父は、何度もこの国の王城に訪れており、使節団に同行に際しこっそりと教えてくれた秘密の場所だった。
その昔、王が愛人と秘密の逢瀬を楽しむために作ったのだとか。その愛人も既婚者であったとか…真偽は不明。
正直、なんて不埒な目的で庭を作るんだ!!とも思うけれど。
しかし、悪目立ちを回避するには絶好の場所だ。この機会を見逃しては、2度と声をかけることはできないだろう。それに、父からも『接触しろ』と言いつられているし。
とにかく『彼女』の露出の少なさは異常だ。
父親が意図して娘の露出を抑えている可能性もあるが、それなのになぜ写し絵は広く市民までも所有しているのは謎だけれど。
一般的に考えれば、1番多く娘を伴って外出するはずの母親が自身の外出に『彼女』を同行させるのを嫌がるのが大きな要因だろう。
貴族の子供は母親の交友に同行し、そのコミュニティーから顔見せを初めて行くのが一般的だ。
『彼女』はそういった貴族の娘としての一切を、母親から放棄されている。
それなのに姿形ばかりが写し絵で出回っているので、保守的な考えもある貴族には遠巻きにされるのだろう。
両親のやってることに一貫性がない事から、面倒な問題に発展しかねない火種、と認識しれている節がある。
だからだろうか?いくらまだ幼いからと言っても、侯爵家の令嬢に婚約の話が何もないのは。
それとも、そう思わせて置いて王子の婚約者にすんなり決めやすくなるように、取り決めでもしてあるのだろうか?
薄ピンクと藍色の後ろ姿が生垣の向こうに隠れていくのを、僕はなぜだか大人の思惑に飲み込まれていくように感じて悲しくなった。
僕はそんな…『彼女』の意思を無視するようなことはしない!!
改めて心に強く誓い、誰かが追いかけ先に『彼女』に接触する前に行動する。
『彼女』の進む先にある東屋には、花壇側から続く表の入り口と、裏側に回る遠回りの道があり、裏側の道は表側とは真反対のあたりに入り口がある。
今この場を離れたとしても、向かう先が違えば怪しまれはしない。
そこそこすると不審に思われ逆に目立つ。
初めて訪れた国の王城が珍しく、庭を探索している風に装って、祖父に教えられた東屋の裏側に出る道を探す。
焦って気がつけず探し回るのは時間の無駄だ。注意深く花壇の隙間を探しながら進む。偶然あいた枝葉の隙間にも見えそうな生垣の間をくぐり、本会場の子供のざわめきやサロンの音楽が遠くなったあたりで、東屋のと思われる白い大理石の屋根と柱が緑の間から光を反射する。
後少しのところで、一応、誰か一緒にいないか、聞き耳を立てて確認するけれど何も聞こえない。
それどころか気配がしない。もしかして、ここまで来なかった?それとも誰かに声をかけられた?
そぉっと、最後の枝葉の隙間を通り東屋の全容がようやく見える。
真っ白な大理石で作られたドーム屋根の東屋は、丸テーブルとベンチだけのシンプルなデザイン。
そこに藍色のシルエットだけがあり、思わず拳を握ってしまう。
ここに来るまでに衣装に枝葉が引っかかることはなかってけれど、念の為軽く身だしなみを整える。
そっと声をかけようと近づくと、その肩が規則正しく上下し静かな寝息を立てているのに気が付く。
まるで天使のまどろみ。今この瞬間、この場はきっと神々に守られているに違いない。
そうでなければ、誰がのように愛らしい存在を1人放置していられるだろうか。神々が直々に守っているからこそ、この場が世界一神聖で尊い場所だからこそ、ここまで無防備を晒せるのだろう。
楽園の出来事のような光景に、耳の奥で荘厳な音楽が聞こえる心地だったが、『彼女』に付いてきていた世話係のメイドが慌ててこちらに寄ってくるのを視界の端で捉える。
通路の最奥、行き止まりと思っていた生垣の陰から人が出てくれば、何事かと思うのが常だろう。それに、凄く驚いた顔をしているから、彼女はこの場所の秘密を知らなかったんだろう。
何者か問いただしながら駆け寄ろうとするのを手で止め、静かにするように指を口に当てる。
ここで慌てたりすればそれこそ不審者として排除されてしまう。
堂々としていれば示し合わせて待ち合わせたように思うはずだ。
僕はメイドを止めてから、ゆっくり彼女に近づき上着をかけ、あえて距離は開けずピッタリと触れ合うよう隣りに座る。
風に煽られ顔にかかった髪を優しく耳にかけて、そっと額にキスを…
するふりをした。
メイドの角度からはキスしたように見えるだろう。これで僕と彼女の親密度アピールは完了。
その上で、そっとジェスチャーで呼び寄せ、お茶のセットの準備を小声で頼む。
起きたら、喉が渇いてるかもしれない。少し肌寒くなってるかもしれない。
それにしても、よく寸前で止められた、と自分を褒めたい気分だ。
どうみても10歳の女の子なのに、今すぐにぎゅうぎゅうに抱きしめながらベッドに寝転がりたい。滑らかで柔らかな頬にキスして、サラサラの髪の毛を撫でたりぐちゃぐちゃにしたりしながら耳元で好きだと囁きたい。
写し絵で見ていた時よりも強い衝動が湧いてくるのは、熱と実感のある生きた存在だと感じてしまっているからかもしれない。
よし、結婚しよう。
父も言っていたけれど、もしかしたら式典の夜会で王子との婚約を発表するつもりかもしれない。
でも、その少女がすでに結婚をしていたら?
親善に来ている国の文化風習を無碍にはできないし、ましてや相手は公爵で王弟の息子。
使節が引き上げると一緒に連れて帰りたいけれど、それは渋られるかな?
でも、結婚した事実は変わらない。
問題は、どうやって切り出すか。
起きると同時に『結婚してください』と言っても怖がられてしまう。タイミングが大事だ。
だから、どうか言ってほしい。助けて、と一言言うだけで良い。
家族が欲しいと言ってさえくれれば、僕がなるから。
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