73 手紙 ー出逢い
ウィルライト城で生活する騎士たちのあいだには、城下に贔屓の店が何軒かある。
ガーゼルに追い立てられたイエルとニーナのエデエ兄妹が向かったダラスの店もその一軒で、城から少し離れたところにある。
普段は城から馬で行く距離にあり、実はカッセラとジョスティスも謹慎が解けて久々に飲みに行こうとして馬を引いていたのである。
ニーナのほぼ全財産が詰まったトランクを持ったイエルとニーナが、その少し遠い距離を歩いてくる姿を見て、先に着いていたカッセラが声を上げる。
「イエル! ……と妹ー!」
所詮カッセラも脳筋である。
ガーゼルに言われてダラスの宿まで走る前にニーナの名前を聞いているはずだが、覚えていなかったらしい。
イエルと一緒に店の前までやって来たニーナは、少し恥ずかしそうに改めて名乗る。
「ニーナ・エデエです。
先程はありがとうございました」
「悪い悪い、さっき聞いたばっかりなのにうっかり忘れてしまって」
「お前は……」
「それより部屋、空いてるってよ」
呆れるイエルに小言を言われる前にカッセラは口を挟む。
さらにニーナの背を押して店に入ると、それにイエルが続く。
「ダラス、さっき行ってた客が着いたぞ」
まだ夕食の時間には早かったが、入り口を入ってすぐにある食堂は賑わい始めている。
その喧噪の中、カッセラに呼ばれた店主の姿を見てニーナは 「あ……」 と呟く。
「どうかしたのか、ニーナ」
「さっきの人……」
「知り合い?」
不思議そうに尋ねるイエルとカッセラに、ニーナは少し前、乗合馬車の停留所から城近くまで馬車で送ってもらったことを話す。
するとイエルはすぐに、忙しそうにしているあごひげをたっぷりと蓄えた初老の男に声を掛ける。
「ダラス、妹が世話になったらしいな。
ありがとう、助かったよ」
すると初老の店主は手を止めてイエルを見、彼が持っているトランク、続いて隣に立つニーナを見る。
兄と会えてもう安心と思ったニーナはフードを被っていなかったが、ズボンを穿くなど男装のままである。
ダラスもすぐにはわからなかったらしく、少しのあいだニーナをじっと見ていた。
「……ああ、あんただったのか。
イエルの妹だって?」
「ニーナ・エデエです」
「ご覧のとおり今は忙しくてな、部屋はあとで案内するよ。
先に飯でいいか?」
するとイエルが答える。
「二人分、頼むよ」
「好きなところにすわりな」
そう言ってダラスが行ってしまうと、イエルはカッセラを誘う。
だが彼は、遅れてくるジョスティスと飲むからと言って別の空いているテーブルに着く。
きっと兄妹の邪魔をしたくなかったのだろう。
だが帰る時は声を掛けて欲しいという。
おそらくイエルは歩いてきているから、一緒に馬に乗せて帰ろうというのだろう。
「それにしても、驚いたよ」
ようやく兄妹二人になり……といっても食堂には大勢の客がいて賑わっており、二人が着いたテーブルのすぐそばでも、酔っ払いが何度も何度も乾杯をして盛り上がっている。
トランクを誰にも触られないように壁側に置いたイエルは、椅子にすわりながら話し始める。
「そろそろ返事が届く頃と思って待っていたんだが、まさか直接来るとは……」
「ごめんなさい、なるべく早く来たかったから」
金銭的なことだけでなく、トラブルの理由が理由だったから、ニーナがあの町に居づらかったのはイエルにも理解出来る。
少しでも早く街を離れたかった気持ちも。
だから責めるつもりはなかったのに、ニーナの行動力が意外すぎてついつい口が滑ってしまった。
「あ、いや、わかってる。
すまない」
気まずそうにイエルが謝ると、ニーナは首を横に振る。
「ううん、兄さんもお勤めがあるのにごめんなさい。
驚かせるつもりはなかったんだけど……」
「いや、俺のほうこそ悪い。
連絡をもらっても迎えに行ってやれなかったし……」
今日、謹慎処分が解けるまで、リンデルト小隊は城の中ですら自由に行動出来なかったのである。
だからもし、ニーナの到着が昨日だったら困ることになっていただろう。
「でも手紙を読んでビックリしたわ。
どうしてこんなことをしなきゃならないんだろうって」
そう言ってニーナは、笑いながら自身の服装に視線をやる。
わずか三日とはいえ実際に旅をして理由はわかったけれど……とも続ける。
「あ、残ったお金は返すわ。
支度とかで使った分は、仕事を見つけたら必ず返すから」
「いや、いい。
元々お前になにかあった時のための金だから」
「兄さんったら……」
両親が亡くなってから、イエルは自分のことより妹のことばかり考えてきた。
そんな変わらない兄の様子にニーナは小さく息を吐く。
「そうだ!
仕事のことなんだが」
「ちゃんと紹介状は持ってきたわ。
明日にでも職業紹介所に行ってみるつもり」
ちょうど二人の食事を運んできたダラスが兄妹の会話に耳を止め 「時間があれば送っていってやるよ」 と言って仕事に戻ってゆく。
だがイエルは言う。
「いや、そうじゃなくて……その、まだちゃんと話してないから……」
実はニーナの仕事についてイエルにはあてのようなものがあるのだが、予想外に到着が早すぎて話が決まっていないというのである。
「それって、わたしはどうすればいいの?」
「とりあえず今夜はこのままダラスの店に泊まってくれ。
俺は外泊の許可が取れないから城に戻るが、明日の朝……は無理か」
謹慎が解けたばかりのリンデルト小隊は、無断外泊はもちろん、修錬すらサボるわけにはいかないのである。
だから今夜城に戻ってから相談をして、明日の昼頃にまたここに来るとイエルは言う。
「隊長にはお前が来ることは話してあったから、少しくらいなら時間をもらえるはずだ」
だがニーナも宿代だって安くはない。
だからただ待っているのではなく、朝のうちに自分でも職業紹介所に足を運んでみるというが、イエルはとにかくおとなしく待っていて欲しいと繰り返す。
「もう頼んでしまったんだ。
だから断るわけにもいかないし、たぶんお前にとってもいい話だと思う」
「なんの話?
そういえばどこかに行って欲しいって……」
城門で会った時にそんなことを話していたような……と思い出すニーナにイエルはうなずく。
「ああ、そうだ。
だがあちらのご都合もあるから、明日すぐにというわけにはいかなくて……」
「もう少し具体的な話を聞いてもいい?」
「その……お前、
食事をしながら話すイエルに、ニーナも食事を続けながら 「そのつもり」 と答える。
「でも贅沢は言えないし。
無理なら他の仕事でもいいと思ってる」
住む場所を探すところから始めなければならないことを考えれば、住み込みの仕事が一番都合がいい。
それに領都ウィルライトは初めて来る場所である。
不案内ということを考えても、やはり住み込みの仕事がいい。
だから第一希望は住み込みで出来る側仕えの仕事だが、欠員や増員がなければなかなか募集がかからない職業でもある。
急いで住む場所と仕事を探さなければならないこともあり、他の仕事に就くことも考えているとニーナは話す。
「まぁそれでもいいんだが、とりあえず俺の話を受けてもらえると助かる。
実は隊長にお前が
「隊長さん?
でも兄さんの隊長さんって、確か貴族じゃ……」
「ああ」
「え? ちょっと待って。
まさか貴族のお屋敷に……」
「いや、そうじゃなくて……その、隊長のご家族にも事情があってな」
思いがけない話に驚いたニーナだが、少し言い辛そうに続けられるイエルの話にすぐ合点がいく。
「つまり欠員がないのね」
「まぁ率直に言えばそういうことらしい」
イエルが所属するリンデルト小隊の隊長はアーガンである。
そのアーガンの実家であるリンデルト卿家は下級貴族だが、財政的にはそんじょそこらの中級貴族より裕福である。
なんなら上級貴族並みに裕福だが家の確立の経緯に問題があり、貴族間の摩擦を避けるために質素倹約を心掛けている。
そのため使用人の数も最小限に留めており、側仕えの数も少ない。
この先増やす予定もないということでニーナの入る余地はないのだが、イエルの相談を受けたアーガンから一つの提案を受けたという。
実は元々アーガンは、母のシステアか姉のミラーカの側仕えにニーナを推薦したかったのだが、相談を受けたシステアにあっさり断られてしまった。
だがそのシステアから提案があったのである。
アベリシアの中心であり
その城下の町は大きく、ニーナが働いていたハンナベレナの町と比べて人口も遥かに多い。
当然商人も多く、使用人を雇っている商家も多い。
それ以上に領都ウィルライトには貴族屋敷が多くある。
つまり他の町に比べて側仕えとしての働き口が遥かに多いのである。
もちろん問題もある。
平民には知る由もない貴族社会独特のルールやマナーである。
つまり貴族屋敷で働くにはそれらを学ぶ必要がある。
だが貴族屋敷を視野に入れれば側仕えとして働ける可能性も高くなる。
そこでアーガンの母システアはニーナをリンデルト卿家で預かり、見習いとして自分の側仕えから仕事を覚えてはどうかと提案してくれたのである。
「いいのっ?」
「ただ条件があって、衣食住は保証するが、見習いなので給金は出ない」
「全然問題ないわ。
だって貴族屋敷で働けるようになれば今までより給金も上がるわけだし、そのためにスキルを磨くのは当然のことでしょ?
しかも住むところや食事を保証された状態で仕事を覚えられるなら、そのあいだの給金が出なくても問題はないし」
すっかり乗り気なニーナを見てイエルはホッとする。
「じゃあ話を進めてもらうよ。
さっきも言ったが、来るのが急すぎて、いつからリンデルト卿家でお預かりいただけるかまだ決まってない。
これから戻って隊長と話してみるが、決まるまではここでおとなしく待っていて欲しい」
「そういうことならおとなしくしてるわ」
それこそ旅の疲れもあるから明日の朝はゆっくり寝ることにする……とニーナは笑う。
実際は朝から起きてダラスを手伝っていたのだが、昼頃になって、兄のイエルに伴われてやって来たアーガンを見て驚く。
「ニーナ・エデエです。
兄がお世話になっております」
「ニーナ殿、初めてお目にかかる。
わたしはリンデルト小隊を預かるアーガン・リンデルトだ」
小隊長になったのは昨日今日のことではないが、やはりこういうことには慣れないアーガンの挨拶はぎこちない。
だが頬を赤らめるニーナはそんなことは全く気にしていなかった。
「兄さん……隊長さん、格好いい」
「だろ?」
まるで自分のことのように誇らしげなイエルのおかげで、アーガンはますます居心地の悪さを覚える。
「その、本人を前にそういうことを言うのは……」
「隊長、堂々としていてくださいよ」
「あ、ああ……その、話は兄君から聞いていると思うが……」
イエルが助言をしても落ち着きのないアーガンを見て、ニーナは笑みを浮かべて言う。
「ふつつか者ですが、よろしくお願いいたします」
「いや、こちらこそ、その、色々至らぬことがあると思うが、よろしく頼む」
ニーナの落ち着いた様子にさえ押されがちなアーガン。
そんな二人の様子を見ていてイエルはしみじみと言う。
「隊長なら安心して妹を預けられます。
なんだったら嫁にもらって欲しいくらいです」
「なにを言ってるんだ、お前は。
大事な妹だろう?
俺なんかに……」
「そうよ、兄さん。
隊長さんはお貴族様なんだから、平民なんて相手にしないわよ」
「いや、そういうことではないのだが……」
「隊長は好い男ですよ、それこそ見た目だけの俺なんかよりずっとね。
もちろん越えられない身分差はわかってます。
本当に残念です」
そう言ってイエルは肩をすくめた。
【騎士ガーゼル・シアーズの呟き】
「イエルの妹が隊長を見て格好いいって言ってた?
実際格好いいんだから仕方がないだろう。
妬くとか無駄なことはするなよ、面倒臭ぇなぁ。
イエルを見慣れてりゃ、隊長くらいじゃないともう格好いいなんて思わないんじゃないのか?
そういうところもひっくるめてイエルの妹なんだろうよ」
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