マッチ売りの少女2話
少女から高額なマッチを買った男は早速家に帰って擦ってみる事にしました。
よくよく考えてみれば買ったその場、少女の眼の前で試してやればよかったと思いましたが、少女の謎の迫力に押されて家まで帰ってきてしまいました。
男は自分に言い聞かせます。
「ビビる事なんてない、こんなの普通のマッチじゃないか。あの少女は言葉巧みに高額で売りつけて、その度逃げているに違いない。俺は騙されないぞ、悪さをする子供を躾けるのが大人の役目だ」
誰もいない部屋で男は独り言をぶつぶつと呟きながらマッチを擦りました。ぽっと明るい火が灯り、ほのかな暖かさが伝わってきます。
「ほら見ろ!やっぱり何の変哲のないマッチだ!俺の言った通りじゃないか!」
男はただマッチを擦っただけだと言うのに狂喜乱舞しました。しかしマッチを擦った男は信じられない声を聞きます。
「坊や…」
「坊や…聞こえるかい?」
その声を男は忘れる筈がありません。
「母さん!?母さん!!どこにいるんだい!?」
それは亡くなってしまった母の声でした。何処からか母の優しく語りかける声が聞こえてきます。
男は声に気を取られマッチの火が指の近くまで迫ってきているのに気が付きませんでした。その熱さに慌ててマッチを手放し火を消すと、何処からか聞こえていた母の声が聞こえなくなってしまいました。
「何だったんだ今のは、もしかしてこのマッチの火のお陰なのか?」
男は恐る恐るもう一本マッチを取り出し擦りました。
「坊や、久しぶりだねえ。こんなに大きくなって」
「母さん!」
揺れるマッチの火の奥に、在りし日の母の姿が見えました。姿だけではありません、声も聞こえてきて話も出来ます。
「母さん、ああ、会いたかったよ!」
「私もよ坊や、まさかあなたともう一度話が出来るなんて思いもしなかったわ」
「本当に母さん何だよね?」
「そうよ、あなたのお母さんよ。あなたはまだシチューが好きなのかしら?」
火の向こうに見える母は記憶にあるかつての母そのものでした。男は涙ながらに母との再会を喜び、マッチの火が消える間という短な時間で、母と思い出を語り合いました。
しかし男は気がついてしまいます。この幸せな時間はとても短く、そして小さな箱に詰まった頼りないマッチが消えるまでの間だけであると。
男は懐かしの母と話す為にどんどんマッチを擦ってしまいました。もうマッチは残り少ない本数しかありません、まだまだ話足りないというのにもう時間は残されていませんでした。
男は急いでコートを手に取りました。今急いで少女のいた所に戻れば、このマッチを手に入れる事が出来るかもしれません。
もう金に糸目はつけません。買える限りのマッチを少女から買ってもう一度愛しい母と話がしたい、その一心でした。
男が少女の立っていた大通りに辿りつきました。懸命に少女の姿を探しても、何処にもその姿は見当たりません。
そして少女が忠告していた事を思い出し、道行く人に声をかけました。
「おい!今は何時だ!?」
「もう0時を過ぎたわ、年が明けたのよ」
男が辺りを見回すと、新年を迎えてお祝いムードに染まった民衆達が騒いでいます。少女はこう言っていました。
「私がここに立ってマッチを売っているのは大晦日の日だけ、年が明けたらここには居ませんのでお早めに」
この言葉の意味を理解して男は悶絶しました。少女の挑発的な物言いや潔さ、マッチとしては高額な値段、売れるか売れないか分からないような場所で商売をしていたのにも、全てちゃんと理由があったのです。
その価値を理解している者は少女のマッチは金に変えられない物でした。男はみすぼらしい格好をして寒空の下立っている少女の事を心の奥底で馬鹿にしていて、本質を見誤っていました。
少女は本当の事を言っていた。男はそれを無視した。残されたのは、もう遥か先まで購入する事の出来ない数本のマッチだけです。
男は途方に暮れて帰り道をトボトボと歩きました。新年にはしゃぐ人々が鬱陶しくてなりません。苛立ちは心の中に泥のように溜まっていき、気持ちを澱ませました。
家に帰りコートを脱ぎ捨て投げつけます。苛立ちを隠す事の出来ない男は、家の暖炉の火をじっと見つめていました。
その時、ふとある考えを男は思いつきました。この方法なら、もっと沢山母と話す時間を取れるはずだ。男は思いついた案を実行する為に、急いで準備に取り掛かりました。
新聞の一面を凶悪な放火魔が飾りました。
男は民家に火を放ち、より多く長く燃えるように計算して犯行に及びました。死傷者が多く出て、家を焼かれ寒空の下に追い出された人達で街は溢れました。
男は燃える火の一番近くに座って、ぶつぶつと独り言を呟いている所を逮捕されました。最後まで抵抗して火の傍から離れようとしませんでした。
「そこにいるんだ!母さんが!母さんがそこにいる!」
男はそう喚いていたそうです。しかし不思議な事に、男の母親はもうずっと前に亡くなっていて火事に巻き込まれた事実はありませんでした。
ベンチで新聞を読んでいた老夫婦は言いました。
「本当に恐ろしい事件ね」
「まったくだな、きっとそいつは頭がおかしくなったに違いない。火の向こうに一体何を見ていたんだか」
老夫婦の背後を少女が歩いて通りすぎます。少女は広げていた新聞を一瞥すると、小さな笑みをこぼして呟きました。
「だからお早めにと言ったのに…」
少女のクスクスと笑う声が、乾いた空気にいつまでも響いているようでした。
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