第5話 美しき世界



 全てを薙ぎ払うような風が吹いている。


 風は火山灰のようなものを巻き上がらせ、視界は良くない。


 風の音以外にも飛沫をあげる波の音や、時折、何かが爆発したような轟音が聞こえてくる。


 この世の終わりのような場所にいながら、ティアはとても感動していた。



「やったのです! ついにやったのです!」



 空に浮かぶティアは両手を上げて、くるくる回る。


 小さな身体は全身で喜びを表現していた。


 しばらくすると、ティアの身体を包んでいたほのかな光が、次第に弱まり光は消える。


 すると、嬉しい気持ちでいっぱいのティアは奇妙な感覚に襲われる。


 

「あ、あれ? なにこれ?」



 ティアは落下していた。



「うわぁぁああ! 落ちるぅぅ!」



 落ちていくティアは手足をバタつかせて、落下する力に抵抗しようとする。


 身体を大の字に広げてみると、空気の抵抗を受けて落下速度が緩まる。


 体の向きを調節すると、ある程度の進行方向を決めることができた。


 まるで落下しながら空を飛んでいるようだ。



「た、楽しい!」



 ティアはこの現状を全く理解できていないが、とても楽しんでいた。


 ふいに後方から熱風が通り過ぎていく。



「熱っ!」



 ティアは、熱風から逃げるように少しでも涼しい方へ身体を向けて落下していく。


 眼下に荒れ狂う海が見えた。


 まだ遠く、暗さでよく見えはしないが、轟音とともに幾重の波が動いている。


 落下を続けるティアに、下から吹きつける風が当たる。



「この風で上昇するのです!」



 上昇気流に身体を預け、ティアは高度を上げた。


 思い通りに高度を上げたティアは笑う。


 前方に雲の切れ間から差す光が見えた。


 かなり遠いが、その光の向こうに白い世界が見える。


 ティアは、深く考えずにその白い世界を目指すことにした。


 しかし、ティアは落下しているため、あの距離を移動はできそうもない。



「何か方法はないのです?」



 ティアは落下することに慣れてきて、考える余裕ができていた。


 このまま落下して海に落ちたら、この身体はどうなるのだろう。


 小さな身体だから大丈夫のような気もする。


 でも、この身体に何かあった時に、意識に及ぼす影響が分からない。


 ティアにうずうずと好奇心が湧いてくる。



「おっと! 今はこの現状を何とかしないとなのです!」



 ティアの眼下には、海が近づいている。


 海が近づくにつれ、視界がさらに悪くなっていく。


 なぜか知っている海という単語。


 なぜかそれが液体であるのも分かる。


 この小さな身体なら、海に落ちる衝撃を受けても生きていられる気がしたが、なるべくリスクを減らしたい。


 ティアは角度をつけて衝撃を和らげないかと考える。


 海面間際になってきた。


 すると、運良く横殴りの突風が吹いてきた。


 この突風に体勢を合わせ、海に斜めに飛び込む。


 ティアはそう決心すると、突風に背中を向けて手を広げる。


 横殴りの突風に身を任せると、落下速度が急激に弱まる。


 ティアはそのまま海にポチャンと音を立てて落ちていった。


 


 海の中も荒れ狂う海流であった。


 

 ゴボボッ! 息ができないっ!



 ティアは縦横無尽に渦巻く海流にのまれて溺れていた。


 咄嗟に息を止める。


 

 もうダメだ、このまま意識をなくしてしま……


 あ、あれ?


 身体に宿った意識は苦しいけど、他の意識たちはなんともないのです!


 よく分かんないけど、本体や他の意識はいつもの場所にあるのです。



 ティアは思考を加速させ、一瞬の間にいくつかの仮説をたてる。


 前向きと後ろ向きの性格の意識も、いくつか仮説を出してくれた。


 ティアの思考は、あの永すぎる暗闇の世界で鍛えたおかげでとても早い。


 しかし、この小さな身体を操ることには、まだ慣れていない。

 

 意識たちは全力で、この小さな身体で出来ることを探した。


 荒れ狂う海流は、小さなティアでは抗うことは出来なさそうだ。

 


 うぅ! 今度は何!?



 小さなティアは、下降する海流に巻き込まれて回転ながら深海へ引きずり込まれる。


 海流にされるがまま、ティアは耐えていた。


 もう息が続かない。


 その時、急に下降する海流から、穏やかな海域の海中に投げ出された。


 轟々とした海流の音が遠ざかっていく。


 緩やかに海の深部へ落ちていく。


 

 なんて凄い場所なのです。



 小さなティアは目を見開き、不思議と落ち着く気持ちになった。


 そんなティアに強烈な水圧が押しかかる。


 小さな身体が押し潰されようとしている。


 最後の空気を吐き出してしまった。


 海底がすぐそこだ。

 

 小さなティアに宿る意識が遠のいていく。


 不思議と危機感のような思いはなく、冷静に現実を受け入れていた。


 その時、不思議な力を感じ取った。


 小さなティアは、最後の力で右手を前にかざした。


 

 ここから出るのです。



 ティアは心で念じる。


 小さなティアのかざした右手に、急速に光が集まり、青く光り出す。


 かざした小さな右手の前方から、解き放たれた光たちが海を切り開いている。


 海が輝きながら、静かに割れていく。


 小さなティアは、前方の開かれた空間に倒れるように出た。


 

「ごぶぁぁあ!ごほっ!ごほっ!ひゅぅぅ!ひゅぅぅう!」



 小さなティアは、息を吹き返した!



「はぁ、はぁ……も、もうダメかと思った!」


 

 息を整えて、ティアは顔を上げると、そこには直線状にどこまでも続く、割れた海の壁に挟まれた道があった。


 壁同士の距離は5メートルほどで、かなり圧迫感を感じる。


 上を見上げるとかなり距離があるが、割れた海の上から、わずかに空が見える。


 時々、空は光ったりしていているようだ。


 この場所は、海の壁を覆うほのかな光があるが、かなり暗い。


 割れた海の海面の方から、ドーン!ドーン! と大きな音が聞こえてくる。



「ふふふっ……あははははっ!」



 ティアは可笑しくてしょうがなくて、笑った。


 一息ついたら、一連の出来事が刺激的で、感動が押し寄せてきたのだ。


 

「ふふっ。いつもの暗闇に比べたら、明るすぎるくらいなのです」



 ティアが立ち上がり、歩き出そうとすると、足を砂にとられる。


 海底はサラサラの砂で少し歩きにくいが、小さなティアの体重なら沈むことはなさそうだ。


 すぐ隣には海の壁がある。


 壁は透明だが暗いためか、ほとんど向こう側は見えない。


 海の壁にゆっくりと触ってみる。


 ポニョンと柔らかいけど弾力のある感触で温かい。


 少し押す力を加えると、海の中に手が入ってしまった。


 ティアは驚いて、すぐに手を引き抜く。


 引き抜いた手を見て、ティアは目を丸くさせ笑う。



「お、面白すぎるのです!」



 ティアは、今までの永い暗闇の何もない世界と比べて、この体感できる世界に感動した。


 自分の手をまじまじと見ると、指が5本に分かれており、爪があり、関節にそって動く。


 普通の手のはずだが、不思議だ。


 この手の形を知っていた。


 ティアが、ずっと昔から知っていた言葉たちが、実際に目にして体験できる。


 なぜ知っていたなんて、もう関係ない。



「分かるのです! これは手! これは足! これは髪なのです!」



 小さなティアが、くるくると回りながら自分の身体を見て喜んでいる。

 


「これは……」



 ティアが、自分のほんの少しだけ膨らんだ胸とお尻を触る。


 もちろん何も身につけていない。


 ティアは頬が桃色に色づいていく。



「な、なにか隠すものはないのです?」



 辺りを見回しても、そんなものは見当たりはしない。


 

「この気持ちは、恥じらいっ!?」



 ティアは身体だけではなく、心の変化も嬉しくなった。


 久しぶりに感情が大きく揺れ動いていることを幸せに感じている。



 ティアはその場に寝転び、自分の頬をつねる。



「夢じゃないのです」

 

 

 感嘆のため息をつきながら、上を見上げた。


 その目には、また涙が溢れる。


 あの絶望的な暗闇、孤独の意識の中で何度も何度も流した、悲哀の涙ではない。


 それは、喜びの涙であった。




 しばらく横になっていた小さなティアが呟く。



「喉が渇いたのです」



 先程、溺れて海水を飲んだためか、身体が水を欲している。


 どうやら海水は飲めなさそうだ。


 この海の壁もいつまで持つのかも分からない。

 


「水とゆっくりと落ち着ける場所と探すのです!」



 小さなティアは、先の見えない海の壁に挟まれた道を歩き始めた。


 


 しかし、1時間ほど歩いたところで、少し息を切らしたティアは思った。



「このままでは、いつまで歩いてもたいした距離は進まないのです」



 暗くてはっきりとは見えないが、割れた海の道はずっと続いており、風景に変化は感じられない。

 

 小さなティアの足では、歩ける距離もたかが知れている。


 ティアは歩きながら、身体の動きの感触を楽しんだり、考えることもたくさんあったので飽きてはいない。


 しかし、思考が速いためか、効率良く活動したい意欲がふつふつと湧いてきていたのだ。


 今、1番の手助けになる力といえば、先ほどの海を割った力だ。


 不思議な力だった。


 無意識にその力を操ったが、それは他にも使い方があると感じていた。


 ティアが右手をひらひらと動かすと、その力を感じる。



「意識を操る時も、同じような力を感じていたのです」



 その力は、目には見えないが、確かに辺りに漂っている。


 歩きながらその力を探っていると、ティアはふいに足を止めた。



「あれ? この力。私の身体の中にもあるのです」



 ティアは何気なく手の平を上に向け、その力に集中する。


 すると、手の平をシュゥゥと音を立てて光がまとい始める。


 

「おぉぉ! 何なのです!?」



 そのまま見ていると、光は右手を包むように広がった。


 光からは力強いエネルギーを感じる。



「これは魔力?」



 自然と声に出した言葉がしっくり来た。


 この力があれば、何でもできる気分になる。



「これは私の力? この周りに溢れている力とは別物なのです?」



 試しに、周りに漂う力を探ってみる。


 海の力というか、水のしっとりとした感覚の力を感じる。


 先程、海を割った時には、この力を操ったのだろう。


 なんだか馴染みのある力だ。


 

「飲める水を生み出せないのです?」



 手の平の上に、水をイメージして集中する。


 辺りに漂う水の力が集まってくる。


 ティアの手の平の上に、水の球が生み出される。


 波打ちながら、球はどんどん大きくなろうとしている。



「わぁ! 止まれ! 止まるのです!」



 水の球が大きくなる前に止まるように念じると、塊は小さなティアの顔の倍ほどの大きさで安定した。



「お! コントロールは簡単なのです」



 小さなティアはにんまりと笑う。


 そして、水の球に口をつけて吸う。


 口に入れると、口の中が痺れるような感じだ。


 これは飲めないと直感が囁く。


 そこで、ティアの好奇心が疼き始める。


 これを飲み込んだら、どうなるか知りたいという気持ちだ。



「この気持ちは何なのです! 知りたいという気持ちが抑えられないのです」



 ティアは腕を組み、数秒ほど悩んだ後に作り出した水をぴゅうと吐き出した。



「危ないところだったのです。好奇心に負けて危険を冒すところだったのです」



 作り出した水の球は、ティアの横にふわふわと浮いたままだ。


 ティアは、その水の球を見つめる。


 水の球を動かそうと思うと、思った通りに水の球が動いた。


 手をかざしながら動かすと、さらに動きは滑らかだ。


 ティアは無意識にその水をコントロール出来ていた。


 

「た、楽しいっ! 楽しすぎるのです! この世界は何なのです!? 生きてて良かったのです!」



 小さなティアは、水の球と共にくるくると踊り始める。


 水の球は自由自在に空中を動き回っていた。


 この水の球に掴まれば空を飛べるのでは?


 そんな夢のようなことを思いついた。


 ティアは、さっそく試してみた。


 両手で水の球を掴み、上昇してみると浮かぶことはできた。


 長時間は身体が疲れそうだが、空を移動することができそうだ。


 そのまま海の上までゆっくりと上昇していく。


 海面が近づくにつれ、海の壁に波が当たる音が轟々と激しくなっていく。



「聞こえてた音は、この音だったのですか!」



 小さなティアは、水の球を抱えて目をキラキラさせている。


 風が強くなってきた。


 このまま上昇すると、また風に流されてしまいそうだ。



「風が少し止んでくれるといいのになぁ」



 どうしようかと考えていると、水の魔力とは違う力を感じた。


 

「おぉ! また新しい発見なのです!」



 風の力というか空気を操る力だと思う。


 なぜか分かってしまうのが不思議だが、今はこの力も試したいと好奇心が騒ぎ出す。


 強く吹き始めている風を受け、さらに上には荒れ狂う風の音が聞こえてくる。


 あの風を穏やかにしたい。


 上を見上げて、ティアは笑った。


 水の球の上昇する速度を急激に上げ、小さなティアは一気に海面より上に出る。


 そんなティアに、埃や灰を飲み込んだ豪風が襲いかかる。


 水の球を離すと、風に飲み込まれ飛ばされてしまう。


 ティアは両手をかざして力を集中させる。



「風よ」



 辺りの魔力が騒ぎ出すのを感じる。


 キラキラと点滅する光たちが辺りを包み、目に見える範囲の風が緩やかになっていく。


 ティアは周りを見渡し、水の球を探した。


 少し遠くに見えた水の球に手をかざして、こちらに呼び寄せてみると、あっという間に手元まで水の球が来てくれた。


 ティアはタイミング良く水の球に掴まり空に浮かぶ。


 ふぅと息をつく。


 周りを見渡すと、荒れ狂っていた豪風は止んでいた。


 分厚そうな雲の切れ目から、何本もの光が差した。


 空からキラキラと粉のようなものが海へ落ちていく。


 小さなティアのいる場所にも、光が差し込んできた。


 辺りは、見渡す限りの海。


 この世のものとは思えないほど、美しい。



「綺麗……」



 ティアはこの世界に来れたことを喜んでいた。


 小さなティアの頬を、涙が伝っていく。


 落ちた涙は輝きながら海へ消えて行った。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る