60 養育係 (2)

「セイジェルさま、ノエルのおとうさん」


 ノエルの実父クラウス・ハウゼン改めクラウス・クラカラインに代わり、新たにセイジェルがノエルの父親になる。

 後見の意味をそう解釈したノエルの言葉に室内の空気が凍りつく。


 さすがにマディンは表情を変えなかったし、言われたセイジェル自身も表情を変えなかった。

 どう反応していいかわからないミラーカは表情を強ばらせ、その隣でセルジュは露骨に呆れている。

 もちろんノエルも自分の言葉を不思議に思っているらしく、ぼんやりとした表情のまま首を傾げている。

 そんななんとも言えない微妙な空気が室内に流れる。


 最初にその流れを断ち切ったのはアルフォンソである。

 もちろんすぐに、ではない。

 主人たちのあいだを十分すぎるほど微妙な空気が流れるのを待ってから。

 これは彼らの忠誠が非常に歪んでいるためである。


「ウルリヒ、聞きましたか?」

「ええ、姫君は旦那様のお子なのだとか」

「姫君は九つと聞いておりますから、旦那様が十二歳の時にお作りになったお子ということですか。

 油断も隙もございません」

「まったく、わたくしたちというものがありながら」


 そう言って二人揃ってクスクス笑いだすのを、閉じられた扉近くに立つマディンが低く咎める。


「お前たち」

「これはお客様の前でとんだ失礼を」

「申し訳ございません」


 どこまでも反省の見られない二人だが、彼らの一番の理解者である主人はそれを咎めることをしない。

 だが二人の話を聞いて表情を強ばらせるミラーカに気がつくと、彼女がなにか言うよりも先に口を開く。


「そなたの父はクラウス殿だ。

 わたしはそなたの父ではないし、父親になるつもりもない。

 だがそなたはまだ幼く、親に代わる存在が必要だ」

「ごはん、たべられない」


 持っている語彙が少なく表現は拙いが、ノエルなりに理解は出来ている。

 そう判断したセイジェルは続ける。


「当面、わたしがその親代わりをする。

 外出などの制限はするが、屋敷内では自由に過ごしていい。

 必要な物は全て用意する。

 欲しい物があれば贖おう。

 もちろん食事も与える。

 だがわたしの命令は絶対だ。

 これだけは守りなさい」


 セイジェルなりにわかりやすく言葉を砕き、聞き取りやすくゆっくり話したつもりである。

 けれどそれでもやはりノエルには少し難しかったのかもしれない。

 ぼんやりとした顔をしながらも必死に考えていたのだろう。

 やがてポツリ、ポツリと話す。


「セイジェルさま、ノエルのおとうさん、ちがう。

 でも……わからない」


 今度はその言葉の意味をセイジェルが考える。

 そして確認するように話す。


「わたしが親代わりということは理解出来たが、他はわからないというところか」

「アーガンもそうだったが、よくこれ・・の言葉が理解出来るな」


 呆れ半分、驚き半分のセルジュ。

 すると隣にすわるミラーカが不思議そうな顔をする。


「なんとなくですけれど、わたくしにも理解出来ましてよ。

 そもそもセルジュは姫様とお話ししようと思っていないのですから、理解出来なくても当然ではなくて?」


 そんなミラーカに、今度は向かいにすわるセイジェルが言う。


「珍しいな、そなたと意見が合うとは」

「あら嫌ですわ、閣下と考えが同じだなんて。

 たいそれたことですわ」

「久しぶりに会ったというのに、本当によく喋るところは変わっていない。

 そなたがわたしを嫌っていることはわかっているが、これ・・は苛めてくれるな」

「むしろ閣下からお守りせねばと思っておりましてよ」


 表情を引き締めて挑むような目を向けるミラーカに、セイジェルは 「頼もしいことだ」 と薄く笑みを浮かべる。


それ・・が相手をしていれば、すぐに言葉は覚えるだろう。

 年相応かはわからないが、思考する能力や理解する能力は持っている。

 屋敷での生活が落ち着けば、予定どおりに読み書きを習わせていいだろう。

 神殿からルクスを寄越させる」


 変わらず扉近くで直立不動を維持していたマディンが少しばかり頭を下げ 「かしこまりました」 と答えるの対し、セルジュはあまりいい顔をしない。


「神殿に手を回すなら、父上にお願いして別の者を用意してもらったほうがよくないか?

 よりによってルクスを呼ぶのは……」


 セルジュの父アスウェル卿ノイエは、この領都にある大神殿の神官長である。

 息子の立場を使ってセルジュが頼んでもいいし、セイジェルがクラカライン家の権限を使ってもいい。

 どちらでもいいので、とりあえずルクス・ラクロワはやめたほうがいいとセルジュは言うが、セイジェルにはセイジェルの考えがある。


「言ったはずだ、叔母上にはまだこれ・・のことは内密にと。

 当然叔父上にも、だ」

「それはわかっているが、ルクスは……」

「ルクスさま……」


 セイジェルとセルジュ、二人の話を聞いていたノエルがポツリと呟く。

 最後まで言葉には出さないが、誰? と問い掛ける目に気づいたセイジェルが話す。


「そなたの父には兄が二人、姉が二人いる。

 兄の一人はわたしの父ユリウスで、もう一人の兄……といってもそなたの父とは双子の兄弟だ。

 マリウスと仰るのだが、この方はもう亡くなっておられる。

 そして二人いる姉の一人がセルジュの母マリエラ。

 もう一人の姉がエルデリアと仰って、マリエラの姉でもある。

 ルクスはエルデリアの、二人いる息子の一人。

 つまりセルジュと同じ、わたしたちの従兄弟だ」

「いとこ……わかった」


 ノエルの返事を聞き、よろしいと言わんばかりに小さく頷いたセイジェルは続ける。


それ・・はアーガンと同じくセルジュの従妹にあたるわけだが、今日からそなたの養育係を務める」

「よういくかかり……わからない」


 きっとノエルには初めて聞く言葉だったに違いない。

 そしてこの時になってようやくセイジェルも気がつく。

 ノエルにとって 「側仕え」 も初めて聞く言葉だったに違いない、と……。

 そうすると見えてくることやわかってくることがある。


(なるほど、そういうことか)


 なんとなく見えた昨日の状況に、思わず溜め息が漏れる。

 だが今はノエルに説明することが先である。

 少し考えながら、ノエルに伝わるように努めてゆっくりと話す


「養育係とは……そうだな、わたしはそなたの親代わりだが、領主としての役目があっていつも一緒にはいてやれない。

 代わりにそなたの側にいてくれるのがそれ・・だ」

「先程からそれそれと、本当に失礼ですこと。

 ミラーカですわ、閣下。

 わたくしの名前を覚えられないほど耄碌もうろくなさるなんて、お気の毒ですこと。

 さっさとくたばりあそばせ」


 領主に対して、面と向かって 「さっさとくたばれ」 などと言える者はまずいないだろう。

 いないはずだが、言ってのけるのがミラーカ・リンデルトである。

 もちろんその首が飛ばないのは、彼女の母親がアスウェル卿家出身の令嬢であり、となりにそのアスウェル卿家の嗣子がいるからである。

 ここに顔を揃えているのが、使用人以外が皆親族というのもあるだろう。

 そしてその悪態を茶化してもアルフォンソたちの首が飛ばないのは、彼らが領主の愛人だからだろう。


「旦那様もおいたわしい」

「まったくです、こんな小娘に耄碌扱いされるとは」


 セルジュはまた始まった……とばかりに匙を投げるが、小娘呼ばわりされたミラーカは腹を立てる。

 見た目はともかく実際は二十歳のミラーカだが、見た目も実際も彼女より歳上のアルフォンソたち。


 主人であるセイジェルと上役であるマディン以外に彼らの年齢を知る者はいないのだが、せいぜい最年長でも三十歳ぐらい。

 だがセイジェルより歳下はいないということはセルジュも知っているから、五人とも二十一歳以上。

 つまりミラーカより歳上で間違いないのだが、小娘呼ばわりされるほどの差ではない。


 そして領主に対して 「さっさとくたばれ」 などと暴言を吐く彼女が、側仕えを相手に容赦するはずもなかった。


「そなたたちも一緒にくたばればよろしいのです。

 愛しいご主人様と一緒に逝けるのであれば本望でしょう」

「またずいぶん横暴なことを仰る」

「残念ながら、わたくしたちと旦那様の契約はそういうものではございませんので」

「むしろ旦那様が亡くなればわたくしたちは自由の身」

「その時は、ご令嬢にはくれぐれもお気をつけあそばせ」

「ずいぶん親切なことを言うではないか、アルフォンソ。

 ウルリヒも」


 不意に割り込むセイジェルにアルフォンソは楽しそうに答える。


「どうせ忠告申し上げても意味はないのです」

も術も、我らの一人にも遠く及ばぬ小娘。

 せいぜい苦しまぬように仕留めてやるのがせめてもの情けでしょう」

「情け?

 そなたたちの口から聞くと、これ以上の違和感はないくらいの言葉だな、ウルリヒ、アルフォンソ」

「旦那様こそ、我らに真実、情けなどというものがあるとは思っていらっしゃらぬくせに」

「そうだな」


 お互いに言いたいことを言い合ってふふふ……と妖しげに笑う主従。

 体を小さくしてすわっているノエルは意味がわからずぼんやりとしていたが、愛らしい顔で 「くたばれ」 と吐き出したばかりか、さらには 「このクソッたれどもが」 と自分よりも歳上で体格もいい男三人を相手に吐き捨てたミラーカに話し掛けられる。


「姫様、物騒な話に耳を貸してはなりませんわ」

「自分から振っておいて、どこまでも勝手なことを……」

「閣下はお黙りあそばせ!」


 多少は自覚があるらしいミラーカは隣のセイジェルに向かってぴしゃりと言うと、すぐさまノエルに向き直りつつ膝を進めてノエルの前に跪く。

 そして見上げるようにゆっくりと話す。


「姫様はアーガンが大好きなのですね。

 きっと今頃はくしゃみが止まらなくなってますわ」

「くしゃみ……」

「ええ、騎士団で」

「アーガンさま、きし」

「ええ、アーガンは騎士ですわ。

 騎士団に戻ってお勤めに励んでいる頃かと」

「……アーガンさま、おしごと……ノエルもみず、くむ」

「水汲みはしなくていいんですよ」

「おそうじ……」

「お掃除もしなくて大丈夫です」

「……おせんたく……」

「お洗濯もしなくてよろしくてよ」


 すると一度は引っ込み掛けた涙が、ノルの大きな目にまたこぼれそうなほど溢れてくるのを見てミラーカは慌てる。


「ひ、姫様?

 どうかなさいまして?」

「……ご……はん、たべ……ない」


 具合が悪くて水汲みや掃除、洗濯が出来ないとノエルの母エビラは機嫌が悪くなり、必ずノエルの食事を抜く。

 セイジェルはここがノエルの新しい家だと言ったから、ここでも水汲みや洗濯などをしなければ食事を抜かれると思ったのである。


 ノエルはいつも辛くて怖い時は泣きそうになるけれど、泣くとエビラに怒鳴られる。

 機嫌が悪い時はすぐに手も出してくる。

 酷い時は蹴られもする。

 それがノエルは怖くて怖くて、溢れる涙をこぼさないように堪える。

 そうすると、ただでさえたどたどしい言葉が余計に聞き取りにくくなる。


「ごはん? お食事ですか?

 先程召し上がったばかりだと閣下が……」


 不本意ながらも助けを求めるように隣のセイジェルを見るが、先程の仕返しでもしようというのか。

 困惑も露わに自分を見るミラーカを黙って見返すだけ。

 即座に頼る相手を間違えたことに気づいたミラーカは、八つ当たりよろしく怒りの形相でセルジュを振り返る。

 そしてイヤイヤながらの説明を聞いて涙の理由を知る。


「なんて酷いこと!

 大丈夫ですわ、姫様は可愛らしく着飾っているだけで食事を頂けますのよ。

 毎日美味しい食事をいただいて、温かくしてお休みくださいませ。

 わたくしが、それはそれは愛らしくして差し上げますわ。

 そうそう! アーガンにも見せびらかしましょう」

「アーガンさま、こない」

「今すぐには来られませんわ。

 申し上げましたでしょ? 弟には騎士としてのお勤めがございますから。

 そのうち閣下のお許しをいただいて呼びつけましょう」


 昨日、セルジュとともにリンデルト卿邸に戻ったアーガンは、姉のミラーカと面会。

 ノエルの養育係にというセイジェルの要請を伝えるとすぐにでも騎士団に帰投するつもりだったが、父フラスグアの不在で暇を持て余していた母システアが、アーガン、セルジュ、ミラーカだけの内密の話にヘソを曲げてしまい機嫌を取るためやむなく一泊することになった。

 今朝、慌ただしく支度を整えたミラーカを伴って屋敷を出ると、セルジュにエスコートを引き継いだあと騎士団に帰投した。

 そのあとは留守を預かっていた副長のガーゼル・シアーズと会って話し、おそらく今頃は隊舎にある団長室で団長と、帰ってこないセスのことを話し合っているはず。


 もちろんセイジェルが呼び出せばすぐにでも来る。

 けれど今は、それこそミラーカのお手並み拝見とばかりにセイジェルは静観を決め込んでいる。


「アーガンさま、くる」

「ええ、今すぐには無理ですけれど。

 代わりにわたくしが、ずっと姫様のおそばにおりますわ。

 ですからお泣きにならないで、ね?」

「ミラーカさま、こわくない……」

「わたくしのことはミラーカとお呼びくださいまし。

 もちろんアーガンのことも。

 ついでにセルジュのことも、姫様は様付けしなくてよろしいのですよ。

 閣下のことも呼び捨てで全然大丈夫でございます。

 なにしろ姫様は、この白の領地ブランカではとってもご身分が高いのですから」


 ミラーカとノエルの話……と言っても、もっぱら喋っているのはミラーカだが、それを黙って聞いていたセイジェルとセルジュ。

 同い年の従兄弟二人だが、十二歳も歳下の従妹に呼び捨てされるのがやや不本意なセルジュに対し、セイジェルは 「好きにしなさい」 と寛容に答える。

 そのセイジェルを 「それにしても閣下」 と言葉を継いだミラーカがギロリと睨む。


「これはいったいどういうことでございましょう?」

「なんの話だ?」

「なんのではございません!

 こんなに御髪が乱れたまま、ご衣装だって……これは男児のものではございませんかっ?」

「ああ、そのことか……」


 すっかり忘れていた……と言わんばかりだがどこかわざとらしいセイジェルは、せっかくヴィッターが整えてくれた髪をさりげなく掻き乱す。


「心なしお体が冷たいような……と思ったら裸足ではございませんか!

 なんだか御髪や服も臭いますし……」


 とにかく酷い有様だというミラーカは、それら全てをセイジェルのせいにして責め立てる。

 だがセイジェルにとっては予定調和の流れであり、ミラーカのほうから切り出してくれたのも丁度よかった。


「とりあえず湯を用意させよう」


 そう言ってセイジェルがマディンに視線を送ると無言で頷き返される。


「そうですわね。

 お召し替えの前にお体を温めていただいて、御髪のお手入れからいたしましょう。

 ですが閣下、一つお願いしたいことがございますの」

「なんだ?」

「姫様の御髪ですが、少し整えてもよろしくて?

 毛先は酷く痛んでおりますし、絡まりの酷いところもあるように見受けられます」


 ノエルが嫌がらない程度に、そっと髪に手を伸ばして様子を見るミラーカ。

 いつも小さな手櫛で整えて束ねていたノエルの黒髪は、ろくな手入れもされておらず伸ばしっぱなし。

 枝毛が……というレベルではないと判断したミラーカの提案に、セイジェルは 「任せる」 と言ったもののただ任せるわけではない。


「次の新緑節には見られるようにしてやってくれ。

 部屋に案内しよう」


 そう言ってゆっくりと立ち上がったセイジェルは、隣でぼんやりとすわっているノエルを抱え上げる。

 それを見たミラーカも釣られるように慌てて立ち上がる。


「閣下、わたくしに抱っこさせてくださいまし」


 両手を伸ばしてノエルを受け取ろうとするミラーカだが、薄く笑みを浮かべたセイジェルはやんわりと断る。


「確かに軽いが、女性には重いだろう」

「独り占めはずるいですわ!」

「ミラーカ、やめるんだ」


 ミラーカの背後から声を掛けたセルジュが、二人に遅れてゆっくりと立ち上がる。


「セイジェル、わたしは仕事に戻る。

 ミラーカのことは任せた」

「わかった。

 叔父上に遅れることを伝えておいてくれ」

「ラクロワ卿には……昼までには来ると伝えておく」

「頼む」


 セルジュの見送りをウルリヒに任せたセイジェルは、ノエルを抱え、ミラーカとアルフォンソを引き連れて部屋を出る。

 一足先に応接室を出たマディンは下働きに湯を運ぶよう言い付け、把握している彼女たちの許に向かっていた。



【医師クリストフ・ロートナーの呟き】


「こんな夜中にどこに連れて行かれるのかと思ったら、ここは領主様ランデスヘルのお屋敷じゃないのか?

 使用人のためにわざわざ迎えの馬車を出すとは思えないが……まさか領主様ランデスヘルのお体になにかっ?」

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