第8話 雷と雲
薄暗く、風が緩やかに吹いている。
雲の薄い地域に入りると、月明かりが顔を見せることがある。
ティアは水の塊にうつ伏せになり、大地など何か変わったものがないか探しながら考え事をしていた。
ティアの乗っている水の塊は、ゆったりと空を移動していく。
「ちょっと休めたのです」
ティアはうつ伏せのまま、半透明の翼をパタパタと広げてリラックスしている。
この世界に少しだけ慣れたので、今後のことを決めておく。
まずは、どんなことがあっても受け止められるように心の整理からだ。
前向きと後ろ向きの意識が役に立つ時だ。
前向きな意識が、こんな素敵なことがあればいいなとアイデアを出してくる。
雲が晴れて明るくなればいいな。
大地が見つかればいいな。
燃える世界も見つかるといいな。
いつでも、水が飲めるといいな。
誰かに会えるといいな。
「誰かに会えるといい……そんなことがあったら……とても、とっても素敵なのです」
ティアの目から、涙がこぼれてしまう。
およそ考えも及ばないような永い時を孤独に過ごしたティアは、誰かに会えるかもしれないという現実に、歓喜したい気持ちを押し殺した。
後ろ向きな意識が意見をしている。
またあの恐ろしい暗闇の世界に戻されたらどうするんだ。
希望の見えた後の絶望の恐ろしさを知っているじゃないか。
期待をするんじゃない。
これは全て夢かも知れないのだから。
「そんなっ!」
ティアは顔を歪ませて、さらに大粒の涙を流す。
後ろ向きの意見は、ティアが考えないようにしていたことだった。
感情が落ち着くまでは早かった。
ほんの数百カウントで立ち直る。
きっとあの暗闇での経験が生きているのであろう。
「最悪なのは、あの暗闇に逆戻りすることなのです」
ティアは小声でつぶやく。
「それ以外は、大したことはないのです」
感情の整理を終えたティアは前を向いた。
そうと決まれば、大胆に動こう。
良くないことをしてしまったら、誰かが注意してくれるかもしれない。
誰かに会えるなら、怒られてもいい。
それは、私にとっては素晴らしいことだ。
ティアは立ち上がり、翼を大きく広げた。
水の塊から飛び立ち、上空を目指して飛ぶ。
分厚い雲は、まだまだ上空だ。
「風よ!」
ティアの身体の中から魔力があふれ出す。
身体の周りをバチバチと音を立て、光が走り始める。
ティアは精神を研ぎ澄ませ、魔力の流れを見ようとした。
辺りの風の魔力が動き出す。
ティアの身体が出る魔力に、風の魔力が飛び回るように集まってきた。
なんだか喜んでいるように見える。
「あなた達も、嬉しいのですね」
風の魔力たちが、一斉に震えた。
まるで返事をくれたみたいだ。
大気が揺れている。
「風たちよ!」
風の魔力たちがティアの魔力に触れる。
その瞬間、エネルギーの波動が肌で分かるほどの威圧感を受ける。
風の魔力たちは、存在を変えたと言ってもいいほどの力に満ちた魔力に進化していた。
「みんな! すごい力! 私の言うことを聞いてくれるのです?」
風の魔力たちが一気にティアに集まってきた。
ティアはその光景を見て、にこりと笑った。
そして、空を見上げる。
分厚い雲が世界を覆っている。
両手を上げて、ティアは叫ぶ。
「風たちよ! あの雲を吹き飛ばすのです!」
魔力を解き放つ。
大気が激しく揺れる。
風の魔力たちが、無数の曲線を描きながら上昇していく。
雲を吹き飛ばすイメージを、魔力を操って実現させていく。
ティアの魔力は風の魔力たちを先導しており、実際に働いているのは、風の魔力たちだ。
ティアの魔力はキラキラと輝いており、風の魔力とは性質が違うのがなんとなく分かる。
光の柱になった魔力たちが、雲に突き刺さる。
分厚い雲にぽっかりと穴が空いた。
すごい速さで、穴は広がっていく。
雲の穴の向こうに、星空が見える。
あれほど分厚かった雲が、風たちに散らされ霧散していく。
空からゴロゴロと大きな音が聞こえ始めた。
なぜか雷が生まれてるようだ。
気づけば、たくさんの極太の雷が空を走り始めている。
雷が発生する理由の解析は後回しだ。
あれに直撃するとやばい気がする。
ティアは、身体を覆う魔力バリアの出力を高める。
魔力バリアが光を放ち始めた。
次の瞬間、ティアのいる空間を凄まじい落雷と耳が破裂しそうなほどの爆音が襲った。
「あっ!」
雷に直撃したティアは、衝撃で吹き飛ばされる。
あまりの一瞬の出来事であったが、ティアの意識は、何が起こったかをスローモーションのように映像で捉えていた。
雷の衝撃はものすごかったが、魔力バリアのおかげで身体にダメージはなさそうだ。
直撃の瞬間に目をつむった判断は良かったのかもしれない。目を開けると視界は無事のようだ。
爆音で聴覚はやられてしまったようで、高温の耳鳴りのみが聞こえる。
とりあえず、吹き飛ばされているのは翼を広げてバランスをとろう。
ティアは、冷静に思考できていた。
「ほいっ!」
翼を広げて、空気を受け流し体勢を整える。
ティアは、ぴしっと空中で静止することができた。
すぐに上空に目をやる。
まだまだ雷が、網目のように空を走り回っている。
ピカピカ光っていて眩しい。
なぜか、雷たちは逃げ場がないように感じた。
海へ逃がしてあげようと思う。
「こっちなのです」
ティアは魔力をコントロールしながら、右手を下から上にゆっくりと振り上げる。
少し離れた場所に、海から大きな柱が生み出され、ティアにいる空域近くまで伸びてきた。
上空の雷たちが、一斉にその水の柱に向かって落雷を始める。
耳鳴りしか聞こえないが、衝撃波を感じるため爆音が鳴り続けているのであろう。
しかし、この方法は良いみたいだ。
まだまだ上空には雷がひしめいている。
水の柱を伸ばすか、増やすか、そんなことを考えていると、雷たちが柱の上空に一斉に集まり、特大の落雷が起こる。
離れた場所にいたティアは、衝撃波でまた少し吹き飛ばされてしまう。
すぐに翼を操り体勢を整え、落雷を見る。
雷たちが水の柱に落ちて、その雷光が海上をつたって波紋のように広がっていく。
「キレイなのです」
その光景は、目を奪われるほど幻想的なものであった。
しばらく続いた落雷は、突然終わった。
空気の焼ける匂いがする。
上空の雷たちがいなくなったようだ。
ティアは空を見上げ、ハッと息を飲む。
見渡す限りの星空が見えた。
ティアのいる場所を、月明かりが優しい光で照らしている。
涙があふれ出してきた。
止めることはできない。
無数の星たちが色とりどりに輝いている。
呼吸が乱れるほどの、歓喜の嗚咽が止まらない。
ただ、星たちが輝いていること。
それだけのことに、とても感動してしまう。
ひときわ大きく見える月の光が、ティアの落ちる涙を輝かせていた。
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