54 シルラスの獣狩り ー危惧
城の入り口からクラカライン屋敷までの道のりを考えれば、騎士団隊舎から公邸と呼ばれる建物までなど近いものだが、それでも歩いて行くにはずいぶんと時間が掛かる。
城内は幾つもの内門で区切られ道が入り組んでおり、馬での移動が許されているほどの距離となっているのである。
熟知した城の者であっても油断をすれば迷ってしまうほどの造りは、かつてこの国が戦乱にあった頃の名残で、クラカライン屋敷を守るように造られている。
平時の今は封印されているが、その道々にある仕掛けは健在で、有事には即座に封印が解かれクラカライン屋敷までの道を閉ざし、守る。
そんなウィルライト城最大の防御は結界だが、それがどういったものかを知る者は少ない。
今も作用しているのか、あるいは有事にのみ作用するのか……などといったことも不明である。
そしてそれらを解放する権限を持つのが領主であり、クラカライン家である。
領主一族が起居するクラカライン屋敷は、所有する広大な庭を含めて禁足であり、許可があっても基本的に騎馬では立ち入ることは許されないが、アーガンが領主に会うために向かったのは公邸と呼ばれる建物で、一般に 「城」 と呼ばれる区画にある建物である。
城内ということもあり最低限の武装で。
いつも背負っている大剣は目立つので部屋に置いたままにし、騎士団の支給品である片手剣のみを腰に引っさげ、幾つかある入り口の内、馬で乗り付けられる入り口を選ぶ。
豪華に仕立てられた貴族用もあるが、アーガンはもめ事を避けるためにもそちらを使わず普段からこちらの出入り口を使っている。
セルジュの護衛として
その時と同じように衛兵に混じって領主の侍従の一人が待機しており、アーガンの姿を見掛けると頭を下げて迎える。
「お待ちしておりました、リンデルト公子様」
こちらの簡素な出入り口は騎士以外にも下級貴族も使用するためか、心得たように挨拶をする侍従に、騎士として参上したつもりのアーガンはやや不満に思いつつも衛兵に馬を預け、侍従の案内に従って建物に入る。
どこに行ってもとにかく広い。
それがウィルライト城だが、ご多分に漏れず公邸も広く、長い廊下を歩いてようやくのことで辿り着いた領主の執務室には、部屋の主人の他に見慣れた顔、それもつい先程まで一緒にいた顔が
「遅かったな」
一人掛けの椅子に深々と腰をかけ、悠然と長い足を組んでいた領主セイジェル・クラカラインの向かいで、三人掛けの椅子にすわるその人物がアーガンや領主よりも先に口を開く。
それこそアーガンが 「遅くなり申し訳ございません」 と挨拶をするよりも早く、である。
戸口に立ったままのアーガンとその人物が顔を見合わせる脇で、領主が、アーガンを案内してきた侍従に、視線をくれることなく手振りだけで 「下がれ」 と示す。
すると侍従も、やはり心得たように 「失礼いたします」 とだけ言って静かに下がってゆく。
そして領主は次に、背後で扉の閉まる音を聞くアーガンに、やはり手振りだけで 「すわるように」 と示す。
指定された席は、もちろんセルジュの隣である。
断ることの許されないアーガンは大股に部屋を進み、先に掛けていたセルジュの隣に腰を下ろす。
「失礼いたします」
「二人とも、疲れているところを悪いな」
セルジュに続き領主もまた、アーガンが落ち着くのを待たずに口を開く。
アーガンとセルジュは従兄弟だが、セルジュと領主も従兄弟である。
そして後者の従兄弟はこういうところがよく似ていた。
「いえ……」
「そう思うなら呼ぶな」
アーガンの言葉を遮るのはもちろんセルジュである。
本当に領主とセルジュはこういうところがよく似ている。
特に今は他に誰もおらず体裁すら取り繕う必要もないためか、セルジュは 「微塵も悪いなどと思っておらぬくせに」 と続ける。
だが領主も負けてはいない。
「思っておらぬが、それがどうした?
いちいち突っかかるな」
その先はあえて言葉にしないが、「面倒臭い」 とでも言わんばかりの口ぶりである。
同じクラカライン家の血を引き、幼い頃から親しくしてきた従兄弟と、臣下とはいえ幼なじみも同然のアーガン。
人目もないこんな場所で体裁を取り繕うことすら馬鹿らしいのだろう。
それでもアーガンだけは気にするのである。
(セルジュも閣下も昔からこうではあるが、俺がいることを忘れないで欲しい)
もちろん二人はアーガンがいることを忘れていない。
むしろ三人目がアーガンだからこそのやりとりである。
「セルジュから報告は受けているが、わたしの予想を遥かに超えていてな」
「ああ、
即座に理解したアーガンは隣にすわるセルジュを見て言う。
「セルジュ、
「大丈夫だ、
「そういう意味ではなく……!」
「大丈夫だ、通じている」
「閣下も、そういう意味ではございません」
今度はセルジュが 「面倒臭い」 と言わんばかりに口を閉じ、領主が続ける。
「そなたの言いたいこともわからなくはないが、あまり時間もない。
用件は他にも二つほどある」
「二つ、でございますか?」
「
一度は興味を失ったようにそっぽを向いたセルジュだが、領主の口から出て来た予想外の言葉に視線だけを彼に向ける。
それを受けて領主も話を続ける。
「まずは……そうだな、そなたたちから報告のあったシルラスの件から」
シルラスの荒野に増えた獣の被害から村々を守るため、アーガンの父リンデルト卿フラスグアを筆頭に騎士団が派遣されたことはもちろん、いまだ狩りは続いている。
そのこと以外を知らなかった二人は 「シルラス?」 や 「なにかございましたか?」 などと口にする。
「現地に到着したフラスグアから報告があった」
少しでも早く現場に到着したいと逸るフラスグアは、先遣隊の報告を待たずにシルラスの規模から兵力を割り出して出立。
行き違いを承知の上で出立し、副官を、のちに来る先遣隊の報告内容に対応させるべく残した。
その副官が追加で必要となる装備や食料などの手配をしている最中、シルラスに到着したフラスグアから新たな報告が届いたという。
「水の件は……この件が落着してからシルラスの役人どもを絞しぼるとしよう。
後任人事も急ぐ。
ハウゼンの排斥も早急に行なう」
「セイジェル」
やや焦れたようにセルジュが口を挟むが、領主は変わらない調子で続ける。
「だがその前に片付けなければならない事態が発覚した。
魔物だ」
確かにシルラスは
すでに季節が赤から白に移ってひと月。
規模が小さい場所では早くも討伐を終え、監視を残して帰投を始めている部隊もある。
かといって青の季節に移るにはまだひと月以上あり、新たな魔物の出現の報が届くには早すぎる。
いったい何を言っているのかと俄には理解出来ない二人だったが、先に気がついたのはアーガンである。
「……まさか……荒野に?」
「シルラスの荒野?
あんな場所に?」
続いて理解するセルジュだが、やはり信じられないのだろう。
その内心が口調に見て取れる。
「そのまさか、だ。
さすがのフラスグアも予想外ではあったようだが、村の安全確保を最優先にし、魔術師たちに結界を張らせて対処している」
「しかしそれでは魔術師の数が足りないだろう」
元々は獣狩り。
もちろん支援として魔術師も同行しているが、騎士主体の編成である。
通信係を担うこともあり決して数は少なくないが、シルラスの荒野に点在するいくつかの村を結界で守るとなると、圧倒的な魔力不足が予想される。
「幸いなことに瘴気も薄く、魔物も小物ばかりという話だ。
結界を張る村も厳選して対処しているらしい」
「さすが叔父上と言うべきか。
采配にぬかりはないな」
「ですが……」
言い掛けるアーガンの言葉を、セイジェルが 「わかっている」 と遮る。
「シルラスが領地境に接しているとはいえ、内地に瘴気が発生することも、魔物が出現することもあまりあることではない」
瘴気の発生や魔物の出現は加護の歪みが原因という説が有力視されているが、実証された事実ではない。
あくまでも仮説である。
だが今は、その仮説の真偽を確かめるより先にしなければならないことがある。
魔物の討伐である。
ましてシルラスのあの広大な荒野を……となれば一朝一夕にはいかない。
それこそ強大な赤の魔術師にして剣豪としても名高いアーガンの父、フラスグアを以てしてもである。
ただ彼は、応援を必要とする事態ではあるが、これまでの経験から、常にあるトラブルの一つ程度と判断しているらしい。
元々の懸案であった獣は、瘴気や魔物に逐われた可能性があるとも冷静に推測もしている。
そんなフラスグアをセイジェルは頼もしいと言うが、魔物の出現は、領主としては看過出来るような些事ではないと考える。
「小物も放置すればすぐに増え、いずれ手に負えぬ大物を呼び寄せる。
獣狩りとの並行も決して楽ではないが、なんとしても一掃する。
すでに魔術師を中心に応援を出したが、これも付け焼き刃だ。
魔術師団だけでなく神殿にも要請し、第三陣を編制している」
当然のことながら騎士団も動員されている。
アーガンは領主の話を聞きながら、つい先程団長室で見た、積み上げられた書類の山を思い出す。
(そういうことか……)
そう心の中で呟くと、少し上体を前のめりに口を開く。
「では自分もすぐに……」
「そなたはならぬ」
またしてもアーガンの言葉を遮ったセイジェルは、一呼吸ほどの間を置き、言葉を継ぐ。
「……そなたには別の用がある」
「そなたは動かせぬ。
魔術師団に神官まで動員するなら、騎士団にいる魔術師は重要だ。
それに叔父上がシルラスに行かれたままとなると、システアとエルデリアが……」
セルジュの言葉は最後まで続かなかったが、セイジェルもアーガンも思うところがあったらしく、セイジェルは 「叔母上か」 と他人事のように呟き、アーガンは 「母上……」 と困惑する。
「すでにエルデリアからの苦情は受けている。
いつものように魔術師団を通さず、直接執務室ここに突撃してきた」
「あの方も相変わらずか……。
父上を通して、神官長の権限でシステアも領都に留め置き頂くよう要請する」
セイジェル然り、セルジュ然り、クラカライン家は強大な魔力を持つ魔術師を多く輩出する家柄だが、先代領主であったセイジェルの父ユリウスは魔術師ではないばかりか魔力の片鱗も持たない。
同じくそのすぐ下の妹ラクロワ卿夫人エルデリアも魔術師ではないが、クラカライン家には極めて珍しい青の魔力の持ち主である。
現在は魔術師団で副師団長を務めながら、他の三つの加護の有用性と新たな 【四聖の和合】 の形を模索している。
だが他の領地同様、排他的な白の魔術師団においてその道は険しく、赤の魔術師とはいえ騎士団に所属する騎士であるリンデルト親子に対しても、排斥の動きを見せる師団の上層部に悩まされている。
そのためか時としてその行動は過激となり、叔母の立場を最大限に利用して領主の執務室に直接抗議の突撃をしてくるのである。
もちろんセイジェルがまともに取り合わないところまでがセットとなる。
そんなエルデリアの義弟にあたるアスウェル卿ノイエ、つまりセルジュの父は領都にある大神殿の神官長を務める。
そしてノイエの妹リンデルト卿夫人システアは、言わずと知れたアーガンの母親。
兄と同じく大神殿に仕える神官で、やはり兄や甥のセルジュ同様、名門アスウェル郷家の直系らしい強大な魔力を持つ白の魔術師である。
甥のセルジュがそんな彼女を領都に留め置こうとするのは、強大な赤の魔術師であるフラスグアのいるシルラスに、強大な白の魔術師であるシステアをお送リンデルト卿夫妻を揃えると、荒野ばかりか、収穫期真っ只中の畑すら焼き払いかねないと危惧したからである。
魔術師団からも上級魔術師が派遣される、あるいはすでに派遣されているかもしれないが、名門貴族の名は伊達ではなく、その動員には慎重を期す必要があった。
母親の性格をよく知るアーガンも 「叔父上にはご面倒を掛けるが、是非お願いしたい」 と小さく呟く。
その申し訳なさそうな様子に、日頃の彼の苦労が伺われる。
そんな二人のやりとりを、向かいにすわるセイジェルは我関せずの顔で見ていた。
「魔術師団はともかく、平時の神官人事までは把握しかねる。
シルラスの神殿が機能不全を起こしていることも含めて今は静観する。
そなたたちの好きにするといい。
内地に瘴気が発生し、小物とはいえ魔物が出現した。
まずはこの由々しき事態の収拾を優先する」
そう、その規模は問題ではない。
発生した場所が問題なのである。
そして時期も。
「この件は、なんとしても青の季節までに収拾をつける」
だが全く積もらないわけではないし、積もれば寒さと相まって人の動きは鈍る。
獣は冬眠するだろうが、魔物には冬眠はおろか眠るという概念があるかどうかも疑わしく、雪も寒さも関係ない。
討伐に時間を掛ければ青の季節のあいだに瘴気は濃くなり、暖かくなる緑の季節には凶悪な魔物が出現しかねない。
そうなる前に片を付けておきたい。
しかも青の季節が近くなると
なにもない荒野の大風は全てを吹き飛ばすが、おそらく瘴気は散らせても魔物はビクともしないだろう。
その大風の中では人の動きも鈍くなる。
そう考えると猶予はもっと短くなる。
およそ一ヶ月
そんなセイジェルの考えは、アーガンはもちろんセルジュにも理解出来る。
元は二人が遭遇した事態である。
現状がどうなっているかを話してくれたのはセイジェルの気遣いとも受け取れるが、彼の用件は全部で三つ。
最初にそう言っている。
残る二つとは……。
【ある側仕えの呟き】
「上手くいけば、あのお嬢様を利用して旦那様に近づけるかも。
これまではあの側仕え五人が邪魔をして近づけなかったけど……。
ご寵愛を頂ければ、こんなまどろっこしいことなんてしなくてすむし、あの二人も出し抜けるわ。
お子を産めば領主夫人にだって……」
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