69 魔女の指ぬき (2)

「興が乗っているところに水を差すようだが、そなたたちにも一働きしてもらいたい」

「なんなりと」


 ゆったりと応えるアルフォンソに、他の四人も言葉もなくセイジェルをチラリと見る。


「なに、改まるほどのことではない。

 遣いに行ってもらいたいだけだ」

「どちらへでございましょう?」

「なにをお届けいたしましょう?」

「シルラスまで、ハウゼン卿に 【魔女の指ぬき】 を届けてもらいたい」


 仕事をしながら話していた五人全員が、今度こそ一斉に若い主人を見る。


「シルラスでございますか」

「そう、シルラスの知事邸だ」


 セイジェルの言葉を、独り言のように繰り返しながら思案するアルフォンソ。

 頭の中で白の領地ブランカの地図でも広げているのだろうか。

 つい先程までセイジェルが着ていたシャツを腕に掛けて持っているウルリヒもまた、思案するように呟く。


「【魔女の指ぬき】 でしたらすぐにご用意出来ますが……」

「シルラスとなれば、今夜発って明日帰城というわけには参りませんね」


 すでに夜も更けているが、そんなことは問題ではない。

 領都ウィルライトからシルラスまでの距離を思えば、それこそ明後日になっても、帰城はおろかシルラスの知事邸にも到着出来ない。

 そんなわかりきったことで悩む振りをする二人に、セイジェルは 「ずいぶんと性急だな」 と呆れる。


「わたくしどもは少しでも旦那様のおそばにいたいのです」

「お側を離れるのは淋しゅうございます」

「旦那様は少しも淋しがってくださいませんが」

「恨めしゅうございます」


 流れでアルフォンソとウルリヒの二人と話しているように見えるが、もちろん他の三人も話を聞いているし、セイジェルも五人に対して話しているつもりである。

 口々に言い出す四人に、問題は距離だけではないとセイジェルは穏やかに話す。


「ハウゼン卿は知事邸にとどまっているが、すでに任を解かれ、シルラスには代理知事が赴任している。

 じきに評議会カウンシルの要請で領都ウィルライトに戻る予定だが、その前に届けてもらいたい」


 それを聞いて五人はそれぞれに思案する。

 そして口々に答える。


「旦那様が届けろと仰るならばなんとしてもお届けいたしましょう」

「この時期ですと、評議会カウンシルが開かれるのは収穫祭が終わってから」

「まだ一ヶ月ほどございます。

 時間的なことであれば、我らでなくとも余裕でございましょう」

「ですが評議会カウンシルの要請で帰城というのは穏やかではございません」


 知事の任を解かれる、あるいは任期を終えて領都に戻ってくる貴族は珍しくないが、普通ならば評議会カウンシルに要請されることではない。

 そもそも貴族が居を構える場所に口を挟むはずがない評議会カウンシルが、わざわざ要請するのには理由があるはず……と尋ねてくる五人に、セイジェルは簡潔に答える。


「査問に掛けられる」


 おそらく隠す必要もないのだろう。

 五人も驚く様子を見せない。

 むしろ全員が 「やはり……」 と納得した様子。

 そしてアロンを小馬鹿にするように言い出す。


「ハウゼン卿の査問は、表向きは領民に対する不当な徴税や役人たちの不当解雇などだ」

「表向きでございますか」

「そう、表向きだ」


 念を押し合うように同じ言葉を重ねるヘルツェンとセイジェルに、クレージュが 「それでは実際はどうなのでございましょう?」 と核心に迫る。

 それはあまりにもサラッと流れ出た言葉だったが、返されるセイジェルの話は重かった。

 なんとハウゼンは町の守備隊を含めたシルラスの武器を横流しし、領兵の維持にかかる費用まで横領していたというのである。


 あの日、アプラ・ハウゼンがノエルを連れたアーガンたちと揉めた時に町の守備隊が駆け付けなかったのは、アプラがいたからというだけでなく、守備隊の人数自体が少なく手が足りなかったという事情もあったのかもしれない。

 シルラスの荒野に獣の狩りに領兵が動かなかったことも、あるいは……。


「これはまた、穏やかではありませんね」

「ずいぶん勝手をしていたとは聞いておりましたが、あまりも愚かな」

「当然査問でございますね」

「吊し上げられて当然の所業でございます」


 言いたい放題の四人を、それまで黙っていたヴィッターが肝心なことで締めくくる。


「つまりハウゼン卿の身柄は貴族院に抑えられているのですね」


 セイジェルは 「とどまっている」 という言葉を使ったが、実際は軟禁状態ということだろう。

 他の四人もすぐに 「なるほど」 とわざとらしく頷く。

 そして改めてアルフォンソが口を開く。


「そうなりますと、身辺警護の名目で武官が派遣されておりますね」


 アロンが軟禁状態を、おとなしく受け入れようと拒絶しようと関係ない。

 確実に評議会カウンシルの査問に掛けるために身柄を抑える。

 そのために武官が派遣されるのは当然だろう。

 上辺は貴族院から派遣された代理知事の護衛という名目だろうが、実際のところはアロン・ハウゼンの監視役というわけである。

 だが事はそれだけでは終わらない。


「通常ですと、武官とともに魔術師も派遣されるはずですが、いかがでしょう」


 もちろん貴族院から派遣された代理知事の護衛、あるいは領都ウィルライトとの連絡係という名目である。

 アロン・ハウゼンが魔術師でないことは周知の事実であるため、派遣された代理知事自身が魔術師であればただの連絡係は必要ない。

 その程度のことは自分で出来るからである。

 領都との連絡はもちろん、それなりの魔術師ならば自分の身を守ることも出来る。

 よって武官しか派遣されないこともあるが、今回はどうなのか?……と尋ねるヴィッターに、セイジェルは表情を変えることなく淡々と答える。


「騎士団、魔術師団、それぞれから派遣している」


 騎士団も魔術師団も領主の命で動くもの。

 つまり貴族院の要請を受け、領主が派遣を了承したということである。

 もちろん派遣する騎士を決めるのは騎士団団長であり、魔術師を決めるのは魔術師団師団長である。

 派遣の決定以上に領主が口を挟むことはないが、つい先日セルジュの護衛にアーガンを指名したように、稀に口を挟むことがある。


 だがアルフォンソたちにとって誰が派遣されていようと関係ない。

 必要な情報はアロン・ハウゼンは武官と魔術師によって護衛されている、その事実だけである。


「難しいか?」


 尋ねるセイジェルにアルフォンソが楽しそうに答える。


「手段を選ばなければ」


 楽しげなアルフォンソを見ればろくなことを考えていないことが丸わかりである。

 元々隠すつもりなどないわけだが、当然主人のセイジェルもそんな彼らの性格をわかっていての主従関係である。

 怒ることもなければ声を荒らげることもなく、淡々と返す。


「穏便に、速やかに」


 主人の要求リクエストに、アルフォンソも薄く笑みを浮かべながら答える。


「そういうことであれば二人、しばしお側を離れてもよろしいでしょうか」

「問題ない」


 あまりにも素っ気なく即決するセイジェルだが、アルフォンソの方には未練があるらしい。


「よろしいのですか?

 姫の件がまだ落ち着いておりませんが」

「かまわない。

 セルジュの話では……そういえば聞いていたのだったな」


 自ら盗み聞きしていたことをバラしたアルフォンソたちは 「まぁ」 と、揃いも揃って曖昧な笑みを浮かべる。

 もちろん少しも悪いとは思っていないし、セイジェルもそのことはわかっている。


「その件はいずれ仕置きだ」


 セイジェルはそう言うと、一呼吸ほどの間を置いて言葉を継ぐ。


「ハルバルト卿はわたしの手にノワールがあることを知っている。

 どう使うつもりか、探りつつ様子を見ているところだろう。

 慎重な方だからな。

 ならば今は仕掛けてこぬ」


 だから問題はないとセイジェルは言う。


「なるほど」

「ですがそういうことであれば、いっそ領都ウィルライトまで引っ立てて恥をかかせたらよろしいのでは?」

「恥をかいたところで改心の余地はないと思われますが」

「わざわざ我らが出向くまでもないと思います」


 口々に言い合ってクスクス笑うアルフォンソたちだが、セイジェルはそれが面白くないと言う。


「査問の場に引っ立てたところで馴れ合いで終わるのがわかっている。

 理由はわからないが、ハルバルト卿はハウゼン卿を切り捨てているとは言っても、評議会カウンシルなどおおやけの場で露骨に無下には出来まい」


 セイジェルの話にヘルツェンが 「確かに」 と応えると、またぞろ他の三人が続く。


「さすがのハルバルト卿も、たいした罪に問われぬ程度には庇い立てするでしょうね」

「他の貴族たちの目もございますし」

「配下を使い捨てにすると思われては今後がやりにくくなるでしょうし」


 五人の中では口数の少ないヴィッターだが、他の四人が言い終えたところで話の方向を転換してくる。


「ですが状況的に、ハウゼン卿がシルラスで死ねばハルバルト卿が疑われるのではございませんか?」


 すると今度はウルリヒが 「なるほど」 と応え、またぞろ他の三人と一緒になって言い出す。


「つまり旦那様はハルバルト卿に濡れ衣をお着せになるつもりですね」

「相変わらずお人が悪い」

「本当に旦那様はハルバルト卿がお嫌いでいらっしゃる」

「心底お嫌いでございますね」

「八つ当たりで殺されるハウゼン卿もお気の毒に」


 少しも気の毒に思っていないことが一目でわかるほど楽しそうな四人に責められるセイジェルだが、薄く笑みを浮かべて返す。


「わたしにはハウゼン卿を殺す理由がないからな。

 ハウゼン卿が死ねば、疑いの目がハルバルト卿に向くのは避けられぬ。

 あんなうつけを知事に据え、民を苦しめた責ぐらいは取ってもらってもいいだろう。

 真偽はわからずとも、疑いの目を向けられれば当面はおとなしくせざるを得まい。

 収穫祭が終われば新緑節までは目立った話題もない。

 そのあいだハルバルト卿がおとなしくしていてくれればいい。

 クラウス殿の籍をクラカラインに戻し、あれ・・の出生を記録する」


 ゆっくりとだが、少し長い話をするセイジェルにクレージュが気の抜けた表情で返す。


「……そういえばその件がございましたね」

「なるほど、しばらくのあいだハルバルト卿を牽制なさりたいわけですか」

「少し意外でございますね」

「さすがの旦那様も、今回ばかりはハウゼン卿の使い道を見誤られたかと思ったのですが」

「まったく残念でございます」

「なにが残念かわからないが、行くのか、行かぬのか?」


 五人を相手に話すセイジェルはすわった椅子に頬杖をつき、ずっと虚空に向かって話していたのだが、小さく息を吐きつつも変わらず虚空を眺めたまま話す。


「十日ほど二人、お側を離れます」


 遠くシルラスまで 【魔女の指ぬき】 を届けるお遣いに誰が行くのか。

 すでに決まっているのか、これから決めるのかはわからないが、セイジェルはただ 「わかった」 とだけ答える。

 するとまたぞろアルフォンソたちは騒ぎ出す。


「少しは淋しがって頂きたいものです」

「まったく」

「わたくしたちはこんなにも淋しいというのに」

「相変わらず連れない御方です」

「……無事に戻ってきなさい」


 まるで感情のこもらない声で言ったセイジェルは一度言葉を切り、やはり感情のこもらない声で 「これでいいか?」 などと言う。

 さらには思い出したように言葉を継ぐ。


「今シルラスの荒野には、リンデルト卿率いる討伐隊が展開している。

 そちらにも気をつけるように」

「わたくしたちの身は案じてくださらないのですね」

「今のところ白の領地ブランカに脅威となる魔物の発生はない。

 広い荒野だから今回の討伐隊は大規模となっただけだ。

 そなたたちを脅かせるほどの魔物が易く出現するとでも思っているのか」

「本当に連れなくていらっしゃる」

「冷たいことを仰る」

「信頼のあかしとでも思えばよかろう」

「ものは考えようでございますか」

「実際は少しの信頼もありませぬのに」

「折角ですので旦那様に代わり、リンデルト卿にご挨拶でもして参りましょうか?」


 いつもどおり軽口でふざけていた五人だが、なにげなくヘルツェンが口にした言葉にセイジェルが反応する。

 代わらず椅子の肘掛けに頬杖をつき、誰にともなく話し掛けるような姿のまま、だが声だけを低くして 「ヘルツェン」 と呼ぶ。

 そして返事を待たずに言葉を継ぐ。


「師は騎士としてはもちろん、赤の魔術師としても優れた御方。

 そなたたちであっても、たった二人では無事には済まぬ」

「おや、珍しくわたくしたちの身を案じてくださいますか?」

「案じるものか。

 無事に戻った暁にはわたしがそなたたちを始末する。

 その覚悟で戻るのだな」

「これはうっかりでしたね、ヘルツェン」

「旦那様の手にかかるならばそれも本望でございます」

「羨ましいことです」

「わたくしも、死す時は旦那様の手にかかりとうございます」

「是非ともわたくしも」


 いつものこととはいえ、ウザ絡みが過ぎたのだろう。

 どこまでも口の減らない五人に、ついにセイジェルは 「面倒臭い」 と言い放つ。


「もう一度言う。

 遣いは穏便に、速やかに。

 道草など食っている暇はないと思え」


 領都ウィルライトから遥かシルラスまで、獣や魔物が徘徊する荒野を越え、さらには身辺警護という名目で派遣された騎士や魔術師に気づかれることなく軟禁されているハウゼン卿アロンに 【魔女の指ぬき】 を届けること。

 そして速やかに帰城すること。


「行くのか、行かぬのか?」


 肝心の返事をしていないことをいまさらながら思い出さされた五人は、やはりわざとらしく 「そうでございました!」 などと口々に言い出す。

 そして五人はそれぞれに美しく整った顔に笑みを浮かべて答える。


「早速支度に取りかかろうと存じます」

「速やかに、穏便に」

「必ずやお役目を果たしましょう」

「疾くお側に戻ります」

「我ら五人、旦那様の御心のままに」


 そんな五人にセイジェルも答える。


「頼んだぞ、わたしの魔術師たちよ」



【ラクロワ卿夫人エルデリアの呟き】

「相変わらず兄上兄上と……いつまで子どものようなことを言っているのですか、ルクスはっ!

 自分が頼りないからエセルスが中央宮に行くことになったというのに、セイジェルやセルジュのせいにするなどみっともない!

 今からでもシルラスへ行って、リンデルト卿に鍛え直してもらいなさい!!」

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