婚約破棄ですか、私なんて絵を描くしか取り柄がないですものね
uribou
第1話
「チャールズ様から、婚約解消の申し出がなされている」
「そ、そうですか」
はあ、資産があるとはいえ我が家は平民。
伯爵令息のチャールズ様とうまくいくはずはないと思ってはいました。
「実質は婚約破棄だな。貴族からの申し出では断れない」
「は、はい」
チャールズ様と私が婚約した当時のオルコック伯爵家は、財政が火の車だったそうです。
金銭的支援を受けたいオルコック伯爵家と、上流階級に食い込みたいうちハンティントン家。
私達の婚約は双方にメリットがあったかと思います。
でも今は伯爵家は立ち直ったそうですし。
チャールズ様も私みたいな暗い地味な女の子と婚約している意味がなくなったのでしょう。
「暗い地味な女がつくづく嫌になったそうだ」
「そ、そうですか」
想像通りの有無を言わせぬ理由でした。
チャールズ様ごめんなさい。
私としては伯爵令息の婚約者に相応しい教育をつけていただいたり、画商を紹介してもらったりしたので、それなりに充実していたと思います。
肝心のチャールズ様はどうだったかって?
仏頂面しか見たことありませんけれども。
「我が家としてはこの婚約解消の申し出を受けざるを得ない」
「はい」
オルコック伯爵家に文句を言えるわけがありません。
お父様には申し訳ないことをしてしまいました。
ハンティントン家の商売にも影響が出てしまうことでしょう。
「お父様ごめんなさ……」
「ニコル、すまなかった!」
「えっ?」
お父様に謝ってもらう筋合いはありませんよね?
私が全て悪いのに。
「ニコルの良さがわからぬあんなやつを婚約者に据えてしまうとは。一生の不覚であった。愚かな父を許してくれい」
「えっ? あの……」
何故お父様が頭を下げているのでしょう?
私の良さって、魔力が高いことと絵が描けることくらいですよね?
貴族の令息を繋ぎとめ得る女としての魅力はあんまり……。
あっ、婚約解消を持ち出されて私がショックを受けているだろうと慮ってくださっているんだわ。
お優しいお父様。
「私のことでしたら全然平気です」
「そうか。ムリする必要はないからな。ニコルの好きなイチゴの美味しい季節だ。取り寄せてスイーツを作らせよう」
「わあ!」
嬉しいです。
嬉しいですけれども、私を気にかけている場合なのでしょうか?
「お父様」
「ん、何だい?」
「家の商売の方は問題ないのでしょうか?」
「ああ、それは全く心配する必要はないよ。ニコルの絵からこれまでなかった付き合いが多くなってね。オルコック伯爵家と手を切ったとしてもほぼ影響はないんだ」
「安心いたしました」
お父様余裕がありますね。
小心者の私を不安がらせないための誇張ということでもないようです。
商売は順調なのでしょう。
私の絵から付き合いが広がったなんてことはないのでしょうけれども。
「ただニコルがフリーになったとなると、各所から縁談が殺到すると思うんだ」
「えっ? 何故でしょう?」
「ニコルは控えめで可愛いと、知る人ぞ知る存在なのだぞ」
「……初耳です」
「しかも魔力が高くて、慎ましやかだろう? 婚約していて残念だ、と何度も言われたことがある」
私は贅沢ではないですね。
絵を描ければ満足です。
そして滅多にないほど魔力が高いらしいです。
でも魔法使いではないので、全然役に立ってはいないのですけれどもね。
ただ魔力が高いことはステータスで、特に上流階級では意識されることがあるようです。
暗くて地味扱いされたところなので、私を評価してくれる人がいるのは嬉しいなあ。
「おまけに素晴らしい絵を描ける」
「単なる趣味ですってば」
お父様が幾許かの金額で引き取ってもらっているようです。
個展も開いたことがあります。
絵描きの端くれくらいのところにはいるか、という感じです。
チャールズ様に絵を贈ったこともあるのですが、大事にはしていただけてないのだろうなあと思います。
「とにかくこたびの婚約解消で、ニコルが気に病むことはないからな」
「わかりました。ありがとうございます」
◇
――――――――――伯爵令息チャールズ・オルコック視点。
「……こんなに?」
「ええ、いかがでしょうか?」
二日前にニコルとの婚約解消が成立した。
気分的には婚約破棄だ。
あのオドオドした顔を見なくてすむと思うと清々する。
早速ニコルから贈り付けられた絵を処分することにした。
以前個展を開いたなどと自慢していたから値が付くのかと思い、画商を呼んで見させたところだ。
査定価格が考えてたよりも桁が二つくらい多い。
「まとめて引き取らせてもらえるとのことで、少々お高めに見積もらせていただきましたよ」
「額縁が高いのか?」
「御冗談を。絵そのものの価値でございます」
「ふうん。ニコルの絵は人気があるのか?」
「もちろんでございます。需要の割に出物が少ないですからな。しかもチャールズ様が所蔵する作品はいずれも傑作と見ました」
なるほど、ニコルは自分の作品の中でもよく描けたものを贈ってきていたらしい。
「こんな冴えない絵がなあ」
「落ち着いていて、どこに飾っていても邪魔にならないのですよ」
「ああ、そういう言い方もできるか」
「それでいかがいたしましょうか?」
「よいのではないか? チャールズ、未練があるわけではないのだろう?」
「もちろんですよ、父上」
あの陰気な女とようやく縁が切れると思うと心が晴れ晴れする。
「……つかぬことを伺いますが、チャールズ様とニコル嬢が婚約を解消された理由は奈辺にあるのでしょうか?」
「他人の事情にズカズカと踏み込んでくるものだな」
「申し訳ございません。ニコル嬢に瑕疵があるのならば、今後彼女作の絵の需要に関係することもあり得ますからな。商人としては情報を得なければなりませず」
「ああ、そうだったか」
「タダでとは申しません。応接間の絵がなくなると寂しくなるでしょう? 代わりをお持ちしました」
「ほう、くれるのか?」
「はい」
差し出されたのは、赤を基調とした勇壮な絵だ。
気に入った。
父上も同様のようだ。
「商売が上手いな」
「伯爵様こそ。オルコック家に勢いを取り戻した経営手腕はよく知られているところですよ」
「ハハッ。まあ当家にも苦しい時期があってな。ハンティントン通商と手を結ぶ必要があったのだ」
「それでチャールズ様とニコル嬢の婚約に至ったわけですな?」
「そうだ。しかし当家も完全に持ち直した。わざわざ平民と組むメリットがなくなったというのが最大の理由だ」
「チャールズ様はどうです?」
「元々気に入らなかったんだ。ニコルは陰気で貧相で、魔力が高いくらいしか長所がないだろう?」
「そうですかね」
ん? 同意を得られないか。
平民の価値観はわからん。
「ではチャールズ様はどこか貴族の御令嬢と婚約されるのですか?」
「そうなるだろうな。まだ予定はないが」
「安心いたしました」
「ん? 何がだ?」
「いえ、ニコル嬢に重大な欠点でもあると、先ほどの査定金額を下げねばなりませんのでね」
「「ハハッ」」
そういう罠だったか。
商人は油断も隙もない。
「では、引き取らせていただきますね」
◇
――――――――――画商視点。
「旦那様、お帰りなさいませ。いかがでした?」
オルコック伯爵邸から帰って来たところだ。
「ああ、いい取り引きができたよ」
「ハハッ、買い叩いてきたんですね?」
無言で頷く。
「伯爵もその息子もニコル・ハンティントンの価値をまるでわかってなかったからな」
「やはりそうでしたか」
「あんなやつらにニコル嬢の絵はもったいない」
派手なだけの絵を押し付けてきた。
やつらにはあれくらいがお似合いだ。
「ニコル嬢を評して、陰気で貧相で、魔力が高いくらいしか長所がないのだと」
「ええ? あれだけ可憐で控えめなお嬢さんをですか?」
「そうだ。考えられないだろう?」
「貴族はわかりませんね。いや、貴族と一括りにしてはいけませんか」
貴族でも見る目のある人はいる。
ニコル嬢の絵の真の価値を見抜いたアグリッパ魔術卿だって貴族だ。
「個展で会った時に少しお話ししましたが、ニコル嬢は欲がないですよね」
「自分の絵の価値を知らないようだ。クレイグ殿も教えていないようだしな」
「あ、そうでしたか。道理で」
「自分の絵の価値を知って動揺したら、今までのように書けなくなるかもしれない。ま、可能性だがね」
それがわかってるから、事情を知ってる者はニコル嬢に金の話はしない。
金の卵を生むニワトリを潰すのはバカのやることだ。
またクレイグ・ハンティントンも食えない商人だ。
娘の絵の価値を十二分に知りながら、値を吊り上げたりはしない。
利益を関連業者に分散することで人脈を作り、後の商売のための伏線を張ろうとするのだ。
そしてその戦術は今までのところ成功している。
「ニコル嬢の絵があれば失敗しないだろうがな」
「ええ。でもすごいですよね。魔を祓う絵、幸運を呼ぶ絵って」
ニコル嬢の絵の最大の特徴はそこにある。
所持しているだけで他に条件もなく確実に御利益のある絵。
ニコル嬢の強大な魔力と純粋な性格が生んだ、誰にもマネできない奇跡のコラボレーションと密かに囁かれている。
しかし価値を理解しない者はどこにでもいるものだ。
「オルコック伯爵家はニコル嬢の絵の奇跡の付加価値について知らなかったんですか?」
「知らなかった。思いっきり値切ったつもりだったが、こんなに高く買ってくれるのかって反応だったぞ」
「バカなんですかね? 魔力の付加価値を知らなくても、いい絵だってことはわかりそうなものですが」
「見る目がなく、情報を得ようともしない」
「そして幸運の女神たるニコル嬢を手放した、と」
「今後オルコック伯爵家との取り引きは買い取りだけにしておけ」
「は」
オルコック伯爵家の一時的な復調は、おそらくニコル嬢がバカ息子の婚約者だったことに対する恩恵だ。
ニコル嬢とその絵を手放したらどうなるか?
今日伯爵父子と会って確信した。
オルコック伯爵家は没落する。
大して価値のある調度品もなさそうだったが、あの邸宅はいい位置にある。
せいぜい買い叩いてやろうではないか。
◇
――――――――――ニコル視点。
ある日、お父様に呼ばれました。
何でしょう?
「縁談があるんだ」
「あら、まあ」
もうですか?
各所から縁談が殺到するとお父様は仰っていましたが、大袈裟過ぎると思っていました。
私は婚約解消された身ですしね。
お話があるだけありがたいです。
「どなたでしょう?」
「どれがいい?」
「えっ?」
これ全部釣り書きですか?
山じゃないですか。
「大体出揃ったと思う。貴族、騎士、大店の息子等々、選り取り見取りだ」
「すごい……」
縁談が殺到って本当だったんだ。
自分が求められているのは、ちょっと恥ずかしいけど嬉しいです。
「どうする? 会ってみて判断するかい?」
「そうですね……」
チャールズ様とは顔合わせもなく、いきなりの婚約でした。
その結果チャールズ様には迷惑をかけてしまいました。
もうあのようなことは繰り返したくないですね。
「既に私と面識のあるお方はいらっしゃるでしょうか?」
私を直で知っていて、それでも求めてくださる方がいいような気がします。
「一〇ほど年齢は離れているが、アグリッパ魔術卿からの話があるよ」
「アグリッパ魔術卿……」
「その魔術の才能で若くして宮廷魔道士長の補佐役を務め、また男爵に叙爵された方だ」
覚えています。
優しく情熱的な瞳を持ったお方です。
私の絵を大絶賛してくださいました。
それから私の絵の売れ行きが良くなったもと聞きました。
私にとっては運命の転換点にいた人とも言えます。
「アグリッパ魔術卿は貴族ではあるが、その職務柄、社交界とは距離を置いているという。ニコルとは条件的にいいかもしれないな」
「私、アグリッパ様にお会いしてみたいです」
「うん、先方に連絡しておこう」
「申し訳ありません。我が家の商売にあまり関係しない方なのに」
「ハハッ、ニコルはそんなことを考えなくていいんだ。自分の未来だけを考えなさい」
お父様は何と優しいのでしょう。
私は幸せです。
◇
数年後、『幸運を掴んだ男』と呼ばれたアグリッパは宮廷魔道士長に就任し、また伯爵に昇爵した。
それは同時に、経営破綻したオルコック伯爵領を受け継ぐことを意味した。
穏健な領主夫妻の下、ニコルの父クレイグ・ハンティントンが辣腕を振るって繁栄をもたらし、領民は大いに感謝した。
「ねえ、あなた」
「何だい?」
アグリッパとニコルは、庭で侍女と遊ぶ長男を微笑ましく見守っていた。
「今動いた気がしたの」
「そうか。元気な女の子達だな」
ニコルのお腹の中には二人目と三人目の子がいた。
アグリッパは胎内の子の性別を判明する魔道技術を、ニコルの第一子妊娠の際に開発していた。
現在貴族の間では広く用いられている技術だ。
「私、こんなに幸せでいいのかしら?」
「構わない。僕も負けないくらい幸せだから」
理屈になっていないとニコルは思ったが、どうでもいいことような気がした。
良き妻、良き母であることを考えるのが先だから。
「ニコル」
「はい」
「愛しているよ」
「私もです」
お腹の中の双子の蹴りが邪魔がするまで、二人は肩を寄せ合うのであった。
婚約破棄ですか、私なんて絵を描くしか取り柄がないですものね uribou @asobigokoro
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