第1話 6

 リシャール諸属連合王国の西端に広がるジェルニードの森は、ロギルディア王国との国境にもなっていて。


 森の外周には溢れ出る魔物の侵攻を防ぐため、強固な防壁や砦が築かれていた。


 今回の目的は、リシャール側の砦からリシャール・ロギルディア同盟で森の中へ踏み入り、聖女であるくれあちゃんの力が、本当に魔物に通用するのかを確認する事だった。


 リシャール側から侵入するのは、魔物を生み出す核である大侵源がリシャール寄りにあるから。


 ロギルディアに比べて、魔物との遭遇率が比較的高いから――と、アインとディオスがくれあちゃんに説明しているのを聞いた。


「――美那さん、久しぶりね!」


 一年ぶりに再会したくれあちゃんは――控え目に言っても、お姫様のようだった。


 これから森を歩くというのに、綺麗な真っ白なローブをまとって、首元には碧い石をあしらったネックレス。


 一方、あたしはと言えば、お城のお仕着せを汚すわけにはいかないから、部屋にあったカイルくんの古着を繕い直したもので。


「……ずいぶんと大変な生活をしているようね」


 握手したあたしの手に触れて、彼女はそう呟いて。


 あたしは慌てて手を引っ込めた。


 ずっと掃除や洗濯ばかりの生活をしてきたから……あたしの手はガサガサのボロボロ。


 くれあちゃんのすべすべの手と比べられて、ひどく自分が惨めな気持ちになった。


「でも、あなたも悪いのよ?

 力が無いなりに、身の振り方があるでしょう?

 ディオス様の温情にすがって、いつまでもリシャールのお城に留まって――」


 ――ああ、この子は……


 あたしの中にあった、「一緒に召喚された」という仲間意識が急速にしぼんでいく。


「…………」


 それなら日本に帰してと言い返したい。


 それが無理なのは、召喚された初日に魔道士の人に教わって知ってるけど……


 こんな右も左もわからない異世界に放り出されて、女のあたしがどう生きていけっていうの?


 けれど、それを言ったところで彼女には、なにも伝わらないだろう。


 彼女は、ロギルディアのお城で大切に扱われて――きっと、あたしの気持ちなんてわからないんだ。


 うつむいて黙り込んだあたしを、くれあちゃんは鼻で哂って。


 ロギルディアの騎士達をともなって、この場を離れていった。


 イラつきと情けなさで、その場にたたずんでいると、騎士達が出発を告げて、移動が始まる。


 特に指示される事もなく、あたしは一行に加わって歩き出した。


 森を行くのは、リシャール、ロギルディア両国から選抜された騎士達が十人ずつ。


 そこにくれあちゃんとあたし、ディオスとアインが加わった二十四人。


 大所帯に思えるけれど、魔物の相手をするにはこれでも必要最小限の人数らしい。


 あくまで今回の目的は、くれあちゃんの力を確かめる為だものね。


 大人数でガヤガヤ行ったら魔物も逃げ出すんじゃないかと思ったのだけれど。


 魔物というのは、とにかく殺意の塊みたいな生き物で――むしろ人数が多いところを積極的に狙う習性があるんだとか。


 先行する騎士達が下生えや枝を打ち払って、あたし達はその後を歩く。


 リシャール隊とロギルディア隊が横に並びながらの行軍。


 森に入って二〇〇メートルも進んだ頃。


「――瘴気です!」


 不意に前方が黒く霞がかって、騎士のひとりがそう報告した。


「――近いぞ! 構えろ!」


 騎士達が抜剣して身構える。


「さあ、クレア。

 君の力を見せてくれ」


 アインがそう告げてくれあちゃんを促して。


 くれあちゃんは前の方にゆったりとした足取りで進んで行った。


「――浄化を!」


 両手を広げて、くれあちゃんがそう叫ぶと。


 瘴気と呼ばれた黒いモヤが、まるでこじ開けられるみたいに左右に割れていく。


 ――そして。


「出たぞォ!」


 ……それは、クモとサソリをかけ合わせたような見た目をしていた。


 鉛色の甲殻に深紅の複眼。


 背中の上まで四メートルはあるように見える。


 長い尻尾がこちらを威嚇するようにピンと高く伸ばされて。


「――まずい、大型だ!」


 騎士達が盾を構えながら叫ぶ。


「――聖女様!」


「――クレア様!」


 けれど。


 くれあちゃんは――震えていた。


「ウソでしょ……あんな怪物だななんて……聞いてないわよ……」


 顔を真っ青にして、ブツブツと呟いている。


「――ムリよ! あんな大きいの――怖いっ! アイン様、助けて!」


 不意にそう叫んで。


 彼女はすぐ隣にいたアインに抱きついた。


 まるでそれが合図だったかのように。


 魔物の尻尾が振り下ろされて。


 一番前にいた騎士のひとりが、それを盾で受けようとして、盾ごと地面に押しつぶされた。


 まるで水風船が弾けるような軽い音。


 けれど弾けたのは人の身体で。


 鮮血と肉片が辺りに飛び散り。


「キャアアアアアアァァァァァ――っ!!」


 くれあちゃんは悲鳴をあげて、こちら――後へと駆け出した。


「――クッ! 撤退! 撤退だ!

 騎士達は魔物を凌ぎつつ後退!」


 アインが騎士達に指示を飛ばし。


「いや、それよりも良い手がある……」


 いつの間に背後にいたのか。


 ディオスが嫌な笑みを浮かべて、あたしの肩に両手を乗せた。


「――え……?」


 ――ドン、と。


 前に押し出される。


 木の根に足を取られて、あたしは前のめりに倒れ込んだ。


 転んだ拍子に眼鏡が飛んで、騎士に踏み潰される。


「今だ! そいつを囮にして逃げるぞ!」


 騎士達が一斉に駆け出す。


「悪く思うなよ! 無能の貴様よりクレア様が大事だ!」


 ディオスの声が森にこだまして。


「……なん……なのよぉ……」


 込み上げてくる涙を拭って、あたしは立ち上がろうとする。


 足首に激痛。


 捻ったみたいだ。


「……ウソ、でしょう……」


 周囲の木々を薙ぎ払って、クモみたいな魔物があたしの目の前に迫る。


 不規則に蠢いていた八つの眼が、一斉にあたしを捉えて。


 尻尾が振り上げられた。


「――――ッ!!」


 声にならない悲鳴をあげて、あたしは頭をかばって両手をあげた。


 奥歯を噛み締める。


 ――瞬間。


『ギイイィィィィ――――ッ!?』


 金属を擦り合わせたような、不快な音が森に響き渡って。


 あたしはいつまでも来ない痛みに、ゆっくりと目を開ける。


 それはまるでおとぎ話の一幕みたいだった。


 倒れたあたしの前に、すらりとした長身の青年が、長剣を片手に立っていて。


 眼鏡を失くしてぼやけた視界の中、綺麗な銀髪をした彼の向こうには、尻尾を斬り飛ばされて紫の血を滴らせる魔物の姿。


「――間に合ってよかった……」


 声までもが、ひどく澄んだ心地良いもので。


「ミナ、助けに来たよ」


 そう言って、チラリとこちらを見た彼は、綺麗な真紅の瞳をしていた。


 ……ああ。


 あたしはあの瞳を知っている。


 彼の日記は、ずっとあたしの心の支えだった。


 こんな事ってあるだろうか。


 信じられない。信じられないけど――この異世界で、あたしを気遣ってくれたのは、彼しかいなかった。


 だから、あたしは溢れる涙をこぼしながら、彼の名前を呼んだ。


「――カイルくん!」

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