第4話:青天の霹靂に打たれると人は泣く(後編)

 母につかみ掛かられ叩かれ、おねしょまでして泣きじゃくるほどショックを受けたお可哀想なお嬢さま、として私はしばらく面会謝絶になった。

 確かにこの肉体にとってはショックな出来事だった。何せ、母親に育児放棄されてるとはいえ、あくまでそれは『貴族の娘』としての世話にすぎない。

 普通に生きる上での世話はメイドがしてくれるので、衣食住に困ったことはない。

 家の内向きを取り仕切る女主人である母の決定ではあるけれど、侯爵家の主人である父はむしろ私を大事にしている。

 雇われの使用人たちは折衷案として、衣食住の面倒までは見る、だった。

 貴族令嬢として何かする際は、侯爵にお伺いを立ててから。そうすれば侯爵夫人に対しても『旦那さまのご命令です』の免罪符ができる。


 そんな感じで、一応は当家の令嬢として大事にしてきたうちのお嬢さま。

 母親に邪険にされ、お兄さまたちに無視されても気丈に泣き言も言わなかったお嬢さまの糸が切れたような号泣に、使用人たちの心には何か来るものがあったらしい。

 本当のところは、処方された薬が子供の体には強すぎて色々と弛緩した結果だし、号泣したのは中身の精神的におねしょが恥ずかしすぎただけなんだけど。

 過剰なくらいに過保護にメーターを降り始めた使用人(と、医者)による面会謝絶から3日。久しぶりにメイド以外が部屋を訪れた。

 少しの翳りのある笑みを浮かべた父は、カーネリアン少年から手渡されたネクタイ飾りを手にしていた。

 それを私に返しながら『あの日、公爵夫妻に別室に呼ばれてね…』と、ゆっくりと言葉を探しながら、ことの顛末を父は話し始めた。




 いくつかある諸外国からの使節団の1つ。その代表である隣国の公爵に呼ばれ、はて特に自分とは関わりはないはず、と疑問に思いながらも呼び出された部屋に案内された。

 賓客でもあるし爵位も上、しかも彼の国の王弟でもある人物の呼び出しに緊張しながら妻と共に挨拶をする。

 軽く自己紹介と握手を交わし、席を薦められ出されたワインをちびちび口にしながら当たり障りのない話が続く。

 ようやく本題に入るかといった頃合いに出てきた言葉は、『そちらの娘さんとうちの次男が結婚をしたので、今から正式な書類上の手続きをしたい』とだった。

 驚いて、何かの間違いでは?と思わず聞き返す。

 侯爵家族は普段は王都で生活しているし、領地も国境沿いとは離れた場所。

 仕事も貿易とは無縁で、領地の数少ない生産品、特産品も全て国内で消費されている。

 驚きで声も出ないでいると公爵は気にせず、


 「息子が言うには、我が家紋入りの装飾を手渡し、ご令嬢は受け取り口付けまで許してくれた、と。」


 と、さも当たり前のことを言うように質問に答えた。

 それは確かに彼の国の正式なプロポーズ…というか、結婚の方法だった。

 プロポーズをする者がその家の家紋の入った物を手渡し、OKならば受け取り口付けを受け入れる。

 しかしそれは、書面やら手続きがあまり重要ではなく当人たちよりも親同士、家同士の決定が重要視されていた時代の話。

 それを現在に当てはめるのはいくら何でも強引がすぎる!

 …が、しかし!!これを風習の違いだけで反故にすることはほぼ無理だった。

 そんなことをすれば相手の国の文化の否定にまで発展し国家間の問題になる。

 どうすることもできず、反論のしようもない私に、あまりのことに驚いて声も出ないし口も閉じない妻。

 そんな光景は想定の範囲内だったのだろう公爵は、


 「帰宅してお嬢様に聞いてみてください」


 と、その場での返事は保留にしてくれて急いで帰路につく。

 しかしこの保留は『確証を得てこい』の指示であり、検討し場合によっては拒否して良いよ、では決してないのは相手の目を見れば嫌でも理解できる。

 慌てて帰宅して『娘は何か持ち帰っていないか?』と、メイドに確認すれば、ドレスのポケットに入っていた、と見せられたのが裏面に公爵家の家門と御子息の名前の入ったネクタイ飾りだった。

 公爵の話は本当だったのか、と息を呑む自分の横で、妻が金切り声をあげたかと思うと頭を掻きむしり始めた。そして、ドレスの裾をたくし上げ、足音も荒く娘の部屋に向かう姿は、普段の侯爵夫人然とした姿からはあまりにもかけ離れた姿だった。

 乱暴に扉を開け放ち、具合が悪かったのかベッドでメイドに世話をされていた娘に向かって、アバズレ売女と罵声を浴びせ、夫の関心を奪い惨めな思いをさせるばかりか、公爵家に嫁ごうなどと許さない、お前ばかりが幸せになるのは許せない、とひどく泣き叫んで、医者によりその日は鎮痛剤を投与された。

 次の日からは発作的に泣きながら娘を罵り、暴れて部屋をめちゃくちゃにしては息子にも私にも怒鳴りつけ、泣きながら『あの娘さえいなければ』と繰り返している。



 父に教えてもらった部屋から出ていない間の侯爵家の状況は、思いの外混沌としていた。

 まだゲーム本編も始まっていないのに、こんなにめちゃくちゃになるものなのか?私、別に悪い令嬢になってないのに?ヒロインもいないのに?

 それにしても、さすがの侯爵夫人だ。

 クソ乙女ゲーシナリオでライバル令嬢と一緒になってヒロインをイジメていただけある。なんとも苛烈なご婦人だ。

 叩かれた痛みとショックで混乱してて、アバズレと売女しか聞こえてなかったけれどそこまで言われていたのか。

 そして、カーネリアン少年!!

 君のその行動にそんな意味があるなんて知らなかったぞ!?

 仮にも他国への逃亡に『結婚』を手段として考えてから、近隣諸国の文化風習の勉強は一通りしていた。

 古い風習とはいえ、それがまかり通ってしまっては現代日本で夜這い婚も罷り通ってしまうじゃなか。

 もちろん、私としては願ったり叶ったりなので結婚大歓迎だけれど、普通の令呪であればここは戸惑いつつも父に不安げに問うのが見えるな。


 「あの、お父さま。あの国のそんなお話を聞いたことは…。」


 思わぬ文化の違いに戸惑う娘にちゃんと見えたみたいだ。

 不安で泣きそうな顔をする娘の隣に移動してきて、優しく肩を抱きながら頭を撫で始める。


 「今ではもう主流ではない、古典的な作法だからね。知らないのも無理はない」


 だから、知らなかったことは失礼でも無礼でもない。

 単に不運だった、と父自身も泣きそうな声で慰めてくれる。まさに、古の風習を盾に娘を奪われんとしている父親の嘆きだった。

 う〜ん。何でカーネリアン少年は、そんな今はすたれて知る人ぞ知る古典的なプロポーズをしたんだろう?

 意図があったのか。憧れのプロポーズだったのか。

 何にせよ、直接聞かな限り正解なんて分かりははしない。

 

 それにしても父のこの憔悴には他にも理由がありそうだ。

 思わぬ場所からの娘の婚約…をすっ飛ばして結婚話だけが原因とも思えないし、妻の乱心と家庭内の荒れ模様だけでは無さそうに思う。


 「申し訳ありませんお父さま。あの日、1人でいた私を慰めてくれるための冗談だと思ったのです。このお飾りも、ただの思い出の記念だと…。」


 この言葉に嘘はない。

 『結婚しよう』と言われOKしたけれど、まさかあの一連の行動がすでに結婚式だったなんて誰が思うか。単なる誓いとその証程度に思ったよ。

 何より、普通の貴族令嬢は親をすっ飛ばした求婚を本気にはしない。

 ましてや初対面。未成年以前に学生にもなっていない。

 それでも断れない筋からのお話、である以上、いつもの父ならば考えを切り替えて娘が嫁ぐことによる利点を模索するはずだ。

 いったい何が彼をここまで追い詰めているのか…少しカマをかけてみようか?


 「それで、国王陛下からはなんと?」


 貴族の結婚には国王の許可がいる。

 かつて国内の情勢が荒れていた頃は、貴族間のパワーバランスを調整するためで、その後は血の偏りによる病気や虚弱化を防ぐためだった。

 平和な今はほとんど適当にサインして終わりの、これこそ形骸化した制度の1つである。

 しかし、すっかり無くせないのは、いつまた過去のように必要に迫られるかわからないため。

 法とは、撤廃するのよりも施行する方が何倍も何十倍も手間と時間がかかる。だから、もしかしたら来るかもしれない『いつか』のために、今日も国王はおざなりに貴族間の婚姻許可証にサインを書いているのだろう。

 閑話休題。

 『国王陛下』の単語を口にすると、父は目に見えて肩を振るわせた。

 まるで、自分の全てを浚っていく借金取りの名前を聞いた債務者のような怯えっぷり。

 ついには、抱きしめてくれていた腕に力が入り、肩が小刻みに震えだす。

 やがて、怯えのようでもあり、怒りのようでもあり、深い悲しみにも思える激情を、必死に押し殺すように深く息を吐き出すと、


 「カーネリアン公子との婚姻にあたって、我が国がどれだけ重く考え重要視しているかを示すため…花嫁を王族姓で嫁がせる、と会議で決定された。」


 『明日にでも城へ移り手続きをする。以降は陛下を父と仰ぐように』と、消え入りそうな声でつぶやいて、父は涙を細く静かに落とすと、目頭を抑え嗚咽を噛み殺すように泣き出してしまった。

 それは、親子の縁を国の一存で断ち切ることが決定された、と言うことだった。

 そして、目の前のこの人は、心の底からそれを悲しんでいる。

 優秀だから愛されていると思っていたし、優秀でなければ愛されないと思っていた。けれど、ただの娘であっても愛してくれる人だったかもしれないと思った。

 今までの転生では、『王太子の婚約者』だったり『超優秀で完璧令嬢』と言われていたから気が付けなかった。

 今生での暑苦しいくらいの親バカさは、母に冷たくされている分も補っていたんだ、と初めて気がついた。

 単なるご機嫌取りだと思ってた…。

 なぜか無性に謝りたくなった。

 謝ったって、国王との養子縁組は無くならないし、自分の命大事で国外に嫁ぐ計画を取りやめもしないくせに。

 しばらく、泣きながら頭を撫でていた父はそっと立ち上がり、『準備をしておきなさい』と言って部屋から出て行ってしまった。

 入れ替わりでメイド数名がせっせと荷造り始め、コレは要りますか?あれはどうしますか?と矢継ぎ早に聞かれ、父を追うことはできなくなってしまった。




 翌日は、久しぶりに部屋から出てダイニングで摂る朝食だったけれど母は居ないし、父は黙々と食べるだけだし、兄2人も一言も口を聞かなかった。

 もしかしたら、これが最後の家族の食事かもしれないのに。

 まぁ、そんなことを思った本人が、1番別に気にしていないのだから、家族の薄情さをとやかくは言えない。

 何せ、今日が自由と命の安全への第1歩になる!


 昼前、昨夜一晩でまとめたにしては綺麗さっぱり物のなくなった自室から出て、父と一緒に玄関に向かう。

 途中、荷物を詰め込み始めた使用人たちに驚いた兄たちが、それがわたしのものだと気がつき『なんで、どうして、どこ行くんだよ』と騒ぎ出したが、父に命じられた執事に抱えられ部屋へと押し込められていた。

 押し黙ったままの父は、扉が閉まり馬車が動き出すと同時に涙腺が決壊したのか、10歳の娘の膝にすがって『お父さまはいつまでもお前のお父様だからね』『国王、あの野郎。私の可愛い娘を…チクショウ!!』と泣き出した。

 朝食の席では必死に耐えていたらしい。

 ちなみに、父の泣き言は全て嗚咽まじりだったので、正確には『おっ…父、さまはぁっ!!いづまで、も…おぉぉ…おま、えのぅ…』と、かなりのと文字数を要していた。

 王城に馬車が到着すると何とか泣き止んだが、国王に謁見し、必要書類各種にサインを書いたあたりでまた限界がきたらしい。

 手続きが終わり、王城のメイドに連れられる前に最後にキツく抱きしめて送り出してくれたが、閉じた扉の向こうから、過去一の大きな鳴き声と、おそらく国王のものと思える爆笑が聞こえきたので思わず振り返ってしまった。

 父の嘆きは理解できる。突然、理不尽に娘を奪われたのだ。

 しかもこの後、娘は別の男を父親として国外へ嫁に行く。二重三重の苦しみだろう。

 しかし、国王の爆笑はなんだ?

 娘を手放させられて泣く親を笑っているとしたら、とんでもないサイコ野郎じゃないか??

 新しく父親になった男はもしかしてとんでもない人間なのかもしれない。

 思えば、国王とはまともに会話した記憶がなかった。

 前世2回での王太子との婚約中も顔を合わせたことは数回。それも、ほとんど頭を下げて挨拶して終わった。

 まぁ、どっちも攻略対象だったバカ共の方が重要で、それ以外は眼中になかったからな。…眼中になかった、というか。そんな余裕もなかったと言うか。


 これから、カーネリアン少年たちの使節団が帰国するまで過ごす部屋は、客室ではなく思のほかしっかりとした『自室』だった。

 控えの間に応接室。脇には侍女用の寝室と奥には自室への扉。そしてその自室を中心に左右に寝室と専用のお風呂場とトイレ。寝室の横には同じだけの広さの WICウォークインクローゼットがあり、中にはすでに大量の衣服や装飾品、小物の数々が準備されている。

 あまりの豪華さに、目をむいていると王妃様からの伝言を渡される。

 中には、ここは王女の部屋なので、王女となったアナタには使う権利がある、と書かれていた。

 確かに、国王の養女となり戸籍上は『王女むすめ』にはなったけれど、どうせすぐに嫁ぐのだからここまでする必要はないはず。

 結婚式だって向こうで行われるだろう。ならば、当日に国王の名代とそのご一行様が来て『目出度い!おめでとう!』と祝うぐらいで十分なはずだ。

 名ばかりの、名目上の『養女』で、本当に王女が嫁ぐような仰々しく大々的なことはしないけれども、大事にしろよ!と言う、せめてもの体裁だと思っていた。

 そう思って、専属になった侍女に聞いてみれば、大々的に送り出せぬ分、しっかりと整えておかねば軽んじられてしまうから、と言う配慮らしい。

 何せ、いくらその国の風習とはいえこちらの国からしたら蛮族がごとき嫁取りにしか思えない。物のように、攫うように嫁がされた令嬢に少しでも不自由がないよう、『王女』と言う肩書きで持って守ろうとしているのだとか。

 正直確かに、なんだかな〜と思うし、廃れた理由も伺えるよような風習なので曖昧に頷くことしができない。

 おそらく、国王…はわからないけれど少なくとも王妃は、相手国の言い分が気に入らないのだろう。

 それは彼女が統制している城のメイドや侍女の態度から窺える。

 

 『文化風習の違いに漬け込んで、幼気な少女をかどわかそうなんて…何てふてぇ野郎だ!!テメェら、うちの娘に無体したら分かってんだろうなぁ?あぁっ??』


 と言うことだろう。

 こわっ!!ガチギレですやんw

 けれど、素直にその心遣いはありがたい。急遽生まれた『王女』ではあるけれど、いつかきっとその肩書きも役に立つだろう。

 ま、結果的に一つの家庭が崩壊しましたが。それはそれ。ゲーム本編のシナリオではもっとえげつなく崩壊する家庭だ。

 未曾有のラスボス令嬢のもなく、優秀な息子も残ってるんだからまだ平和な方でしょう。

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