68 魔女の指ぬき (1)

 じきに白の季節も二番目の月が終わるこの頃は、白の領地ブランカは収穫期の真っ只中。

 一足先に収穫期を終える北も、北に比べて収穫期が長い南も、一年で一番の繁忙期である。

 もちろん忙しいのは領民だけではない。

 知事を務める貴族も務めない貴族ももちろん領主も忙しく、例年なら公邸に泊まり込んでクラカライン屋敷に帰ってくることはない。

 そんな忙しいはずのセイジェルがわざわざ帰邸したのは、もちろんノエルのことがあったからである。


 この日はいつもの時間に朝食を終えたがノエルの件で予想していた以上に時間を取られてしまい、執務の開始時間がいつもよりずいぶん遅かったのだが、いつもと同じ時間に切り上げて屋敷に戻る。

 昼間にノエルのことを知らせに来たマディンに、今日の夜は屋敷に戻ることは知らせてあり、着いた食卓には温かい夕食が用意されていた。


 だが同じテーブルにセルジュまでが着いていたのは少し意外だったしい。

 当たり前のようにセルジュの隣にすわっているミラーカに興味はなかったが、配膳を待つあいだ、少し疲れた顔をしているセルジュの様子を無言で眺める。

 少ししてそんなセイジェルの視線に気づいたセルジュが口を開く。


「なにか?」

「いや、屋敷こちらに戻ってくるとは思わなかった」


 昼間は同じ公邸内で執務をしているとはいえ、領主のセイジェルと上席執政官のセルジュは別に執務室を構えている。

 二つの執務室のあいだを事務官などが行き来することはあるが、二人が直接顔を合わせることはあまりない。

 当然その日屋敷に戻るかどうかなど互いに話すこともない。


 そもそもセルジュの家はアスウェル卿邸である。

 だが執務が忙しくアスウェル卿邸に戻るのが面倒で、かといって公邸の宿泊用の部屋を使うのは、雑務を担当する女官に部屋の用意などで手間を掛ける。

 そんなことを言って勝手にクラカライン屋敷に住み着いているのである。

 それに今日はリンデルト卿邸からミラーカ宛ての荷物が、なぜかセルジュに届けられた。

 それらをミラーカに渡すついでに、他に必要な物はないか訊いておこうと思って帰ってきたという。


 クラカライン屋敷に


「相変わらず仲のよいことで結構だ。

 わたしのことなど気にせずさっさと結婚したらどうだ」

「余計なお世話だ」

「そうですわ、余計なお世話です」


 セルジュとミラーカ、従兄弟同士のこの二人が婚約したのは子どもの頃。

 それが未だ婚約関係のままで婚姻にいたっていない原因がセイジェルにあるとなれば、二人から 「余計なお世話」 と言われても仕方がないだろう。

 もちろんセイジェル自身もわかっているから、口を揃える二人に薄く笑みを浮かべて返す。


「それももうしばらくのことだ」


 意味のわからないミラーカは 「閣下?」 と怪訝な顔をしたが、セルジュは露骨に溜息を吐いてみせる。


「……お前の気が知れん」

「わたしなりに、その時々で最善の選択をしているつもりだ。

 もちろん結果として最善とならない場合もあるが、未来など誰にもわからない。

 ならばその時に最善と思える選択をするしかない。

 領主などそういうものだ」

「お前の意志はどこにある?」

「そなたにしては珍しいことを言う」


 少しだけ笑みを深めたセイジェルは、セルジュの隣にすわるミラーカを一瞥してから言葉を継ぐ。


「アーガンやそれ・・に感化されたか?

 らしくないことを言うものではない、足下をすくわれるぞ」


 すぐにセルジュは 「それは……」 と言い掛けるが、無視したセイジェルが両手を胸の前で組むのを見て、諦めたように口を閉じ、同じように両手を胸の前で組む。

 その隣ではミラーカも同じように両手を組んでいる。


「……日々の糧を恵みたまふ光と風に感謝を」


 ノエルがいないので声を掛ける必要がなく、祈りを終えた三人はそれぞれのタイミングで食事を始める。

 そのノエルが食事の席にいないことをセルジュが訊かないのは、ノエルに興味がないことはもちろんだが、セイジェルより先に席に着いていたから、おそらくミラーカから聞いて知っていたのだろう。

 大人だけの食事は静かに進み、食後は、セルジュはミラーカに話があると言って二人で退席。

 一人残ったセイジェルは書斎で書き物をしていたが、いつもより少し早い時間に寝室に引き上げる。


「医師はなんと?」


 着替えなど、いつものようにセイジェルの就寝準備を手伝っていたアルフォンソたち五人の側仕えは、唐突に切り出される主人の言葉に仕事の手を止めることはない。

 だが返事はする。

 応えたのは一番近くにいたウルリヒである。


「そうでございますね、手の施しようがないといった感じでございました」


 彼は手にしていたガウンを主人の肩に掛けながら話す。

 対するセイジェルは袖を通しながら小さく息を吐く。


「そなたたちの感想などどうでもよい」

「おや、違いましたか。

 てっきりわたくしどもの見立てを訊いておられるのかと思いましたが……」

「実際に手の施しようもないでしょう」


 ウルリヒの言葉を遮り、日頃口数の少ないヴィッターが割り込む。


「ヴィッター、同じことを言わせたいのか?」

「処方したのは眠り薬と熱冷まし、それに滋養の丸薬ぐらいのものでございます。

 それもお体が小さすぎて、熱冷ましと眠り薬の量を計りかねていたようでございました」


 あまりにもノエルが痩せすぎていたため、眠り薬と熱冷ましはごく少量。

 症状自体はただの風邪なので、咳や鼻水など他の症状がなければとにかく熱を下げる。

 熱が下がらなくても食欲があるなら消化のよいものを与え、食後の丸薬を飲ませる。

 あまりにも痩せすぎているため、熱が下がっても当面は安静に……という診断を下すのに、クリストフはずいぶんと悩んだらしい。

 その様子の一部始終を、ヴィッターは寝室と居室を隔てるカーテンの側で見ていた。


「わたくしたちとあまり歳の変わらぬ医師ではございましたが……まぁよろしいのでございませんか?」

「含んだ言い方だな」

「姫を見た瞬間の医師の顔を、是非とも旦那様にもご覧いただきたかったものです」

「そんなに見物だったのか?」


 ヴィッターは 「ええ」 と応えつつ寝台の支度を続ける。


「それなりに人の死を見れば、一目でもう助からぬ者はわかるのでしょう。

 そういう顔をしておりました」

「あれはもう助からぬか」


 そう言ったセイジェルが寝台近くの椅子に腰を下ろすと、アルフォンソが背後に立ってその髪にブラシを掛ける。


「誰が見ても疑いようはないでしょう。

 アルフォンソやウルリヒは鶏ガラなどとからかっておりましたが、そんなものではございません。

 骨に皮が付いているだけではございませんか。

 自分の足で立って動いているのが不思議なくらいでございます」

「生きているのが不思議……いや、おかしいというのがそなたら(・)の見立てか」

「誰が見ても」


 珍しくヴィッターがよく喋るので遠慮していたのか、ようやくのことでウルリヒが再び口を開くと、それにアルフォンソが続く。


「生家では水汲みや掃除洗濯などをしていたということですが、正直、信じられません」

「盗み聞きは感心しない」


 アルフォンソ自身か、あるいは他の四人の誰かが、セルジュとアーガンがセイジェルにしていた報告をどこかに潜んで盗み聞きしていたらしい。

 だが彼らは主人に咎められても反省する様子はない。


「旦那様が隠しごとをなさるからでございます」

「本当に、我らに隠しごとなどお寂しいことをなさる」

「わざわざ話して聞かせることでもあるまい」

「冷たいことを仰る」

「それにしても、折角手に入れられた駒……失礼いたしました。

 わざわざお手元に呼び寄せられたというのに、少しも残念がっておられぬご様子」

「人は生まれた瞬間に死を運命づけられる。

 人に限らず、生命というものは必ず死ぬのだ」


 ここでヘルツェンが口を開く。


「ひょっとしてですが、旦那様、まだわたくしたちに隠しごとをしておられるのではございませんか?」


 するとセイジェルは 「ほう」 と感嘆のような声を出す。


「面白いことを言う」

「姫が死ぬと聞いても少しも残念がられないのはともかく、そんな気がいたしまして」

「あれが死ぬ……そうか、そなたたちはそう思うか」


 少し顔を上げたセイジェルは考え込むように目を閉じる。

 すると今度はクレージュが口を開く。


「まるで旦那様は、姫が死ぬとは思っておられぬご様子。

 やはりわたくしたちにまだ隠しごとがございますね」


 するとアルフォンソたちが、またぞろ 「冷たい」 だの 「淋しい」 などと言い出すのをセイジェルは目を閉じたまま知らん顔をする。


「そう、あれは死なぬ」

「それはいったいどんな絡繰からくりでございますか?」

「ヴィッターはあれを殺したいようだな」

「わたくしは現実的に考えているに過ぎません」

「絡繰りなどない。

 ないが……わたしの推測が正しければあれは黒の聖女オブシディアン

 本来の円環の聖女、いや由緒正しき円環の聖女と言うべきか」

「円環の聖女と円環の聖女は別のもの、そういうことでございますか」


 ウルリヒに続いてヘルツェンが 「面白いことを仰る」 と笑う。

 だが五人全員がセイジェルの話に興味を持ったようだ。


「確かに、円環の聖女にはそれぞれ宝石の呼び名が付いておりますね」

「白の聖女は水晶クアルソ、赤の聖女は紅玉ルビ、青の聖女は藍玉サフィーロ、緑の聖女は翠玉エスメラルダ

黒曜石オブシディアンは黒の聖女、確かに見事な黒髪をしておられますね」

「ですがそうなりますと姫は魔術師ということになりますが、黒の魔力というのはどういったものになりましょう?」

「様々な色を混ぜると最終的には黒になると申しますが、加護が混ざるならば領地境りょうちざかいに反発は起らないはず」

「興味深いお話でございますね」

「お元気になられたら色々と観察してみたい」


 彼らのことだ、決して見るだけではすまないだろう。

 だからセイジェルに 「見るだけだ」 と釘を刺されてしまう。


「どんな魔術師であっても、どれほど膨大な魔力を有していても、使い方を知らなければ意味がない。

 おそらくは生き延びるために無意識でしているのだろうが、出鱈目すぎてわたしにも見当がつかないのが正直なところ。

 近く神殿に言って大叔父上ヴィルマールを探していただこう」

「ヴィルマール様?

 相変わらず所在不明でございますか」

「けっこなお歳でいらっしゃるはずですが、お変わりないようでなによりでございます」


 現在のクラカライン家の直系には、男系男子が三人いる。

 一人はセイジェルであり、もう一人はその父ユリウス。

 そして残る三人目が、先々代領主ヴィルールの弟に当たるヴィルマール・クラカラインである。

 兄である先々代領主ヴィルールの時代はともかく、甥のユリウスが領主を務める頃には表舞台から姿を消して久しく、クラカライン家ですらその所在を把握していない。

 それこそ 「お変わりない」 かどうかもわからない。

 神官として所属している神殿ですら時に所在を見失うほどの隠遁ぶりで、存在そのものを綺麗さっぱり忘れている貴族もいるほどである。


 セイジェルは 「オブシディアン」 という言葉を祖父ヴィルールから聞いたが、ヴィルールは弟のヴィルマールから聞いたと思われる。

 魔術師ではなかったヴィルールは、魔術師の家系であるクラカライン家の当主として魔術の基本知識は持っていたがそれ以上はなく、おそらく 「オブシディアン」 にもさほど興味を示さなかったのだろう。


 だが兄弟三人の中で唯一の魔術師であったヴィルマールは第二公子という立場もあり、政治からは完全に距離を置き、魔術師として研鑽と研究に邁進する人生を歩んでいる。

 そんな彼ならもう少し詳しいことを知っているかもしれないと考えたセイジェルだが、領主の権限で召喚しようにも、どこにいるのかがわからなければ使者を遣わすことも出来ないというわけである。


「是非わたくしたちにもお聞かせくださいませ」


 それこそ同席させてもらえないならまた盗み聞きしますけど……と笑うアルフォンソに、他の四人もひっそりと笑みを浮かべる。

 これに対してセイジェルはヴィルマール次第としか答えなかった。


「楽しみでございます」

「ええ、とても」


 セイジェルがヴィルマールを召喚しようとしているのは黒の聖女(オブシディアン)について少しでも詳しく知りたいからだが、肝心のノエルが死にかけていることなんてすっかり忘れてはしゃぐ彼らにセイジェルは言う。


「興が乗っているところに水を差すようだが、そなたたちにも一働きしてもらいたい」

「なんなりと」


 一瞬で態度を改めて応えるアルフォンソに、他の四人も言葉なく態度を一変させる。


「なに、改まるほどのことではない。

 遣いに行ってもらいたいだけだ」

「どちらへでございましょう?」

「なにをお届けいたしましょう?」

「シルラスまで、ハウゼン卿に 【魔女の指ぬき】 を届けてもらいたい」



【ニーナ・エデエの呟き】


「兄さんから返事が……わたしも領都に?

 そりゃ兄さんの近くにいられるならわたしも安心だけど、でもこれって……いったいどういう意味かしら?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る