56 クラカライン家 ー系譜 (2)

クラウス叔父上がご存命なら、序列はユリウス父上のすぐ下」


 もしセイジェルがこのまま独り身で亡くなった場合、存命であればクラウスがクラカライン家を継いで領主となるか、ユリウスがウィルライト城に戻って重祚ちょうそするか。

 いずれにせよ間違いなく数十年ぶりに兄弟喧嘩の再燃は避けられない。

 そしてこの兄弟喧嘩の勝者が次期当主となり、領主となるが、これまた間違いなくハルバルトが横槍を入れてくるだろう。


 女系男子として生まれ、すでに序列も遥か下位に落ちたハルバルト自身はクラカライン家の当主にはなれず、当然領主にもなれない。

 そのため彼にはユリウスが必要なのだが、セイジェルも馬鹿ではない。

 自身になにかあればユリウスを始末する算段はすでに整えてある。


 加えてすでに三人の従兄弟、エセルス・ラクロワ、ルクス・ラクロワ、セルジュ・アスウェルを後継者候補としており、新たにその中にノエルを組み込む算段も立てている。

 だがそこに、クラウスの生死に関わらず邪魔をする存在があった。


あれ・・は女子だから、叔父上の次にヴィルマールが来て、その下になる。

 だが兄弟があるそうだな」

「姉と弟が一人ずつ」


 セイジェルの言葉に、刹那、ハッとしたアーガンの表情が強ばる。

 その脳裏に浮かんだのは、あの日、アーガンたちを前に未熟な焔召喚をしてみせた生意気な少年の姿である。

 だがなんでもないことのように答えたセルジュは、気まずそうに表情を強ばらせているアーガンをチラリと見る。


「名はなんと言ったか、アーガン」

「……姉君はミゲーラ様、弟君はマーテル様です」

「ミゲーラにマーテル……弟は赤の魔力持ちだそうだな」


 セイジェルの問い掛けにアーガンは、あえてあの日のことは話さず短く 「はい」 とだけ答える。

 もちろんあの場にいたセルジュも知っているが、彼も面倒だと思ったのか。

 あるいは必要ないと判断したのか。

 やはりあの日のことは話さない。


「セルジュの話では、その従兄弟も魔力持ちで神殿にいるときいた」

「まだ巫子ふし見習ですらないようですが、村の者たちがそのようなことを話しておりました」

「マイエルといったか。

 少し調べてみてみるか」


 もしミゲーラとマーテルが白の領地ブランカに帰属した場合、序列は姉弟の年齢順のままだが、ノエルと同じく女子であるミゲーラには相続権がない。

 だが男子であるマーテルにはある。

 それも男系の男子であり、セルジュたちよりも序列は上。

 セイジェルになにかあれば、序列の都合上、マーテルがクラカライン家を継ぎ、新たな領主となる可能性が出てくるのである。

 あるいは継承権を知れば、自らセイジェルの排除に取りかかるかもしれない。

 あの生意気な少年ならやりかねないだろう。


 当然姉弟の存在を知っているハルバルトが後見に付けば事態はさらにややこしくなる。

 序列ではセルジュたちよりマーテルのほうが上だが、彼らの母親は赤の領地ロホの民であり白の領地ブランカに帰属していない。

 マーテル自身赤の領地ロホの民であり白の領地ブランカに帰属していないが、領主になれるのなら喜んで白の領地ブランカに帰属するだろう。


 だが母親はあくまでも赤の領地ロホの民であり、いまさら白の領地ブランカに帰属してもクラウス故人との婚姻は出来ない。

 しかもマーテルとミゲーラの出生は、すでに赤の領地ロホで記録されている。

 そのためクラカライン家ではマーテルのほうが序列は上だが、血統としては、クラカライン家と白の領地ブランカの名門貴族の血を引くセルジュたちのほうが上となる。


 他の領地同様に排他的な貴族たちの大勢は、マーテルはもちろん、相続権を持たない姉のミゲーラすら歓迎しないだろう。

 その存在が表面化するだけでも反発は必至である。

 さらには、そこにノエルが巻き込まれることは、当然セイジェルの望むところではない。


「ハルバルト次第といったところだが、本当に叔父上にも困ったものだ。

 面倒な置き土産は、さすが父上の弟といったところだな。

 息子はもう少し賢明であればいいが……」

「閣下、まさか……」


 セイジェルの言葉に含まれる意味に気が付き、アーガンは恐る恐る尋ねる。

 ハルバルトの考えはわからない。

 だが今のクラカライン家の当主はセイジェルであり、その命令が下れば誰かがマーテルを害するだろう。

 クラカライン家お抱えの魔術師か、あるいは……。


 クラウス父親が存命であれば守ってくれたかもしれないが、到底魔術師とは言えないマーテルの未熟さでは、セイジェルの放つ刺客を斥けることはまず無理である。

 だがセイジェルは言う。


「アーガン、En boca cerrada entran moscasという言葉を知っているか?」 


 特に早口だったわけでも声が小さかったわけでもないが、アーガンにはセイジェルがなんと言ったか聞き取れなかった。

 だが訊き返す間もなくセイジェルが言う。


「ふん、古い言葉だな。

 脳筋に使ってやるな、クソ意地の悪い」

「そなたも、従兄弟殿に酷い言い様だな」

「従兄弟の始末を算段するそなたには言われたくないな」

「必要と判断すればなんでもする、それがわたしの役目だ。

 それこそ必要ならば自ら自分の首も差し出す、領主なぞそんなものだ」

「閣下、ご冗談でもそのようなことを仰るのは……」


 思わぬことを言い出すセイジェルにアーガンは慌てるが、当のセイジェルもセルジュも平然としたものである。


「領主などそんなものだ。

 白の領地ブランカの統治者として全てを自由に出来るが、なに一つ望むことは許されない。

 白の領地ブランカの統治者となること。

 唯一クラカラインはそれを望んだのだ、遙か昔にな」


 遙か昔……この国が戦乱にあった 【四聖しせいの和合】 が結ばれるより昔のことか。

 あるいはさらに昔、太古と記されるほど昔のことかもしれない。

 アーガンにはわからなかったけれど、話すセイジェルの口調にも表情にも、なんの感情も見られない。

 ただ淡々とありのままを話している、それだけ。


「ハルバルトにおくれを取ったのは痛いが、今回ばかりは仕方がない。

 まさか叔父上がいまだ白の領地ブランカへの帰還を望むとは思わなかったからな」

あれ・・の姉弟たちはハルバルトにくれてやるのか?」

「セルジュ、さっきも言ったとおりだ。

 一族の繁栄は望むところだが、赤の領地ロホが絡むなら話は別だ。

 クラカライン家の権をもって領地境りょうちざかいを越えることは 【四聖の和合】 に反する。

 いずれ緑の領地ベルデが動く、あの調子ではそれほど遠くはない未来にな。

 いま白の領地われわれから動く必要はない」

「それはわかっているが……」

「もちろんマイエル家とやらについてはわたしも気になる。

 あれ・・の姉弟たちには監視を送り、マイエル家とやらを調査する。

 だがこちらからはなにもしない、以上だ」


 セイジェルの決定に不満があったわけではないようだが、セルジュはやや間を置いてから 「わかった」 とだけ答えた。

 代わってアーガンが口を開く。


「畏れながら、姫様にはどの程度お話するのでしょうか?」

あれ・・に話す必要があるのか?」

「それは……」


 返事に淀むアーガンを見てセイジェルも考える様子を見せる。

 そして言葉を継ぐ。


「まずは自身の立場を自覚すること、そこからだな」

「そこまで辿り着くのが大変だぞ、あれ・・は」


 ノエルの見掛けは五、六歳だが精神的にはもっと幼い。

 だが実際は九歳である。

 道中、ノエルとの関わりは必要最小限に留めていたセルジュだが、それでもノエルがいかに幼いかはわかっている。

 見掛けはもちろん精神的にも実年齢相応にするのがいかに困難か、子育て経験のないセルジュでも想像がつくほどノエルは実年齢と乖離していた。


 生まれながらに次期領主として、あるいは大貴族の嫡子として育てられてきたセイジェルとセルジュ。

 彼らが九歳だった頃と同じレベルをノエルに望むなら、ほぼ不可能に近いだろう。

 幼い頃から側で二人を見てきたアーガンも 「それは……」 と言い淀む。


「だが、そうでなければ理解出来まい。

 そういうことだ」


 結論づけるように言ったセイジェルは、ふとなにかを思い出したように 「それにしても」 と言葉を継ぐ。


あれ・・には驚かされた」

「またその話か?」


 呆れたように返すセルジュに、セイジェルは 「そうじゃない」 と返す。

 その顔が少し笑っているように見えたのはアーガンの気のせいだろうか。


「確かにあの細さにも驚かされたが、あれ・・はエラルに似ている」


 次の瞬間にセルジュが 「はっ?」 とらしくない声を上げる。

 その隣ではアーガンが、セイジェルの言うエラルという人物について考えていた。


(エラル・ウェスコンティ様?

 確かウェスコンティ卿の姉君だったか妹君だったか?

 セルジュたちの……)


「あれのどこがおばあ様に似ているというのだっ?!」


 らしくない声を上げたそのままに、驚きを隠さないセルジュ。

 口調はもちろんだが、腰まで浮かしかけるほどの驚きである。

 隣のアーガンだけでなく、セイジェルまでが滅多に見ないセルジュの様子を楽しむように薄く笑みを浮かべている。


「どこが?

 そうだな……目元、か?」


 思案げに答えるセイジェルに、セルジュはすぐさま言い返す。


「あの目かっ?

 デカすぎて顔の半分が目ではないか、あれ・・は!

 おばあ様はもっと、こう……」

「とてもお美しい方だったな」


 特にセルジュがおばあ様っ子だったわけではない。

 もちろんセイジェルも。

 二人はそれぞれに、すでに亡い祖母エラル・ウェスコンティを思い出しながら話す。

 特にセルジュは、いかにエラルが美しかったかを力説し、ノエルとは全然似ていないと主張する。


 実際にエラル・ウェスコンティはとても美しい女性だった。

 誰も異を唱えることが許されないほど美しい女性だった。

 今のノエルとは似ても似つかないというセルジュの主張ももっともだが、セイジェルも自分の主張を曲げず淡々と返す。


「確かに大きな目をしていたな」

「セルジュ、子どもの顔は……」

「アーガンは黙っていろ!」

「セルジュは女を見る目がない。

 あれ・・は将来美しくなるぞ、楽しみだな」


 ふふふ……と楽しそうに笑うセイジェルを見て、これまたアーガンは珍しいものを見たと思う。

 ついでにセイジェルの 「セルジュは女を見る目がない」 という意見に心の中で同意する。

 決して声には出して言えないが、セルジュが婚約を決めてからずっと思いつつ心に秘めてきたことである。

 だがどうしても絶対に口には出して言えないのである。


(さすが閣下です)


 臆することなく口にするセイジェルに、やはり心の中で賞賛を贈る。

 その隣ではセルジュが、変わらずエラル・ウェスコンティの美しさについて述べていたが、向かいにすわるセイジェルは薄く笑みを浮かべて完全に聞き流していた。


あれ・・がおばあ様に似ているなど、母上たちが聞いたらどう思われるかっ?」

「公平なるジャッジを下してくださるだろう」


 自身の勝利を信じて疑わないセイジェルの自信に、セルジュは 「吠え面をかくなよ」 とまるで負け犬の遠吠え。

 ようやくのことで浮かしかけていた腰を落ち着けるが、まだまだ顔に不満が残っている。


「叔父上がエラルに似ていたという話は聞かなかったが、その点ではなかなかの拾い物だったな。

 だが……それにしても酷い有様だ。

 どうしたらあんな物・・・・が出来上がる?」


 あくまでもノエルとエラル・ウェスコンティは似ていないという主張を曲げないセルジュだが、クラウスの容姿については母マリエラから聞いた覚えがないという。

 次いであんな物・・・・の製造方法についてはアーガンに説明を任せる。


「閣下、仰りたいことはわかりますが、決して姫様の前でそのようなことは仰らないでください」

「理解出来るのか?」

「おそらく」

「ほぅ……ずいぶん幼く感じたが……まぁいい、実際のところは直接話して確かめてみよう。

 それで? どうしてあぁなる?」


 ある程度、セルジュの報告で聞いて知っていたはずのセイジェルだったが、あえて改めて聞くということは、おそらく彼が想像していた以上にノエルの有様が酷かったのだろう。

 それに魔術で伝えるにも限度がある。

 足りない部分の補足も兼ねて始めるアーガンの話にセイジェルは最後まで耳を傾けていたが、隣のセルジュは途中で飽きて上の空。

 自分の執務室に溜まっているだろう書類のことを考えていた。

 なにしろアーガンの話はノエルの不遇な生い立ちから、現在の扱い方についてまで及んでいたから長くなるのも当然。

 それを最後まで聞いたセイジェルは 「なるほど」 と小さく頷く。


「確かにセルジュの言うとおり、自覚までの道のりは遠そうだ」

「自覚以前に誰があれ・・の世話をする?

 母上たちにはまだ話せぬのだろう?」


 多くの貴族は、両親ではなく、既婚で子育てを経験した女性を養育係にして育てられる。

 セイジェルの場合は身の回りの世話は側仕え、養育は祖母、教育は祖父だったが、セルジュは一般的な貴族の子弟らしく、幼少時から家庭教師がつくまでは親族の中でも比較的序列の低い女性が養育係を務めていた。


 すでに先々代領主夫妻は亡くなっており、かといって領主として忙しいセイジェルにノエルの養育係をする暇などあるはずがない。

 そもそも彼は独り身の男で女児の世話など出来るはずもなく、するつもりもない。

 となると養育係を置くはずである。


 セイジェルを育てた先々代領主夫妻が生きていたとしても、高齢のため体力的にも女児の世話など難しかったに違いない。

 セルジュの母マリエラを含めた二人の叔母が適任だが、セイジェルはその二人にはまだノエルの存在を明かさないという。


 ではどうするのか? ……というセルジュの問い掛けに、セイジェルは 「そこでだ」 と口調を改めて切り出す。


「二人に折り入って相談がある」


 瞬時にアーガンは嫌な予感がした。

 嫌な予感はしたけれど断ることはもちろん、彼に領主の話を聞かないという選択肢はない。

 だが隣にすわるセルジュなら断れるかもしれない。

 けれど領主の権限を持ち出されてはセルジュですら断るのは難しいだろう。

 そのあたりのさじ加減は領主と首席執政官、あるいは従兄弟同士で決めること。

 そしてアーガンはその決定に従わざるを得ない立場にある。

 かくしてアーガンは、セルジュとともにセイジェルの相談とやらを聞かされる羽目になった。



【リンデルト卿夫人システアの呟き】


「アーガンもセルジュも気難しい顔をして、どうしたのかしら?

 折角夕食をご一緒にと思ったのに、セルジュったら話が終わったら帰るって言うし……。


 フラスグアはシルラスから当分戻らないし、ああつまらないこと。

 お兄様は駄目だと仰ったけれど、わたくしもシルラスに行こうかしら?

 妻が夫に会いに行ってなにが悪いのよ。


 それにしても、セルジュはともかく、アーガンまでミラーカになんの用かしら?」

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