第2話 7
「ううぅ……ひどいよ、ネイさ~ん」
ぐったりしながら手を引かれるあたしの言葉に。
「でも、ミナ様。身も心もすっきりできたでしょう?」
ネイさんはクスクス笑う。
「そうだけど、そうだけど~」
この人、絶対に楽しんでたよ~。
シャイア先生にされたのは、冥界マッサージとかいう怪しげなマッサージで。
全身を丹念に揉みほぐされて、確かに身体はすっきりほかほかなんだけど、なんというか人様に聞かせちゃいけない声を出してた気がして、すごく恥ずかしい。
気づけば汗だくになっていたあたしは、ネイさんと一緒に大浴場に向かっているというワケだ。
「ところでミナ様、お気づきですか?」
回廊を歩きながら、ネイさんはあたしの眉間を指差す。
「目、見えやすくなってるでしょう?
いつもここに寄せてたシワがなくなってます」
「あれ? そう言われれば……」
眼鏡を無くして一週間、あたしはずっとぼんやりした視界で暮らしてきたんだ。
その霞がかっていた視界が、いまはすっきりくっきりしている。
輪郭と色くらいしかわからなかったネイさんの顔が、左の目元に泣きぼくろがあるのさえわかった。
「すごい! なんで?」
眼鏡に縁取られてないのにはっきり見える景色なんて、お祖父ちゃん達と暮らしてた時以来だ。
思わずあちこちキョロキョロ見回しちゃう。
「それがシャイア先生のお力なんですよ。
わたしも詳しい理屈は、よくわからないんですけどね。
ぶっちゃけ冥府の医療部にかかれば、死んでても最良状態の身体で蘇生できちゃうんですよ~」
その謎技術の応用で、あたしの目も治った?
「え~? うっそだぁ~」
目が良くなったのはともかく、さすがに死んでてもっていうのは誇張だと思って、あたしはネイさんに笑って見せる。
「それがマジなんですよ。
冥府の闘士ってのは、基本的に人界で死んで、冥府に招かれますからね。
最低でも二回――人界での死と、初出撃での死の二回を経験してるんです」
「ネイさんも?」
「ええ、わたしなんか隊長――陛下に拾ってもらうまで、ダメダメでしたね。
通算死亡回数は十回を越えてます。
死亡回数一回の人なんて、カンチョーと陛下くらいじゃないですかね……」
と、ネイさんは遠い目で空を見上げて薄く笑う。
「そもそも死亡回数一桁の人達は、みんな頭のネジどっかぶっ飛んじゃってるんですよ。
その筆頭が陛下ってワケです。
陛下に拾われて半年、わたしら死ぬよりも怖い目に合い続けてますからね……」
「……よ、よくわかんないけど、大変だったんだねぇ」
なにか触れちゃいけない話のような気がして、あたしは引きつった笑いでそう返す。
そうこうしてる間に、あたし達は大浴場に辿り着いた。
ネイさんが服を脱ぐのを手伝おうとしてきたけど、ひとりでできると固辞して、ふたりで裸になって浴室に向かう。
使用人用の大浴場は、十数人が一度に入浴できるほどに広い造りで、浴槽に満ちたお湯が床に流れ出て、真っ白な湯気が辺りに立ち込めていた。
なにか草を蒸したような香りがする。
そんな浴室には、軽やかな鼻歌が響いていて。
「おや、カンチョーも来てたんですね~」
ネイさんが、浴槽の縁で肩まで浸かった人物に声をかけた。
小さくて形の良い頭に綺麗な金髪。
紅潮した頬にうっとりと細められた瞳の色は、宝石みたいな青で。
まるでお姫様みたいに綺麗な子だった。
「ああ。ここの大浴場は天然温泉だって、カイルくんに聞いてね。
この時間は貸し切り状態だから、毎日来てるのさ」
……あの子が、カンチョーさん。
館長? 艦長だろうか?
名前は確か、アリサさん。
「こっち来てから、頭悪いクセにガチガチに思考が凝り固まった、バカの相手ばかりだからね。
こうして癒やされてんのさ……」
「ババ臭いですねぇ。
まあ、バカの相手が疲れるってのは、激しく同意しますけどね」
と、ネイさんはあたしを連れて、アリサさんのそばまで進むと。
「紹介しますね。カンチョー。
――ミナ様です」
「は、はじめまして。
あたしがぺこりと頭を下げると、アリサさんは片手を挙げて応じる。
「おー、いつも見てたよ。
随分とすっきりした顔つきだけど……シャイアかい?」
……いつも見てた?
あたしが首を傾げる中、アリサさんの問いかけにネイさんがうなずいた。
「はい。例のパーティーに備えて、磨き上げてもらいました」
「ああ、諸属領主やら貴族やらを招くからね。
良い判断だ」
アリサさんはうなずき、ふと顔をあげる。
「どうせなら飛び切り綺麗に仕上げて、ビビらせてやろうぜ?」
ザバリとお湯をかき分けて立ち上がった彼女は、あたしの手を取って洗い場に向かう。
「わたしのシャンプーやボディソープあげるからさ、ミナくん、キミ、これから毎日これで身体を洗ってね」
「え? え?」
手渡された容器は、プラスチック素材のような触感で。
混乱する間にも、容器はネイさんが手に取って、あたしは椅子に座らされる。
「じゃあ、洗いますね~」
「わたしは背中流したげるよ」
「ちょちょちょ――」
戸惑う間にも、ふたりはもこもこと泡を立てて、あたしを磨きにかかる。
「一番ビビるの、カイルくんだったりしてね~」
「あの人、地味モードのミナ様しか知りませんからねぇ。
カンチョー、ミナ様はシャイア先生もドーラのアネゴも太鼓判押す逸材なんですよ?」
ゴシゴシと頭と背中を洗われながら、あたしは恥ずかしさを堪える。
「ほう、そりゃいいね。
なら、貴族達だけじゃなく、偽聖女くんにもざまぁできるってワケだ」
「んん? どういう事です~?」
ネイさんの問いかけに、アリサさんは笑った。
「例の宴に、ロギルディアの王太子と偽聖女も来るのさ。
そこで綺麗になったミナくんが登場してみなよ。
あの偽聖女も王太子も、どんな反応するかねぇ」
「なにソレ、めっちゃ燃えるじゃないですか~」
ケタケタとふたりは賑やかに笑う。
「く、くれあちゃんが来るって事ですか?」
「そそそ。あの女さ、イケメンになったカイルくんに袖にされたもんで、変に執着してるみたいなんだよ。
――さ、流すよ~」
お湯が優しくかけられて、あたしを包んでいた泡が洗い流される。
この一年、ずっと濡れ布巾で身体を拭うだけの生活だったから、お湯の温かさに思わず涙が出そうになった。
お風呂って、こんなに幸せな気持ちになれるものだったんだ……
ふたりに気づかれないように、水滴を拭うフリで目元を拭う。
それから三人で浴槽に浸かり。
ああ、頭の芯まで痺れるような気がする……
「良いかい、ミナくん。
今のキミは原石だ。
パーティーまでに、わたし達は全力でキミを磨き上げて、特別な宝石にしてみせる」
「あ、あたしなんかが?」
ぼんやりとした頭で聞き返して。
アリサさんは満面の笑みでうなずいた。
「無能で無価値と呼ばれたカイルくんとキミが、誰もが認める輝きを放つんだ。
物語として、これほど面白い展開はないだろう?」
「で、でも……あたし、くれあちゃんみたいに可愛くないし……」
あたしの言葉に、ふたりは顔を見合わせてため息。
「ミナ様は、まず自覚するところからですかねぇ……」
「カイルくんもそうだったよ。
とにかく自己評価が低いんだ」
そして、アリサさんは不意にいたずらな笑みを浮かべる。
「少なくともさ、今の段階でもここは、あのバカ女に勝ってると思うぜ?」
と、彼女はあたしの胸を鷲掴みにする。
「おほっ! こりゃまた! すげえぞ、ネイ!
あんたも揉んでみ?」
アリサさんに促されて、ネイさんもまたあたしの胸を揉み始めて。
「ひゃあああ――ッ!」
本日二度目のあたしの悲鳴が、大浴場に響き渡った。
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