50 ノワール・クラカライン ー入城
「帰城する」
瑞兆とも凶兆とも知れぬ聖獣
その姿が遥か上空に見えなくなると、セイジェルの指示に従って出立の準備が始まる。
実際には
そんな二人を見てアーガンはノエルを心配したけれど、戻ってきたイエルに急かされるように出立の準備に取りかからなければならなかった。
どうやらイエルはセスを置いてきたらしい。
もっともここまで戻れば、馬すらなくても、セスならば自力で帰城出来る距離である。
なにしろ目的地であるウィルライト城は、もう目と鼻の先に見えているのだから。
実際には結構な距離があるのだが、訓練を積んだ騎士に歩けない距離ではないし、帰城後は騎士団の宿舎に戻るだけである。
このあとセイジェルとセルジュは別れて帰城することになるだろう。
もちろんアーガンはセルジュに付くことになるが、セス一騎なら、セイジェルの護衛騎士小隊に紛れて一緒に帰城しても見咎める者はいない。
当然アーガンたちと一緒に帰城しても問題はないし、それこそ単体で帰城しても門番は止めないだろう。
つまりセスのことはまったく問題なかった。
だからアーガンはノエルのことを気にしたのだが、もう一つ気になったのは、アーガンが 「筆頭殿」 と呼び、セルジュが 「アルフォンソ」 と呼んだ青年のことである。
騎士団にはアーガンのように魔術師でもある騎士は何人もいるが、あくまで所属は騎士団であって魔術師団ではない。
だから出動時には騎士として剣などを装備をしているが、青年は明らかに魔術師の装束姿をしていた。
実際に彼は魔術師である。
しかも
さらにはそんなのが他に四人もいて、彼はその筆頭を務める。
アーガンが彼を 「筆頭殿」 と呼ぶ理由である。
「アルフォンソ」 または 「筆頭殿」 の表向きの仕事はクラカライン家の使用人であり、その姿を見れば魔術師であることは予想が付くが、厄介この上ない存在であることを知る者は少ない。
セルジュの従兄弟であるアーガンは、父フラスグアが騎士団に所属し、幼い頃からセイジェルの剣術指南をしていた都合で、年回りも丁度いいからとその相手を務めるためセルジュとともに登城はもちろん、クラカライン家の屋敷に出入りすることを許されていた。
そのため今回のような役目を請け負うことも多々あるのだが、不幸なことに 「アルフォンソ」 あるいは 「筆頭殿」 の正体を知ることにもなってしまったのである。
そもそもがクラカライン家の使用人である。
今回のセイジェルの外出は気分転換の遠乗りであって、側仕えたちの世話が必要な遠征などではなく付いてくる必要がない。
まして護衛騎士が付くのだから 「アルフォンソ」 あるいは 「筆頭殿」 の出番はないはずだが、わざわざ付いてきたことにアーガンは不安を覚えた。
新たにクラカライン家に迎え入れられるノエルを、使用人の中で一番に見てみたかっただけ。
そんな可愛らしい理由で動くような連中ではない。
少なくともアーガンはそう思っていたからノエルに何かするのではないかと不安になり、改めて探してみるがその姿が見当たらない。
どうやら周囲を警戒する騎士たちの中に上手く紛れているらしい。
元々おおっぴらに出来る同行ではなかったのかもしれない。
彼自身も、少なくとも自身の素性を知っているアーガンやセルジュの前に姿を見せるつもりはなかったのかもしれない。
それでも姿を現わしたのは、おそらく
ならばその脅威が去れば姿を隠すのは当然だが、安心出来るわけではない。
アーガン自身が 「筆頭殿」 と直接遣り合ったことはもちろん、「筆頭殿」 が他の魔術師と遣り合うところも見たことはないが、自身より格上の魔術師である可能性は十分にある。
いや、おそらくそうだろう。
風は火を煽るものだが、風使いは格下の焔使いから火の制御を奪うことが出来る。
つまりいざという時、アーガンには 「筆頭殿」 を止めることが出来ない。
同じ風使いのセルジュでも難しいはず。
おそらくこの場で 「筆頭殿」 を止めることが出来るのはただ一人。
主人であるセイジェル・クラカラインだけである。
そう思ってセイジェルの側を離れず周囲を見回していたが、見つからないものをいつまでも探している時間はなかった。
「隊長?」
「あ、ああ」
いつまでも立ち上がらないアーガンに、アーガンの馬の手綱を引いたイエルが声を掛ける。
あまり 「筆頭殿」 の存在を公言するのはよろしくないとわかっているアーガンは、喉に声を詰まらせながら応えると、ゆっくりとノエルを抱えるように立ち上がる。
「さぁ姫様、城へ参りましょう」
「アーガンさまもいく」
「一緒には参れませんが……」
「いっしょがいい」
「それは……」
出来ないと言い掛けてアーガンが言葉を詰まらせると、すぐ頭上からセイジェル・クラカラインの声が掛けられる。
「セルジュから聞いてはいたが、ずいぶんと懐かれているな」
セルジュから定期的に送られてきていた
セルジュがなにを考えて、そんなことまでセイジェルに報告していたのかわからない。
わからないが、すでに馬上の人となったセイジェルがそのことを不快に思っている様子はない。
むしろ面白がるように薄く笑みを浮かべ、アーガンとノエルの様子を眼下に見ている。
「どうすればそこまで懐かれる?」
「どうと仰いましても……」
返事に困ったアーガンだが、その脳裏に、去ったばかりの
『ヒトの姿をして生まれた盟主はヒトの世のもの。
我はヒトの世には関知せぬ。
ただ健やかに育たれることを願うのみ。
慈しみ、育てよ』
「……どうぞ、慈しみ、お育て遊ばしませ」
「なるほど」
だがセイジェルも
アーガンの口から繰り返される言葉に、面白がるように薄く笑みを浮かべて応える。
「子どもの相手などしたことはないが、努めてみよう。
どれ、手を」
そう言って馬上から、アーガンに支えられるように立っているノエルに手を伸ばすセイジェル。
おそらくノエルの手を取って馬上に引き上げようというのだろう。
だがノエルはその意味を理解しない。
それどころかすっかり怯えてしまい、うしろにアーガンが立っていなければあとじさって逃げていただろう。
「どうした?
まだわたしが怒っていると思っているのか?」
「閣下」
「怒っていないと説明したはずだが、ずいぶんと物わかりが悪い」
「閣下、ですからそういうところでございます」
さすがセルジュの従兄弟である。
言ったそばから少しも努力していないセイジェルに、アーガンは溜息を吐きたくなる。
だが自身も初対面のノエルを麻袋に入れて運んだことを思い出し、改めて反省するとともに溜息を飲み込む。
そしてノエルに話し掛けながらその小さな体を抱え上げる。
「姫様、失礼いたします。
閣下は怒っていらっしゃるわけではないのです。
ただ……その、こういう方なのです」
「酷い言われようだ」
どんなに言葉を噛み砕いても、すっかり怯えてしまっているノエルにわからせるのは難しいだろう。
それでも噛み砕こうとして困惑するアーガンに文句をつけるセイジェルだが、やはり薄く笑みを浮かべているから、怒るどころか、そんなアーガンをからかってさえいるように見える。
だがその余裕も次の瞬間に消えてしまうことになる。
そしてとんでもないことをするのである。
なんとアーガンが抱え上げたノエルを、両手で受け取った次の瞬間に落としたのである。
「姫様っ!
お怪我はございませんかっ?」
「……い、いたいの……いゃ……」
重力に引かれるまま地面に落下したノエルは尻餅をついてすわりこんだまま、身を小さくして震えている。
どうやら折檻されたと勘違いしたらしい。
さすがのアーガンもノエルの背を支えるように抱えながら、疑うような目でセイジェルを見上げる。
「なんということを……。
閣下、いったいどういう……」
一度はノエルを受け取りながらも取り落とした自分の両手を不思議そうに見ていたセイジェルは、アーガンの視線に気がつくと、彼らしくない間抜けなことを言い出す。
「……子どもとはこんなに細い……いや、軽いものなのか?」
「閣下、軽かろうと細かろうと、落としていい理由にはなりませぬ」
「なるほど、確かにそうだ」
だが我に返るのも早くすぐいつもの彼に戻ると、責めるようなアーガンの言葉に薄く笑みを浮かべて返す。
「ただでさえ姫様は馬に慣れておられないのです。
このようなことをなさっては……」
「許せ。
わたしとて予想だにしないことは多々あるものだ」
「謝罪でございましたら姫様にお願いいたします。
このようなことをなさっていては懐いてくれませぬぞ」
「時間はいくらでもある。
わたしも努力すると言っているのだ、そのうちに慣れるだろう」
その考えの甘さにセイジェルが気づくのはもっとあとのことである。
改めてアーガンが抱え上げたノエルを受け取ると、今度は落とすことなく自分の前にすわらせる。
けれどアーガンからセイジェルに引き渡される時、ノエルの手がアーガンの腕を放さなかったことを見逃さなかったらしい。
「アーガン、そなたも一緒に来るといい。
屋敷までだが」
「ですが、そうしますとセルジュが……」
うっかりセルジュに 「公子」 を付け忘れるアーガン。
だがセイジェルはその部分を聞き逃し、自分の馬の手綱を預けていたファウスを見る。
「そなたの部下二騎に、わたしの護衛からも二騎付ける。
あれをセルジュ・アスウェルと知って仕掛ける者などそうそういないだろうから、せいぜい落馬せぬようにだけ気をつければ十分だろう」
「閣下、洒落になりません」
それが一番心配だというアーガンを連れ、セルジュより先に出立するセイジェルたち一行。
同じウィルライト城を目指し、一足遅れてセルジュたちも出立する。
そうしてこの日、ノワール・クラカラインが、新たなクラカライン家の魔術師として入城した。
【アーガン・リンデルトの呟き】
「姉上、どうかノワール様をよろしく頼む。
あの方はとても……とても可愛らしい御方だ。
どうか、よくして差し上げて欲しい」
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