53 帰投 ーセスの行方
ウィルライト城の深奥にあるクラカライン屋敷まで、セイジェルに言われるままノエルを送り届けたアーガンは、公邸と呼ばれる城の表の建物に戻るセイジェルを護衛する騎士たちと別れ、一人騎士団宿舎へと戻る。
厩舎には並んだ馬たちの他に、世話に忙しい馬番たちをよそに非番の騎士たちが雑談に興じている姿も見える。
そんな見慣れた光景にようやく城に戻ってきたという実感を感じていると、アーガンの姿に気づいた馬番の一人が近づいてくる。
一言二言言葉を交してその馬番に手綱を預けると、特に急ぐこともなく宿舎へと向かう。
先に隊舎に向かわなかったのは、団長に帰投の報告をする前に確認しておきたいことがあったからである。
栄えある白の騎士団宿舎……といえば聞こえもいいが、なにしろ扱いが荒い。
そのためか、城内にある他の建物に比べて古びて見えるが、建てられたのはほぼ同じ時期のはず。
しかも外観の痛みが激しいだけでなく、大きな喧嘩があるたびに一階食堂の窓はどこかのガラスが割れ、今も玄関すぐ脇の窓が割れている。
出立前は別の場所が割れていたから、どうやらアーガンが不在中にも大きな喧嘩があったらしい。
そして上階にある部屋は、大部屋個室問わずだいたい窓が開けっ放し。
雨季ならばともかく、乾期の今は一日中開けっ放しの窓も少なくない。
そもそも開閉が面倒だからと玄関扉が常に開けっ放しになっていて、誰でも入れる不用心さ。
それが栄えある白の騎士団宿舎である。
正面玄関を入るには階段を上らなくてはならないのだが、そこに男が一人、なにをするわけでもなく腰を掛けていた。
退屈を持て余すように大きな伸びを一つしたところで、向かってくるアーガンに気づく。
「隊長、やっとお戻りですか」
「ガーゼル」
アーガンに呼ばれたガーゼル・シアーズはゆっくりと立ち上がる。
そして背後、つまり宿舎内を気にするように自身の後ろを振り返りながらアーガンに向かってくる。
「イエルたちはとっくに戻ったのに、どこで道草食ってたんですか」
あの丘の上で、セルジュに同行するため、領主一行と同行するアーガンと別れたイエルとファウス。
二人がすでに帰投しているということは、セルジュも無事に入城したらしい。
おそらくは公邸にある自身の執務室に向かったのだろう。
馬を下りてからは出迎えた衛兵が執務室まで付くから、お役御免になった二人が宿舎に戻ってくるのは当然である。
問題は三人目である。
「セスは戻ったか?」
「セス?」
もちろんガーゼルも、セスがアーガンたちと同行していることは知っている。
なにしろ彼は隊長であるアーガンが不在のあいだ、副長として留守居をする他の隊員たちを預かっていたから、その中にセスがいないことは当然知っている。
だから質問の意味がわからず間の抜けた顔をしたものの、すぐに何かを察して周囲に視線を走らせる。
厩舎から宿舎までのあいだにはいつも何人かの騎士が、あるいは下働きの者たちがたむろしており、この時もやはり何人かの騎士と下働きの者がいたが、誰も二人の様子を気に留める者はいない。
ガーゼルはそんな様子を確認して尋ねる。
「……まだ戻っていないと思いますが、なにかあったんですか?」
アーガンもまた、周囲に視線を走らせながら応える。
「……俺の部屋で話そう」
ガーゼルを促したアーガンは、先に立って宿舎へと入る。
そんな二人の様子を周囲も見ていたが、リンデルト小隊の隊長と副隊長が話している。
ただそれだけのことだと思ったらしく、中には会釈をして寄越すものもあったけれど、それ以上は特に気に留める者はいなかった。
二人は無駄話の一つもせずアーガンの部屋に向かい、アーガンに続いて部屋に入ったガーゼルが後ろ手に扉を閉めたそうそうに口を開く。
「……セスの奴、なにをやらかしたんです?」
背にした扉の外の様子を伺うような仕草を見せるガーゼルに、アーガンは背に負っていた剣と手にしていたわずかばかりの荷物を寝台に放りながら応える。
不在中も部屋の掃除はされており、整えられた寝台はすぐにでも休めるようになっている。
そこに荷物に続いて自身がどっかりと腰を下ろすと、溜息を一つ吐いてから応える。
「
「あの馬鹿!
しかし、なんだって護衛と?
どうしてそんなことになったんですか?」
アーガンは領主の命令で、セルジュ・アスウェルの護衛を務めてひと月近く出掛けていた。
そのことは不在を預かるガーゼルはもちろん、留守居役のリンデルト小隊全員が知っていること。
だが旅の目的を知らず、なぜそんなことになったのかわからないのである。
もちろんアーガンも領主の許可がなければノエルのことは話せない。
護衛の騎士たちも、あそこでセルジュ一行と出会ったことは箝口令を敷かれているはず。
だからアーガンもノエルの存在には一切触れず、帰途城近くで、遠乗りに出掛けた領主一行と偶然遭遇したことだけを話すべきだった。
領主と名門アスウェル家の公子が従兄弟同士であることは周知の事実である。
偶然出会った二人が挨拶を交すことは普通であり、なにかしら済ませたばかりの所用のことで話したのかもしれない。
アーガンもそういうことにしてガーゼルに話せばよかったのだが、先のことを考え、全てを話すことにした。
今回の旅の目的……といってもクラウスのことには触れない。
そこまで触れてしまうと話が長くなってしまうし、ノエルの素性までは話さないので必要ない。
そう、ノエルの素性は明かさないのである。
それでも迎えの使者として立ったのがセルジュということで、ガーゼルも察するものがあったと思われる。
あえてその部分には触れず、アーガンの話に黙って耳を傾ける。
道中でセスが、気に入らないことがあるたびにノエルをいびり倒していたこと。
そしてファウスの先触れを聞いて迎えに出て来た領主の護衛騎士と、護衛騎士と気づかず揉めたことをなるべく簡潔に話すと、ガーゼルは改めて 「あの馬鹿が!」 と声を荒らげる。
「
そもそも同輩と気づかないとか、ありえんでしょ。
馬鹿だとは知っていたが、どこまで馬鹿なんだ!」
一通り怒りを爆発させ罵声を吐き続けたガーゼルは、ふと我に返る。
そして口調を改めて訪ねる。
「……で、その馬鹿はどこに行ったんです?」
「それがわからない」
ノエルが心配で領主一行と同行したなどと口が裂けても言えないが、先に戻ったイエルやファウスとは別での帰城であることは隠しようがない。
だがガーゼルもなにか察したらしくその部分には触れなかったが、状況的に、アーガンはもちろん、イエルやファウスもセスにかまう余裕がなく、一人になったセスの足取りが掴めないことだけを話す。
「まさかと思いますが……このまま
「騎士の勲位を持ったままか?」
正式に退団するならばともかく、手続きも経ず勝手に退団することは許されない。
そんなことをすれば反逆罪を問われ、捕まれば投獄される。
今回のセスの場合、相手を殺害していないばかりか傷つけることすらしていないため、処刑には至らないはず。
だが他の罪人と同じく、荷役などの重労働が科されることになるだろう。
しかも逃亡期間が長ければ長いほど刑期が長く、刑が重くなる。
志願して騎士になったとはいえ、叙任式で誓いを立てた相手は領主。
背くことは重罪となるのである。
帰城に向けて出立する時はノエルのことばかりが気に掛かり、ついうっかりセスなら一人でも帰れるだろうなどと軽く考えてしまったアーガンだが、途中で戻らないのではないか?……ということに気がつき、慌てて宿舎に戻ってきたのだが本当に戻っていないとガーゼルに聞き、今さらながら頭を抱えることになるとは……。
しかもとばっちりよろしく、たった今その話を聞いたばかりのガーゼルもまた、同じく頭を抱えることになったのである。
「……どこかで頭を冷やしているならいいんですけどね」
それなら一晩くらい外泊しても誤魔化しようはある。
そういうガーゼルに、アーガンも 「そうだな」 と同意する。
「とりあえず外泊届けを出して今夜は誤魔化すか」
小隊長となった今でこそ個室を割り当てられているアーガンだが、騎士の叙位を受けた当初の下っ端時代は大部屋生活だった。
副長のガーゼルやベテランのファウス、イエルが今も二人部屋を使っていることを考えれば、騎士になって一年にも満たないセスは当然大部屋で不在を隠すことは難しい。
いや、不可能である。
そこで必要になるのが外泊届けである。
見習い騎士はともかく、騎士の叙位を受けられるのは成人してから。
つまり騎士はみな成人しているのだが、有事にすぐ動員出来る人数を把握するためにもこの外泊届けは絶対となっている。
それこそ非番の日くらいは騎士だって自由に過ごしたい。
けれど休暇でさえ、期間はもちろん、領都の中にいるのか外に出るのかを明確にしなければならないのである。
アーガンやファウス、イエルが帰投している以上、同行しているセスだけが戻らないのはおかしいし、理由があるならば騎士団に説明する必要がある。
そのために必要なのが外泊届けというわけである。
ただ、届けを出してもセスが今日中に戻ってくる可能性は十分にある。
その時は舎監に説教をされることになるだろう。
だが無届けで所在がわからないとなると処罰の対象となる。
ならば舎監の説教の方がましというもの。
いるはずの人数が足りないとなれば有事に支障が出るが、いないはずなのにいるのは問題ない。
宿舎の管理上、舎監の説教を受けることになるのはやむを得ないが、この説教も、その日の舎監の気分によって時間や内容が変わるのだが、こればかりはどうにもならない。
とにかく今夜は外泊届けを出してやり過ごし、明日心当たりを探してみるということで話がまとまりかけたが、不意にガーゼルが 「あ……」 と低く呟くと急に眉をひそめる。
「どうした?」
なにかを思い出したらしいガーゼルは、酷くばつの悪い顔でアーガンを見る。
「それが……ひょっとしたらすでに護衛小隊から報告がいったのかも知れません」
「どういうことだ?」
「実は団長から隊長に呼び出しが……」
イエルとファウスの帰投でアーガンが戻ってくることを知っていたガーゼルだが、わざわざ玄関で待ち受けていたのはそのことを知らせるためだったことを思い出したのである。
だがアーガンも、団長に話が伝わっているのなら早いと考える。
隊長として頭を下げるついでに、セスに反省を促すためとでも言ってしばらく休みを取れるよう直談判しようと考えたのである。
もちろんセスが戻ってきていないことは話さずに。
このままセスが戻ってこないなんてことになればアーガンもガーゼルもただでは済まないのだが、とりあえず今はそうするしかないということで話がつき、アーガンは重い腰を上げる。
だが仕事が早かったのは護衛小隊ではなかった。
宿舎のすぐ隣に立つ隊舎に向かうと、団長室では団長がいつものように気難しい顔をしてアーガンを待ち受けていたのだが、その口から出て来たのは全然別の用件だったのである。
「リンデルト小隊長、遅かったな」
「申し訳ございません」
まさかセスを探していたなどと口が裂けても言えない。
だからとりあえず姿勢を正し頭を下げると、その頭が上がらないうちに団長は言葉を続ける。
「
すぐ向かうように」
大きな執務机の前に大量の書類を前にしてすわっていた団長は、いつもの小言から話し始める。
だからそのあともしばらく小言が続くかと思ったのだが、驚くほど単刀直入に本件を切り出してきたのである。
しかもその口から出て来たのは、護衛小隊ではなく領主本人。
意表を衝かれたアーガンは、思わず間の抜けた顔をしてしまう。
「……
「なにをしている?
聞こえなかったのか?」
正した姿勢のまま立ち尽くすアーガンに、団長はやや苛立ったように続ける。
「あ、いえ……」
それでも戸惑いを隠せないアーガンに団長は畳みかける。
「ではさっさと行かぬか!
いつまでぐずぐずしているつもりだっ?
お忙しい
「はっ! 失礼いたします」
団長に掛けられる発破で気を取り直したアーガンは、少し慌てて礼をとると慌ただしく団長室をあとにする。
そして団長室から少し離れた廊下で待っていたガーゼルに、団長の用件が領主からの呼び出してあったことを話して隊舎を出ると、厩舎に寄って預けたばかりの馬を再び駆り、領主の執務室がある公邸へと向かった。
【側仕えウルリヒの呟き】
「風を読んでいたクレージュが面白い報せを聞いたらしい。
アルフォンソに教えてあげるといい。
けれど旦那様のお許しなく屋敷の外に出て、あとで叱られても知りませんが……」
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