第1話 7
――ミナが俺の名前を呼んでくれた。
それだけの事なのに、なんでもできるような気がしてくる。
見た目がこんなにも変わってしまったのに、彼女はすぐに俺だと気付いてくれた。
それがひどく嬉しい。
「すぐ終わらせるから……」
そうミナに伝えると、彼女は涙を拭って大きくうなずく。
「――ネイ!」
俺が呼ぶと。
「ハイ、隊長~」
いつもの気の抜ける声色で、猫属のネイが頭の上の耳を揺らしながら転移してくる。
「ミナを守れ。
怪我でもさせたら、おまえ――ぶっ殺すからな!?」
「や~ん、隊長、ガチのヤツじゃないですか~。
わかってますよぅ。
このネイ、隊長の命令は絶対遵守です!」
と、彼女は素早く敬礼して。
「ささ、ミナ様。
ここは危ないですからねっ!
少しうしろに下がりましょう!」
と、ミナを横抱きにして退く。
「ムーザ!」
「――ここに……」
表情筋が死んでるムーザは、転移してくるとむっつり顔で短く応える。
俺のとは色違いの――下士官用戦闘服に身を包んだヤツに、俺は短く告げた。
「状況はわかるな?
小型種だ。
ふたりでやるぞ!」
「――へい!」
ムーザは大剣を転送させて構える。
魔物はこちらを見据えて。
「先陣、務めやす!」
地面を抉って駆けたムーザは、魔物の左に駆け抜けて、いびつに生えた脚四本を一気に吹き飛ばした。
再び金属を擦り合わせたような魔物の絶叫。
バランスを崩して、その巨大な胴が地面に落ちる。
「――おまえらみたいなのでも、痛みがあるのか……」
興味深い事実に鼻を鳴らしながら、俺は長剣を肩がけに構える。
「フ――ッ!」
残った脚目掛けて、一気に駆け抜けた。
冥府の鉱晶華を削り出した晶剣は、強固な魔物の甲殻さえもたやすく斬り裂く。
『ギイイイィィィィィ――!』
短くなった尻尾を振りたくって、魔物は左右に身を転がした。
俺とムーザは一度退いて。
「トドメは任しやした!」
「――楽しようとすんな!」
苦笑交じりに返しながら、俺は奥構えに晶剣を引いて。
「――目覚めてもたらせ!」
喚起詞に応じて柄が開き、象嵌された結晶が虹色の輝きを放って刀身を包んでいく。
冥府の女王であるアリサから託された、魔道器の剣だ。
魔物を滅ぼす為に作られた――対侵源用兵装。
たかだか小型種一体を相手にするならば、全力を出すまでもない。
「――ハッ!」
横薙ぎに晶剣を振るえば、虹色の軌跡が魔物の身体を斬り裂いて、瘴気に満ちたジャルニードの森を鮮烈に染め上げた。
「……お見事でやす」
むっつり顔のまま、ムーザがそう呟いた。
一瞬の間を置いて、俺が残心を解けば、魔物はどろりとした黒の粘液に溶けて、大地を穢していく。
「……ふう」
晶剣を武器庫へと転送し、俺は一息。
「――ムーザ、浄化の指揮は任せた」
「隊長はどちらに?」
「……言わせんなよ」
俺が苦笑いしながら応えると、ムーザはむっつり顔のまま肩をすくめる。
「そういや、ようやく念願叶うんでやしたね。
かしこまりやした。
こちらは任されまさぁ」
「終わったら報告に来い。
浄化の連中はそのまま帰して良い」
「へい」
そうして俺は踵を返して。
「――隊長~」
手を振って出迎えるネイと、その隣に座るミナのもとに歩み寄る。
「……無事か」
俺は安堵しながら、ミナを抱えあげて。
「ちょっ!? ちょちょちょ――」
「暴れないでくれ。落としたら大変だ」
腕の中でジタバタするミナに、俺はそう声をかける。
「カ、カイルくん? 本当にカイルくんなんだよね?」
「見た目はこんなになっちまったが……間違いなく、俺はカイル・リシャールだ」
「でも、俺、とか……カイルくん、僕って言ってなかったっけ……なんか雰囲気が――」
途端、事情を知るネイが吹き出す。
「そりゃあ冥府のブートキャンプを受けたんですから、お上品じゃあいられませんよね。
僕なんて言ってたら、バカ共にナメられるだけですし~」
「……と、いうわけだ……」
いかに以前の俺が、甘ったれの悲劇のヒロインぶってたかって話でさ。
アリサをはじめとした冥府のバカ共は、新しい身体に慣れてない俺にも容赦なく訓練を課してきて。
いやあ、ホントに大変だったんだ。
何度逃げ出そうとしたかわかんねえ。
でも……一日に一度だけ、アリサがミナの暮らしぶりを見せてくれてたからな。
右も左もわからないリシャールで、それでも必死に頑張るミナの姿は、俺の心の支えだったよ。
一日でも早く帰れるように、必死に頑張った。
「冥府? ブートキャンプ?」
首をひねるミナに、俺は苦笑。
「まあ、その話はまた今度だ。
それより――」
俺はミナを抱えたまま森を抜ける。
そこには命からがら逃げ出した、リシャール、ロギルディア両国の騎士達が休んでいて。
「な、なんだ貴様は!?
さっきの閃光は、貴様の仕業か?」
「おや、ディオス兄上。
魔物から逃げ出しておいて、ずいぶんと威勢の良い」
俺はあえて兄上がイラつく言葉を選んで哂って見せる。
「その勢いを魔物にも発揮できたらよかったのに……」
「兄上だと? いや、待て。その目――」
「腹違いといえ、さすがは兄上。わかりますか。
そうです。カイルですよ」
俺は抱いていたミナをネイに預けて、兄上に歩み寄る。
生まれ変わった俺は、兄上より背が高くなっていた。
笑みを浮かべて哂ってやる。
「――バカな。貴様は死んだはず……」
「ええ、確かに死にましたよ。
だが、冥府の女王は思いの外、寛大でして」
周囲を見れば、騎士達も呆然とこちらを見ている。
俺は声を低く押し殺して告げた。
「ディオス、あんたが王になってからのリシャールの惨状は冥府でよーっく、見させてもらってたよ。
そして、あんたにゃ任せておけないと考えた」
もはや兄と呼ぶのさえ嫌なんだが――このアホ兄は、クレアに貢ぐ宝石やらドレスなんかを買う為に、国庫に手を付けるだけじゃ飽き足らず、騎士団を使って民に重税を課してやがった。
あげく騎士達はその事で気が大きくなって、集めた税のピンハネまで始めるようになって。
ディオスが王位についてからの半年で。
農村部なんかは、生きていく為に泣く泣く子供を手放し、老人は子の重荷にならないよう、自ら山に入って命を断つ始末だ。
リシャールの民は涙さえ枯れ果てている。
「――ハっ!
それでどうする? いまさら貴様が現れたところで、玉座は俺のものだ!」
「……そう思うか?」
「なにぃ?」
俺は首だけで、うしろのネイを振り返り。
「――見せてやれ」
「りょ~かいです。隊長~」
と、敬礼したネイは、パチンと指を鳴らす。
途端、遠視の枠が空中に出現し――
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