58 日々の糧を恵み給う光と風に感謝を

 広い部屋を、居室と寝室に分ける厚いカーテン。

 そのカーテンの向こう、居室側にある扉が静かに開く音を聞いてセイジェル・クラカラインは目を覚す。

 カーテンを開けて入ってきた四人の側仕えたちは、寝台の上でゆっくりと上体を起こす主人の姿を見て挨拶をする。


「旦那様、おはようございます」


 セイジェルの側仕えは五人。

 だが部屋に入ってきて朝の挨拶をしたのは四人。

 五人目はどこにいるのかといえば……


「……部屋に戻らなかったのか」


 終わることのない執務に追われながら、日々怠ることなく続けられる鍛錬によって作り上げられた筋肉。

 その裸身を露わに、寝台に上体を起こすセイジェルの向こう側でシーツがすれる音がする。

 続いて頭が上げられ、セイジェルの首に長い腕が回される。


「名残惜しくて、つい」


 そんなことを言ってクスリと笑ったアルフォンソは、顔にかかる前髪をそのままにセイジェルの端正な顔を誘うような目で見る。

 ゆっくりと手を伸ばしてセイジェルの頬に手を添えると、セイジェルは求めに応じてアルフォンソと唇を重ねる。

 そのまま首に回していた腕をずらしてセイジェルの背に回し体を預けようとするが、そこまでの求めには応じてくれなかった。


「……服を着なさい」


 平板に言ったセイジェルは毛布をまくると、一糸まとわぬ姿で寝台を出る。

 その背にウルリヒがシャツを掛けるとセイジェルは素早く自分で両方の袖を通し、続いてクレージュが渡す下穿きに足を通す。

 続けてズボンを穿く。


「なんて連れない」


 そんなことを言いながらも艶やかな目で、それでいてもの惜しげに着替えるセイジェルを見ていたアルフォンソにヴィッターがシャツを投げつける。


「あなたも早く着替えなさい、アルフォンソ。

 仕事の時間です」

「ヤキモチなんてあなたらしくないですね、ヴィッター」


 頭から被せられたシャツを払い落とした手で前髪を掻き上げるアルフォンソだが、ヴィッターは床に落ちていたアルフォンソの服を拾っては投げ、拾っては投げる。


「旦那様のお言葉が聞こえなかったのですか?」

「はいはい、服を着ればいいのでしょう」

「はいは一度でよろしい」


 やはり一糸まとわぬ姿のアルフォンソも寝台を出ると、ヴィッターに投げつけられた服を一人で着始める。

 もちろん他の四人と同じ側仕えとして用意されたお仕着せである。

 最後に手櫛で整えた長い髪を束ねる。


「顔も洗わず旦那様の前に出るなんて」


 呆れ顔でそう言ったヘルツェンは、両手に持った洗面器をアルフォンソの前に突き出す。

 中にはつい今し方、彼らの主人であるセイジェルが顔を洗ったばかりの水が揺れている。

 残り湯ならぬ残り水で洗えと言われて、アルフォンソが嬉々として顔を洗ったのは言うまでもないだろう。

 続けて濡れた顔に、やはりセイジェルが使い終えたタオルを投げつけられる。


「今日は皆、機嫌が悪いですね」


 いつになく扱いが雑だと嘆くアルフォンソだが、決して自分が悪いことをしたとは思っていない。

 実際に彼は悪いことをしていない。

 昨晩、彼が主人の相手をしたのはただの順番である。

 つまり全員の合意だったわけで、抜け駆けをしたわけでもなければこんな扱いを受ける覚えもない。

 ただ、朝には自分の部屋に戻るという取り決めを破ったことは咎められても仕方がない。


「アルフォンソは取り決めを破ったのだから、次は一回飛ばしですからね」


 ヘルツェンは穏やかに言って使い終わったタオルを回収すると、洗面器に残る水を片付けるために席を外す。


「淋しいですね」


 そんな思ってもいないことを口にするアルフォンソにウルリヒが返す。


「取り決めを破るあなたが悪い。

 こんな日に順番がまわってくるのは運が悪い」

「昨夜のマディン様のお話ですか」


 昨夜、就寝準備をしている主人の許に、マディンがいつものようにその日屋敷であったことを報告しに来た。

 特に変わったことがなければ 「本日は何事もございませんでした」 で終わるのだが、昨日は一つ二つ報告があり、マディンの話を聞き終えたセイジェルは 「わかった」 と答えると少し思案する様子を見せる。

 そして言葉を継ぐ。


「……あれ・・の様子は?」

「先程ご様子を伺いましたが、よくお休みのようです」

「側仕えたちはどうした」


 日中は公邸と呼ばれるクラカライン屋敷とは別の建物で執務を行なっているセイジェルは、いつものこの時期なら忙しく、屋敷に戻ってこないことがほとんどである。

 だが昨日はノエルのことがあり夕食の時間に合わせて戻ってきたものの、肝心のノエルが夕食の席に現われなかった。

 そこでマディンが様子を見に行ったところ寝台で眠っていた。


 ここまではよかった。


 マディンの報告を聞いてセイジェルも休ませておけと言ったのだが、普通ならノエルの側仕えがそのことをマディンに伝えに来なければいけないところである。

 だが彼女たちは知らせに来なかったばかりか、一人もノエルのそばについていない。

 おそらく昼間からずっと側を離れたままなのだろう。


 昼間にマディンが様子を見に行った時、ノエルは一人きりで怯えるように椅子の陰に隠れていた。

 顔や首筋に幾つものひっかき傷や青あざがあり不審に思ったけれど、その場ではなにも言わずノエルを寝台で休ませることにしたという。


 もちろんこのままにはしておけない。

 すぐに部下のノル・カブライアを呼んで三人の側仕えを探させてみた。

 女性用の使用人棟など、男性使用人であるマディンでは入れないところもあって彼女たちを探すのはノルのほうが都合がいいと思ったのだが、三人の側仕えは厨房の隣にある使用人休憩部屋でくつろいでいたという。


 彼女たちは以前からいた使用人ではない。

 ノエルを引き取るに当たり、その世話をさせるため新たに雇い入れたのである。

 いずれも以前は貴族屋敷で働いており、紹介状の確認だけでなく身元の調査も十分にしてある。

 マディン自身が面談も行い採用したのだが、どうも屋敷内での評判がよろしくない。


 三人にはあらかじめ九歳の女の子の世話が仕事であることは言ってあったし、マディンが手配した身の回りの品や衣装などが届けられるたび、それらを片付けながら自分たちにとっての主人の到着を楽しみにしているようだった。

 少なくともマディンにはそう見えた。


 だが他の使用人たちの話では、どんなに手が空いていても他の仕事を手伝わないばかりか、ずいぶん横柄な態度を取っていたらしい。

 例えば、使用人たちは自分たちの仕事の合間にそれぞれ食事を摂るのだが、提供される時間が決まっている。

 彼女たちはそれぞれの時間になると真っ先に使用人の休憩部屋に現われ、自分たちの好きなものを好きなだけ食べるのだという。

 本来は一人の食事は決まっているのだが、彼女たちはそれを無視して他の使用人の分まで食べてしまうというのである。

 そして後片付けもせずどこかに行ってしまうのだという。


 もちろん食事は例の一つ。


 他にもやりたい放題の彼女たちだったから、使用人たちの評判はすこぶる悪かった。

 もちろんマディンも、ノルを経由してそんな彼女たちの行いについては報告を受けていた。

 新たな職場で慣れないこともあるだろうからと多少は大目にみていたが、必要な注意は与えていた。


 だがさすがにノエルの側を離れているのは看過出来ない。

 しかもあんな状態で放置していたのである。

 ノルから報告を受けたマディンはすぐ厨房となりにある使用人の休憩部屋に向かうと、三人に持ち場を離れていることを問い質す。

 すると彼女たちは、ノエルが部屋を出ていくよう命じたというのである。


 さらには……これはノルが三人を探している時に他の使用人が彼女に密告してきたのだが、マディンに言われて客人の部屋に湯を持っていったところ、水を持って来いと言ったというのである。

 どうしてこの季節に水を? ……と彼女たちに、やはり問い質してみれば、これまたやはりノエルが水を希望したというのである。


「わたしたちも言ったんですよ、水は冷たいと」

「でも水がいいとお嬢様が言い張るので仕方なく」

「しかも急に癇癪を起こして暴れ出して!」

「そうですよ!

 見てください、この腕を」

「わたしもこんなに!」


 口々に言った彼女たちはお仕着せの袖をまくり、腕に出来た数条のひっかき傷を見せる。


「わたしなんて顔を殴られたんですよ」


 一人はそんなことを言って口を尖らせていたが、こちらは 「殴られた」 という言葉を使う割に赤くもなっていない。

 どう見ても少し前にマディンが見たノエルの傷のほうが酷い。

 そもそも大人が三人がかりであんな小さな子どもを抑えられないわけがない。

 時に子どもが大人を凌ぐほどの力を見せることはマディンも知っている。

 知っているが双方を比べて、どうしても彼女たちの言葉は受け入れがたかったのである。


 マディンは知らないが、ノエルを浴槽に沈めた時に彼女たち自身も頭から水を被ってしまったため、部屋に戻って着替え髪まで整えて休憩部屋に来ると、小腹が空いたから何かないかと夕食の仕込みに忙しい厨房に要求していたのである。

 だがノエルの部屋の様子を知っている彼は、部屋が酷く埃っぽかったことも問い質す。

 すると今度は下働きの者たちが掃除をさぼっているだけだと答える。


「わたしたち、何度も言ったんですよ。

 ちゃんと掃除をするようにって」

「それなのにあいつらと来たら……」

「ちっともわたしたちの言うことを聞かないんです。

 マディン様からも叱ってください」


 もちろんこのあとで、マディンは下働きの者たちからも話を聞いている。

 だがそのいい分は彼女たちの真逆、つまり彼女たちに部屋に入るなと言われたというのである。


 しかもいつものように掃除に訪れた下働きの者をいきなり怒鳴りつけたかと思ったら、その手から箒を取り上げて殴りつけまでしたという。

 そうまでして追い払われてしまい、下働きの者たちは怖くなってノエルの部屋に近づけなくなったという。


 この件については、話を聞いただけではどちらの言い分が正しいかわからない。

 だがやはり日頃の行いというものがある。

 すでにノエルが休んでいることもあって掃除はひとまず保留にし、側仕えたちにはノエルのそばに戻るよう言い付けた。


 けれど夕食の時間になっても彼女たちはノエルを食事室へ連れて来ず、休んでいることを知らせにも来なかったのである。

 他のことだけならともかく、ノエルに関わることはセイジェルに黙っているわけにもいかず、尋ねられるまま就寝前の主人に報告するのを、その場にいて主人の身支度を手伝うアルフォンソたちも一緒に聞いていた。

 皆の機嫌が悪いのはその話が原因かと尋ねるアルフォンソだが、ウルリヒは首を横に振る。


「そんなわけがないでしょう。

 あんな小さな姫がどうなろうとわたしたちの知ったことではありません」

「確かに。

 ではなんだというのです?」

「旦那様がわたしたちにお話しくださらなかったことですよ」


 まさか自分に火の粉が飛んでくるとは思っていなかったセイジェルは、椅子にすわり、ヴィッターに整髪を任せていた。


「わたしがどうしたというのだ」

「あんな小さな姫がいらっしゃることを、マディン様にだけお話ししていたことです」

「客があることは知っていただろう」

「もちろんです」


 ある日突然今まで使われていなかった部屋の掃除がされ、新たな使用人が雇い入れられ、主人には必要のない女物の衣装や小物が運び入れられれば誰だって気づくだろう。

 だがウルリヒは言う。


「ですがクラカラインの姫とは聞いておりません」

「先に言っておくが、あれ・・に余計なことをするな。

 マディンにも言ってあるが、わたしの邪魔をするならその首を刎ねるからな」


 するとすわるセイジェルのうしろでブラシを持つヴィッターが、背を屈めてセイジェルの耳元で艶っぽく囁く。


「お出来になるのでしたら是非とも」


 すると周囲にいたヴィッター以外もクスクスと笑いながら口を揃える。


「是非ともわたくしの首もお刎ね下さい」

「わたくしも刎ねていただきたい」

「是非にもお願いいたします」


 寝室が異様な空気に包まれるが、セイジェルは少し気怠そうに返す。


「その時が来たらまとめて刎ねてやる。

 それまでせいぜいわたしのために働くのだな」

「yes, my lord」


 四人を代表してアルフォンソが答えると、四人が揃って優雅な敬礼きょうらいを主人に示す。

 だが彼らの本性を知っているセイジェルはそれを三文芝居だと鼻で笑う。

 ヘルツェンが戻って五人揃ったところで、いつもなら二人だけを連れて行くところを、思うところがあると言って三人を連れて食事室に向かうセイジェル。

 予想はしていたが、着いた食事室にはまだノエルの姿はなかった。


「様子を見て参りましょう」


 そう言って席を外したマディンがノエルを連れて戻ってくるまで、セイジェルは考え事をするようにじっと目をつぶっていた。

 昨夜はアスウェル卿家の屋敷に帰っていたセルジュはまだ戻っていないらしく、マディンからの報告もない。

 食卓にもその支度はなく、代わりにいつもは空いている席に支度が整えられている。

 そこは今までこのクラカライン屋敷の主人の地位をセイジェルに譲った父親ユリウスの席だったが、ユリウスは領都ウィルライトを遥か遠くに離れた保養地に建てた別邸に移って以来一度も戻っておらず、これから先も戻ることはないだろう。

 よって必要なしと、ノエルを引き取るにあたってそこをノエルの席に改めたのである。


 そのノエルをマディンが連れて食事室にやって来たのだが、やはり側仕えたちの姿が見えない。

 どういうことかと尋ねるセイジェルにマディンはわからないという。

 もちろんノエルに訊いてもわからない。

 探しに行くというマディンに、とりあえず居場所を押さえるようにだけ言って、まずはノエルを席に着かせるよう指示する。


「ではわたくしがお手伝いいたしましょう」


 背の低いノエルは椅子にすわると足が床に届かない。

 その椅子を押そうとアルフォンソが名乗り出る。

 セイジェルが、いつもは二人しか連れて来ない側仕えを今日に限って三人引き連れてきたのはこの状況を予想してのことだったのだが、あまりにも予想通り過ぎて呆れて言葉も出ない。


 しかも世話をアルフォンソに任せてノエルの様子を見ていたが、どうにも酷い有様である。

 なにしろ寝ていたところを叩き起こされたノエルは、元々濡れたまま寝てしまった髪はボサボサ。

 手櫛で直す暇もなかったため、昨日、初めてセイジェルと会った時よりもひどい有様になっている。


 しかもマディンが用意していた新しい衣装ではなく、昨日とはまた違う古着を着ている。

 帽子はないが、靴も穿いておらず裸足で、両手にほとんど中身の入っていない鞄を大事そうに抱いている。

 その鞄を椅子にすわらせたアルフォンソが、食事をする邪魔になるからと預かろうとしたが、ノエルは怯えるだけで渡そうとしない。


「アルフォンソ、かまわない」


 セイジェルに止められたアルフォンソは穏やかににっこりと笑いながら 「はい」 と答えると、椅子の背をそっと押して位置を合わせる。

 だがノエルは小さすぎた。

 足が床に届かないだけでなく、テーブルが鎖骨ほどの高さまである。


「よろしければわたくしが食べさせて差し上げましょうか?」


 それこそ赤子や幼児にするように……とからかうアルフォンソだが、やはりセイジェルに 「アルフォンソ」 と止められる。

 セイジェルは今日中になんとかするようにとマディンに言い付けると、あとで話があるとノエルに言い食事を運ばせる。


 昨日から客人があることは屋敷中の使用人が知っていたが、子どもであることはもちろん、女の子であることも知らされていなかった。

 しかも酷くみすぼらしい格好をした、骨と皮ばかりに痩せ細った子どもである。

 食事を運んできた厨房の使用人たちは、ノエルを見て一様に驚きを隠せなかった。

 中には手も足も止めてマジマジとノエルを見てしまい、マディンに注意までされる者もあったほどである。


「ごはん、たべられる」

「ええ、食べられますよ」


 厨房と食事室を行き来する使用人に怯えるノエルだが、目の前に並べられる食事を見ると、すぐ脇に立つアルフォンソを見上げて尋ねる。

 そのたどたどしい言葉に違和感を覚えるアルフォンソだが、整った顔立ちを最大限に有効活用した優しい笑みで内心を包み隠して答える。

 この姫は何かおかしい……そんな疑いを綺麗に包み隠し、ノエルの警戒を心解こうと優しく笑む。


 もちろんノエルの警戒心はそんな易く解けるわけがない。

 しかも他の使用人たちが自分を物珍しげに見るのである。

 恐怖と緊張で体が強ばり、ずっと顔を上げていることが出来ない。


 支度が済んで使用人たちが下がると、セイジェルは胸の前で両手を組んで祈る。

 それに合わせてマディンやアルフォンソたちもまた、両手を胸の前で組む。


「日々のかてを恵みたまう光と風に感謝を……」


 いつもなら数秒の祈りのあと、セイジェルもセルジュもそれぞれ食事を始めるのだが、ノエルには初めてのことである。

 あえて 「いただこう」 と声を掛けるセイジェルだが、それでもノエルには意味がわからなかったらしい。

 少し恨めしそうに上目遣いにじっと見られ、セイジェルは続ける。


「好きなものだけ食べなさい。

 残しても怒らない」


 そう言ってまず自分が食事を始める。

 すると思惑通りノエルも食事を始める……と思ったら、恐る恐る手に取ったスプーンでスープを掻き回し始めた。


 何食わぬ顔で自身の食事を進めながらもさりげなくその様子を観察するセイジェル。

 最初は遊んでいるのかと思ったが、どうやら違うらしい。

 少しも楽しそうではなく、むしろ残念そうな顔をしている。

 やがて掻き回すのを止めて一口、二口とゆっくり口に運ぶ。


 昨日、アーガンに話を聞いた時にセルジュも言っていたが、スプーンの使い方はそれほど悪くない。

 ただ食卓や椅子だけでなく、食器もカトラリーもノエルには大きかったようだ。

 小さな手に大人と同じスプーンは持ちづらく、食べるのもぎこちない。


 メニューはセイジェルと全く同じものがノエルの前にも並んでいる。

 そのことに不服があるわけではない。

 だが平民の食事と貴族の食事はあまりにも違いすぎる。

 使われる食材というより、料理そのものが違うのである。


 澄んだスープには具が全くといっていいほど入っておらず、全て飲みきっても腹を満たすことはないだろう。

 サラッとした喉越しも、少しも食べた気にならない。


 元々肉など食べたことがないと言ってもいいノエルは、干し肉を食い千切ることが出来なかった。

 いま食卓に並べられた皿に乗るハムは旅の途中で食べた干し肉以上に厚く、ナイフとフォークの使い方もわからない。


 そこで食べる手を止め、ナイフとフォークを両手に持ってハムを切るセイジェルを見ると、見様見真似で両手に持ってはみるけれど、肉に手を付ける気にはならなかった。

 気づいたアルフォンソが 「切り分けて差し上げましょうか?」 と声を掛けてくれたけれど、首を横に振って断る。


「肉はお好きではございませんか?

 ではそちらの果物などいかがでしょう?」


 いつもの朝食に果物など付かないが、客人が女の子と知って慌てて用意されたらしい。

 一見にして果物の皿だけ盛り付けが雑だとわかる。


 やはり食べ方がわからないノエルは困ったが、いきなり手を取ったアルフォンソが無理矢理フォークに持ち替えさせると、薄い黄色をした固まりの一つを突き刺して口に運んでくる。

 グイグイと閉じた唇に押しつけられたので、やむなく口を開けると放り込まれたので恐る恐る噛んでみる。


「……たべられる」

「ではもっとお召し上がりください」


 決してアルフォンソに親切心があったわけではない。

 ましてノエルの心配をしたわけでもない。

 だが結果としてノエルの食が進んだのであえて黙って見ていたセイジェルだったが、ほどなくノエルの手が止まる。

 アーガンやセルジュからノエルの食が驚くほど細いことは聞いていたが、まさかここまで細いとは思わなかったから正直驚いた。


 ノエル自身、昨夕は食事を与えてもらえなかった。

 もちろんノエルが寝ていたためセイジェルとマディンが気を遣っただけなのだが、知らないノエルは夕食を抜かれたと思っており、きっと今日もこの朝食しか与えてもらえない。

 そう思っていた。

 だから少しでも多く食べなければと思ったのだが、いつもわずかばかりの食事しか与えてもらえなかった体は受け付けなかった。



【リンデルト卿家公子アーガンの呟き】


「姉上のお支度はまだか?

 結局昨日はこちらに泊まる羽目になってしまって……姉上を送り届けたらすぐ騎士団に戻って団長にお話ししなければ。


 とりあえずガーゼルが昨夜の外泊届けは出してくれたが、まだ戻っていないなんて……セスの奴、どこにいったんだ。


 ああ、姉上には姫様のご様子を教えてくださるようお願いしておかなければ」

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